<内容>
人はなぜ「物語」に感動するのだろう。
20年前の夏の午後、終業式の帰りにふと足を踏み入れた古ぼけた洋館。そこで出会った不思議な少女・美宇。黒猫、博識の英国人紳士。“ミュージアムのミュージアム”であるというその奇妙な洋館の扉から、亨は時空を超えて、“物語”の謎をひもとく壮大な冒険へと走り出した。
<感想>
誰しもがなつかしむ小学生最後の夏休み。その貴重な時間のなかでの貴重な体験。人によってはそれは旅行であったり、クラブであったりするのだろうが、亨は時空を超える旅に出る。日常における不安な現実を脱ぎ捨てて、亨は冒険へと出かける。
SFファンタジー小説となっている。自分はそのころ何をしていたかなぁ、などとつい考えさせられてしまう。そして主人公のちょっとした友人達との行き違いなどに、ふと現実に引き戻されたりと、なにやら懐かしさを感じてしまう。
ただし、全体的に話がちぐはぐにも感じる。視点がころころ変わってみたり、単純な冒険小説かと思えば小難しい説明が出てきたり、“調和”というルールを持ち出したかと思えば、主人公が平気で調和を乱すかのような行動に出たり、エッセイのような話になってみたりとか。いろいろな要素があるのはいいのだけれど、最終的にそれが一つにまとまらない。それならばもっとストレートでシンプルな話のほうがかえって良かったと思う。少年の時間旅行の話だけで、十分面白い話になりそうなのに。
<内容>
WASTELAND 1
「ハル たましいと身体」
WASTELAND 2
「夏のロボット 来るべき邂逅」
WASTELAND 3
「見護るものたち 絶望と希望」
WASTELAND 4
「亜希への扉 こころの光陰」
WASTELAND 5
「アトムの子 夢みる装置」
WASTELAND 6
<感想>
ロボットをテーマに近未来の世界描いたSF作品。ただし近未来といっても2030年くらいまでの間で描かれているので、かなり現代に直結した内容となっている。そういった背景のなかで、本書は機械との共存というものが深く考えられている小説である。
この作品は“人型ロボット”というものに対しての夢を描いている。何か別の作品で読んだ記憶があるのだが、ロボットを創る際に人型にすることは効率の面から言えば、無駄なことであると考えられているようである。あくまでも専用の作業をするロボットであれば、その目的にあわせて必要な部位だけを付け、2足歩行ではなく安定性のある形状をとるべきとのこと。
確かに、そういう考え方は正しいのであろう。ただし、“人型ロボット”というものは無駄なのかもしれないけれど、この形状こそが人類の夢のひとつであることは間違いないのである。本書ではその“人型ロボット”にこだわった考察がいかんなく書き上げられている。
“アトム”というものに対する科学者の呪縛から、ロボットの魂、果ては人型ロボットの目的は? という考察までさまざまな事象がリアルに描かれている。ただ、リアルに描きすぎたためか、いささかロボットに対する夢というものよりは、重い現実というもののほうが強くのしかかり、少々暗めな作品と感じられるところが残念なところか。
また、本書では地雷撤去ロボットに関しても描かれているので、石持浅海氏の作品を読んで興味を抱いたという人は、こちらも読んでみるとよいかもしれない。石持氏の作品とはまた違った観点から地雷撤去ロボットの実現に向けて書かれた作品が挿入されている。
この作品ではロボットの象徴として“鉄腕アトム”という存在を中心に描かれている。ただ、著者の瀬名氏の年齢からいえば、“鉄腕アトム”以後の世代だと思われる。どちらかといえば、ドラえもんやガンダム世代となるのだろうか。そういったなかで、この作品が2000年を超えて書かれているにもかかわらず、ロボット=アトムという構図が自然に描かれてしまうというのは、やはりひとつの呪縛なのであろう。もしくは、アトムを超える人型ロボットというもの自体がその後の世の中に出回っていないということなのかもしれない。
今の人たちは、ある程度発達しきったともいえる科学と現実と間に生きる世代であると言えよう。そういった人たちがこれからどういったロボット感を持ち、現実へとつなげていくのだろうかということを考えれば、決して興味が尽きるはことない。
<内容>
世界的な人工知能コンテストに参加するために尾形祐輔はロボット・ケンイチと共にメルボルンを訪れていた。その会場で尾形は死んだと思われていた天才科学者フランシーヌ・オハラと再会する。フランシーヌはその場で祐輔に人工知能に関するゲームをしないかと持ちかけてくる。そして、そのゲームの最中、祐輔は何者かにさらわれる。さらに、そのことがきっかけでロボット・ケンイチは拳銃にてフランシーヌを殺害するという事件を引き起こす事に!!
<感想>
タイトルからそのまま“密室”を描いたミステリーだと思い込んでいたのだが、読んでみれば普通のSFであった。なんとも紛らわしいタイトルだと思う。また、物語の導入も如何にもミステリーらしいものの、これも最後まで読んでみれば決してミステリーとして物語が展開されておらず、こちらもまた紛らわしい導入だと思われた。
本書の内容を大雑把にまとめてしまえば、ロボットの自我というのものについて考えてみる、という話。他にも主題となる部分がありそうなのだが私が明確に読み取ることができたのはそれくらいである。
何ゆえ、このような歯切れの悪い感想になるのかというと、どうもこの作品の世界観についていく事ができなかったからである。本書の中では人工知能に関する“フレーム問題”というものについて言及している。そのフレーム問題からは少々観点が外れてしまうかもしれないが、私には本書の背景の“フレーム”というものを見てとる事ができなかった。つまり、“可能”と“不可能”の境界があまりにもあいまいに感じられたのである。そのことにより最後の方は、もうどのような展開になっても驚くような事はないし、なんでもありなんだな、と言う風に見てとれたのである。
そのように感じてしまったので、当然のごとくミステリーとして読み取ることはできなかった。もう少し、ミステリーとかSFとしてだけでなく小説としても、現時点でどういう事が可能で、何が不可能なのかという事をあきらかにしてくれれば、もっと話ののめり込めたのではないかと思っている。ひょっとすると、ロボットなどを扱っている科学者、技術者にしてみれば、当たり前の事を説いているだけなのかもしれないが・・・・・・
<内容>
「魔 法」
「静かな恋の物語」
「ロ ボ」
「For a breath I tarry」
「鶫とひばり」
「光の栞」
「希 望」
<感想>
瀬名氏の作品の特徴としては、物語に“工学”を持ち込み、SF作品として味付けをしていくという作風。今回ここに集められている作品は、それぞれが恋愛物語であったり、普通の日常の物語であったりするのだが、そこに“工学”が入ることにより日常から逸脱するような内容に昇華する。今作のなかではサン=テグジュペリを意識したかのような「鶫とひばり」だけは例外で、他はそれぞれ工学と物語の融合した作品と言えよう。
また、私的なことであるが私自身、瀬名作品はやや読みにくいというイメージがある。今回、これらの短編作品をじっくりと読んでみて、その要因の一つに思い当ったような気がする。それは、物語上の流れや結末を断言していないということ。この作品集のなかで比較的分かり易い「魔法」という作品においても、ラストで結末を解説はせずに、物語の流れるままにまかせていたという感じであった。その他についても同様のことが言えよう。わかりきったことをあえて断言しないということなのか、読者の想像にまかせるということなのか、意図はわからないがこれも著者の作風と言えるのであろう。
義手のマジシャンを描いた「魔法」
シートン動物記をSF的に描いたような「ロボ」
文字と書物に想いを乗せた「光の栞」
少女の視点から加速と重力を意識した物語「希望」
それぞれが決して理解しやすく、すんなりと入り込める世界とは言い難いのだが、独特な視点から語られる新しいSFというものを感じ取ることができる。