<内容>
「ホワイトノイズ」
「ブラックライト」
「ブルーブラッド」
「ゴールデンケージ」
「インビジブルドリーム」
<内容>
作品全体が一組の男女の「せりふ」だけで構成された、謎と笑いの短編集。
「宇宙人の証明」 (1992年 9月号 オール讀物)
「四十四年後の証明」 (1994年11月号 オール讀物)
「呪いの証明」 (1995年 4月号 オール讀物)
「狼男の証明」 (1995年 8月号 オール讀物)
「幽霊の証明」 (1995年11月号 オール讀物)
「嘘の証明」 (1996年 4月号 オール讀物)
<内容>
超能力開発途上の陽之助、推理マニアの一角、美人に弱い俊平。3人に超常現象? の解決を依頼する美女たち…・・・。常識は吹きとび論理は舞い、事態は予想もしない方向へ。連作ユーモア・ミステリー。
「風が吹いたらほこりが舞って」 (1993年4月号:小説現代)
「目の見えぬ人ばかりがふえたなら」 (1993年11月号:小説すばる)
「あんま志願が数千人」 (1994年3月号:小説すばる)
「品切れ三味線増産体制」 (1996年2月臨時増刊号:小説すばる)
「哀れな猫の大虐殺」 (1996年6月号小説すばる)
「ふえたネズミは風呂桶かじり」 (1996年9月号小説すばる)
「とどのつまりは桶屋がもうかる」 (1997年1月号小説すばる)
<内容>
片桐稔は姉の家で何者かに頭を殴られ、一ヶ月間意識不明に陥る。目覚めた後、姉があの日に最近出没している連続殺人鬼によって殺されたことを知らされる。そして稔は犯人に殴られたことによって自分が「匂い」を失ったかわりに、とてつもない嗅覚を持ったことに気づく。
退院後、自分が入院していた間にバンドのベースのミッキーが失踪したことを知らされる。稔は自分の鼻を使ってミッキーの匂いを追ってみようと試みる。そしていつしかミッキーの行方を追っているはずの道のりが姉を殺した連続殺人鬼の足取りとかさなることに・・・・・・
<内容>
「1970年」 (EQ:1997年5月号)
「1980年」 (EQ:1998年5月号)
「1990年」 (EQ:1999年5月号)
「2000年」 (GIALLO:2000年春号)
1970年。久須田潤次、塚本譲、橋爪絹江、番場百合子の四人はもうすぐ全員が20歳になるというクリスマスのとき、四人が乗り無免許の百合子が運転する車は一人の男をひき殺してしまう。妙な風貌で妙な格好のその死体は身分を明かすものは身に付けていなかったが二百万円という大金を持っていた。彼らは死体を隠し、事故はなかったことにしようと・・・・・・
その後、1980年、1990年、2000年という十年ごとに顔を合わせる事になる四人。彼らは会うたびにあの事件を思い出し、さらにはその死んだ筈の男の存在が彼らの前に見え隠れする。この顛末やいかに!
<感想>
作風としては西澤保彦氏をほうふつさせるような感じがする。起きた事件に対して、いったいあれはなんだったのかと論議する四人。この作品ではこの四人の討議が中心に話が進められる。結局はモダンホラー風に、あのとき起きた奇妙な出来事でかたづけられるのだろうかと思いきや、ラストにはある種の解決がきちんと(?)用意されている。その解決の仕方まで西澤氏のような、というか殊能氏の「黒い仏」とでもいったらよいのか。たしかに読者を驚愕はさせるのであるが、整合性という観点からはどうだろう、と思ってしまう。新刊の帯びに「綺想のマエストロ、2年ぶりの最新長編」と書かれているのだが、確かに綺想ではあるかもしれないが、反面期待はずれでもあった。
<内容>
盲目の霊能者・能城あや子、そのマネージャー鳴滝、調査員の草壁賢一と藍沢悠美。彼らは四人でチームを組み、“能城あや子”という偽の霊能者をでっちあげ、テレビ番組で人々の悩みを解決していた。やがて、その“能城あや子”という存在が有名になったとき、彼らのインチキを暴きたてようとするものが現われ・・・・・・
「招 霊」(おがたま)
「金 縛」(かなしばり)
「目隠鬼」(めかくしおに)
「隠 蓑」(かくれみの)
「雨 虎」(あめふらし)
「寄生木」(やどりぎ)
「潮 合」(しおあい)
「陽 炎」(かげろう)
<感想>
ふと、こうしてみると“タイトル”と“内容”と“目次”がマッチしていないというか、一貫性がないというか・・・・・・というのはどうでもいいとして、本書はなかなか面白い作品として仕上げられている。以前井上氏が書いた「風が吹いたら桶屋がもうかる」と本書を比べてみると相違点があって、とても面白い。「風が吹いたら」のほうは、本当に超能力を持っているのだが、それが役に立たない超能力であるというもの。本書ではそういった能力をもっていないにもかかわらず、能力者を語っている。しかし、その偽の能力者の力を用いて、実際に事件を解決し、人の役に立ってしまうというものなのである。
このようにあらすじだけ述べてしまうと、いかにも簡単な作品に思えてしまうのだが、その短編の一編、一編がそれぞれ深い味わいを収めて作られている。特に気に入ったのは「金縛」という作品。主人公のひとりが過去に遭遇した事件と現在の事件を結び合わせ、さらに結末にもう一味付け加えるという、なかなか手の込んだ作品となっている。
このように、ひとつひとつの作品がとても良くできており、物語としても優れた内容になっている。よって、読み出したら止まらなく一気に読み終えてしまった。本書は、一応最後の作品「陽炎」でいさぎよいとも思われる区切りを付けてはいるものの、読んでいるものとしてはもっと読み続けたいと思わされるようなものであった。
これを読むと井上氏には、この作品の続編でも、別の作品でもいいから、もっともっと本を書いてもらいたいと思わずにはいられなくなる、そんな作品である。
<内容>
「あなたをはなさない」
「ノックを待ちながら」
「サンセット通りの天使」
「空部屋あります」
「千載一遇」
「私は死なない」
「ジェイとアイとJI」
「あわせ鏡に飛び込んで」
「さよならの転送」
「書かれなかった手紙」
<感想>
井上夢人氏の文庫オリジナル短編集。本書は色々な雑誌上に1990年から1995年にかけて書かれたものを集めた作品集である。
「あなたをはなさない」「ノックを待ちながら」の2編はホラーストーリー仕立てながら、リドルストーリー風味で味付けをした内容の作品。
また、ミステリ仕立ての「サンセット通りの天使」「あわせ鏡に飛び込んで」なども読み応えのある内容に仕上げられている。
他にもホラー系でありながら文学系に挑戦した「私は死なない」やパソコン通信と人工知能をテーマにした「ジェイとアイとJI」なども興味深く読む事ができた。
と、読み応えのある充分な作品集に仕上げられているのだが、しいて不満を挙げれば、どれもこれもがやや古さを感じてしまうということである。
本書に掲載されている作品が発表された年代を考えれば、この短編集は10年前に出版されていてもおかしくないはずである。それが10年以上の時を経て、ようやく1冊の本になったわけなのだが、どうも感覚的にどの短篇も古さというものが感じ取れるのである。もっと前に出ていれば、ミステリファンから意外と熱狂的に取り上げられたかもしれないと思うとちょっと残念な気がする。
<内容>
山梨県にて未知のウィルス感染被害が報告された。近隣の病院や研究所で早い段階で対応したものの、ウィルスの致死率はほぼ100%であり、大勢の感染者が死亡することとなった。ウィルスのワクチンが作られ、感染被害もようやく落ち着いてきたなか、このウィルスに感染して生存した3名の人物にスポットがあてられることとなる。その3名はウィルスの副作用として、不思議な力を持つこととなる。やがてその力をめぐり、大きな混乱がもたらされることとなり・・・・・・
<感想>
久々の井上氏の作品は伝奇系の内容のもの。過去の作品からすると「オルファクトグラム」を発展させたような形のように思えなくもない。
最初はウィルス感染によるバイオハザード的な内容から始まると思いきや、話は一気に進んで行き、感染被害がすぐに収束し、ウィルス感染から生き延びた3人の人物の物語が始まっていくこととなる。その能力が明らかになって行く途中の描写が本書の一番の目玉ではないだろうか。特に主人公のひとりである仲屋の能力である“千里眼”とでもいうべきものの描写に力が入れられている。
物語としては、ちょっと物足りなさを感じてしまった。というのも、一冊の本では書ききれないだろうという内容であるからだ。一冊の本のみで終わらせてしまっている分、話が内側のみで終息してしまい、そこに物足りなさを感じさせられた。
できればシリーズとして、この作品の主人公達の活躍を見たかったのだが、本書の終わり方を見た限りでは続ける気はなさそうである。それがなんとも残念なところ。
<内容>
鈴木誠は、その容姿のせいで世間と隔絶し孤独に生きていくことを強いられていた。そんな彼の世界を広げたのは、ネットであり、そしてビートルズの評論を書くことであった。いつしか、その評論は雑誌に掲載されることとなり、それによりわずかであるが、鈴木誠は社会と繋がることができたのである。その繋がりによって彼はモデルの美縞絵里と出会い、一目ぼれすることとなる。鈴木誠は絵里の姿を執拗に追うこととなり・・・・・・
<感想>
読むのにだいぶ時間がかかってしまった。何しろ、内容の基本的なところはストーカーの独白小説なのである。ストーカー以外のパートもあるにはあるのだが、そのストーカーの行為に関することが延々と述べられているだけであり、とても読書意欲をそそられる内容ではなかった。
ただし、当然のことながらこの小説が単なるストーカー小説で終わることはない。最後まで読むことにより、主人公である鈴木誠という人間の渾身の生き方が描かれた作品であるということを痛いほど感じさせられるのである。
とはいえ、これは人に薦めるには微妙なところである。もう少し全体の長さを短くしてもらえればと思わずにはいられない。しかし、それではせっかくレコードのジャケットに模した全体の構成がまとまりなくなってしまうので・・・・・・うーん、なんとも。
<内容>
「あした絵」
「鬼の声」
「空気剃刀」
「虫あそび」
「魔王の手」
「聖なる子」
<感想>
普通では持ちえない“超能力”といってもよいものを持ったがゆえに悩む6人の少年少女を描いた作品。その6人が、最後の作品で一堂に会し、ひとつの事件に対処する。
明日起きる事件を予知し、絵に描く小学2年生の女の子。犯罪者の声が心の声として聞こえることに悩む中学1年生の男子。ものを切り裂く力を持ったがゆえに悩む小学5年生の少年。虫を寄せ集めてしまう4歳の女の子。過剰に電気を帯電する高校1年生の男子。怪我を癒すことのできる中学二年生の女子。そうした能力を持ったが故、誰にも理解されなかったり、孤独に生きなければならない者達が、彼らを理解しようとするものの手により、徐々に心を開いてゆく。
こうした能力を持てば、とてつもなく有名になり、世間をにぎわし大変なことになるであろう。ただ、この作品のなかでは、彼らの力を過剰に世間に広めることなく、優しく描き上げている。過剰に少年少女を追い込んだりしないところは、この作品に対し好感が持てるところ。ややご都合主義的により、うまく行きすぎている感があるが、その分非常に読みやすい。さらっと読める軽めの伝奇小説というような感じか。