<内容>
一陣の風が吹いたとき、嫁入り前の娘が次々と神隠しに・・・・・・不思議な力をもつお初は、算学の道場に通う右京之介とともに、忽然と姿を消した娘たちの行方を追うことになった。ところが闇に響く謎の声や観音様の姿を借りたもののけに翻弄され、調べは難航する。『震える岩』につづく“霊験お初捕物控”第2弾。
<感想>
京極夏彦は“不思議”を解くが宮部みゆきは“不思議”を書く、というような感想をもった。
ただ本書を読みながら昔の作風とはずいぶんと変わったような気がすると、ふと思った。この本は文庫で読み2002年1月読了であるが、最近出ている著者の本には、良い意味でもあるのだろうが、一貫性がなくさまざまな作風が見られる。しかし、自分が読みたかった宮部みゆきの本というのはどういうようなものだったのかなと思う。まぁ、あまり著者の時代劇ものが好きではないということもあるのだが。
<内容>
深夜の廃工場。三人の若者によって、男が水槽に投げ込まれようとしていた。それを目撃したOL・青木淳子は、念を込めて掌から火炎を放ち、瞬時に若者二人を焼き殺した。彼女は念力放火能力を隠し持つ超能力者だった! 若者たちに連れ去られた恋人の救出を瀕死の被害者に頼まれた淳子は、逃走した残る一人の行方を探すが・・・・・・。警視庁放火捜査班の刑事・石津ちか子は、不可解な焼殺の手口から、ある未解決事件との類似に気付く。東京・荒川署の牧原刑事とともに捜査を開始したちか子の前に、新たな火災焼殺事件が!
<内容>
同心・井筒平四郎が目をかけている鉄瓶長屋で奇妙な事件が立て続けに起こっている。ある事件によって差配人が姿を消し、新しくやってきたのは差配人を務めることなど無理そうな若い佐吉という男。その佐吉という男は外見に似合わず立派に差配人の仕事を努めていくのだが、長屋に住む人々は姿を消したり、引っ越したりと次々と長屋を出てゆくことに。いったいこの鉄瓶長屋で何が起こっているというのか!?
<感想>
この小説は半村良氏の「どぶどろ」(最近では2001年に扶桑社文庫から出ている)を意識して書かれたものとなるのだろうか。そう思われるのは、その構成が似ているように思えたからである。最初にいくつかの短編作品が並び、それらをまとめるかのように後半にひとつの長編たる物語が挿入されていて、そこですべての謎が解かれてゆくというものになっている。ただ、内容としては「どぶどろ」とこの「ぼんくら」はあまり似ていないように感じられた。「どぶどろ」はかなり暗い物語であったのだが、「ぼんくら」結構明るい話として読むことができる。といってもこの「ぼんくら」、実際には暗い話といってもいいのであるが、主要となる登場人物らが善人で明るい人物がそろっているためか、一見楽しそうな内容であるかのように読まされてしまうのだ。
本書では長屋から次々と人が出て行く原因を突き止める事が主要の謎となっている。その謎を突き止めようと、数々の個性的な登場人物が出てきて、物語にかかわってくる様はそれだけでも見所といえよう。そして謎自体も、過去の物語とそれを原因とした現在の物語、そしてそれらを結ぶ陰謀の数々と、なかなか込み入った読み応えのある内容になっている。
そしてなんとも感じ入ってしまうのは、この物語のラスト。物語り全体の雰囲気からして、完全なるハッピーエンドで終わるのかと思いきや、かなり現実的な流れの中に埋もれてしまうかのような結末を見せられる。しかし、そこには厳しさを感じさせながらも、登場人物たちのたくましさをも見出すことができるようになっていて、これにはうまく話をまとめきったなぁと感心させられてしまった。
本当はこの作品を読む前は、宮部氏の時代小説はもう読まなくてもいいかな、などと思っていたのだが、こういう面白い小説を読まされてしまうと継続して読まずにはいられなくなってしまう。結局のところ、そうこう思いながらも宮部氏の作品を今だ読み続けているのだから、なんとも見事な書き手なんだなぁと感心するほかないのだろう。
<内容>
「居眠り心中」
「影 牢」
「布団部屋」
「梅の雨降る」
「安達家の鬼」
「女の首」
「時雨鬼」
「灰神楽」
「蜆 塚」
<感想>
宮部氏の本はずっと読み続けており(最近は文庫で)時代物の小説も一通り読んでいる。とはいうものの、正直言って宮部氏の時代小説というのはあまり好きではない。宮部氏の作品では現代物のミステリーのほうが好みである。
しかしこの作品に関しては、いつもの時代物とは異なる印象を受けた。「あやし」は題名のとおり怪談的な内容のものを扱った作品集である。その怪談的といえる物語が実に時代小説にマッチしているという印象を受けたのである。通常の時代物では淡々と流して読んでいたのであったが、本書には明らかに淡々ではすまされないようなインパクトを感じることができた。
「影牢」のように淡々と語られるなかでの恐ろしさを感じるものもあれば、「布団部屋」のように奇妙な謎が描かれるものもある。また「安達家の鬼」のように恐ろしいなかに心あたたまるものに触れたりと、その形態はさまざまなものとして彩られている。
この作品集こそ宮部氏の歴史ものの本懐として取上げたい。
<内容>
塚田真一は早朝の犬の散歩の途中、公園でバラバラ死体の一部を発見する。やがて事件は日本中を震撼させる連続殺人事件へと発展していく。しかも、その犯罪は“劇場型”とでもいうように、犯人が犯行声明を出しながら繰り広げられてゆくのである。塚田真一はかつて犯罪に巻き込まれ家族を殺害されており、現在は親戚の元にあずけられていた。そんな真一が自分とはまったく関係ないはずの事件と関わりをもってゆくこととなり・・・・・・
<感想>
読み終えたのが2010年8月。ということで、9年以上積読にしていた作品をようやく読み上げることができた。
宮部氏の作品ゆえに読みやすいということは間違いない。しかし、読むのを躊躇させるのはなんといってもその分量。上下巻ともに700ページほどあり、しかも2段組み(単行本で)。実際に今年の初頭から読み始めたのだが、読んでも読んでもゴールがなかなか見えないというもどかしさを感じながら読み続けてゆくこととなった。
本書がこんなに分量が多いのにはわけがある(と思われる)。それはさまざまな登場人物の細かい心情描写をひとつひとつ丁寧に描いているからである。事件の中のちょっとした脇役にすぎない人物についても、事細かに描写が描かれている。
こういった描写を押さえればもう少し短くまとめられたと思うのだが、この作品はあえてそういった描写を書き込むことを目的とした作品であると感じ取ることができる。つまり、事件を一方的な描写から書くことをせずに、あえて多面的に描くことによって事件に巻き込まれた人、関わった人がどういった人生を送ることになるのかということを伝えたかったのだろうと考えられるのである。
通常ミステリ作品であれば事件を解決する側から描くということが多く、場合によっては犯人の側から描かれるというものもある。中には多面的に描いた群像小説といったものもあるのだが、そういったもので本当に効果を上げている作品というものは少ない。
では本書はこのような書き方をすることによって、ミステリとして効果を挙げているのかといわれれば決してそうとは言えない。というのも、そもそも本書はミステリを主体においた作品とは言い難いのである。作中の主人公のひとりにルポライターが登場しているが、まるでその人がこの作品を描いたといってもよいような、仮想的な事件を取り扱ったルポといってもよいように感じられるのである。
ただしルポといっても、文章はあくまでも普通の物語調で描かれている。それでもどこか“ルポ”というような感触を拭うことができないのである。そういったところから、本書は純然たるミステリ作品というよりも、ひとつの大きな事件を多面的に取り扱った仮想ルポ作品というように思えてならないのである。
と、そんなことを感じつつ読み終えたわけであるが、いや、本当に長い物語であった。リーダビリティはあるとはいえ、基本的に“厭”な話が描かれているので、若干読み進めようという気持ちがそがれる部分もある。また、話の展開については意表を突かれたり、驚かされたりという部分が多いものの、ひと段落ついてしまうと、そこでしばらく読書が止まってしまうということが多々あった。こういった内容の作品を書きたいという気持ちは伝わってくるものの、思いのほか読む通すのに苦労した珍しいタイプの作品であった。
<内容>
ネット上の擬似家族の「お父さん」が刺殺された。その3日前に絞殺された女性と遺留品が共通している。合同捜査の過程で、「模倣犯」の武上刑事「クロスファイア」の石津刑事が再会し、2つの事件の謎に迫る。家族の絆とは癒しなのか?呪縛なのか?舞台劇のように、時間と空間を限定した長編現代ミステリー。
<感想>
「理由」や「模倣犯」のような社会事件を取上げた作品。ストレートな刑事事件かと思いきや、さすがにそれでは終わらない。直球勝負のようで微妙な変化がかけられている。取上げた題材の使い方もうまいし、後半の結末もただでは終わらない。短いページのなかでうまく話をまとめている。
<内容>
小学5年生の亘(わたる)は親子3人で暮らす普通の男の子。しかし、ある日突然父親が「家を出る」と言い出し、家庭に離婚の危機がせまる。大人たちの狂騒が繰り広げられる中、とまどう亘は学校で話題になっている幽霊ビルへと向かう。なんとそのビルは現世とは異なる世界への入り口となっていたのだった。亘は平穏な日常を取り戻す事を目的とし、幻界へと旅立つことに・・・・・・
<感想>
いや、もっと軽い話かと思っていたので、これほど重い内容であるとは思ってもみなかった。もっとスムーズに別世界へと旅立って、ファンタジー世界での冒険が繰り広げられると思っていたのだが、まさか導入の部分がここまで濃いとは・・・・・・
というのも、3分冊の文庫で読んだのであるが、そのうちの上巻丸々一冊が現実世界の話であり、導入となっているのである。ここでは、主人公の亘を取り巻く日常の生活から、転校生のミツルの話、幽霊ビルの話、両親の話と事細かに描かれている。そして、全体的には親の不倫だとか、不幸な身の上話などと、かなり嫌な話が含まれており、あまり読み進めやすい内容ではなかった。これはあまり子供向けのではないのではなどとも余計な事もつい考えてしまった。
そこからようやくファンタジー世界(幻界)での話へと移行していく。色々と冒険が繰り広げられては行くものの、ただひとつ納得しにくかったのは主人公が10歳の子どもではきついのではないのかなというところ。それくらいヘビーな冒険やら闘いやらがなされている。
また、この冒険の部分も軽いファンタジーというノリではなく、種族の差別問題や国と国とのパワーバランスの問題と、結構重い内容が盛り込まれている。
と、いうふうに感想を述べていくと、では全体的に面白くなかったのかというと全くそんなことはなかった。というのも、最後のほうへ来て、著者がどのような話を書きたかったのかという事がわかってくると、物語の全体の構成にしっくりとしたものを感じ取る事ができるのである。
本書は簡単に言ってしまえば主人公の少年の成長物語なのであるが、その少年をどのように成長させたかったのかということが、はっきりとわかる内容になっているのである。本来ならば、社会に出て青年中年へとなる過程においてでなければ経験し得ないような事柄を、ファンタジー世界という場所に置き換えて、少年に現実というものを経験させるための場を与えていたのである。
少年・亘が現実世界の中で起きた急な騒動により心をかき乱されるのだが、それを心が健やかなままの状態で騒動を乗り切らせるためのステージとして“幻界”という場所が与えられているのである。そのステージが与えられる事によって、亘は心の均衡を乱すことなく現実世界を受け入れていけるようになる。そのようなステージを与えられたという事自体は亘にとってはラッキーなことだといえるのであろうが、ただし、その試練を超えて心の均衡を勝ち得たのはあくまでも亘自身の選択によるものなのである。
<内容>
財閥会長の運転手が自転車によるひき逃げに遭い死亡するという事故が起こった。その自転車に乗っていた人物は不明でいまだ犯人は捕まっていない。編集者の杉村三郎は財閥会長である義父から運転手の娘達に会って力になってもらいたいと要請される。そこで杉村はその姉妹に会い、話を聞くことに。彼女達の話では犯人を捕まえるきっかけになればということで亡くなった父親の人生を本にして出版したいというのだ。しかし、妹が押し進めようとする話に姉のほうは反対しているようで・・・・・・
<感想>
最近の宮部氏の本というと、分厚い大作であるか、時代劇ものというイメージが強くなっている。しかし、私が本当に読みたい宮部氏の本はこの本のような手軽に読むことができる現代もののミステリーなのである。手にとってパッと読んでみようかという気にさせられるような本をこれからも書き続けていってもらいたいものだ。
ただ、気軽に読めるからといって決してその内容が薄いというようなことはない。本書は良質のミステリーとしてできあがっており、さらには色々と考えさせられるような内容にもなっている。
本書でのミステリー部分のメインは自転車でひき逃げを起こした犯人を捕まえるというものであろう。そしてそこから派生してくるもうひとつの謎は被害者の過去に何があったかということである。これらがうまくかみ合わされ、被害者の遺族である姉妹と語り合いながら物語りは徐々に確信へとせまっていく。これらはなかなか凝っていて、単純なミステリーには終わらせないような内容になっている。しかし、それでも本書はこのミステリーの部分が重要なパートではないように思える。
本書でメインとなるのは主人公自身の気持ちの揺らぎが表現されている部分ではないだろうか。主人公はすでに大人であるために、それは決して“成長”が描かれているわけではない。しかし、この事件の調査を経験していくことによって、主人公にちょっとした気持ちの変化というものが出てきたかのように感じられるのだ。なにしろこの事件によって一番こころを揺さぶられたのは当事者ではないはずの主人公自身であるのだろうから。
“誰か”というタイトルは“誰かに”とか“誰かと”を掛けているのだと思える。このタイトルは主人公からの皆の幸せを祈る言葉なのではないだろうか。
<内容>
本所深川で起こる数々の奇妙な事件。扇子に似顔絵を描く絵師が殺害されるという事件。植木職人佐吉とその妻との間に芽生える不信感。ふたりの子供を抱えたお六がやっかいな男に付け狙われながらも、彼女を護ろうとする謎の屋敷に住む女主人の話。鉄瓶長屋で煮物屋を商っているお徳に商売敵ができた話。
やがてこれらの事件から派生したものがひとつに交わり、大きな事件へと発展してゆく。同心・井筒平四郎とその甥で美貌の弓之助らが謎を解こうとするのだが・・・・・・
<感想>
この作品は「ぼんくら」という作品の後日譚でもある。密接に関わる部分もあるので、もし「ぼんくら」を読んでいない人は、続けて読むとより楽しめることであろう。とはいえ、本書は単体でも十分楽しめるので(かく言う私も「ぼんくら」の内容はほとんど忘れていた)とりあえず、こちらを読んでいただいても全く問題はないと思われる。
この作品の構成も「ぼんくら」と同様、小さな事件がいくつか起き、やがてそれらに関係する大きな事件が起こるというもの。ようは連作短編形式と言い換えてもよいであろう。
本書はミステリとしてもよく出来ているが、ここに出てくる登場人物それぞれに対する描写が良く描けていると強く感じられた。そしてその一人一人の生き様と、それぞれの人々とのつながりを描くことによって、起こる事件とその解決に説得力を持たせているのである。人情時代劇風ミステリとして非常にうまく描かれた作品と言えよう。
とはいえ、ミステリとしては最後の解決の部分がちょっと物足りないと言うか、着地点がはまらなかったという気がしなくもない。少々大筋からずれてしまったというようにも感じられた。
あと、読んでいて感じたのは、本書の内容が今までの宮部みゆき風時代劇というよりは、京極夏彦風時代劇というようにとらえられたこと。実際のところ、物語の筋書きに関しても「塗り仏の宴」を思わせるところがあったり、憑き物落としをしているような場面があったりと何か今までの作品とは異なるものを感じられた。
言ってみれば、宮部みゆき調で京極夏彦風の物語という感じか。今後の作品にどのような影響がでるのか、続けて興味を持って読んでゆきたいと思っている。
<内容>
徳川11代将軍・家斉公の時代。瀬戸内海に面する讃岐の国・丸海藩。江戸から金毘羅参りに連れ出された9歳の“ほう”は供の者に捨てられ、この地で医者を勤めている井上家に引き取られることとなった。そんなとき、江戸から流在となったかつての幕府の要人・加賀殿の身柄を丸海藩があずかることとなった。もし、加賀殿に何かがあれば丸海藩はお取りつぶしになる可能性さえあるという。その加賀殿は妻子を殺害した後に側近を惨殺した罪を犯したと伝えられ、領民たちは加賀殿の祟りを恐れていた。実際、加賀殿が来てからは様々な事件や災いが続き、領民たちの生活は徐々に苦しいものとなっていく。
<感想>
宮部氏の時代ものの中でも珍しいタイプの小説であると思われる。今まで読んだものだと何らかの謎があり、それを解き明かしていくというタイプのものが多かったが、本書ではそういった謎というものは存在しない。
どちらかといえば、この作品は京極夏彦氏が描くような内容のように思えた。“おそれ”とか“祟り”といったものをメインテーマに起き、その漠然とした“祟り”をどのように収めてゆくのかが描かれている。
小説としては面白く、宮部氏が描く作品であるから読みやすいというのは、もはや当たり前のこと。とはいえ、全体的に暗い雰囲気の小説であり、領民たちが何の言われもなく、権力や理によって押しつぶされていく様子は見ていて何とも言えなかった。それは主人公であり運命をほんろうされ続ける9歳の“ほう”や、女ながらも岡っ引きの仕事をする宇佐にも同じことが言える。
今までの宮部氏の作品ではそうした下町に生きる人々の強さと、人々の絆がうかがえたのであるが、本書ではそうしたものが見えない力によって押しつぶされていく様子が描かれている。そうした中、やがて個々の登場人物や町のそれぞれの集団が暴走し、歯止めが利かぬ状態へと突入していく。
昔の時代に暮らす人々たちの生き方の不便さというものをつくづく感じさせられた作品。理不尽な体制のなかで、それにどう対処していくかというのが色々な形で表されている。最終的にはそう悪くない希望の持てる話であると言いたかったところなのだが、ラストにおいて1点、どうしても理不尽に思えたところがあるので、個人的にどうも納得しづらい作品となってしまった。普通にハッピーエンドでもよかったと思われるのだが。
<内容>
今多コンツェルンの娘と結婚し、財閥企業内での社内報の編集の仕事につく杉村三郎。彼等が働く編集部内で新しく雇ったアルバイトの女性がさまざまな揉め事を引き起こし、社員は皆困っていた。彼女の経歴は偽りであるように思え、それを杉村は調べることに。以前、彼女について調べた事があるという私立探偵事務所を訪れると、そこで祖父を亡くした女子高生に出会う。その女子高生の祖父は、現在世間を騒がせている連続無差別毒殺事件の被害者だというのだ。
<感想>
久々に宮部氏の現代ものの作品で良いものを読んだという気にさせられた。本書を読んだときに感じたのは、かつての「火車」をほうふつさせるような内容であるということ。ただし、厳密に「火車」に内容が似ているのかというとそういうわけではない。「火車」はカード破産というものにスポットを当てて、当時の現代的な病をひとりの女性になぞらえて表現した作品であると記憶している。しかし、それに対してこの「名もなき毒」のほうはもう少し漠然とした内容であると感じられた。
本書の中でも現代的な病に犯された女性が登場している。しかし、その女性の行動の根本的な原因というものがどこか不透明であり、物語が終わった後もしっくりしないものが残ったままとなっている。それは作品の書き方に違いがあるというよりは、「火車」と本書が書かれた間の10年以上の歳月による時代性による隔たりであると感じ取る事ができる。
このように時代背景が変わるとはいえ、「名もなき毒」も「火車」と同様に現代における犯罪とそれを犯す者の病を書き綴った作品であるということは間違いないであろう。
あと、読んでいて気づいたのはこの作品が以前に出版された「誰か」の続編であったということ。「誰か」を読んでいたときには、まさかシリーズとして続けられるとは思ってもいなかったので驚かされた。しかも、主人公の杉村三郎氏が今後も活躍しそうな終り方をしているので、ますますびっくりさせられた。これは宮部氏の新シリーズとして期待して良いのかもしれない。
<内容>
連続誘拐殺人事件(「模倣犯」)から9年。フリーライターの前畑滋子は、ようやく落ち着きを取り戻し、小さな雑誌社で働いていた。そんなおり、ひとりの女性から相談を受ける。53歳の彼女は、12歳の息子を交通事故で亡くしたという。その息子が生前に描いた絵に不思議なものがあり、それを見てもらいたいというのだ。そこに描かれていた絵は、死亡した子供が知りえたはずのない事件の様相を描き出していたのである。しかも、そのなかの一つには前畑滋子が関わった、連続誘拐事件い関するものもあったのだ。その絵の強い印象に引き込まれ、滋子は少年のたどった人生を調べ始めることとした。やがて、彼女はすでに解決したはずの事件に隠された真相を暴き出すこととなり・・・・・・
<感想>(2014年5月読了)
久々に宮部氏の大作を読んだという気がした。なんとなく宮部氏の印象というと、ちょっと良い話を描いているという気がしなくもないのだが、よくよく考えれば「火車」「理由」「模倣犯」そしてこの作品のように近代的な事件をあぶりだすというものを描く作家であったということを改めて感じさせられた。
「模倣犯」以来の登場となる前畑滋子が、新たな事件に関わることとなる・・・・・・のだが、序盤は何か漠然としたような流れ。サイコメトラーのような能力を持った少年の話となるものの、当の少年は亡くなっており、それが証明できたからといってどうなることか? そうした漠然とした思いの中、前畑滋子は少年が残した絵の印象と、母親の強い想いにより取材を続けてゆく。そうして下巻になりようやく、今作で見出すべき事件が浮き彫りにされることとなる。
事件の存在は最初から出ているのだが、それは既に解決されたはずの事件。両親が娘を殺したと時効後に名乗り出たというもの。娘は当初、失踪扱いとなっていたが、素行不良であったために、家出したと周囲では思われていた。実は娘の素行に手を焼いた両親が、娘を殺害し、自分たちが住む家の下に埋め、そこで暮らし続けていたというのである。それが時効が過ぎた時に、家が火災にあい、それを機に両親が警察に出頭し事件が浮き彫りになったのである。
この事件の様相が少年が描いた絵のなかにあり、そこから前畑滋子が調査を始めることとなる。そうするうちに、事件に関わったと思われる多くの人たちと滋子が会い、話を聞いていくうちに、新たな事実が表れ始めてくることとなる。
事件の真の闇を暴くという点では面白いと思いつつも、導入であるサイコメトラーとの関連がやや希薄であったようにも感じられる。やはり亡くなった少年の能力を元にという題材自体が難しかったのではなかろうか。そのサイコメトラーの部分が全く物語に役に立っていないとは言わないものの、単なる事件に関わる導入のみになってしまったというのは、消化不良の気もする。
長大な作品ともいえるのであるが、意外とさくさくと読むことができた。まぁ、そのへんは内容云々というよりは、著者の力量によるものが大きいという気がする。それでも、事件を調査するものの闇というか、現実的な重さというものを感じさせてくれる、リアル・ルポライター小説というものを味わえたような気がする。このような事件を扱い、それを浮き彫りにさせるという宮部氏の作家としての力量を感じさせられる作品であった。