<内容>
貧乏学生の河上太一は作家・平井骸骨に弟子入りを頼み込み、居候させてもらうことに成功する。ある日、骸骨は知人の評論家の通夜から帰ってきた後、あれは自殺じゃないと太一に語る。そして骸骨はこの事件の謎を解くことができたら、太一を正式に弟子として認めようといいだすのであったが・・・・・・
<感想>
ミステリーサイトのいくつかで見かけて、つい気になり購入してしまった作品。感想はといえば・・・・・・“プチ京極”なんて言い方はひどすぎるかな。
本書はキャラクター小説としてはよくできていると思う。主人公の青年(彼の家系には何かわけありな話がありそう)、骸骨先生とその奥さん、そして二人の娘と女性編集者と生き生きとしたキャラクターがきちんと映えている。シリーズ化しても、なかなか楽しませてそうな予感が十分に感じられる。
では、ミステリーとしてどうかというと、うーーんと首をひねりたくなってしまうところもある。とりあえずは広義の密室というものを取り扱ってはいるものの、あまりフェアであるようには感じられなかった。いくつかのトリックを複合したかのようなものなのだが、何か微妙というところであり、素直に納得する気にはならなかった。
とはいうものの、ライト系のミステリーとしてはこのくらいでいいのではないかとも思う。ミステリーを読み始めた中学生、高校生が気楽に読める本ということでいいのではないだろうか。この本を機により深くミステリーに踏み込んでもらえる入門書という位置づけといったところで。
<内容>
平井骸惚一家(弟子の河上君含む)は編集者の緋音嬢の誘いにより、避暑として栃木奈須高原のホテルへ行くことになった。しかし、そのホテルで待っていたものは華族である日下家のお家騒動であった。当主が亡くなったその家は本来ならば長男が継ぐはずなのであるが、等の長男は病弱であり、当主の座を3人の弟たちが狙うという状況であったのだ。そして平井骸惚一家が到着した後、日下家の者達が次々と殺されてゆき・・・・・・
<感想>
前作を読み、そのキャラクター達のことを気に入ってしまい、続編を読まずにいるということはできなくなってしまった。そんなわけで、このシリーズはこれからも追っていこうと思っている。すでに前作でキャラクターとしては確立されているので、今回の作品にもすんなりと入り込むことができた。ただ、前作と比べれば格キャラクター達の活躍が少なかったかなと思える。
今回の感想としてはページが少ない、というよりは書き込みが足りないと言ったほうがよいかもしれない。今回の作品では殺人事件がいくつか起こるのだが、その一つ一つの描写の書き込みが足りないと感じられた。“フェアプレイ”とまでは言わないにしても、やはり探偵小説であるのだから、その辺はきちんとしてもらいたいと思う。とはいうものの、この辺はライトノベルスということもあり、ページ数に制限があるせいなのだろうかと考えてしまう。この本の読者層としては、コアなミステリーファンにというよりは、低年齢層を含めた広い読者層にということがあるのだろうから、あまりページ数は厚くないほうがいいのだろう。そう考えるとこの本のページ数は妥当であるといえる。とすれば、書き込みは足りなくてもしょうがないということで治めるしかないのであろう。
また、今回のミステリーとしての大筋のトリックであるが、なんとなくどこかで見たことがあるような・・・・・・とは言うものの私が予想していたものとは異なる結末となっていたのだが・・・・・・。まぁ、なにはともあれ充分に読者の想像力を刺激するような内容となっているので楽しみながら読める推理小説となっている。今後も期待。
<内容>
平井骸惚宅にて書生として居候している河上君のもとに女性が訪ねてきた。その女性・翠子は河上君の幼馴染で、なんと婚約者だと名乗りを上げるのであった。成り行きから、骸惚家に居候することになった翠子。しかし、その翠子は毎日一人だけでどこかへと出かけてゆく。不審に思った河上君と涼嬢が後をつけてみると、たどり着いたのは貿易商の新井家という大きな屋敷。中をうかがってみると、その屋敷の中では騒ぎが起きていて、なんと幼子が誘拐されたというのである。そして不審人物として捕らえられることになったのは、その屋敷を毎日のように影からうかがっていた翠子であった・・・・・・
<感想>
いや、相変わらず毎回きっちりとミステリーをこなしてくれている作品である。また、これも相変わらずキャラ萌えの要素は強いものの、それによりとっつき易さ、読み易さを増しているのだから、それはそれで一つの手法として認めざるを得まい。
今回は幼馴染が巻き込まれた誘拐事件の謎を河上君が挑むというもの。ただ、これだけではミステリーの要素としては薄く、序盤から中盤にかけては少々内容が薄いかなとも感じられた。しかも、事件の謎もなんとなくわかってしまったためにことさらそのように感じられた。
しかし、物語の後半に突然新たな事件が勃発し、犯人の目安がついていたにもかかわらず、そこで混乱してしまい五里霧中の状況にさらされてしまう。そして、あとは骸惚先生の解決に頼るのみと・・・・・・読んでいてなんともなさけない気分にさせられてしまった。ようするに本書のできがそれなりに良いということなのだろう(自分のヨミがなさけないだけなのかもしれないが)。
と、そんなわけで中盤から後半の流れはなかなかうまく持っていったのではないかと感じられた。全体を通してみても、うまくミステリー作品としてまとまっている内容であるといえるだろう。
のほほんとした雰囲気の中できっちりとミステリーをこなし、そして読みやすい良作のこのシリーズがこれからも続いてくれることを望むばかりである。難解なミステリーばっかり読んでいて、疲れたときにはもってこいの本である。
<内容>
“俺”は死んでしまった。“俺”は死後の世界で死神と出会い、まだ寿命が残っているという事を聞かされる。そして“俺”は死神の力を借りて、現世に甦ることができた・・・・・・しかし、元の体ではなく、霧崎という少女の体を借りて・・・・・・
ちょうどその頃、現世では“キリサキ”と呼ばれる連続猟奇殺人犯が世間を騒がせていたのだが・・・・・・・
<感想>
いや、なかなか楽しく読むことができた。これはサイコ・サスペンス小説としてよくできている作品ではないだろうか。
物語の最初では、話の背景があまり明かされておらず、話が進むに連れて徐々に明らかになっていくという流れになっている。話の途中を驚愕の展開でつないだり、警察の捜査状況を挿入したりと、構成にも手が込んだ作品である。さらにはミステリーとしてもそれなりの体裁を保っており、最後に明かされる真相はなかなか考えつくされたものとなっている。
では本書を純粋にミステリーと捉えてよいかといえば、そういう内容でもないという事を付け加えておきたい。本書の中ではフェアというには程遠い、かなり大掛かりな試みも行われている。そういう意味でも、本書はサイコ・サスペンスという銘が最初に来て、そしてそこにミステリーが付け加えられていると考えたほうがしっくりくる。これが本格ミステリーに組み込まれると、殊能将之氏の「黒い仏」も真っ青といったところだ。
ただ、こういうライト・ノベルスによるミステリーっぽい小説と言うのは本書のように必ずしもフェアでなければという束縛から外れたところにあるがゆえに、かなり思い切ったことができるのではないだろうか。よって、本書のような作品や乾くるみ氏の「マリオネット症候群」などといった、ある意味斬新といえなくもない小説が出てくるのであろう。これは以外とライト・ノベルズ誌上のミステリーというものも侮ることができないなという事を考えさせられてしまう。
最後に余談であるが、本書において惜しいと思えるのは“萌え”の要素がなかったところ。本編の主人公がいくら少女の体に乗り移ったといっても、中味が男であればさすがに“萌える”ことはできない。せいぜい、表紙や挿絵を楽しむといった程度であろうか。
<内容>
骸惚先生が夫婦そろって出かけたため、河上君は涼子と撥子と3人でしばらくの間留守番をすることになる。その骸惚宣誓不在の中、河上君らは関東大震災に遭遇することに! 崩れそうな家から逃げ出す3人。知人の医師と出会ったことから一緒に避難し、なんとか落ち着くことができたのだが、河上君は避難生活の中で殺人事件に遭遇することに・・・・・・
<感想>
「あなたが蜘蛛だったのですね」 と、言いたくなる内容・・・・・・で終わらせてしまっては乱暴か。
一応はクローズド・サークルという内容のようなのであるが、閉ざされているという事自体があまり伝わってこなかった。大震災で人々が散り散りになったとはいえ、もっと大勢の人々がひしめき合っていたのではないかと思えるのだが、そういった細部が書ききれていなかったように感じられた。
しかし、作品としてはそこそこよくできていたと思える。といっても、ミステリー的にというよりは一連のシリーズものとして主人公の河上君の成長ぶりを垣間見えることのできた作品ということで、良くできていると感じられた。
非現実的な状況の中で起きた殺人事件を自分の意思によって、自分の力だけで解決していく様はなかなかのものであった。最終的にはちょっとしたオチが付けられているとはいえ、今回は河上君が解決した事件といってよいであろう。そろそろ骸惚先生の元から旅たつときか? それではシリーズが終わってしまうから、もう少しなさけないままの河上君で十分か??
<内容>
骸惚夫妻は異母兄弟となる大河内伯爵からパーティーの誘いを受け、しぶしぶながらも出席する事にした。そしてそのパーティーの晩、大河内伯爵の妻が何者かによって殺されてしまう・・・・・・しかも首無し死体となって・・・・・・
一方、書生の河上は涼が級友からパーティーの招待を受けたので、共に出席する事に。おりしも、それは骸惚夫妻が招待されたパーティーと同じ日であった。そして、何とこちらでも殺人事件が起きる事に! しかも、こちらの死体も首無しで・・・・・・
<感想>
なんと唐突ながら、これが平井骸惚シリーズの最終巻となってしまった。まだまだ、骸惚一家が活躍するミステリーを読んでいたかったので、ここで終わってしまうと言うのも残念なことである。
その最終巻の内容は首無し死体が現われる殺人事件が二箇所で起こるという事件を扱ったもの。ではそれのミステリーのできはと言うと、良くできていたとは思うのだが、書き足りなかったかなというところである。トリックやネタとしてはなかなか良い題材を扱っていたと感じられた。それだけに、事件が起きたときの周りの様子だとかをもっと良く書き込んでいれば、深みのあるミステリーに仕上がっていたのではないかと感じられる。とはいえ、ライトノベルズのページ数ではここまでが限界であろうとも思える。
また、なんとも印象深かったのは最後の解決の場面で河上君が骸惚先生と肩を並べて推理を繰り広げるところ。著者曰く、本シリーズが終わってしまうのは、考えていたよりも河上君の成長が早すぎたという事なのだが、本書を読めばそういった意味も納得せざるをえないのである。
<内容>
かつて“僕”であったものは“私”として生き返った。“僕”であったときのおろかな過ちを食い止めるための“シナオシ”として。
死後の世界の“案内人”によって生き返った“私”はかつての生前の記憶を失っていた!? 果たして、過去の記憶をとりもどし、自分が犯した過ちを食い止めることができるのか??
<感想>
うーん、元々ルール自体がなんでもありなので、どのような具合になってもいいというか、意表をついたどんでん返しを狙ったせいで複雑になってしまったというか、最終的には“ぐちゃぐちゃ”になってしまったという感じ。
どうも同じ人物の意識が同時期に現れてしまうというところに納得がいかないのだが・・・・・・まぁ、別にそんなルールを明確にしてどうのこうのという小説ではないのだからこんな感じでもよいのかもしれない。このようなタイムパラドックスを描いた小説というものも数多く出ているわけだから、既存のものと一線を引くにはこのように複雑化するしかないのかもしれない。作品を書く上での著者の苦悩がなんとなく伝わってくる一冊である。
<内容>
麻我部中央英森学園に入学した小澤哲。その高校では何らかの部活に入らなければならなく、哲は部活の見学をしている途中、古い図書館へと迷い込む。そこで出会ったのが宮守みこという女の子。彼女はオカルト同好会“四つ辻の会”というのを主催しているという。その同好会に強く誘われる哲であったが、なんとか断ろうとする。しかし、旧知であった顧問で学園の教師である伊田悠美に丸め込まれ、いつしか妖怪退治に協力する事に・・・・・・
<感想>
今までの作品では“骸惚シリーズ”をということでミステリー作品を読むという目的で買っていたのだが、本書はどのようなジャンルに分類されるものかわからなかったものの、とりあえず今まで購入し続けている田代氏の作品という事で買って読んでみた。
序盤を読んだ限りでは、妖怪などを扱った奇譚系の作品かという印象であったのだが、それが途中でミステリ系の展開に早代わりする様には驚かされた。ただし、それだけでは終わらずにやや妖怪系のほうへと足を踏み入れたりもするのだが、その辺もまず行過ぎない程度であり、程よい小説であったと思われる。
そんな具合で、結局のところライトノベルズという形に収まってしまう内容であるのだが、なかなか楽しく読めたので、今後シリーズ化していくのなら追っていってもいいかなと思えるものではあった。
<内容>
いつの間にやら“四つ辻の会”のメンバーとなってしまった小澤哲。そんなある日、哲は学校で“四つ辻の会”の部員である宮守みことそっくりな人物を見かけることに。なんと彼女は“みこ”の同学年の年子の妹で“りこ”という名前であると知らされる。そして、当のりこから新たなる事件を持ちかけられる事に。なんと、りこの級友の祖父の死体が火葬場から消えてしまったというのだ。その犯人は妖怪“カシャ”ではないかというのだが・・・・・・
<感想>
今更ながらの話であるが、改めて田代氏の作品は“京極系”(こんな言葉があればだが)であるなと感じられた。前シリーズの平井骸惚・シリーズは登場人物からしてそのままと感じられたが、この“セカイのスキマ・シリーズ”では設定自体は打って変わって学園ものとなっている。しかし、行っている事といえば、いわゆる“憑き物落とし”である。
誰かが遭遇した、妖怪が関わっていると思われるような不思議な出来事。それを現実的な事象を用いて解決するという展開で話が進められている。こういった展開こそがまさに“京極系”といいたくなるところである。
まぁ、まったく京極作品の影響を受けていないということはないだろうが、ひょっとしたら著者自身は全く意識していなくて、単なる妖怪好きということも考えられなくはない。ただ、少なくともここ最近、いくつかの作品の中で見ることのできる、探偵の解決の仕方によって、事件の当事者を救済するという形態がとられているということは事実である。
また、この作品を特徴付けているもう一点は、現実的な事象のみで終わらせることなく、怪奇的な現象もそのまま用いて二重の解決を行っているというところである。そこがライトノベルスならでは許される展開ともいえるし、なおかつ少々作品自体を子どもっぽくしているところでもある(まぁ、もともと若年者むきなのだろうけれども)。
と、ありきたりとまでは言わないまでも、それなりのきちんと設定された世界があり、謎の提示から解決に到るまでのパターンが確立されている。そしてミステリとしてもなかなかうまく出来ている感じられ、2作目にして良いシリーズものであると感じられた。
なんとなくキャラクターに比重が置かれているようなのに、そのキャラクター自体にあまり存在感がないような気もするのだが、それなりに楽しいミステリに仕上げられていいきってよいであろう。田代氏の作品、もうしばらく追い続けようと考えている。
<内容>
四つ辻の会の4人は顧問の悠美と共に、学園の夏の行事・山林ボランティアに参加することになった。その村に伝わる“神隠し”の謎。そして“神隠し”という言葉に必要以上に恐れを抱く宮守みこ。ボランティアの最中に起きた神隠し事件と十年前に起きた神隠し事件は関連しているのか!?
<感想>
シリーズ第3弾、ということでシリーズものとしても乗ってきた、と思いきやなんとこれで完結。ひょっとしたら、第2部という別の形で続編が出る可能性はあるようだが、ここで区切りがついてしまうというのも何か納得がいかない。ひょっとして売れ行きとか、何か諸事情があるのかな?
と、そんなシリーズの完結を迎えたこの作品であるのだが、ミステリとしてはそれなりに面白く読むことができた。今回のテーマは妖怪そのものではなく、“神隠し”という現象。主人公は過去と現在に起きた神隠し事件の謎を合理的に説明を付けようとする。若干、苦しげな部分もあったものの、大筋でなかなかうまく出来ていたのではと感じられた。今回は初心者向け民俗学ミステリという雰囲気で、うまい具合にまとめられている作品となっている。
ということで、今回はそれなりに良い具合の出来であったゆえに、ここで終わってしまうのがもったいないという気がした。せっかく主人公達も意気投合してきたのに、やはり三作くらいでは物足りない。まぁ、この不満は後に出るかもしれない続編にて解消してもらうということで。
<内容>
片桐芸術高等学校では芸術家・赤石沢宗隆によって選ばれた弟子達が自らをエリート集団“赤石沢教室”と名乗っていた。そして実際、その赤石沢教室に入ることは将来芸術家として活動する者にとっての成功の道を示すものでもあった。
そして赤石沢宗隆が亡くなり、残されることとなった赤石沢の最後の弟子たち四人。そのような状況の中で今年ひとりの新入生が入学してきた。彼女の名は片桐あゆみ。彼女に二つ上の兄は片桐芸術高等学校に入学後自殺しており、その原因が赤石沢教室にあるのだと、あゆみは聞いていた。あゆみは赤石沢教室について調べていくのであったが・・・・・・
<感想>
雰囲気はかなり違うかもしれないが、読み終わった瞬間この作品に対して、田代裕彦版「殺戮にいたる病」という言葉が頭に浮かんだ。
今まで田代氏が描く作品はユーモア調のものが多く、登場人物らは基本的に善良であったと思える。そういった作風を一掃するかのようなこの作品によって、失礼な言い方になるかもしれないが、田代氏はミステリ作家として一皮向けたと言えるのではないだろうか。
トリックとしては江戸川乱歩が似たようなものを使っていたような気がするが、作品全体を見渡せば全体的にうまく構成されている作品と感じられた。赤石沢教室という設定とミステリ的な要素とホラーの雰囲気がうまく融合されている。また、本書では片桐あゆみと、赤石沢宗隆の二つのパートが語られているのだが、それら二つが互いに関連したり、もしくは全く別々だったりと、その辺のつながり加減も絶妙であったと思われる。
さほど、これといって強い印象を残す作品ではないのだが、全体的にそれぞれの要素がうまくかみ合い、成功を収めた小説といえるのではないだろうか。その語り口の構成のためか、読んでいるときは若干冗長と思われなくもないのだが、最後に全ての構造が明らかになったときには、何故そのような語り口になっていたのかということを納得させられることになる。
真夏の夜、さらっと読むことができ、ちょっと薄ら寒さを感じさせるミステリを手に取りたいと思うならば、これ以上手ごろな作品はないであろう。