<内容>
前世紀初頭、舞台はヨーロッパの小国ソヴュール。日本から聖マルグリット学園に留学生としてやってきている15歳の久城一弥は、そこでヴィクトリカという少女と仲良くなる。彼女はいつもひとりで図書館にこもりっきりであるのだが、その聡明な頭脳により一弥をしばし驚かせていた。
ある日、ひとつの事件を発端として一弥とヴィクトリカは豪華客船に乗り込む事になる。しかし、その豪華客船は何者かによる罠が仕掛けられ、次々と乗り合わせた人々が殺害されることとなり・・・・・・
<感想>
以前、ライトノベルスとして出版されたものが角川文庫として復刊。とりあえず読んでみるかと思いきや、なんと結構な巻数が続いている作品であると後から知る事に。ただし、続きものというわけではなく、それぞれ独立した内容とのこと。以後、読み続けるかは後々決めていくこととしよう。
読んでみての感想はミステリ作品というよりは、冒険ものという趣のほうが強い作品であった。ミステリ的な要素もあちこちにちりばめられてはいるものの、それらがメインというような内容ではない(のっけから有名作品のトリックが用いられていたりする)。著者が描きたかったのは、全体で表される少年少女に課せられた残酷な物語というもののようである。
内容は結構ダークと言えるものであるが、主人公の少年とヴィクトリカとのやりとりには微笑ましいものがあり、暗いイメージを和らげる効果となっている。ゆえに、少年少女が読んでも大丈夫・・・・・・というよりも、どちらかというとやや子供向けの作品であると言ったほうがよいのであろう。ライトノベルスで出ただけあって、それにふさわしい年齢向けの作品というところである。
<内容>
久城一弥は“のみの市”で高価な皿が消失するという不思議な事件に出くわす。いつものように一弥はその謎を学園の図書館に巣くうヴィクトリカに相談する。するとヴィクトリカはあっと言う間にその謎を解いてしまう。
その後、新聞に掲載されていた三行広告からホロヴィッツという小さな町にまつわる事件へと一弥とヴィクトリカは巻き込まれてゆく事に。そのホロヴィッツという地には、ヴィクトリカの秘密が隠されており・・・・・・
<感想>
「GOSICK」のシリーズ第2弾となる本書であるが、早くも主要人物のひとりであるヴィクトリカ生誕の謎にせまる内容となっている。本書では彼女の母親が如何にしてヴィクトリカを生む事になったのか、そしてそれ以前に母親が巻き込まれた事件について描かれている。
全体的には、ちょっとずつ色々な謎が解かれてゆくという展開。一応、メインとなる事件はあるものの、特に強調されているというようにも捉えづらく、広く浅く事件を解決して行きましたという印象。
このシリーズは本格ミステリっぽさはあるものの、基本スタンスはキャラクターメインの冒険ものという捉え方が正しいのであろう。数々の冒険を通す事によって、一弥とヴィクトリカが成長して行き、そうして互いへの想いが徐々に強まってゆくことになりそうだ。
ミステリ作品としては、さほど見るべきところはないのだが、今後の一弥とヴィクトリカの行方は気になるので、続けて読んでいくこととしよう。
<内容>
久城一弥のもとに故郷の姉から手紙が届く。手紙にはさまざまな土産物を買って送ってほしいと書かれていた。その土産物のひとつに今巷で有名になっている“青い薔薇”というものが含まれていた。一弥は土産物を買うためにひとり、首都ソヴレムへと向かい、高級デパート<ジャンタン>を探すことに。その道中、一弥は<ジャンタン>では入ったきり出てこないものがいるという怪談めいた噂話を耳にする。そうして、一弥自身も不可解な事件に巻き込まれてゆくことに・・・・・・
<感想>
今回は分量、内容ともに短編作品を読んだような気分。主人公の久城一弥が高級デパートで怪事件に遭遇し、現場にはいないヴィクトリカと電話をしながら謎を解いてゆくこととなる。
もともと、ライト系のノベルスであるゆえに、そんなに濃い内容を期待してもしょうがないのだろうけれども、あらかじめもうすこし背景を書き込んでくれた方が物語に厚みが増したと思われる。ただし、手軽に読めるというのであれば、このくらいの分量のほうが良いのかもしれない。
今作では風邪で寝込み、ひとり住まいに残されて一弥のことを想うヴィクトリカの様子が微笑ましい。それは淡い恋のようでもあるのだが、その実、恋というよりもヴィクトリカの孤独さというもののほうが強く感じられるのである。
また今回はレギュラーキャラクターであるブロワ警部の髪形の謎も語られているので、前作まで読んでいて気になった人は必見である。まぁ、もったいを付けるほどたいしたことではないのだが。
<内容>
山田なぎさは母と兄との三人暮らしの中学生。彼女はひきこもりである兄の存在に悩み、早く自立をして働かなければと、追い込まれるような生活を送っていた。そんなとき、都会から海野藻屑という子が転校してきた。彼女の父親は有名な芸能人であり、藻屑自身も美人で人気ものになりそうな気配があったが、繰り返される奇怪な言動により孤立していった。しかし何故か藻屑は山田なぎさに付きまとうのであった。なぎさはそんな藻屑と過ごしていくうちに、藻屑の本当の姿を知ることとなり・・・・・・
<感想>
富士見ミステリー文庫で出たときから話題となり、よく書店で見かけてはいたものの、当時はさほど購入意欲はわかなかった。それが今年、角川文庫から再出版されていたのを見て、これを機に購入してみた。読んでみると、なるほど話題になっただけのことはあるなと思い知らされる。
本書は耐え難い痛みを感じ取れる残酷な内容でありつつも、そこから再生しようとする力強さも感じ取れる作品である。ただ、個人的には具体的な痛みがともわなければ再生することは不可能であるのだろうかと考え込んでしまう。
この作品の最後で自らを省みて人生をやり直そうと歩き始める人物がいる。しかし、そういったきっかけを与えるためには、大きな犠牲が必要なのだろうか。確かに構図としてはわかりやすい。ただ、そうした大きな(大きすぎる)転機がなければ、人というのは動き出さないものなのであろうかと思い悩んでしまうのである。
登場人物のなかには、自身の小さな力によって他の人物たちを救おうと考えた者もいたようだが、その力によって救うことができなかったのは残念でならない。
私の意見はこの作品の主題とは外れてしまっているのかもしれないが、できれば最後に全員が笑って日々を過ごすことができたらと思わずにはいられなかった。
<内容>
ヴィクトリカはいつも過ごしている図書館にて、1冊の本を見つける。そこには錬金術師“リヴァイアサン”と名乗る者からの挑戦状が書かれていた。そのリヴァイアサンは、かつて学園内にある時計塔の中に住んでいたというのだが・・・・・・。そしてそのとき、時計塔のなかで久城一弥が死体を発見することに。しかも、こうした事件は過去に何度も時計塔の中で起きていたというのである。ヴィクトリカと久城一弥は時計塔の秘密を解き明かすことができるのか!?
<感想>
ストーリーといい、展開といい、今までのシリーズのなかでは一番良かったと思える。とはいえ、難しい謎ではないので物足りなさは残るものの、そこはライト系ゆえに仕方のないところ。
内容はシリーズ・キャラクタたちがかつて生存していた錬金術師を名乗るものの謎をとくというもの。錬金術師の正体、ストーリー仕立てといい、うまくできた内容である。
また、いままでは九城とヴィクトリカのみが目立っていたが、前作あたりからセシル先生とアブリルが存在感を増しており、今作からは4人の物語と言ってもよいほどになっている。また、シリーズ通しての物語としても別に話が進行しており、今後の展開も見逃せない。
それと予断ではあるが来年アニメ化される予定とのこと。見てみようと考えたものの、私が住んでいる地域で放送されるかは微妙。
<内容>
プロローグ
第一章「春やってくる旅人が学園に死をもたらす」
第二章「階段の十三段目では不吉なことが起こる」
第三章「廃倉庫にはミリィ・マールの幽霊がいる」
第四章「図書館のいちばん上には金色の妖精が棲んでいる」
第五章「午後三時に首なし貴婦人がやってくる」
序 章「死神は金の花をみつける」
<感想>
刊行順では4冊目となる本書であるが、時系列順ではシリーズを通して最初の話となる短編集。久城一弥とヴィクトリカの出会いはもとより、セシル先生やアブリルといった今までチョイ役のように思えた人たちにスポットが照らされ、本書では重要な役割を担っている。ひょっとするとこの二人は今後もキーパーソン的な役割をするのではと期待させられる。また、Ⅲでド・ブロワ警部とその部下の秘密が明らかにされており、それによって彼らに対して今までとは異なる視点でみることができる。
というような人員配置となるのだが、時系列が異なるということ以外はほとんど今までの作品と変わり映えはしない。ちょっとした秘密というか冒険めいたものをちりばめたライトな作品集といったところ。ただし、シリーズを通して読んでいるとキャラクター小説として、また続きものの小説として楽しむことができるので、それなりに満足はできる。
<内容>
中学二年生の一年間であたし、大西葵13歳は、人をふたり殺した
夏休みにひとり。それと冬休みにもうひとり・・・・・・・
これはふたりの少女の壮絶な“闘い”の記録
<感想>
この著者の作品を読むのはこれが初めて。何やらライノ・ノベルスの方で名前が挙がったりしていて噂には聞いていたので期待して読んでみたのだが・・・・・・本書を読んだ限りでは子供向けのミステリーという感想。こういう内容であれば、ミステリ・フロンティアで書くよりもライトノベルスの一冊として出版されたほうがふさわしいのではないかと思えた。
内容は、序盤は女子中学生が主人公の“青の炎”という感じ。主人公が義父を殺害するような内容の本はないかと尋ねていたが、私だったら迷わずに前述の貴士祐介「青の炎」を渡していたと思う。
ただ、本書の主人公は「青の炎」の主人公ほどドライな性格ではなく、学校の人間関係に悩みつつ、家庭での親との関係に悩みつつ、ふらふらと物語の進行に流されていく。結局のところ、主人公ともう一人の女の子が悩み、慌てふためきながら支離滅裂な行動を繰り返しているだけという作品にしか感じられなかった。本書はミステリーというよりは、ちょっとミステリーよりの青春小説というくらいの位置付けであろう。
<内容>
西暦1627年、ドイツ、ケルン選帝侯領レンスにある小さな町にて、10歳のマリーは祖母と二人きり、水車小屋で暮らしていた。その時代は魔女狩りが行われている時代で、マリーの知り合いもその被害にあわんとしていた。そんな中、彼女は謎の存在、“アンチ・キリスト”と呼ばれる者と出会う事になり・・・・・・
西暦2022年、シンガポール、セントーサ島に住む青年ディッキー。彼は3Dアーティストを生業としていた。ある日、ディッキーが3Dグラフィックスを体感する装置を動かしていたとき、ソフトの中から何者かが飛び出てきて・・・・・・
<感想>
本書を読んだ感想はというと・・・・・・よくわからなかったとしか・・・・・・
この作品はいわゆるタイムスリップものといえよう。舞台は、過去の魔女狩りが吹き荒れる1627年ドイツ、そして2022年という未来のシンガポールの一都市、最後に現代に視点が移される事により、いろいろな事実が明らかにされると言うもの。
ただ、何がわからないかと言うと、それぞれの時代が選ばれた理由がよくわからなかった。その時代を選んだ必然と言うのは何であったのだろう? 一応、未来編では“少女性”というテーマが語られているので、過去編では“少女”が存在しない時代、未来編では“少女”が不変となった時代、そして現代では“少女”が現れた時代と考えられなくもないのだが、それだけで語りつくすには少々苦しい。
また、本書ではタイムスリップが行われるものの、視点はタイムスリップしたものではなく、その時代に生きる人々の視点で語られている。この辺もなんらかの効果を狙ったのかなと思っているのだが、理解するまでにはいたらなかった。
そんなわけで、解説を期待していたのだが“あとがき”がないという残念なことに。そのうち、ネットとかで詳しく書いてあるものがないか調べてみたいと思っている。
<内容>
久城一弥は学園内にヴィクトリカがいないことに気がつく。彼女は父親の手により遠く離れた“ベルゼブブの頭蓋”と呼ばれる修道院に幽閉されているというのだ。一弥はヴィクトリカを連れ戻すことを決意し、ひとり列車に乗り込む。その列車に乗っていた人たちもさまざまな理由があってベルゼブブの頭蓋へ向かうのだという。そうして、謎の修道院で一弥を待っていたものは・・・・・・
<感想>
謎の要塞(というか修道院なのだが)ベルゼブブの頭蓋へ単独で乗り込み、ヴィクトリカを奪還できるのか!! と壮大な冒険の幕開けのような内容に思えたのだが、思いのほかあっさりと入ることができ、あまりにもあっさりと出ることができたような気が。
さらにベルゼブブの頭蓋のなかで行われていることも、奇術の種明かしが延々と行われていただけのようにしか思えなかった。一応シリーズとしては重要なことを行っているようにも思えるのだが、なんとなくやや拍子抜けというようにも感じられてしまう。
そうして順調に学園に帰り着くことができたのかと思いきや、最後の最後で列車のなかで何かがあった模様。何があったのかは次回作であきらかとなるらしい。と、そんなわけでそろそろシリーズとして決着がつくようであるが、彼らに何が待ち受けているのか。一弥とヴィクトリカのその後がひたすら気になってしょうがない。
<内容>
プロローグ
第一章「仔馬のパズル」
第二章「花降る亡霊」
第三章「夏から遠ざかる列車」
第四章「怪人の夏」
第五章「絵から出てきた娘」
第六章「初 恋」
エピローグ
<感想>
夏休み、久城一弥はヴィクトリカとともに学園に残ることを決める。そうしていくつかの小さな事件に遭遇、または手紙で相談され、ヴィクトリカの力で事件を解決していくというもの。ちょっとしたエピソードを集めた作品集というような外伝的というよりも、おまけ的な作品という感じであった。
シリーズキャラクターである、アブリル、セシル先生、グレヴィール、さらには一弥の家族といったところがそれぞれの短編に登場し、なかなかにぎやかな内容。それぞれの作品としては小ぶりでさほど目を引くものはなかったのだが、「怪人の夏」なんかは長編としても十分に通用しそうな内容と感じた。不遜な考えであるかもしれないが、このネタで北村薫氏あたりが長編を書いてくれれば、かなり雰囲気の違う作品になったのではないだろうかと思ってしまった。
ミステリとしてはともかく、シリーズものとしての物語としては十分に楽しむことができた作品集であった。
<内容>
鳥取の旧家・赤朽葉家。戦後、赤朽葉家は製鉄業で財をなし、村でも名家として敬われていた。そんな赤朽葉家に、村の若夫婦に育てられた万葉は嫁ぐこととなった。万葉は山の民と呼ばれる者たちにより村に置き去りにされた少女で、不思議な力を持っていた。そうして赤朽葉家へと嫁いだ万葉はいつしか、千里眼奥様と呼ばれ親しまれるようになった。そんな万葉、その娘である毛毬、さらにその娘の瞳子。赤朽葉家に生きる3代の女の生き様を描いた長編小説。
<感想>
日本推理作家協会賞を受賞したものの、推理小説というには程遠い。とはいえ、名作であることは確か。赤朽葉家という一族の様子を描いた傑作長編作品である。
私は主に推理小説しか読まないものの、一般的な小説としてこのような一代記とか一族の様相を描いた長編小説というものは数多く存在するのであろう。ただ、そういったものに対する印象としては書かれた年代もあるのだろうが“昭和”というイメージを漠然と持ってしまう。この作品に関しても描かれている年代は昭和から現代に続いているのだが、著者が平成に生きる作家ゆえに、現代的な作調を感じとれるのである。いかにも、今を生きる作家が描いた年代記として納得できる内容なのである。
ゆえに「赤朽葉家の伝説」というタイトルを見ると堅苦しく思えるかもしれないが、どの年代のひとが読んだとしても楽しく読むことができるであろう。むしろ年配の人のほうが違和感を感じてしまったりするかもしれない。
本作品は赤朽葉家にまつわる物語のみならず、昭和から現代へといたる社会情勢や社会風刺も読み取ることができるようになっている。働く人々の心情の変化、学生たちの気持ちの変化、社会情勢の移り変わり。地方のひとつの村を描いているだけにも関わらず、そうした日本の全体的な情勢までもを感じ取ることができるのである。それは、主人公となる3人の女の性格にも表れている。
与えられた状況に満足し、周囲の者を包み込むように生きる万葉。全てのことに逆らいつつも、常に一本芯を通し強く生きる毛毬。特に目的もなく、それを悩みとしながら平凡に生きる瞳子。この3人の人柄こそが年代を象徴していると感じられた。
基本的な語り手が悩める瞳子だけに、少々鬱屈した部分も感じ取れるのだが、基本的には優しい人々と楽しい人たちが混ざり合った一族を描いた内容となっているので楽しんで読めること間違いなし。しだいに増えつつある、奇妙な同居人たちがうまく色を添えていると言えよう。
推理小説めいた形としてしか残らないのであれば残念であるが、できればもっと広い読者層に受け入れられるような小説として後世に残ってもらいたい作品である。
<内容>
久城一弥とヴィクトリカはベルゼブブの頭蓋から無事に脱出することができ、学園へと帰るために列車に乗り込む。そこで思わぬ事件に遭遇することに! 列車内で二人は奇妙な一団と出会うことに。彼らは冗談のつもりか、それぞれ自分たちのことを“孤児”“公妃”“木こり”“死者”と名乗り、ヴィクトリカは自身で“灰色狼”そして久城を“家来”と呼んだ。彼らは皆他人であり、この列車で初めて知り合ったばかりの者達。そしてゲームと称してアルコールに付けた干しブドウを食べていたとき、“孤児”が突然苦しみだし、この中の何物かに毒を盛られたと言い始める。そうして“孤児”は拳銃を手にし、別の車両に立てこもることとなるのだが・・・・・・
<感想>
このシリーズの中では、長編作品として一番ミステリっぽいことをやっている作品だと感じられた。今まではちょっとした謎を小出しにしながらそれを解き、という形で話を進めていたものが多かったが、この作品では終始一貫して一つの謎について追って行く内容になっている。
ただ、惜しいと思えるのは繰り返しが多すぎるところ。列車での一幕があり、それが終わると3人の人物に対しての尋問、さらには犯人の独白と、同じ場面を何度も繰り返すことによって展開されてゆく。ゆえに、全体的なボリュームとしては、やや薄っぺらいような印象が残ってしまう。
とは言いつつも、あくまでもミステリとして終始してくれたので、それなりに満足感を得ることはできた。また、当然のことながらシリーズ作品としては十分に満喫できる内容であった。今後も期待・・・・・・って、富士見ミステリー文庫からのストックは無くなったかと思われるのだが、以降続きが出るのかな??
<内容>
プロローグ
第一話「純 潔」 −白い薔薇のおはなし −AD1789 フランス−
第二話「永 遠」 −紫のチューリップのおはなし −AD1635 オランダ−
第三話「幻 惑」 −黒いマンドラゴラのおはなし −AD23 中国−
第四話「思い出」 −黄のエーデルワイスのおはなし −AD1627 アメリカ−
第五話「花びらと梟」
エピローグ
<感想>
今までの作品のなかで、一番外伝的要素が高い内容。時系列は作品順に続いていて、「GOSICKⅥ」の事件の後、学園に戻ってきての話となっている。ただし、内容は主要登場人物自身の話ではなく、一弥が図書館から持ってきた本を読み、その内容についてヴィクトリカが一言推理を添えるというもの。
「純 潔」 貴族の兄妹とメイド達を巡る、革命による無残な運命を描く物語。
「永 遠」 一人の若者が結婚を申し入れるために、幻のチューリップを捜しに行くという物語。
「幻 惑」 国王を影から支えた、闘いの女神の物語。
「思い出」 言葉をしゃべれない養女がエーデルワイスを育て、花を売り、資産家となる物語。
これらの物語はどれも上記に描いたような花を巡ってのさまざまな顛末が描かれている。しかし、ヴィクトリカはそれらの物語を聞いた時に、その裏に潜んでいる真実を見つけ出し、一弥に披露するのである。
それぞれの物語の中では、「永遠」のチューリップを巡っての話が一番よくできていたように思える。冒険家らしい話であり、商人らしい話であり、なおかつミステリとしてもうまく仕上げられている。
本書はいつもながらの話という気はするものの、従来のシリーズでのミステリ的なものよりは、若干対象年齢層が上がっているようにも感じられた。ライト系のミステリ短編集としてはそれなりの出来であると思われる。
<内容>
製鉄会社の長女、赤緑豆小豆(あかみどりまめ あずき)は、鉄を支配するという不思議な能力を持っていた。彼女は、その力に導かれるように中学生にして地元鳥取県のレディースを収め、さらには中国地方を制覇しようとする。レディース“製鉄天使”の初代総長・小豆の一代記!
<感想>
「赤朽葉家の伝説」にて、赤朽葉毛毬という人物の活躍を描こうとしたところ、あまりにも長すぎたために100ページほど削ったとのこと。その削った部分を元に、設定はそのままだが人物名は全て変更し、書き上げた作品がこの「製鉄天使」である。
この作品に対して何と言ったらいいのやら・・・・・・暴走少女の一代記というか、1970年代暴走族系ファンタジー小説と言ったらいいか、不思議な少女が活躍する話と言ったらちょっと違うか。
10代の少女が徐々に大人となる時期が近づくのを恐れつつ、目の前にあることを必死に楽しんで暴走しようとするそんな生き様が描かれた作品。疾風怒濤の爽快感と共に駆け抜ける小説。
<内容>
十四歳の浜路は、猟師の祖父と共に山で育ったのだが、祖父が死んだため兄の道節を頼って江戸へとやってきた。浜路は猟師としての嗅覚を生かし、道節と共に“伏”を狩る賞金稼ぎとなる。犬でもなく人でもない不思議な生き物“伏”。浜路は瓦版を作っている滝沢冥土から“贋作・里見八犬伝”という不思議な物語を聞くことに。やがて、浜路は“伏”というものに深くかかわっていくこととなり・・・・・・
<感想>
積読になったままだなぁ、とかねてから思っていたのだが、思いのほか購入してから時間が経っていた。自分では買ってからまだ1年くらいしか経っていないと思っていたのだが。
本書は、歴史冒険小説というか、ちょっとした昔話的な見方もできるような内容。元々有名な“八犬伝”という小説があり、それを書いた滝沢馬琴という人物も名前だけは登場する。しかし、その馬琴はメインではなく、馬琴の息子という設定の滝沢冥土が重要人物のひとりとなり、彼の描いた“贋作・里見八犬伝”というものが披露されることとなる。
物語の本筋は猟師を生業とする娘・浜路とその兄・道節の二人が“伏”というものを狩る賞金稼ぎを行うというもの(ただし固い話ではなく、ユーモアたっぷりに語られる)。この“伏”というのは、江戸を騒がす生き物であり、人々が殺害されるという被害にあうため、庶民に紛れている“伏”を見つけしだい狩ることが許されているのである。浜路は、江戸をとりまく“伏”に対する騒動に巻き込まれながら、伏というものと相対し、かつ、滝沢冥土から物語を聞くことによって“伏”というものの本質に触れていくこととなるのである。
一見、単純な物語のようにも思えつつ、“伏”というものが何を表しているのかということを考えると深い物語として捉えることができる。“伏”というのが人間の本質の一部を表しているようでもあり、決して“人間”からかい離した別の存在として切り離すことができないようにも感じられるのである。しかし、伏として生きるものは、人の中に紛れつつも人とは相容れぬということを感じており、自分たちの存在に疑問を抱いてゆくのである。
決して、結論がきっちりと見出されるような小説ではないのだが、それゆえに後の世に残りそうな“昔話”的な存在になりそうな話とも言えよう。子供にも大人にも読んでもらいたい作品である。
<内容>
聖マルグリット学園に住むヴィクトリカのもとに、兄のブロワ警部がやってきた。彼らの父親ブロワ侯爵の命令で首都ソヴレムに呼び出されたのである。その様子に不穏なものを感じたセシル先生はブロワ警部のトランクの中にもぐりこみ彼らとともにソヴレムへと。一方、一弥はセシル先生の手紙により、ヴィクトリカが学園から連れ去られたのを知り、寮母ゾフィが運転するバイクでソヴレムへと向かう。
ヴィクトリカがソヴレムで父親から命じられたのは、10年前に殺害されたココ王妃をめぐる事件の真相についてであった。いったい何者がどのような手段により王妃を殺害したのか? ヴィクトリカはその謎に挑むのであったが・・・・・・
<感想>
富士見ミステリー文庫で書かれていたこのシリーズであったが、6巻で途中となっており、続編はどうなるのかと気にはなっていた。しかし、この角川文庫版で続編が書かれ、今後もそのまま続けられていくようである。ちなみにこれから購入するという方は角川ビーンズ文庫版でも刊行を始めているので、そちらでそろえるのもよいかもしれない。
今作ではかなりミステリ的に濃い内容となっている。首を切られて殺害された王妃の謎。さらには、その王妃がとった奇怪な言動。そうしたものを合わせて、隠された真実を読み解くというもの。ミステリとしては、わかりやすいとも言えるのだが、十分楽しめることは間違いない。
また、シリーズ作品としても不可解であった部分が次々と明らかになっていき、本書でおおまかな全貌が見えてきたという気がする。最終的にはどこへ到達するのかはよくわからないのだが、何となく結末へ向けて加速しつつあるように思われる。といいつつも、このシリーズらしく、あちらこちらへと回り道しながら物語が続けられてゆくのであろう。
<内容>
プロローグ
第一話「白の女王は君臨する」
第二話「黒の僧侶は祈りを捧げる」
第三話「黒の女戦士は駆け抜ける」
第四話「騎士はちいさな姫にかしずく」
第五話「忠臣たち」
エピローグ
<感想>
聖マルグリット学園にて、生徒たちが等身大のチェスに仮装する“リビング・チェス大会”が行われる中で、ヴィクトリカの過去の冒険の数々が語られる。
今まで、秘密にされてきたグレヴィール・ブロワ警部が変な髪形をすることとなった由来の事件。その警部の部下で、ずっと手をつないだままの二人の由来となる事件。グレヴィールが持つヴィスクドールにまつわる事件。ブロワ侯爵が片目となる羽目になった事件の秘密。こういった、今までの背景の中で隠されていた謎を補完するような事件が語られている。
次の「GOSICKⅦ」で一連のシリーズも終わりとなるようで、よってこの「GOSICKs」のシリーズは春夏秋冬と続いた今作で終わりとなるようである。よって、物語の背景上謎となっていたものはこれで全て語りつくされたのではないだろうか。
陰惨な事件の数々を、聖マルグリット学園におけるほのぼのとした人間関係のなかで語りつくしたシリーズ。シリーズ全体の終わりも戦争の訪れとともに迫りつつあるのだが、最後は是非ともハッピーエンドで終わってもらえたらと願ってやまない。
<内容>
1924年のクリスマス、生徒たちが国元へと帰り、聖マルグリット学園は静まり返っていた。そんな中、ヴィクトリカと久城一弥はいつものように二人で過ごし、一弥はヴィクトリカから15個の謎を探して来いと言われ、村をさまよい歩いていた。すると一弥は村で起きていた、いくつかの異変に気づくことに。それは“2度目の嵐”の前触れであり、やがてヴィクトリカと一弥の運命は引き裂かれることとなる・・・・・・
<感想>
とうとう最終巻。だいぶ前の巻から前触れが伝えられていた“2度目の嵐”すなわち第二次世界大戦が勃発してしまう。それにより、ヴィクトリカと一弥が引き裂かれるという内容。今作に関しては、謎とか物語というよりも、その後の二人のてんまつという趣が強い内容であった。今までの物語、今まで登場してきた人物に幕引きがなされることとなる。
というわけで、全部で8巻、外伝4巻と長きにわたって続いてきたシリーズであったがとうとうこれで完結となる。私は角川文庫版で読んできたので、最初から最後まであっという間であったが、富士見ミステリー文庫版で読んでいた人にとっては、長きにわたるシリーズという感じであっただろう。なにはともあれ、きちんと完結してくれ、しかも決して悪くはない到達点であったため、満足できるシリーズと言えるものであった。
ただ、個人的に付け加えれば、やや子供向けであったかなと。ミステリ的な内容の作品とも言えるのだが、それは小さな謎を詰め合わせたようなものであり、さらに言えば奇抜というほどのものではない。ミステリというよりは、アドベンチャーと言ったほうが適していると思える。小学生か中学生くらいのときに読んでおきたかった作品と感じられた。
そんなわけで、読んでいる最中、シリーズ途中で止めてしまおうとも思ったのだが、主人公であるヴィクトリカと一弥の先行きがどうしても気になってしまい、止めることはできなかった。最後まで二人のてんまつを読み続けることができて、途中で止めなくてよかったと心から思えた。読みとおしてみると、暗い話を吹き飛ばす、明るいキャラクター達が読み手を惹きつける心地よい冒険小説であったと言えよう。