<内容>
とある冬の日、町は大雪にみまわれた。その日学校に登校してきた高校3年の8人の男女は徐々に異変に気づき始める。校舎の中には自分達以外だれもいなく、しかも校舎から出ることもできない。その不思議な空間に閉じ込められた8人は、学園祭に日に起きたある事件を思い出す。その学園祭の日にある者が飛び降り自殺をしたのであった! しかし8人はその自殺したクラスメートの名を何故か思い出すことができなかった。ここはその自殺したクラスメートの精神世界の中なのか? 8人はその日に起きた事件のことを思い出そうとしてゆくのだが・・・・・・
<感想>
本書を読んで思い起こしたのは法月綸太郎氏のデビュー作「密閉教室」という作品。この作品は後にノーカット版というものが出版された。デビュー作として出版されたものは書かれたものを大幅カットして編集した作品として世に送り出されたものであったとのこと。本書「冷たい校舎」はある種その「密閉教室」の逆の試みがなされた作品ではないかと思う。本来であれば大幅カットして世に送り出すべきであるところを、あえてそのままの形で出版された作品となっている。その効果は読む人によって異なるであろうが、果たしてその試みは世間一般にどのように受け取られたのであろうか。
私の感想としては、本書をミステリーとするならば大幅にカットして1冊の作品として仕上げるべきであったと思う。8人の登場人物が出ているものの、ひとりひとりのバックボーンを書き込む必要性は感じらず、特に本書の内容から外れるものも多かったので、その気になればそれなりに省略できたのではないかと思う。
ミステリーのネタとして後半に明かされる、ある仕掛けと結末に関してはなかなか良かったのではないかと感じられた。それだけに本書をミステリーとしてまとめきった作品として出してもらいたかったと痛切に感じるのである。
また逆の見方をすれば青春小説という形であるならば、このぐらいの厚さでもかまわなかったと思われる。ただ、そうするとメフィスト賞という枠からは外れてしまう可能性もある。それならばいっそうのこと違う形で本書を世に送り出してもらいたかったところである。青春小説とするならば、本書をデビュー作にせずに大作長編として(なんだったらこれよりももっと長い形で)出すということも可能であったのではないだろうか。
本書にはところどころ引き込まれた部分もあったので、とにかく惜しい小説という気がしてならない。次回作ではミステリーを主としたほどほどの長さの作品をポンと出してもらいたいものである。今後に期待してよい作家であると感じさせられた作品であった。
<内容>
同じ大学に通う、浅葱と狐塚と月子。彼等が普通に大学生活を送っている中、巷ではひとりの少年の失踪事件から、それにつながると思われる殺人事件が発生する。やがて、その事件は月子達に関わりがあるものが被害者となり、徐々に彼ら自身までもが巻き込まれて行く羽目に・・・・・・
<感想>
最後まで読んだ後には感嘆した。いや、これはなかなか良くできた作品であると言ってよいであろう。
正直言って、上巻を読んでいるときはその冗長さにうんざりしていた。途中では物語がどう発展していくのかがわからなく、ミステリーというよりは青春小説という趣であったので、あまり良い印象は抱けなかった。
ところが後半に入り、ある程度到達点が見えてきてからは一気に読まされてしまった。余計に思えるちょっとした挿話とかがあるのは相変わらずなのだが、それでも物語の骨子となる強烈な部分に引きずられ、途中からは興味を持って読むことができた。
内容としては天童荒太氏の「永遠の仔」を思い起こすようなものであり、そこに劇場型犯罪を付け加えた極めて現代的な作品と感じられた。そして、そういった内容の中に登場人物たちの感情を過剰なまでに書き込んでいるところが、この著者の持ち味であると言えるだろう。その感情的な部分があまりにもむき出しであるように感じられ、そういったところは若干引き気味に感じられてしまうところがあったのも事実。とはいえ、その前半の物語の中で登場人物たちの互いへの感情を押し隠し、そしてそれを後半の物語で明らかにしていくという趣向はなかなかのものであった。
ミステリーとしては普通の域を脱しているとは言いがたいのだが、その物語に込められた登場人物達の過剰なまでの感情は他の作品には見られないものであろう。また、ラストの場面では、なんとなく泣かされてしまったという事も付け加えておきたい。今年読んだ本の中で印象に残る一冊となることは確か。
<内容>
芹沢理帆子の父が失踪してから5年の月日が経とうとしていた。高校生となった理帆子であったが母親は重い病気で入院しており、元の彼氏とのトラブルを抱えながら、夜な夜な友人達と遊び歩く日々を過ごしていた。そんなとき、理帆子の元に別所あきらが現われ、理帆子の周囲の世界が少しずつ変わって行くのであったが・・・・・・
<感想>
女子高生の日常を描いた作品なのであるが、そこに“ドラえもん”道具やストーリーなどを引用する事によって、ファンタジー小説へと昇華した不思議な物語となっている。
まぁ、良い話であるし、それなりに楽しむ事もできたのだが講談社ノベルスで書くような話ではないかなと。やはりこの作品を買ったのはあくまでもミステリーを期待していたわけであるので、そういう観点から考えてしまうと期待が外れてしまったという感じであった。
また、このような物語にするのであれば、いっそうのこと後半の破天荒な展開は抑えて、平坦な物語にしたほうが良かったのではないかとも思える。どちらにせよ、今後は講談社ノベルスから離れて作品を書いていくのではないかなと予想させるような内容であった。今後、益々良い作品を書いてくれることは間違いないであろうという片鱗を見せてくれた作品である。
<内容>
ぼくたちが通う小学校で忌まわしい事件が起きた。皆で世話をしていた大事なうさぎが何者かに惨殺されたのだ。第一発見者となった、ふみちゃんは、その光景にショックを受けて学校へ来ることさえもできなくなってしまった。ふみちゃんの幼なじみで親友でもあるぼくは、うさぎを殺した者に復讐をしようと考える・・・・・・ぼくは普通の人にはない不思議な力を持っているのだ・・・・・・
<感想>
ミステリというよりは、心に傷をおった小学生に対するカウンセリングの様子を描いた作品のように思えた。
本書では、復讐をはかろうとする“ぼく”と、その力の使い方を教えようとする“先生”の二人の話し合いが主な内容となっている。その“力の使い方”が主となる話ではあるはずなのだが、話し合いの印象が“ぼく”に対する先生のカウンセリングのように思えてならないのである。
最近小中学生が関わる事件が増えているようであるが、そのときによく事件に関わった者の“心のケア”という言葉を耳にするのだが、本書はそういう一例なのではないかと考えられる。
そして先生との話し合い後の内容であるが、主人公の“心のケア”だけに留まることなく一波乱ある展開が待ち受けている。その手段とか、主人公が選んだ“言葉”であるとか、見どころはたくさんあるのだが、やはり最終的に見るべきところは主人公が自分の本当の心情を吐き出す場面であろう。本書では特殊な力を通して、主人公の本当の心情を語らせるということが主たるテーマであったような気がする。
本来のカウンセリングであれば、もっと平凡な観点から突き詰めていかなければならないのだろうが、本書ではそれをちょっと特殊な一例としてカウンセリングを行ったというようなところであろうか。
<内容>
人気急上昇中の脚本家・赤羽環は祖父から遺産としてもらった旅館をアパートに改築し、自分が気に入った人間を格安で下宿させる事にした。今現在住んでいるのは環の他に5人。絶大な人気をほこる小説家・チヨダ・コーキと、その担当編集者の黒木。漫画家になることを夢みて投稿を繰り返す狩野。映画制作会社で働く長野正義。正義の恋人で画家を目指している森永すみれ。そんな彼らの生活を描く青春物語。
<感想>
本書はミステリではなく、“スロウハイツ”というアパートに集まったクリエイターたちの青春群像を描いた作品となっている。本文中にも出てくるのだが、昔著名な漫画家たちが集まり執筆を繰り広げていた“トキワ荘”という有名なアパートがある。本書はその“トキワ荘”を意識したような作品となっている。その“トキワ荘”を現代風に描き、さらには男女の関係も含めて描いた作品というところである。
そんなわけで、あとはその男女がくっついたり離れたりを繰り返したり、素性が謎につつまれている者が現われたり、そのアパートの中で隠し事をしているものがいたりということが繰り返されて物語が語られてゆく。それらがどのように描かれているのかはもはや読んでいただくしかない。
そういった中で本書の一番の特徴ともいえるのは、物語上綿密に伏線が張られているということ。伏線といっても本書はミステリではないので、何かを暴くというようなものではないのだが、実は何気ないエピソードの中にそれぞれある思いが込められているということがラストで明らかにされるように書かれている。本書を最後まで読んだときには、その秘められた感情と、さまざまに交錯された思いを強く感じる事ができる。
また、本書ではそういった物語としての印象だけではなく別に強く感じられたことがある。それは、とある作家に対するリスペクトの仕方というものを著者なりの感情で描いていたのではないかということ。この作品の中では“チヨダ・コーキ”という有名作家を用いて、その作家に対する愛情やその作品に対してのファンのスタンスというものが描かれている。これを現実の作家やその作品というものになぞらえて考えてみると、さらに深いものが見えてくるような気がする。
と、そんな感じで従来の講談社ノベルスに対するミステリ路線を期待する人には物足りないかもしれないが、充分に良い小説に仕上がっているのでお薦めしたい作品である。今まで辻村氏の作品を読んできて、それらが面白いと感じた人には、その辻村作品のなかでも特に良い出来であるのでさらにお薦めしたい。
<内容>
衣田いつかは、意識だけ3ヶ月前に戻るという不思議なタイムスリップを経験した。その3ヶ月前の“記憶”では同じ学年の生徒のひとりが自殺してしまうという事件が起きていた。いつかは何とかその事件を止めることができないかと、周囲の信用できそうな者達に協力を依頼する。ただし、肝心の自殺する生徒の名前は覚えていなかった。いつからは、残り少ない時間の中で“名前探し”をはじめることに・・・・・・
<感想>
ミステリっぽくないこともないのだが、これはもう普通に青春小説といったほうがよいであろう。とはいえ物語の展開の中に伏線が張られていたり、“名前探し”という目的が明確になっていたりとミステリ的に楽しめないこともない。要するに辻村氏らしい作品であるということである。
最初は学園モノと言うことで、辻村氏処女作の「冷たい校舎の時は止まる」のようなものを想像していたのだが、それよりは学生としての生活そのものが中心になっている内容。主人公ら特徴のある登場人物を配置して、“名前探し”というメインの目的を据えた中で、互いの人として、学生としての友情を構築していく様が描かれている。
本書では“名前探し”といいながらも、話の半ばで主人公達が探そうとしていた人物が明らかにされている。そこからは、その人物を取り巻くような形で物語が進んでいくものの、実はそれらを取り巻くようなもうひと回り大きな思いにより、話し全体が覆われていたということが最終的に明らかにされる。その真相を知らされることにより、話し全体の印象が大きく変わってしまうように創られている。その内容のそれぞれには、賛否両論の部分もあるのだが、うまく創られているということは確かである。
最近の本でこのように伏線が張られながらも、ミステリからはちょっとはずれたような内容の作品が多く描かれているが、そういったなかの学園系の作品としては辻村氏が一番うまく描いているのではないかと感じている。本書もちょっとアクロバティックな青春学園小説として楽しめる良い内容の作品であった。
<内容>
F県立藤見高校の旧3年2組のクラス会は毎年のように行われ、現在では10年目に達しようとしていた。そんななか、いつも都合が悪いということで一度も顔を出したことのない人物がいた。彼女の名はキョウコといい、現在ではテレビで活躍している女優である。元のクラスの誰もが彼女に会いたいと思い、何故彼女は出席しないのだろうと考えを巡らせる。彼らはなんとかキョウコにクラス会に参加してもらおうと画策するのであったが・・・・・・
<感想>
読んでいて、うまいと感嘆させられた。何がうまいのかといえば、タイトルの付け方が絶妙だなと。
本書は章ごとに、旧3年2組のそれぞれの人たちにスポットが当てられ、過去を思い起こし、現在の状況と照らしあわすように描かれている。そういった中、とある人物の主観からすれば脇役でしかない人物でも、その人が主観となって話しが進められれば、その脇役のような人物自らが物語の主人公を主張するようになっているのである。そういった情景がまさに、“太陽の坐る場所”というタイトルを思い起こさせ、そのタイトルの付け方と絶妙な物語の運び具合に感嘆させられてしまうのである。
ただし、本書は基本的には嫌な話であり、その作風にあまり馴染めないという人もいるかと思われる。今まで著者の辻村氏が描く作品というのは十代くらいの登場人物が主体であったような気がするが、この作品では大人の嫌な部分を直視させられるような物語が語られているいるのだ。
ただ、嫌な内容の小説だなと、そこで終わるだけというようなことには決してならない。今までの辻村作品のように、本書にもある種の仕掛けが成されているので、ある意味ミステリとしても十分に堪能できる作品となっている(ミステリ的な仕掛けといってよいかどうかは微妙だが)。
とにかく、辻村氏の新境地が楽しめる作品であるということは間違いない作品。単行本ということもあり、以前のノベルス作品と比べれば読んでいない人も多いのではないかと思われるが、そこは読んでおかなければもったいない作品であると言い切っておきたい。
<内容>
「踊り場の花子」
「ブランコをこぐ足」
「おとうさん、したいがあるよ」
「ふちなしのかがみ」
「八月の天変地異」
<感想>
ホラーを主体とし、そこにサスペンスやミステリを組み込んだ短編小説集となっている。基本はホラー小説といえるのだろうが、読み終えてみなければどのような趣向の小説なのかはわからないという楽しさも秘めている。
「踊り場の花子」は徐々に追い詰められていくという怖さを堪能できる。表題作「ふちなしのかがみ」は単なるホラー系のみの作品ではなく、ミステリ小説としての味付けもなされている内容。「八月の天変地異」は神秘的で心温まる小説。
と、色々な趣向の作品を堪能する事ができ、それを楽しみとして読む事ができるものの、個人的にはもう少しテーマを絞ってもらいたかったと感じられた。特に、最近こういった作風の短編は色々なところで見受けられるので、著者ならではという一工夫が欲しかったところ。色々な内容の作品が集められている分、良い作品とそうでもない作品の差を顕著に感じ取れてしまったようにも思える。
<内容>
結婚した後もフリーライターとして活躍し続けるみずほは、かつて友人であったチエミの行方を捜していた。彼女には母親を殺害して逃亡したという容疑がかかっていた。チエミは家族と異常すぎるくらいに仲が良く、そのような兆候はなかったはずなのだが。みずほはチエミの事を知っている者達に取材を試み、事件が起きた背景を探ろうとする・・・・・・
<感想>
辻村氏が社会は小説に挑戦した野心作・・・・・・ということなのだろうが、決して成功しているとは言えないであろう。
今までの辻村氏の作品は軽快で読みやすいと感じられたものが多かったが、今作は非常に読み進めづらかった。もちろん内容が内容だけにしょうがないのだろうが、ちょっと重過ぎたという気がしてならない。
また、内容に関しても捻りがなさすぎるというふうに思えた。なんとなく、普通に終わってしまったという印象。以前に読んだ作品で「太陽の坐る場所」という良作があったのだが、それのオチのないバージョンというような感じの作品。
<内容>
マーダーライセンスを持ちながら、ヒモとして怠惰な生活を送り続けるティーのもとに、かつての恋人であり、同じくマーダーライセンスを持つアールから電話がかかってきた。彼女からの意味深なメッセージを聞き、ティーはアールの行方を探し出すことを決意する。そうして、ティーは友人達のもとを訪ねてゆくのだが・・・・・・
「スロウハイツの神様」の作中人物チヨダ・コーキのデビュー作。
<感想>
今月出た講談社ノベルスの中で一番ページ数が薄く、すぐに読めるだろうと思い手に取ってみたのだが、色々な意味で薄っぺらいと思える作品であった。子供向きなのかもしれないが、最近のライトノベルスを振り返ってみると、子供向けの本でも、もう少し中身がつまっていると思えるのだが・・・・・・
マーダーライセンスというものを持った主人公が恋人の行方を捜すというもの。とはいえ、進行方法が話を進めていくわけでもなく、新しいキャラクターを次々に紹介していくというだけでしかない。キャラクターを紹介しているうちに物語も自然と進んでいっているような、いないようなというそんな按配。
まぁ、この作品は辻村氏の小説のなかの人物が書いた作品ということなので、それほど力を込めた作品というわけではないだろうから内容の薄さはしょうがないのであろう。でも、本書はどのような層に向けて書いた作品なのかということが気になるところ。辻村氏のファンがこのような内容の作品を喜ぶようには思えないのだが。