<内容>
大学生たちを中心に、いつしか集うこととなった探偵小説の会。その中のひとりがその会に参加しているものの名を借りて、実名小説としてミステリを書き上げると宣言した。さらにはその小説にて最初に殺されるのは曳間であると・・・・・・。数日後、その予言されたとおりに曳間が友人宅で奇妙な状況の中殺害されてしまう! さらに続く殺人事件。それらの事件は小説の中と実在の出来事と交互に交わってゆき、現実か虚構かの垣根がなくなっていくかのように・・・・・・
<感想>
「匣の中の失楽」再読。再びじっくり読んでみると改めてすごい小説であったということに気づかされる。
本書においてどこが特筆すべき点かといえば、なんといってもその構造があげられるであろう。序章で予告された殺人が第1章にて行われる。そして第2章に入ったときには、第1章で起きた事件は小説の中のできごととして語られており、第1章で殺害された人物を中心として2章での別の事件が展開されてゆく事になる。第3章では、また1章の続き、第4章では2章の続きと偶数章、奇数章によって生きている登場人物や、その性格までもが移り変わり、激しい錯覚を起こしそうになるなかで物語りはどんどん進行してゆく。この眩暈を起こしそうな構成は斬新であり、かつその構成そのものに強いミステリ性をうえつけられることとなる。
そして、本書のなかでは数々の殺人事件が起き、それらに対して学生達がそれぞれの意見をぶつけ合い、真相究明へと挑戦してゆく。この部分についてはいかにも探偵小説らしい展開であると感じながらも、いくつか不満の残る点も見受けられる。
それは事件の解明についてなのであるが、章ごとにひとつづつ殺人事件が起きてゆくわりには、第1章と第2章の事件を最後の最後まで引っ張りすぎではないかと感じられた。故に、第3章以降で起こる事件については、現場の状況についても、解明についてもかなりおざなりであったと感じられた。
また、事件自体についてであるが、第1章における事件は奇妙な状況であるにもかかわらず、犯人が行った殺害手順は最初から示されており、ほとんど議論の余地がないと思われる。故に、犯人を特定するにはアリバイ崩しと動機という2点のみになるのだが、それだけにも関わらず最後の最後まで真相は究明されないようになっている。
第2章で起こる事件については、こちらは設定が難解すぎたのではないかと思われる。結局、本書のなかでも真相が明かされないまま終わってしまっている。これについては第3章の後半にて“ワトソン探し”という点での打開策が図られるにもかかわらず、結局それも未消化に終わってしまっている。
というように、実は推理小説の真相を究明するという上ではいくつか不満がのこる部分が見受けられる。できれば第1章に起きた事件は次の章である程度解明してもらい、また次の事件へと移っていってもらったほうが読んでいるほうとしてはすっきりする。そういうこともあってか、第3章以降の事件があまり印象に残らないまま終わってしまったのは残念である。
とはいえ、全体的にすごい構造の小説であり、探偵小説としての構成・手腕も見事といえる。こんな作品を処女作として書いてしまっていいのだろうかと思わずにはいられない。また、こんな作品が1978年に出てしまったら後から出た作家は何を書けばよいのかとも考えさせられてしまう。
さらに付け加えれば、前述した中で未消化と思えた部分についてであるが、どうやら竹本氏はこの作品を書いているときには、本書の続編やこういった作品を何冊も書けるだろうと思っていたらしく、わざと課題を残していたようにもとれる発言をしている。そういうったことを考えると案外と今後の竹本氏の作家生活のなかで「続・匣の中の失楽」が出ないともかぎらない。そんなわけで、未消化と思えた読者はそれを待ち続けるのも一興であろう。
もしくは、本書が多くの読者を惹きつける理由は未完成といえる部分があるからなのかもしれない。それゆえに本書に魅力を感じるもの、もしくはそれゆえに自らペンをとるもの達が出ることになったとも言えるのであろう。そんな多くの人々に影響を与えた本が、30年近くの時を経ても色あせずにその名を残し続けている。
<内容>
17歳のティナは航宙士試験に合格し、幸福の絶頂にあった。しかし、その日を境に、彼女は妙なものを度々見かけることとなる。最初は正体不明の不気味な影であったが、それが徐々に世界を侵食していき、記憶の喪失にもつながる恐るべき出来事が・・・・・・
<感想>
竹本氏による初期のSF作品が復刊。それなりに楽しめるSF小説という出来栄え。
作品は第1部と第2部に分かれている。第1部では、日常の風景が徐々に崩壊し、それぞれ個人のアイデンティティまでもが崩壊の危機を迎えるというもの。この第1部の内容については、さまざまな本やゲームなどでも似たようなものを取り上げており、さほど目新しいものではないのかなと(ただ、この作品が刊行された1986年であれば斬新であったのかもしれない)。
しかし、それだけにとどまらず、そこから第2部へと移行し、その後の物語をしっかりと紡ぎあげているところはさすがと感じられた。何気に著者のSF作家としての力量に非凡なものを感じさせる作品。
この作品を読んでから、今まで読んだ竹本氏の作品を思い返してみると、何気にこの著者は女の子を主人公にしたり、語り手にするのが好きなのかと、ふと思い当たる。
<内容>
表題作をはじめ全六作を収録した、パーミリオンのネコ第四弾!
「青い血の海へ」
「”魔の四面体”の悪霊」
「夜は深い緑」
「スナイピング・ジャック・フラッシュ」
「銀の砂時計が止まるまで」
「死の色はコバルト・ブルー」
<内容>
竹本健治は雑誌に新連載のミステリを掲載し始めた。それは主に3つのパートからなり、ひとつは殺人鬼の独白、ひとつは竹本健治自身と彼の知人たちが実名で登場するというパート、もうひとつは“トリック芸者”という芸者ミステリ。その連載を続けていく最中に、竹本健治は違和感を感じ始める。「自分が書いたはずのない文章がここに掲載されている」と。現実と虚実が入り乱れる中、小説のなかの事件が竹本健治の周辺にも影響し出し・・・・・・
<感想>
新装版が出たのをきっかけに久々の再読。久々に読んだ割には前半部(文庫版の上巻)に関しては、結構その内容を記憶していた。しかし、後半部(文庫版の下巻)のほうは、あまりよく覚えていなかった。その理由は、やはりその内容によるものかと。
本書は“殺人鬼”“著者自身”“芸者”と3つのパートからなる作品。特にポイントとなるのは、著者自身が登場しているのみならず、竹本氏の身近な人々が実名で登場しているところであろう。綾辻氏を始め、本格ミステリ系の有名作家も数多く登場しており、しかも彼らが物語上で起こる事件に深く関係しているのである。
そうした実名小説というものが基本にありつつ、他の殺人鬼のパートやトリック芸者のパートが徐々に交錯し、あくまでも物語上の人物と思われた者たちが、実名小説のパートのほうへ繰り出してくるようになるのである。そうしてメタ小説へと展開し、錯綜と混乱を招きつつ、物語は終幕へとなだれ込む。
ただ、前述したようにこの物語の後半部分をあまりよく覚えていなかったのは、物語全体が決して収束しきれていなかったゆえのことではなかろうかと。特に前半の流れで読者を散々期待させたうえで、それらが収束しきれていないというのは残念なところ。それでもなんとか荒業とも言える方法で、一定の幕引きにはいたっているのだが。
もともとこの作品をどのようにして書こうと思ったのかはわからないが、それでも“試み”としては面白いものだったのではないかと。それぞれで書かれているパートについては、ちょっとしたエッセイ風であったりとか、ミステリとしてはボツネタのようなものであったりとかするのだが、そういった要素をひとつにまとめあげ、一連の物語としての流れを形作るという創作の仕方はすばらしいと思える。たぶん、この連載を始めようとしたときも、きっちりと結末を考えずにある程度見切り発車であったのではないかと思えるが、それゆえの前半部分のすばらしさといえるのかもしれない。
何はともあれ、完成度は高くなくとも、ミステリ史に残る傑作のひとつであると思われる。ただ、数年経ったら、やっぱり後半の展開についてはスッパリと忘れてしまうのだろうなぁと。
<内容>
「氷雨降る林には」
「陥 穽」
「けむりは血の色」
「美樹、自らを捜したまえ」
「緑の誘い」
「夜は訪れぬうちに闇」
「月の下の鏡のような犯罪」
「閉じ箱」
「恐 怖」
「七色の犯罪のための絵本」
「赤い塔の上で」「黒の集会」「銀の風が吹き抜けるとき」「白の凝視」「ラピスラズリ」「緑の沼の底には」「紫は冬の先ぶれ」
「実 験」
「闇に用いる力学」
「跫 音」
「仮面たち、踊れ」
<感想>
最近の竹本作品文庫化の流れで購入した作品。以前、角川ノベルス版で読んでいたのだが、感想等を書いていなかったので再読。竹本氏によるノン・シリーズ作品集。ミステリ、幻想ミステリ、ホラーというようなジャンルの作品が収められている。
最初の5編はミステリ色が強い作品となっている。感触的には、江戸川乱歩などが書いていた戦中、戦後ミステリ作品のような色合いが強く、特に「陥穽」はその趣が強い。その「陥穽」は、過去の事件が現在の語り手たちへと結びつくように描かれているのだが、ラストまで目が離せないものとなっている。自分探しの旅の顛末を描いた「美樹、自らを捜したまえ」や、森と絵画と毒を用いて描く「緑の誘い」などもそれぞれ読み応えがあった。
中盤の作品は短めのホラー系幻想小説といった感じ。それぞれ綺譚というような感じで、きっちりとした結末が付けられているわけではなく、それゆえに個人的には印象に残りづらかった。
最後の四編はどれも“佐伯千尋”という名の登場人物が登場する作品。ただし、あくまでも同じ名前を使用しているだけで、同一人物ではない。ただ、個人的になんとなく最後の「跫音」と「仮面たち、踊れ」の佐伯千尋が同一人物のような感覚で読むことができたせいか、ちょっと不思議な余韻を残すこととなった。4編ともそれぞれ異なる内容の作品ではあるが、そのどれもが味わい深い。
<内容>
智久は「僕はどこにでもいるんだよ」と、謎めいた台詞を口にした。インド古代遺跡での火災事故、六本木路上での殺人、巣鴨での質屋の女主人の失踪。まったく関連性が見えず、次々におこる事件に、若き天才囲碁棋士・牧場智久の影がちらつく。智久本人は大事な対局を控え、ほかのことを考える余裕はないはずなのに・・・・・・。智久の姉・典子をも巻き込んだ、面妖な事件の真相は何処に?
<感想>
まったく話の中に関連性がみえず・・・・・・全体を通してよく分からなかった。何がなんだか。待ちに待った牧場智久ものだったのに、こんなんではちょっと・・・・・・
<内容>
「フォア・フォーズ」とは、四つの4と記号を組み合わせて、様々な数字を作るパズルのこと。例えばゼロなら4+4−4−4=0。病気のせいで外で遊べなかったボクは、この単純だけれど奥深いパズルに夢中になった。しかしある日、年上の少女・エルがボクに告げた一言で、ボクがそれまでにつくりあげた「四つの4」の世界は・・・・・・。少年が抱える孤独と絶望をリリカルに描いた待望の第二短編集。
<感想>
「閉じ箱」以来の待望の第二短編集なのであるが、ひととおり読んでみて短編集という呼び名はどうであろうと思った。どちらかというと選集のような感じもする。確かに単行本という形では初出のものが多いのだろうが、いくつかは他で読んだことのあるものだった。特に、的場智久ものの「チェス殺人事件」、トリック芸者もの「メニエル氏病」、ネコの作品からの「銀の砂時計が止まるまで」らが入っているのはどうかと思う。的場智久ものとネコの作品はもともと別の形でまとまっていたものであるし、トリック芸者ものは別の形として作品集を出してもらいたいものである。
そんななかでも題にもなっている「フォア・フォーズの素数」はすばらしいできだと思う。数字群からなる作品とそこにひそむ少年たちの感情、そして話の展開となかなかにすぐれた作品である。今回は「閉じ箱」がホラー的な要素が強かったのに対してSF的な要素が強かったと思う。それであれば、その辺に統一して優れた作品を列挙してもらいたかった。これで第三弾をまた長い間待たねばなるまい。
<内容>
ゲームソフト会社で働く八木沢は資料を取りに行くため会社の地下へと足を運ぶ。するとそこでとてつもない、幻覚に襲われるはめにおちいる。そして八木沢はその後も度重なる幻覚により苦しめられることとなる。その白昼夢とも呼ぶことのできない、とてつもなく恐ろしい幻覚の原因を受験浪人中の岬の力をかりて八木沢は探ろうとするのだが・・・・・・
<感想>
怒涛のように繰り出される“由良布流”の濁流に、ただただ流されるしかすべはない。
理由やいわれなどは何もないというような不条理なほど圧倒的な幻覚。これはミステリというよりは“幻想小説”といったジャンルに入るであろう。しかし、本書ではこれを単なる“幻想小説”として終わらせるだけでなく、様々な薀蓄や研究による理由付けによってミステリの分野へと引きもどそうとする力技には感嘆させられる。
<内容>
聖ミレイユ学園にて悲劇が起こった。ウォーレン神父が校庭にて、落雷により死亡するという事故が起こったのだ。さらに、その事故をなぞるかのように、ベルイマン神父が閉ざされたサンルームで原因不明の焼死体となって発見された。
僕は女探偵を気取るフクスケにワトソンに指名され事件の謎解き調査に駆り立てられる。しかし僕は夜毎、“赤い馬”の悪夢に悩まされることに・・・・・・。この夢は事件に何らかの関係があるのか!?
<感想>
この作品に対してはとらえ方が微妙になってしまう。このミステリーランドというのは子供にも大人にも楽しめるというスタンスはとってはいるものの、前々からどこか設定が中途半端であるという気がしている。そしてその中途半端な設定の狭間にはまってしまったのがこの作品といえるのではないだろうか。
内容はは学園物のミステリーとなっており、全寮制の学校内で起こった事件の謎を生徒達が調べていくといったもの。その設定自体は子供向けという形式に沿っていると思う。しかし、その事件の裏に潜む背景や事件自体の陰惨さというものは、あまり子供にはお薦めできないものとなっている。結局のところ、どの年代の人に勧めたらよいのかがわかりづらい本である。
本書はミステリーというよりはホラー的な本として見たほうがいいのかもしれない。夜毎夢に出てくる“赤い馬”にうなされる主人公の心情描写や神父殺しの犯罪行為などは、なかなか陰惨なものに彩られているといえよう。
余談ではあるが、この事件の犯罪行為を頭に描いてみると、
(ネタバレ→)
ガンダムのソーラーレイシステムによる攻撃を思い出す。
(←ここまで)
<内容>
明峰寺学園を舞台に一年生の津島海人とその先輩で二年生の武藤類子、そして囲碁棋士の牧場智久が事件に挑む学園ミステリー。
「騒がしい密室」
“t.u”というイニシャルが入った傘を手に校内放送で女性とが津島海人にメッセージを残した後に死亡するという事件が起きた。放送室は鍵で閉ざされていたのだが・・・・・・果たしてこれは自殺なのか? 他殺なのか??
「狂い咲く薔薇を君に」
演劇部による舞台公演の最中にヒロインが殺害されるという事件が起きた。おもちゃの矢がいつのまにか本物の凶器にすりかわっていた。犯人はどのように犯行を成し遂げたのか!?
「遅れてきた死体」
校庭にて何者かによって描かれたミステリー・サークルの中心に学園の生徒の死体が置かれていた。しかも死体の内臓は全て取り除かれていた。犯人はいったい何を考えてこのような所業に及んだのか・・・・・・
<感想>
ライトな乗りのミステリー作品集となっている本書。特にこれといって印象に残るような作品はないのだが、よくよく読んでみれば、かなりきっちりと本格推理が描かれているということがよくわかる。多少、突飛に思える部分もあるのだが、まずまずよくできている作品集といえるのではないだろうか。
本書のあとがきを読んでみたところ、実はこれらのストーリーの原型となったものは、だいぶ以前に書かれたもののようなのである。そう考えると、若干の古臭さが感じられるのもわからないでもない。できることならば、昔のストーリーから小説をおこすだけでなく、新たなものも追加してシリーズ作品として書き続けてほしいものである。
せっかく久々に登場した牧場智久もこれ一冊だけでは物足りないであろう。また、牧場智久ものでなくとも竹本氏のミステリー、できれば今回のようなライトなものでなくもう少し濃い目のもの、をもっと読みたいものである。
<内容>
作家・竹本健治は出版社・南雲堂の南雲氏から漫画を描いてみないかと薦められる。かねてから、漫画を描いてみたいという希望があった竹本はその依頼を承諾する。竹本は、せっかく描くからには普通に描くのではなく、知り合いたちにアシスタントとなってもらい、大勢が関わる漫画創りというものに挑戦しようと試みる。南雲氏はその場所として、自分が住んでいた館を提供してくれる。その館というのが、美貌のメイドや怪力の大男が住み、さらに多くの蔵書や美術品が存在するという、ミステリにはおあつらえ向きのものであった。どこか謎を秘めたような館の中で、大勢のひとたちと作業を進めていくうちに、殺人事件が起こることとなり・・・・・・
<感想>
まず、この本を読んで驚かされたのは、ウロボロスのシリーズにしては真っ当すぎるほどのミステリ小説であるということ。ここまで普通に本格ミステリが行われている本であるとは、読む前は思いもしなかった。しかも、“館もの”の本格ミステリである。
舞台は“黒死館”風の建物の中。現代における設定のなかでまるで黒死館が甦ったかのようなミステリが展開されてゆく。しかも、古典ミステリを思わせるような見立て殺人事件が次々と起きてゆく。その不可解な事件がどのように解かれるのかと、読んでいて興味がつきない推理小説であった。
さらには本書もウロボロスならではの、実名小説となっているので、登場人物のうちの誰が殺害されるのか? さらには誰が探偵役なのか? などなど、とにかく先が気になってしょうがない小説となっている。
まぁ、全体的に冗長とは言わないまでも、相変わらずの博覧強記ぶりで、事件に関係あるのかないのか、わき道にそれたような話が長々と続くこともあるのだが、この作品に関しては、それも大目に見るべきところであろう。こういった様相も含めてのウロボロスであると言えるのだから。
最終的にトリックに関しては眉唾ものというか、少々脱力気味になってしまったのだが、まぁ、それなりに満足できる小説であったと思っている。とにかくミステリファンを楽しませるという意味では、間違いなく魅力的な作品に仕上がっていることは事実である。
<内容>
乙島侑平はどこにでもいるようなアイドル好きの大学生。普段は普通に大学に通い、アイドル同好会で活動し、居候している探偵である叔母の仕事を手伝ったりしている。そんなある日、研究者の従兄から、これまたよくあることなのだが新製品のモニタを頼まれることに。届けられた大きな箱を開けてみると、中に入っていたのはキララと名乗る“メイド・ロボット”であった!!
「キララ、登場す。」
「キララ、豹変す。」
「キララ、緘目す。」
「キララ、奮戦す。」
<感想>
竹本さん、時流に乗ったな・・・・・・それがうまくいったのかどうかまではわからないが・・・・・・
まぁ、表紙を見るとそのままなのだが、メイドが活躍するミステリーという内容。ただし、一応ミステリーということにはなっているようなのだが、そのミステリーという部分は添え物でしかなかったように思える。どちらかといえば、メイド・ロボットとその周辺の人々が繰り広げるドタバタ・コメディというものである。
よって、普通のミステリーを期待している人には物足りない内容といえるだろう。メイドが出てくるSFチックコメディというものを許容できる人は楽しめるかもしれない。ただ、このくらいの内容であれば小説ではなく漫画で楽しむような部類の本かなと感じられる。「別冊文藝春秋」で連載されている短編ということなので、今後も続いてゆきそうなのだが、個人的にはこれ一冊で充分かなと。
<内容>
「青い鳥、小鳥」
「せつないいきもの」
「蜜を、さもなくば死を」
<感想>
最近の竹本氏の作品、「キララ」シリーズや「的場智久の雑役」シリーズを読んでいると、昔からこんな作風だったっけと首をひねりたくなってしまう。それとも、現代性というものを取り入れるのがうまい作家とでもいうべきなのだろうか。
内容については、前シリーズ作品に比べると学校の外での事件が中心となっているためか、前作ほどは幼さは感じられなくなっているような気がする。とはいえ、よく内容について吟味すると、どれもさほど事件性が高くないものばかり、とも感じられてしまう。
「青い鳥、小鳥」は読唇術によって、監禁事件の可能性を捜査していくというもの。「せつないいきもの」は大勢の知人の前での飛び降り事件を追求していく内容。「蜜を、さもなくば死を」は爆弾による脅迫事件を扱ったもの。
「せつないいきもの」に関しては、まだ動機というものについて凝っていると感じられる部分はあったものの、どの作品も結論という部分については弱いというか、平凡という印象しか残らない。どれも、もう一押し足りないというのが正直な感想。
とはいえ、寡作な竹本氏がせっかく書き続けてくれているシリーズのようであるので、今後もどんどん続けていってもらえれば、こちらも当然読み続けていきたいと思っている。その勢いで、もっと的場智久が活躍できそうな長編を書いてくれればと、さらなる期待をしてしまうのは行き過ぎであろうか?
<内容>
ミラノ高校の天文部一同は夏休みを利用して一週間の天体観測合宿を予定していた。彼らが合宿を行うのは、学校近くのツグミの森のなかにある、部員の親が所有する小屋の中。その小屋は寝泊まりができるようになっている。彼らが合宿を始めるのを待ち受けていたように、大型の台風が接近し、その嵐とともに惨劇が幕をあけることとなる。かつて、このツグミの森では不気味な事件が起きており・・・・・・
<感想>
かつて竹本氏が書いた「カケスの森はカケス」を思い起こさせるようなタイトル。さらには、竹本氏のかつての作品をほうふつさせるような青春小説ともなっている。竹本氏の作品を読み続けてきた人は懐かしさを感じることであろう。
それでもさすがに昔と今では時代の違いを感じさせる部分もある。登場人物の高校生たちのオタクめいた語り口には現代的なものを感じとれる。
本書の内容であるが、実は事件らしい事件というのは最後の方にならないと起きない。ゆえに、ミステリ作品というよりも青春小説という感覚のほうが強い。とはいえ、高校生たちが普通に合宿をしているはずでありながら、不穏な雰囲気と現実的とのずれがあり、なんとなく居心地の悪さを感じてしまうのである。そうして最終的には竹本氏らしく、物語に幕がひかれることとなる。
今作では「ウロボロスの純正音律」とはまた違った竹本氏ならではの雰囲気を感じ取ることができた作品と言えよう。その雰囲気だけでも非常に満足である。ただ、一部の描写でやたらとエグいなと感じ取れたのも事実である(←読めばわかる)。
<内容>
「鬼ごっこ」
「恐い映像」
「花の軛」
「零点透視の誘拐」
「舞台劇を成立させるのは人でなく照明である」
<感想>
患者から相談を受けた精神科医・天野不巳彦がその不可解なできごとに説明をつけるという作品集。最初の2編を読んだときは、これはつながった話なのかと思ったのだが、3編目を読むと、そうでもないよう。しかし、4編目まで読み終わると、最後の「舞台劇を〜」によって、全ての作品をつなぐ道筋が見出されるという連作短編集のような作品。
一編、一編はそれぞれ面白く読むことができる。ミステリのようでもあり、ホラーのようでもありと、精神的に不安定な物語が展開され、読者を眩暈がするような世界へといざなう。特に「花の軛」のラストなどは映像化したものを見てみたいと思わせるくらい恐ろしい。また「零点透視の誘拐」での、何故誘拐事件がなされたのかという点についても興味深く読むことができた。
そして、これらの作品をひとつに結び付けるラストであるが・・・・・・やや、蛇足であったかなと。あまり厳密でないというか、とりあえずくっつけてみた、という気がしてならない。単に精神科医・天野不巳彦という人物が登場する作品が4つあったので、というくらいにしか思えなかった。この結び付け具合の完成度が高ければ、この作品に対する評価がもっと上がったのだが・・・・・・これならば、無理にくっつけなくて単独の4つの作品でよかったかなと。
<内容>
「闇のなかの赤い馬」
「開かずのドア」
「世界征服同好会」
「ずぶ濡れの月光の下」
「個体発生は系統発生を繰り返す」
<感想>
以前、講談社のミステリーランドにて刊行された「闇のなかの赤い馬」。その作品をまるまる掲載し、さらにそこに登場する“汎虚学研究会”の面々が活躍する短編を収録した作品。
「闇のなかの赤い馬」に関しては、以前読んだ時はミステリーランドという縛りがあったので、そぐわなさというものを感じたのだが、そうった縛りがなければ特に作品として問題ないと思われる。むしろ、この“汎虚学研究会”シリーズとして作品のなかに組み込んだ方が、すごく自然である。
そのほか、短編が掲載されているのだが、これらがミステリという枠にこだわらなかったゆえに、面白さが増しているように感じられた。それらの中には、ホラーもあれば、ミステリもあり、思想的な内容のものまでもが含まれている。学園モノであるにもかかわらず、何が飛び出すかわからない内容となっているのである。これらを読んでいくと、途中で登場人物のひとりが「実は、自分は宇宙人です」と言いだしても違和感がないほどである。
個人的にお気に入りなのは「ずぶ濡れの月光の下」。これは、はっきりと結末を示した作品ではないのだが、それゆえに色々と恐ろしい事を想像させられてしまう内容になっている。考えれば考えるほど、怖くなる作品。
<内容>
明治時代にジャーナリスト・作家・翻訳家として活躍した黒岩涙香。彼の隠れ家と思われる屋敷が発見され、的場智久と武藤類子は涙香の研究家らに誘われて現地へとゆくことに。そこで待ち受けていたのは、涙香が残したと思われる数々の“いろは歌”。屋敷の謎を解こうと奔走していると、殺人事件が起こる。この屋敷に来る前に、囲碁にまつわる殺人事件が起きていたのだが、それが何か関係があるのだろうか・・・・・・
<感想>
竹本氏による暗号ミステリ。あまりこういうジャンルの小説は触れていない気がするので、似たような作品で思いつくのは高田崇史氏の作品くらいか。本書は“いろは歌”を用いながら、その博覧強記ぶりと、謎の解き明かしっぷりを見せつけるものとなっている。
ここに書かれている“いろは歌”であるが、全部竹本氏の創作なのであろうか? だとしたらすごいというよりほかにない。また、囲碁のネタでもかなり濃密なものを持ってきており、その専門性の知識についてはただただ感心させられるのみ。また、本書のメインともいわれる、黒岩涙香における研究についても深く掘り下げられている。
個人的にもったいないと思ったのは、物語のなかで殺人事件が起き、真犯人が暴かれるのであるが、その根拠があまりにもおざなりとなっていたこと。事件は事件で、ミステリとして重要な部分なので、ここはしっかりと取り組んでもらいたかったところなのだが、扱いがあまりにも微妙。
ゆえに、暗号ミステリとしてのみ価値ある作品という気がするのだが、全体的に万人受けのミステリとは決して言い難いと思われる。こうした文学的研究ネタが好きな人向けの小説という事で。
<内容>
「夢の街」
「彼ら」
「依存のお茶会」
「妖かしと碁を打つ話」
「羊の王」
「瑠璃と紅玉の女王」
「明かりの消えた部屋で」
「ブラッディ・マリーの謎」
「妙子、消沈す。」
「トリック芸者 いなか・の・じけん篇」
「漂流カーペット」
「しあわせな死の桜」
<感想>
2000年以降に書かれ、さまざまな雑誌等に掲載された作品が集められた作品集。ノン・シリーズ短編集という位置づけではあるが、竹本氏の作品を読み続けている人であれば、すでにご存じのシリーズの短編作品も含まれており、それらを見つけてゆくのも楽しいのではないかと思われる。
序盤は幻想作品風のものが多かったという印象。個人的には後半にミステリ色の強い、「明かりの消えた部屋で」「ブラッディ・マリーの謎」「漂流カーペット」を読めただけでも満足。
「明かりの消えた部屋で」と「ブラッディ・マリーの謎」は、問題編と解答編に別れたミステリ作品。“つかさ”が事件に巻き込まれ、丸ノ内刑事がかき回し、芳川検事が解決する。特に「明かりの消えた部屋で」が面白く、海外旅行から帰ってきたら恋人(男)が死体となって発見され、アリバイ崩しが主軸となった捜査が行われてゆくというもの。複雑な内容の事件ではないものの、真相が明らかにされたときには、思わず“やられた!”と感じてしまった。
「漂流カーペット」は、SFチックな作品。3人の男女が記憶を失くした状態で謎の村に放り出され、そこで事件に関わってゆくというもの。何故か、村の人々は一人の質問に一回しか答えないというルールを持っており、その制約のなかで村にまつわる秘密を暴いていく。肝心のメインのネタよりも、その途上で明らかにされる“牛”に関わる謎のほうに衝撃を受ける。遊び心満載のミステリ??
この作品集で唯一の書下ろしが「トリック芸者」。竹本氏の作品を読んでいる人にとってはお馴染みであるのだが・・・・・・ここまでくるともはやSFというか、なんでもありというか・・・・・・