<内容>
短大に通う19歳の入江駒子は本屋にて「ななつのこ」という小説を衝動買いしてしまった。駒子にとって、その本は大切なものとなり、著者である佐伯綾乃宛てにファンレターまでもを送ることとなった。すると、思いもかけず返信が帰ってきて、駒子が手紙に書いていた不思議なことに対する回答までもが書かれていたのであった。
「スイカジュースの涙」
「モヤイの鼠」
「一枚の写真」
「バス・ストップで」
「一万二千年後のヴェガ」
「白いタンポポ」
「ななつのこ」
<感想>
ずいぶんと久しぶりの再読。なんとなくイメージとして、日常系の謎を描いた作品だというのをぼんやりと記憶しているくらいであった。忘れていた分、新鮮に読むことができた。
主人公である短大生の入江駒子が日常で起きた謎をファンレターに添えて、作家・佐伯綾乃に相談するというもの。その謎にたいする解が駒子宛ての手紙として返信されてくる。
単に、謎を相談するだけであったら、よくありそうなミステリとなるのであるが、そこに“ななつのこ”というタイトルの小説が存在し、そのなかでも謎が描かれているというところが大きな特徴。本書「ななつのこ」のなかに、入れ子細工のように“ななつのこ”という作品が存在し、その作中作がきっちりと作り上げられているところこそがミステリとして、そして小説として完成していると感じられるゆえんであろう。
ミステリのネタとしては、後半にかけてはやや息切れしているという感触。ただ、小説としては最初から最後まで色あせることなく、きっちりと描かれている。実際にどうかはわからないが、北村薫氏の作品い影響を受けた作品というように感じ取れるものがある。また、個人的には「足長おじさん」的なイメージも感じ取れたような気がした。
<内容>
一 「秋、りん・りん・りん」
誰かから届いた最初の手紙
二 「クロス・ロード」
誰かから届いた二番目の手紙
三 「魔法飛行」
誰かから届いた最後の手紙
四 「ハロー、エンデバー」
<感想>
「ななつのこ」に引き続き、連続の再読。こちら「魔法飛行」のほうも、主人公視点の物語で謎が浮かび上がり、その謎を手紙の返信により探偵役の者が解決をするという安楽椅子探偵風の小説。
前作と比べると、各短編の謎もやや薄めと言ったところか。また、「ななつのこ」は、絵本との多重形式がとられていたが、この「魔法飛行」は、基本的にはそれぞれのストーリーのみとなっているので、さらにミステリとして薄めに感じられる。一応、全編を通して“謎の手紙”にまつわる話というものがあるのだが、それがまた良い話なのか、悪い話なのか微妙なところ。
「秋、りん・りん・りん」は、駒子が大学の授業に出席中、前に座った人に注目するのだが、その娘が別の授業では出席簿に違う名前を書いていたという謎。
「クロス・ロード」は、事故で死んだ子供の父親が描いた絵が、段々と白骨化してゆくという怪談話のような内容。
「魔法飛行」は、双子によるテレパシーを描いたかのような題材の話。
「ハロー、エンデバー」では、今まで届けられた謎の手紙の解明に着手するというもの。
ミステリとしては、薄めに感じられたものの、小説としては非常によく描けているといってよいであろう。短大生の日常生活の不安や希望がうまく表されている。「秋、りん・りん・りん」で登場する謎の娘・茜さんのキャラクターもなかなか面白い。また、「魔法飛行」で描かれる男女の馴れ初めもほほえましい。
「クロス・ロード」や「ハロー、エンデバー」あたりは、やや暗めの部分もあるのだが、全体的には非常に取っ付きやすいミステリ小説として完成されている。陰惨な話よりも、ライトな日常の謎系が好きだという人には、是非ともお薦めの本である。出版されてから20年が経過しているが、意外とその内容も色あせていないと感じられた。
<内容>
たぶん僕は変わったのだ。四年前にはとてもできなかったことが、今の僕にはできる。第一話「掌の中の小鳥」で真っ赤なワンピースの天使に出逢った主人公は、一緒に退屈なパーティーを抜け出した。狂言誘拐の回想「桜月夜」で名前を教わり、御難続きのエピソード「自転車泥棒」や不思議な消失譚「できない相談」を通じて小さな事件に満ちた彼女の日常を知るにつれ、退屈と無縁になっていく自分に気づく。
「掌の中の小鳥」 (<創元推理2> 1993年春号)
「桜月夜」 (<創元推理3> 1993年秋号)
「自転車泥棒」 (<創元推理4> 1994年春号)
「できない相談」 (書下ろし)
「エッグ・スタンド」 (書下ろし)
<感想>
ミステリーというよりは恋愛小説に近い。連作短篇としてそれなりに伏線が張られていて、ときおりハッとさせられることがあるものの、やや小ぶりという感覚もある。そのなかで、「できない相談」がある消失劇を描いているのだが、これが一番ミステリらしかった。それなりに伏線もはられ、計算されているのがよくわかる。短篇のせいか、見せ方があっけなかったような気もするがなかなか秀逸ではあると思う。
ただこの作品群はどうみても“ミステリー”というよりは“恋愛小説”であり、おのろけ話を聞かされているよう気もする。そこここに見せる、おのおののやさしい気遣いがあって、心地よいといえば心地よいのだが、少々甘ったるい。まぁ、ごちそうさまとでもいうべきか。
<内容>
堀井千波は周囲の騒音に嫌気がさし、引越しの準備を始めた。その最中に見つけた一冊の本、「いちばん初めにあった海」。読んだ覚えのない本のページをめくると、その間から未開封の手紙が・・・・・・。差出人は<YUKI>。だが、千波にはこの人物に全く心当たりがない。しかも、開封すると、「私も人を殺したことがあるから」という謎めいた内容が書かれていた。<YUKI>とは誰なのか? なぜ、ふと目を惹いたこの本に手紙がはさまれていたのか?千波の過去の記憶を辿る旅が始まった。
<内容>
「ガラスの麒麟」 (小説現代 1994年7月増刊号)
「三月の兎」 (小説現代 1996年1月号)
「ダックスフントの憂鬱」 (小説non 1996年9月号)
「鏡の国のペンギン」 (小説現代 1997年6月号)
「暗闇の鴉」 (ミステリマガジン 1997年8月号)
「お終いのネメゲトサウルス」 (書下ろし)
<感想>
ずいぶん前に読んで、感想を書いておらず、しかも内容をよく覚えていなかったので再読。
加納氏の代表作のひとつであったはずなのに、何で内容が頭に入っていなかったんだろうと、考えつつ読み直したのだが、なんとなくその理由を理解できた。本書は連作短編となっているのだが、女子高生が刺殺されるというショッキングな内容によって幕を開ける。最初の短編では、その犯人とおぼしき者に遭遇しつつも、生き残った女子高生の葛藤が描かれている。
この連作短編が最初の短編の調子で描かれ続ければ内容が頭に入りやすかったと思うのだが、その後の話はちょっと良さげな感じで語られる短編もあったりと、陰惨な印象のみの連作短編にはなっていない。また、多数出てくる登場人物がそれぞれの短編に再登場し、やや複雑な相関図を描き出している。陰惨なイメージと心温まる話が同居し、多数の登場人物がそれぞれ事件に深く関わっているという思いのほか複雑な内容。たぶん最初に読んだときは、日常の謎系という感じで、手軽に読める一冊ということで軽く読んでしまい、きちんと内容を把握できないまま読み通してしまったのだろうと想像できる。
では、そんな複雑に書かれた話で面白いといえるかというと、本書はきっちりとした物語が出来上がっており、楽しく(表現はおかしいかもしれないが)読めるミステリであるということは保証したい。ひとつの事件を通して、揺れ動く人々の群像劇。それは高校生のみならず、多くの大人の心さえも揺り動かす。そうしたなか、するどい洞察力をもつ高校の養護教論の神野がそれぞれの事件に関わり、彼女を中心に物語が動いてゆき、さらにはその事件が神野自身に収束していくこととなる。
後半になり徐々に明らかになる犯人の像というものが、ややもやもやとした感じもあり、決してミステリ的にすっきりした内容とは言えないかもしれない。それでも前半から伏線はきっちりと張られており、物語上は決して破たんしているわけではない。きっちりと読み込まなければ、物語について行きにくくなるところもあるが、そこをクリアできれば心に残る作品となることは間違いなかろう。まさしく加納氏の代表作というにふさわしい一冊。
<内容>
いつもと同じ時間に来る電車、その同じ車両、同じつり革につかまり、一週間が始まるはずだった。丸の内に勤めるOL・片桐陶子は、通勤電車の中でリサーチ会社調査員・荻と知り合う。やがて二人は、身近に起こる不思議な事件を解明する<名探偵と助手>というもう一つの顔を持つように・・・・・・
「月曜日の水玉模様」 (1995年4月号 小説すばる)
「火曜日の頭痛発熱」 (1995年8月号 小説すばる)
「水曜日の探偵志願」 (1996年2月臨時増刊号 小説すばる)
「木曜日の迷子案内」 (1996年11月号 小説すばる)
「金曜日の目撃証人」 (1997年9月号 小説すばる)
「土曜日の嫁菜寿司」 (1998年1月号 小説すばる)
「日曜日の雨天決行」 (1998年7月号 小説すばる)
<感想>
普通のOLが日常の日々を過ごす中で起こる不思議な出来事に遭遇し、それらの謎を解決していく。という内容のものではあるが、事件の切り口や解決の仕方はかなり強引に思える。今作では、普通では遭遇しそうもない事柄が多かったり、そこまで深くは普通掘り下げないだろう!? などと思える部分がかなり目立った。フィクションであるのだから、通常起こりえないことがあるのは当然なのだが、あくまでも本書のスタンスとしては“日常”を貫いているように思え、そのギャップがなにかしらの違和感として感じられたのかもしれない。かえって主人公の性格をぶっとんだものにしたほうが似合っていたのかもしれない。もちろんそれは著者の作風には会わないのだろうが・・・・・・
<内容>
もしもあの時、別の選択をしていれば、全く違う人生を歩んでいたのだろうか・・・・・・。平凡な会社員・元城一樹のふとした夢想が、すべての始まりだった。一人娘の和子の前に姿をあらわした不思議な少女沙羅。その名前が甦らせる、消し去ったはずの過去。やがて、今ある世界と、あり得たはずの世界とが交錯しはじめて・・・・・・(表題作「沙羅は和子の名を呼ぶ」)
「黒いベールの貴婦人」 | (「小説すばる」1994年1月号) | |
「エンジェル・ムーン」 | (「小説すばる」1994年6月号) | |
「フリージング・サマー」 | (「小説すばる」1994年11月号) | |
「天使の都」 | (「週刊小説」1996年9月27日号) | |
「海を見に行く日」 | (「週刊小説」1997年2月7日号) | |
「橘の宿」 | (「小説現代」1996年5月号) | 『輝きの一瞬』(講談社文庫)所収 |
「花盗人」 | (「西日本新聞」1997年1月7日付) | |
「商店街の夜」 | (「週刊小説」1997年10月3日号) | |
「オレンジの半分」 | (「野生時代」1995年8月号) | 『不在証明崩壊』(カドカワノベルス)所収 |
「沙羅は和子の名を呼ぶ」 | (「小説すばる」1999年7月・9月号) |
<感想>
現実と異世界との狭間に立つものたちを色鮮やかに描く10編の世界。短編のそれぞれが現実世界の出来事において、そこから外れた世界(時には幽霊、時には想像の世界)と関わり合いを持つこととなる。謎めいて終わる話もあれば、はっと現実に引き戻される話もあり、その在りかたは様々である。現実の厳しさや周囲の人々のやさしさが色々と形を変えて、それぞれの世界を創りだす。
遠く離れた従姉との交流を描く「フリージング・サマー」、都会の森を描く「商店街の夜」、ちょっとしたミステリ「オレンジの半分」らが特に印象に残った。不思議で描かれる10編の世界、ご堪能あれ。
<内容>
「螺旋階段のアリス」 (オール讀物:平成9年4月号)
「裏窓のアリス」 (オール讀物:平成9年11月号)
「中庭のアリス」 (オール讀物:平成10年11月号)
「地下室のアリス」 (オール讀物:平成11年6月号)
「最上階のアリス」 (オール讀物:平成11年11月号)
「子供部屋のアリス」 (オール讀物:平成12年6月号)
「アリスのいない部屋」 (オール讀物:平成12年10月号)
<感想>
先に「虹の家のアリス」から読んでしまったのだが、本書のほうが“アリスシリーズ”の第1作で、現在のところシリーズ作品としては2作目までが出版されているようである。お薦めとしては順番に読んだほうがよいであろう。
基本的にはミステリーというよりは、ちょっといい話(よくない話もあるけれど)というような印象。とはいうものの、短編によってはうまくできていると感じられたものもいくつかあった。とくに逸品は「最上階のアリス」。これは発明家の主人が献身的な妻の動向を調べてほしいというもの。そして調査を進めていくことにより、隠された真実が浮き彫りにされ、さらにはラストでその解決さえもひっくり返されてしまう。これはその言動の裏に秘められた動機というものがすごい。思わず感動さえしてしまった一作であった。
全体的に見て、好意的にいえば微笑ましいといえるし、悪意をもって述べれば中年の妙な妄想のようだともいえないことはない。このような設定というか状況を許せるか、許せないかによって作品全体の印象も人によって変わってしまうかもしれない。とはいうものの、気軽に手にとることができ、楽しく読める一冊であるということは間違いない。
<内容>
新婚で子供を生んだばかりのサヤは夫を交通事故で亡くしてしまう。そんなとき、彼女の叔母がサヤのために家を残してくれたのを思い出し、赤ん坊と二人、佐佐良の町へと移り住む。そんな彼女の周りに起こる不思議な事件。しかし、彼女の身があぶないと思ったとき必ず亡くなったはずの夫が彼女の前に現われて手助けをしてくれるのだった。
<感想>
いや、良い話であった。これはほんとに感動させられる話である。あっという間に、一気に読み終えてしまった。これは強くお薦めできる本といえよう。
物語はいわゆる“ゴースト”ものといえよう。これは結婚して子供ができたばかりの家族の夫が突然、交通事故で死んでしまうというところから始まる。残された家族の事を考えると、死んでも死にきれない夫は幽霊となって妻を助け始めるというもの。まぁ、こういう話であれば、特にものめずらしいというほどのものではないと思って読んでいた。しかし読んでいくうちに、この残された奥さんの人柄を見てゆくと、ほっとけないというかなんというか、確かに死んでも死にきれない夫の気持ちが痛切に伝わってくるのである。これは確かに幽霊になって出てくるわなと、強く共感してしまう。
と、こんな背景を元に話は進んでゆくのだが、残された奥さんと子供の周りに彼女達の味方となってくれる人々が次第に集まってくるようになる。それを見ていると読んでいるほうも幽霊の夫と共にほっと胸をなでおろすことができる。
本書はミステリーとうまく掛け合いながら、奥さんの周りに集まってくる人々のわだかまりをといて、温かい人間関係を築くものとなっている。そしてラストでは・・・・・・涙なしには読めないようなエンディングで終わるようになっている。いや、たまにはこういう良い話を読むのもいいなと思わせられた本である。
<内容>
「虹の家のアリス」 (オール讀物平成13年4月号)
「牢の家のアリス」 (オール讀物平成13年10月号)
「猫の家のアリス」 (『「ABC」殺人事件』:講談社文庫平成13年11月所収)
「幻の家のアリス」 (オール讀物平成14年1月号)
「鏡の家のアリス」 (オール讀物平成14年5月号・改作)
「夢の家のアリス」 (オール讀物平成14年8月号)
<感想>
この作品はシリーズものとして先に一作でているのであるが、そちらはまだ読んでいない。とはいうものの本編に掲載されている短編も含めて、いくつかは雑誌などの掲載において読んだことがあった。この作品から読んでも十分面白さは伝わるが、できることなら「螺旋階段のアリス」から読んだほうがよかったのかもしれない。文庫化したら読むことにしよう。
構成の形式としては短編という形にはなっているが、物語としてはひとつの時間の流れが存在している。よって、ミステリー的な要素ではあくまでも“短編”であるのだが、物語としては“連作短編”であるととらえられる。
内容においてはミステリーとしては平凡なできである。ただそこにおける物語においてはなかなか面白く、つい話に引き込まれてしまう。これらの物語では、主人公の探偵の仁木と助手の安梨沙を含めた登場人物らが事件などの出来事を通して少しずつ自分の人生や認識を改めるきっかけというもの見出していく様子が描かれている。それがあたかも安梨沙が自分の世界に周りをそっと包み込むように引き込んでゆき、周囲の人たちが変わっていくことによって、少しずつ自分自身も変わっていくというような様相をみることができる。そいういった話の展開が強引にではなく自然な形で描かれているように感じられ微笑ましく読むことができる。
これらの作品は短編のうちの一編だけを読んでもあまり感じ入ることができないと思うのだが、全編通して読んでみるとそういった感情が湧きあがるようになってくる。ミステリーとしては連作とはいえないものの、これは連作として語られることによって効果をあげられている小説であろう。
<内容>
男は自分が目にした人形に唐突に惹かれていくことになる。男はその人形を自分のものにしたいと願うがなかなか思うようにはいかない。そんなとき突然、思い焦がれる人形と同じ顔をした女と出会う。
舞台女優である女はある時、自分の顔とそっくりな人形を発見する。そしていつしか自分の周囲からこちらを見つめてくる視線を感じるように・・・・・・
<感想>
ある不思議な人形を巡る話とでもいうべきか。人形に恋した男はその人形にそっくりな女を追おうとし、その人形にそっくりな舞台女優は何故自分とそっくりな人形が存在するのかを不思議に思い、さらには人形に入れ込む別の男は舞台女優のパトロンでもある。
といったように幾人の者たちがそれぞれに関係を及ぼしながら思いがそれぞれ交錯していくという不思議な物語となっている。最初のほうを読んだ印象ではフェティズムを主題にした幻想小説なのだろうかと感じられた。しかし、中盤以降に物語の中での不思議に思えた部分がしだいに意味をもつようになり、徐々に解き明かされていく。そしてそれが最終的には一つのミステリーとして完成してしまうのだから驚くより他はない。
物語としてはやさしさと残酷さが微妙に入り混じったかのような様相となり、それが全体に奇妙な味わいをかもし出しているといえよう。読了してみると、なんとなく登場人物たちのわがままにふりまわされ続けたかのような印象が残る。ただし、それはけっして嫌な味わいが残るというようなことはなく、それなりにすっきりした味わいで納得させられるのだからそれもまた不思議といえよう。
<内容>
高校の頃のソフトボール部の元チームメイトの一人が突然亡くなったという知らせを受けた。彼女の死を巡る、大人になったチームメイトたちの7つの物語。
「サマー・オレンジ・ピール」 (小説すばる:2001年2月号)
「スカーレット・ルージュ」 (小説すばる:2001年5月号)
「ひよこ色の天使」 (小説すばる:2001年11月号)
「緑の森の夜鳴き鳥」 (小説すばる:2002年3月号)
「紫の雲路」 (小説すばる:2002年7月号)
「雨上がりの藍の色(原題:虹の藍色)」 (小説すばる:2003年4月号)
「青い空と小鳥」 (小説すばる:2003年7月号)
<感想>
7つの連作短編において、その中心となるのは昔のチームメイトの死。ただ、そのことだけに焦点を当ててしまうと普通のミステリーになってしまうので、少し変わった角度から物語を展開していくという構成にしたのではないだろうか。とはいうものの、そのチームメイトの死に関しても、それほど深い謎というものが隠されているわけではない。よってどちらかといえば、そのチームメイトの死によって、それぞれの登場人物が昔のことを思い起こしながら、今を生きていくという生活模様が描かれた物語であると言ってよいであろう。
というわけで、ミステリーを楽しむというよりは物語を楽しむ雰囲気の作品となっている。誰もが楽しめる内容であり、手軽に手に取ることのできる本である。
短編の中でのお気に入りは「雨上がりの藍の色」。社員食堂をなんとか盛り立てようとする、やる気があるのだかないのだかわからない、この章の主人公の様相が面白い。そして彼女をとりまく、周りのキャストも魅力的である。
<内容>
年末を家の大掃除などをして過ごしていた駒子は、デパートに買い物に行った際、そこで警備員をしていた瀬尾とであう。瀬尾と出会った駒子は彼に謎を持ちかけようと、とある手紙を渡すことに。それは女子大生らしき学生が“はるか”という人にあてたごく普通の手紙であるのだが、その内容にはある秘められたものが・・・・・・
<感想>(再読2015/02)
今年、「ななつのこ」「魔法飛行」と立て続けに再読したので、間をあけないうちにシリーズ3作目である「スペース」も再読。読んでみると、前の2作品と密接には関連はないのだが、前の作品を知っていたほうが楽しめる部分も若干あるので、連続で読めばより楽しめるという感じ。
この作品は二つの中編「スペース」と「バック・スペース」いう二つの物語から構成されている。「スペース」は“はるか”宛の手紙が十数通掲載されており、それらの物語を補てんするかのように「バック・スペース」により「スペース」にて語られなかった物語が綴られる。
「スペース」のほうは、手紙の文章が延々と続いているだけなので、やや読みづらかったかなと。この辺は主人公たちの行動なども入れて、もう少し読みやすくしてもらいたかったところ。ただ、「スペース」の最後にて、物語の真相が語られ、「バック・スペース」にて見えなかった話が語られてゆくところは、それなりに読みどころがあった。
今作のシリーズとしてのポイントは、今まで語り手であった入江駒子の様子が、別の視点から語られているところであろう。前作までのちょっとした場面を、別の角度から見ることができるというところが面白かった。
全体的に、ミステリとしてはあまり読みどころがなかったかなと。もうミステリというよりも、完全に物語というイメージが強くなってしまっている。一応は、“スペース”という言葉の意味と、手紙で書かれていない空白の部分を読み取るという主題はあるのだが、ミステリ的には弱かった。とはいえ、物語としては十分に楽しめるので、広く読んでもらいたい作品であることは間違いない。むしろ、ミステリに興味のない人のほうが、こういった作品を求めている人が多いのでは?
<感想>
読み終わって一番感じたことは、前2作を再読しておけばよかったなということ。もし読んでいない人や、読んだけど忘れてしまったという人は再読しておくことを薦めておく。そうすれば、より本書を楽しむことができるだろう。
逆にいえば、本書を読んだだけでは楽しみが半減してしまうと言ってもよいかもしれない。もちろん、本書を単独で読んでも物語としては成立しているし、それなりには楽しめるのだが、これだけではちょっと面白い物語を読んだという程度で終わってしまうであろう。
本書はミステリーというよりも、物語というふうにとらえたほうがよいかもしれない。確かにミステリー的な仕掛けがないこともないのだが、謎が明確にされているわけではないので、純粋にミステリーとは言いがたい。特に前半は一方通行の手紙の文が大半を占めていて、これは少々読み続けるのが辛かったところ。その手紙の内容が本書の中では重要となっているとはいえ、後日譚を聞いて、あっそうか、と思う程度にすぎないものであることも確か。
とはいえ、ミステリーとしては評価できないものの、物語としてはそれなりに面白いのではないだろうか。まぁ、本書は加納氏のファンであれば間違いなく楽しめるであろうと思う。そして特にそうでもないという人も、最初に書いたように「ななつのこ」「魔法飛行」という創元推理文庫から出ている2冊を読んだ後に、本書を読んでもらえればなかり楽しめる本となっていると思う。シリーズ作品としてお薦めの本といったところか。
<内容>
中学3年の照代は希望する高校に受かったのだが、いざ入学するという時期になったとき、親の借金のせいで夜逃げをしなければならなくなってしまった。照代はひとり、親から離れ、遠い親戚がいるという田舎町の佐々良へと行くことに。そこで待っていたのは、元教師をしていたという気難しい老婆の久代であった。なんとか、家に住ませてもらえることになったのだが、照代自身もひとりの大人として働かなければならなくなり・・・・・・
<感想>
ひとりの女の子の成長を描いた物語である。主人公の照代は、頭は良いが自分の容姿にコンプレックスを持っており、人に対して素直になる事のできないという、どこにでもいるような普通の女の子。そんな照代が親の借金により、ひとり別天地で生活せねばならなくなり、今まで親に頼っていた生活から自立する事を強いられてしまう。ただ、彼女には佐々良という町に住む親切な人々が周囲にいるのだが、その親切心というものが時には解りづらいものであったりするために、素直に受け入れられず、なかなか心を開くことができない。
やがて彼女は人々の本当の想いに触れることにより、色々なことが見えてくるようになるのだが、その様子がゆっくりと、とても自然に表現されている。そしてときには、思わず涙ぐんでしまうような場面も多々描かれている。これは本当に良い少女の成長物語であると思われる。
本書は単独でも楽しめるのだが、「ささらさや」という物語の後日譚という側面もあるので、読んでいない人はどちらも文庫化されているので是非とも続けて読んでもらいたい。夏休みの読書としては、中高生あたりにはもってこいの作品ではなかろうか。
<内容>
「モノレールねこ」
「パズルの中の犬」
「マイ・フーリッシュ・アンクル」
「シンデレラのお城」
「セイムタイム・ネクストイヤー」
「ちょうちょう」
「ポトスの樹」
「バルタン最期の日」
<感想>
加納氏の作品で言うと「ささらさや」系のちょっぴり泣ける良い話がつまった作品集。作品のどれもが、ちょうどよいくらいのページ数で、わかっていてもついついホロットとしてしまうのである。
「モノレールねこ」は、見知らぬ友人との邂逅の話なのだが、ラストがきれいにまとまりすぎているところに、かえってホッとさせられてしまう。
家族の話を描いた「マイ・フーリッシュ・アンクル」や「ポトスの樹」などが個人的には好み。
また、まさかザリガニの視点から描かれる話を読む事になろうとは思わなかった「バルタン最期の日」も面白い。
「シンデレラのお城」は幽霊が出てくる話なのだが、心情的には納得がいかなかった。主人公はこれで満足できたのだろうか? この作品に関しては男女で意見が分かれるのかもしれない。
<内容>
小学五年生の高見森は父親の転勤のため、東京から福岡へ引っ越すこととなった。ただ、森(シン)は福岡に引っ越すにあたって、東京に残してきたいくつかの心残りとなる不思議な思い出があった・・・・・・
引っ越してきて早々、森には友人ができた。体の弱そうなココちゃん、美人だけど男勝りのあや、男ばかり五人の竹本兄弟、そして謎の男・パック。その友人となったはずのパックには何か秘密があるらしく、皆が何かを隠しているようなのだが・・・・・・
<感想>
これはよかったなぁー。ミステリーランドでも一、二を争う良い作品といえよう。子供の引越しによる不安や葛藤、それを地域が変わることにより新たに直面することとなる方言を交えながらも実にうまく描かれている。あたかも少年探偵団のようなものが自動的に結成されながら、気の強いシンが皆の間に解け込んでいく様子が自然に表されている。
そしてこの物語でなんといっても語らないわけにはいかないのがパックという少年の存在。この一風変わった少年が不思議な力を発揮し、それぞれの少年少女の気持ちを結びつけている。普通このような物語の場合、こういう役目は大人が担うことが多いのだが、この作品ではそれを“少年”が行っているというところが大きなポイントであろう。
麻耶雄嵩氏が同じミステリーランドで描いた「神様ゲーム」は、ちょうどこの作品の対極になるのではないかと思う。主人公に対して力を貸すことになる少年が、主人公にどのような想いを伝えるのか、両者を読んで比較していただければと思うところである。
これは安心して、大人から子供に薦めることができる作品である。この作品を手に取り、タイトルとなっている“ぐるぐる猿”と“歌う鳥”とは何なのかを実際に確かめてもらいたい。
<内容>
1.あくまでも「自分自身が」飛行することを旨とする。
2.当然ながら「落下」は「飛行」ではない。
3.航空機やヘリコプターなどの飛行は除外される。
4.究極的には、理想を言えばピーター・パンの飛行がベストである。
という決まりがあるわけのわからない飛行倶楽部というものに入ることとなった中学生の佐田海月とその友人の大森樹絵里。海月は尊大な性格の部長や、癖のある部員達に囲まれながら、なんとか倶楽部活動を維持していこうと奔走することとなる。
<感想>
最初の飛行倶楽部の条件(上記の内容に書いたもの)を読んだ時には、これどんな内容になるんだと思いはしたが、意外と現実的ですっきりとした話にまとめられていた。
さまざまな悩みを抱えた中学生たち、しかも珍名さんたちばかり。そういった人たちが集まった倶楽部で(というか普通の人は入りそうもない倶楽部)、ごく普通で責任感の強い佐田海月が飛行倶楽部の活動を現実のものとしようと奔走する。
最終的には、こういう方向へと落ち着くのかと、わかりやすい流れで物語は進んでいく。ただ、それが進んでいく中で倶楽部の面々の人間関係が解消され、円滑円満になっていくという展開はよくできていると思われた。青春小説らしく、きれいにまとめられていて好感のもてる一冊。何年かぶりに加納氏らしい作品が読めたかなという気がした。
<内容>
山田陽子は結婚し、子供を育てつつも、バリバリと編集者にて仕事をこなすキャリアウーマンである。やがて子供も成長し、小学生となるころには、やっと手がかからなくなると思いきや、彼女を待ち受けていたのはPTA、父母会、自治会役員等々。近所付き合いから、PTAなどの父母会、さらには家族親戚などに振り回されながらも山田陽子がそれらを乗り越えていく痛快奮戦記!
<感想>
ミステリではなかったのが残念であるが、それでも小説として十分に楽しめた。キャリアウーマンが活躍する作品として、子育て奮戦記というものは珍しくないかもしれないが、対PTAなどの数々の身近な付き合いと対決する奮戦記というものは読んだ覚えがない。意外と新機軸の内容といえるかもしれない。
地域にもよってさまざまだと思うが、住む所によっては唐突に自治会役員などという仕事が舞い込んできたりする。さらには、この作品の主人公のように子供がいれば、さらなる“お勤め”から避けられなくなるようである。それが働く者にとってどれだけの負担になるのか、また、だからと言って不必要なと言えばそうでもなかったりなどと、色々なことを思い知らされる内容。
ここに登場する主人公はいやだいやだと言いつつも、しっかりと自分の役割をこなしつつ、改善までも試みているが、案外このような人が後に地元を束ねるような人物になってしまうのではなかろうか。
<内容>
「トオリヌケキンシ」
「平穏で平凡で、幸運な人生」
「空 蝉」
「フー・アー・ユー?」
「座敷童と兎と亀」
「この出口の無い、閉ざされた部屋で」
<感想>
長い人生において、どこかで何らかの形で、つまずいてしまうときがある。そのつまずいたときに、そこからどう脱却するのか? もしくは他の人の助けにより、希望の光が見えてくる、といったような内容の作品が収められている。また、病理学的なものをそれぞれの作品で取り上げているところもこの作品集の特徴のひとつである。
「トオリヌケキンシ」は、幼き日の邂逅から現在へと至る物語。友達となった女の子、小犬との出会い、そして互いへの救いの手。単なる出会いが、相手にとっては救いの手になっていたという事実に胸を打たれる。
「平穏で平凡で、幸運な人生」は、ちょっとした特殊能力を持った女の子の話。あまり役に立たない能力ではあるが、それを認めてくれた高校の先生。そして彼女が大人になった時にとんでもない事件に遭遇し、その能力を発揮させる。
「空 蝉」は、母親から虐待を受けた子供が、成長してから継母に心を許すことができず苦しむ話。そんなとき大学の友人がなぜか彼を積極的に助けてくれることに。これは本書のなかで一番ミステリっぽくて好みの内容。昔の乙一氏の作品を思い起こさせる。
「フー・アー・ユー?」は、人の顔を認知できない高校生男子の物語。このような境遇を聞くと悲壮感漂うが、それをあえて好転させて良い人生を歩もうとする前向きな姿勢に心打たれる。
「座敷童と兎と亀」は、脳梗塞を患って入院している最中、妻を亡くし、退院後ひとりで暮らさなければならなくなった老人の話。と書くと寂しげであるが、物語の中心となるのは、その近所に住む息子二人をかかえた主婦であるので、にぎやかな話となっている。ひとりで暮らす老人が見た座敷童の正体に迫る・・・・・・というか、その後が重要。
「この出口の無い、閉ざされた部屋で」は、とある受験生の夢。前述に作品全てを回想しているかのようでもある。