<内容>
「助教授の身代金」 (メフィスト:2004年9月号)
「ABCキラー」 (『「ABC」殺人事件』:講談社文庫)
「推理合戦」 (綾辻行人×有栖川有栖 J-ミステリ倶楽部:2002年10月)
「モロッコ水晶の謎」 (メフィスト:2005年1月号)
<感想>
「スイス時計の謎」に続いての2年ぶりの<国名シリーズ>ゆえに期待していたのだが、ちょっと食い足りなかったと言うのが今回の感想。「ABCキラー」はすでに読んでいたし、「推理合戦」については10ページにも満たない作品なので、実質短編2作品と感じられた。もう一編ぐらい短編が欲しかったところである。
「助教授の身代金」
誘拐ものを描いた作品である。夫が誘拐され、妻がその対応をするもどこかギクシャクした雰囲気が漂っている。そしてその顛末は!? というものなのであるが、全体的な構図はまぁまぁといったところだろうか。それなりに一捻りしてはいるものの、特に奇抜な作品と言うわけではない。
しかし、本書において大きなポイントは火村がどのようにして犯人のめぼしを付けたのかという点。これが最後に明かされたときには、火村らしい底意地の悪さがうかがうことができる、まさに火村シリーズを代表するような作品であると感じられた。この作品が今回のベスト。
「ABCキラー」
この作品は講談社文庫版ですでに読んでいるのだが、あまり面白いと思えなかったので、わざわざここに入れてもらいたくなかった作品である。“ABC殺人事件”をモチーフにしているにも関わらず、実はそれほど関係がなかったというような矛盾を感じる作品。「ABC殺人事件」というよりも「ホッグ連続殺人事件」を連想したくなるよな・・・・・・
「推理合戦」
短編と言うよりはショート・ショート作品という気がする。「推理合戦」と大層なタイトルが付いてはいるが、その内容は微妙である。これも<国名シリーズ>の短編集に入れるよりは、その他のノンジャンル作品を集めたものの中に入れておいてもらいたいところ。
「モロッコ水晶の謎」
推理小説ではもはや有名と思われる、飲み物に毒を混入するトリックが描かれた作品。特定の人物を殺害するのに、誰がどのようなタイミングで毒を入れたのか? しかし、その場においては特定の飲み物に毒を入れるのは不可能なはずであったのだが・・・・・・
という内容なのだが、これまた微妙なトリックが炸裂する。いや、トリックといっても、あくまでも心理トリックの一つとでもいうべきなのだろうか。でも、こんな作品もありなのかなと一応言っておくことにする。
<内容>
作家・有栖川有栖が映画・ミステリー・阪神タイガースについて描いたエッセイ集。
「Alice in Movieland」 (1996年〜2004年)
「Mystery Cafe」 (1999年10月〜2001年04月:「夕刊フジ」)
「Eye of the Tiger」 (2003年04月〜2003年10月:「夕刊フジ」)
<感想>
映画に関するエッセイを読んでみたのだが、映画に興味ないながらも、なんとなく参考になりそうと思えてしまう。将来、趣味がいかように変わるかもわからないので、こういうものは貴重な資料の一つとして保存しておくのが良いであろう。
「Mystery Cafe」はミステリーのエッセイというよりは、ミステリー作家の日常を描いたというものである。まぁ、それはそれで面白く読めるのだが、とにかく“古い”。別に時事ネタを書いているわけではないので年代は関係ないとはいえ、単行本としては古すぎる。まるで文庫オチした作品を読んでいる気分にさせられた。
ただ、年代という面では「Eye of the Tiger」のほうが気になった。「Mystery Cafe」に比べればまだ最近なのだが、こちらは時事ネタであるがためにもろに違和感を感じてしまう。特に、2005年に阪神が優勝しているのだから、2003年の興奮を描かれても何か違うと感じてしまうのである。せめて2004年とは言わずとも、阪神が再度優勝する前に本にしてもらいたかった。といっても、いつ優勝するかなんて誰にも想像つかない事であろうが。
<内容>
火村英夫と有栖川有栖の二人は骨休めのため離島にある民宿へ泊まりに行くはずが、ちょっとした手違いにより、全く別の島へと渡ってしまった。その島も無人島に近いはずなのであったが、文豪・海老原瞬が住んでおり、なぜかその日に限って大勢の客が詰め掛けていた。客の数からして、この島で何かあるのかと思い、聞いてみるのだが詳しい話しはだれもしれくれない。そのような状況の中、さらに島へ招かれざる乱入者が加わり、そして殺人事件が起こることに・・・・・
<感想>
“孤島ミステリー”ということであったはずなのだが、読んだ印象からすれば“孤島にやってきたホリえもん”という感じであった。もちろんホリえもん、その人が出てくるわけではなく、あくまでもそれに似た人が出てくるということなのであるが。
今回、この作品を読んで思ったのは、もはや隔絶された“孤島”というものは存在しなくなっているのだろうか? ということ。携帯電話、さらには衛星を介した携帯電話、インターネットによるさまざまなサービス、そしてヘリコプターなどなど。本書にはこれらのものが出てきており、わたしが想像するようなレトロなイメージの“孤島”からはかけ離れたものとなっていた。しかし、現実としてはこういうものなのであろうとも痛感させられる。
そして本書で起こる事件はといえば、結論から言ってしまうと“イレギュラーな犯罪”という見方が強い。本書のいくつかのポイントとしては、この孤島に多くの人が集まっているのだが、その目的は何か? ということ。そして起こった殺人事件に対しての、誰が? 何故? どのように? という点。こういった謎を中心に話が展開されてゆく。
しかし、前述したように本書ではあくまでも“イレギュラーな犯罪”というものにとどまってしまっているのである。どういうことかといえば、孤島に人々が集まるという謎の背景があるにも関わらず、それとは関連性のない形で事件が起きてしまっているのである。ゆえに、“孤島”でという必然性が欠けていると感じられた。ただ、その事件に付随するもので“孤島”というものを利用しての出来事が含まれてはいるので、まったく“孤島”が生かされていないとはいえないのだが、“生かしきれていない”ということは事実であると思う。
また、本書のメインともいえるはずの、人々が孤島に集まった理由というものも、それほど魅力的な謎のようには思えなく、そこまでもったいぶる必要があったのかどうかが疑問に思えるところである。ということで、がちがちの“孤島ミステリー”を期待するには不満の残る作品といったところであった。
<内容>
英都大学・推理小説研究会のメンバー、アリス、マリア、織田、望月は部長の江神と連絡がとれないことに不審をいだき、江神が向かったと思われる宗教団体<人類協会>がある神倉へと向かう事にした。人類協会はカルト的な要素のない団体で、村の住人の多くが信者になっており、うまく運営がなされている宗教団体であった。しかし、その人類協会を訪ねてみたところ、江神はここにいるが現在自ら瞑想を行っており、しばらくの間会うことはできないと言うのだ。アリスたちはその協会の言動に不審なものを感じ取り、江神本人に直接会おうと教団側と執拗に交渉をする。やがて、アリスらは江神と会うことができたものの、協会内で起きた殺人事件に巻き込まれてゆくことに。そしてこの殺人事件は十一年前に起きた、不可解な密室殺人事件に関わってゆき・・・・・・
<感想>
15年ぶりの英都大学推理小説研究会シリーズということで、抑えられないほど期待が高まる一方、本当に期待に応えてくれるのかなぁ、という両極端の感情がせめぎ合う中での読書となった。その結果であるが・・・・・・いや、これはなかなか楽しませてくれる本格ミステリ作品として出来上がっているのではないかと感心させられた。
ただし、非常に残念に思えることが一点。それはここまで大長編にする必要は全くなかったのではないかということである。
本書は読者への挑戦までもが付けられているという実に本格推理小説らしい形態の作品。ただ、この読者への挑戦が全500ページ(上下二段組)中の440ページくらいのところに設けられている。その解決は簡潔かつ明快にできており、読者を十分納得させるものにはなってはいるものの、この解決に対して事件をここまでひっぱる必要があったのかどうかが一番疑問に思えるところ。
読んでいるときに不満に思えたのが、宗教団体の本拠地内部で起きる事件のためか、不特定の人々が縦横している状況であるため、これでは犯人の特定が臨めないのではないかと思われた。また、事件は確かに不可解な部分はあるものの、不可能犯罪というわけでもなく、あまり本格推理小説的な感触を受けるものではなかった。そういう事件を扱っているためか、物語りの進行も遅く感じられ、かなりじらされる気分にさせられたのは確かである。
とはいえ、実際に解決がなされたらそういった感情の多くは吹き飛んでしまった。協会内に存在するはずのない凶器がどのような経路によって入ってきたかを考えてゆく事によって、犯人が自動的に特定されてしまうという推理は見事なものであった。犯人が特定されるような事件ではないように思われたものが、いとも簡単に犯人の特定へといたる解明の方法には感心させられるばかりであった。
まぁ、細かいことをいえばきりがないのだが、このシリーズのファンの人たちもおおむね納得させるような内容に仕上がっていたのではないかと思われる。ただ、繰り返しになるが、残念に思えるのは、これが400ページか350ページくらいの内容に濃縮されていれば、諸手を挙げて賛同できただろうということ。
<内容>
「ガラスの檻の殺人」
「壁抜け男の謎」
「下り『あさかぜ』」
「キンダイチ先生の推理」
「彼方に?」
「ミタテサツジン」
「天国と地獄」
「ざっくらばん」
「屈辱のかたち」
「猛虎館の惨劇」
「Cの妄想」
「迷宮書房」
「怪物画趣味」
「ジージーとの日々」
「震度四の秘密」
「恋人」
<感想>
この作品を読むと、有栖川氏が第一線で活躍し続けているミステリ作家であるということが、しっかりと伝わってくる。
本書は有栖川氏のノン・シリーズのものを集めたものなので、必ずしもミステリ作品ばかりが集められているというわけではないのだが、その中のいくつかはミステリ短編として佳作というべきものがしっかりと含まれている。
個人的に良い作品と思えたのは、迷宮からの消失を描いた「壁抜け男の謎」、作曲家の奇妙な言動から、その行動を推理する「キンダイチ先生の推理」、コアすぎるタイガースファンの死の謎を解く「猛虎館の惨劇」の三作。「猛虎館」は、あまりにもバカミス的なのだが、それぞれがきっちりと楽しめる作品となっている。
あと、予断ではあるが犯人当て企画として再読となった「ガラスの檻の殺人」であるが、再度読んでみてもどうにも納得がいかなかったりする。
他の作品も、良いものもあれば、くだらないものもあり、SFめいたものもあれば、幻想的なものもありと、有栖川作品らしさが詰まったものとなっているので、楽しく読める作品集であることは間違いない。とはいえ、有栖川氏のファン向きの作品集でしかないような気がしないでもない。
<内容>
自動車が海に転落するという事故が起きた。一見、自殺かと思えたのだが、死体の状況から警察は他殺と判断する。容疑者は死亡した男の妻、そしてその妻の友人で被害者に金を貸していた女、さらにはその女に囲われている青年。しかし、現場の状況などから三人の容疑者では誰も犯行を行えないように思われた。事件は迷宮入りかと思われたとき、火村は「猿の手」という短編小説から事件の謎を解くヒントを見つけ・・・・・・
<感想>
中編2編を、つなぎ一作の長編とした作品。詳細については作者より、前書きで説明がなされている。ただ、読んでみた感想としては、別々の作品ということで良かったように感じられた。
というのも、最初の作品「猿の左手」のほうがより良い内容に仕上げられていると感じられるからである。内容は普通の作品といってもよいかもしれないが、登場人物がまとう強烈な個性と、有名作品「猿の手」を用いることによる謎の解き方などと、注目すべきところの多いミステリ作品に仕上げられている。
これは有栖川氏が描いた作品の中でも上位に位置する作品といってよいのではないだろうか。
ただ、それに比べるともう一編の「残酷な揺り籠」のほうは、やや平凡。「猿の左手」と現場は違えど、とあるキャラクターが再登場するゆえに、中編をつなげるという形態をとったようであるが、基本的には別々の作品という風にしかとれない。
この作品では面白いロジックを使用しているものの、そのロジックの中で少々理解しづらいところがあることと、警察の捜査により簡単に犯人がわかりそうに思えるところなど、やや欠点が目立つという印象が強かった。とはいえ、ミステリ中編作品としては、充分に佳作といえる内容ではあると思われる。
本書は無理に長編ととらえる必要はなく、基本的に火村英生ものの中編が2作掲載されているという位置づけで充分なのではないだろうか。それだけでも十分に読むに値する作品集であるといえよう。
<内容>
「長い影」
「鸚鵡返し」
「あるいは四風荘殺人事件」
「殺意と善意の顛末」
「偽りのペア」
「火村英生に捧げる犯罪」
「殺風景な部屋」
「雷雨の庭で」
<感想>
有栖川氏らしい、そして火村英生が登場するにふさわしいミステリ短編集といえるであろう。ちなみに“らしい”とか“ふさわしい”というのは、良い意味悪い意味含めてのこと。
ようするに、どれもこれも地道なミステリが繰り広げられる作品集ということ。今作の中では「長い影」という作品が一番物語りとして内容が濃く、良い作品であったと感じられた。“長い影”という言葉が単純に影そのものを指すだけではなく、深い意味をただよわせている。
「あるいは四風荘殺人事件」と「火村英生に捧げる犯罪」に関してはちょっと捻り過ぎと感じられる。とはいえ、捻らなければまともなミステリとして成立しなくなるともいえるのだが。前者は捻らなければ単なるバカミス的なトリックであり、後者は捻ったことによりバカミス的になったと言えよう。
「雷雨の庭で」は真相が明かさたときは、なるほどと感嘆してしまうのだが、よくよく考えると科学的な捜査によって簡単に実証されてしまうような気がしてならない。
「鸚鵡返し」「殺意と善意の顛末」「偽りのペア」「殺風景な部屋」の四編はミステリ系ショートショート。
<内容>
第二次世界大戦後、北海道はソ連の支配下におかれ、後に日本から独立し別の国となったパラレルワールド日本。北(北海道を指す)との紛争により日本では徴兵制を行わざるをえなくなっていた。そんななか警察は100%の検挙率を掲げ、捜査活動において邪魔とされる“探偵”という職業・行為は一切廃止されることとなった。
このような社会のなかで、とある地方都市で殺人事件が起こる。この社会では成人男性は徴兵制により必ず指紋をとられることにより身元不明ということはありえない。しかし、死体となって発見された人物の指紋は登録されていなかったのである。ということは、この人物は北からのスパイであったのか? 事件の謎を解く鍵はいったい!?
<感想>
さらっと読める作品かと思っていたのだが、思いもよらず難物であった。序盤はここで描かれる世界がパラレルワールドの日本であるという設定について細かく語られ、なかなか事件が起きてくれなかった。また、そのパラレルワールドの設定も非常に硬いものであり、“ミステリーYA!”というレーベルに合っているのかどうかというのも疑問。その内容からは決して少年少女向けとは言い難く、高校生以上からの読書をお薦めしたい。
言いたいこと、やりたいことは理解できるのだが、それゆえに設定ばかりが先行してしまい、いまいち探偵小説としては楽しみづらい内容。犯人の正体についてとか、こういったものについては、創り上げた世界観にのっとったものという気がしたが、犯行のトリックに関しては唐突に大がかりな気がして、いまいち腑に落ちなかった。
きちんとは描けているのだが、うまく描けていると言ってよいのかどうかは微妙。この作られた社会に惹き込まれるどころか反感ばかり感じてしまったところが物語ののめり込めなかった一つの理由。また、探偵が存在してはいけない世界での探偵活動という窮屈な内容であるところもまた微妙な要因となっていた。
という感じで、社会派ミステリ、反社会的ミステリ、パラレルワールド社会派ミステリ、アンチミステリ等々、なんといってよいかわからないのだが、ある意味新境地とも捉えられる作品であることは確か。好むか、好まないかは実際に読んでみて、自ら判断してもらいたい。
<内容>
「長い廊下がある家」
「雪と金婚式」
「天空の眼」
「ロジカル・デスゲーム」
<感想>
「長い廊下がある家」は有栖川氏の久々のヒット作ではないかという予感を感じつつ読んでいた。地下にある二つの家を結ぶ長い廊下の真ん中にカンヌキのある扉。その真ん中の地点で死体が発見されるという状況。このパズラーとも言えるミステリがどのように解かれてゆくのか期待したのだが・・・・・・一番簡単な方へ行ってしまったかと。自分でも真相をいくつか予想したものの、これはないだろうなと思ったものが解答となっていた。途中までは「スイス時計の謎」を予感させるような良作を期待してしまったため残念な思いが強くなってしまった。
「雪と金婚式」はちょっといい話的なミステリ。一応、雪上の足跡ミステリ。
「天空の眼」は火村の手を借りずに有栖川が真相を解くというもの。ミステリ作家らしいトリックというべきか、よくこのトリックを活用して作品に仕上げたというべきか。
「ロジカル・デスゲーム」は火村が登場するにしては、少々らしくない内容の作品。サイコサスペンスのような感じにも思える。3つのグラスのひとつに毒が入っているという状況で、火村はそのうちひとつを飲み干さなければならないというもの。
あとがきで著者自らこの作品の内容について語っているものの、何か納得がいかなかった。確率論としては証明されはいるようだが、それがミステリとして生かされているのかどうかのほうが問題だと思うのだが。
<内容>
「オノコロ島ラプソディ」
「ミステリ夢十夜」
「高原のフーダニット」
<感想>
帯には“中編集”と書かれており、3つのミステリ中編が掲載された作品集なのかと思いきや・・・・・・。
個人的に納得がいかなかったのが真ん中にはさまれている「ミステリ夢十夜」。これは作中の登場人物である有栖川氏が見た夢をテーマに10の短編が並べられた幻想小説という感じのもの。別にその内容がどうのこうのというわけではなく、この作品は普通の短編集に入れるべき内容ではなかろうか。せっかく“3つの中編”という形式で表されているにも関わらず、この構成では全体的な内容が薄いと感じざるを得ない。
「オノコロ島ラプソディ」は、金銭がらみの殺人事件を描いたもの。容疑者と目されるものにはアリバイがある。序盤に叙述トリック云々という話が書かれているので、それが作品に生かされているのかと思いきや、それほどでもない。
「高原のフーダニット」は双子の兄が弟を殺害し、自首すると火村に電話をかけてきたにも関わらず、次の日に双子の両方が死体として発見されるという事件。タイトル通り“フーダニット”にこだわった作品。
中編とはいえ、従来の有栖川氏の作品とさほど変わり映えはしないなと。悪いというほどでもないし、良いというほどでもない。どちらの作品も工夫は凝らしているものの、真相が明らかにされても強い印象を残すものではなかった。とはいえ、常に同じくらいのクォリティで作品を書き続けているということで、そこは賞賛すべきなのかもしれない。
<内容>
「瑠璃荘事件」
「ハードロック・ラバーズ・オンリー」
「やけた線路の上の死体」
「桜川のオフィーリア」
「四分間では短すぎる」
「開かずの間の怪」
「二十世紀的誘拐」
「除夜を歩く」
「蕩尽に関する一考察」
<感想>
なんとデビューから24年目にして、ようやく英都大学推理小説研究会が描かれた、初の短編集が刊行。私自身、有栖川氏のデビュー作をリアルタイムで読んだわけではないのだが、それにしてもずいぶん長くかかったなと。気持ち的には、デビュー後、3〜5年以内くらいに書かれるべき作品集であったのではないかと思われる。
ここに掲載されている短編集はうまく時系列順に並べられているのだが、それがわずか1年の出来事となっている。これまでの24年間分がうまく1年間に凝縮されているなと感心しつつ、なおかつ感慨深くなるような内容でもある。
最初の「瑠璃荘事件」は、いかにも殺人事件が起きそうなタイトルであるが、実際には大学の講義ノートの紛失事件を描いたもの。しかし、学生生活を表す事件としては、うまく描かれているのではなかろうか。
ここに収められている作品は「瑠璃荘」のように、“大きすぎない事件”を扱い、学生が解決するのに違和感がない、というところも特徴であろう。「やけた線路の上の死体」のみは事件性が少々強いが、地方で起きた事件のためか、学生が捜査に乗り出すというのも、さほど大げさではない。
といった具合に、学生生活を描く上での事件というものがうまく表された短編集という感じ。ただし、この作品集がミステリとしてどうかと言われると、さほどの内容ではないという感じであった。作家・有栖川氏のファンのための作品集、もしくは英都大学推理小説研究会(江神シリーズというのが一般的か?)ファンのための作品集といったところ。
本書のなかで唯一書き下ろしである「除夜を歩く」にて、全体がうまく一つにまとめられ1年の集約として描かれている。
<内容>
「アポロンのナイフ」
「雛人形を笑え」
「探偵、青の時代」
「菩提樹荘の殺人」
<感想>
「アポロンのナイフ」は連続通り魔殺人を扱った内容。この作品を読む少し前に、実社会で女子高生が元の恋人により殺害されるという事件があり、それを連想してしまった。連続通り魔事件とは別の地域で発見された二人の高校生の男女の死体(一緒に発見されたわけではなく、時間も場所も別々)。現場の状況と、目撃証言などから火村が事件の真相を突き止める。その真相が、意外性をついており、なかなかと思わせる作品に仕上げられている。この作品中では一番の出来と感じられた。
「雛人形を笑え」は、新進の男女漫才コンビの女性のほうが殺害されたという事件。本書の中でワーストというか、これは、よく編集者もボツにしなかったなとむしろ感心させられてしまう。真相に到達したときは、いや、そのまんまじゃないか! と突っ込みをいれずにはいられない。
「探偵、青の時代」は、火村が学生時代にその才能の片鱗を見せたエピソードを描いている。これはむしろ火村シリーズではなく、江神二郎のほうでやってもよかったのではないかと思わせるようなもの。勉強会に集まった学生たちのなかで、最後に登場する火村。すると火村が突然彼らに感じる違和感を指摘する。
「菩提樹荘の殺人」は、アンチエイジングの著書で有名な男性タレントが自分の別荘のそばで、上半身裸となった死体で発見されるという事件。痴情のもつれと思われる事件を、火村が関係者の事情聴取をした後に真相を指摘する。これはいつもながらの普通の出来の作品という感じ。クイーンの「スペイン岬」を思い起こさせるが、それほどのものではない。とはいえ、最後はなんとなく理論的に犯人を指摘していたような気もする。
<内容>
「古物の魔」
「燈火堂の奇禍」
「ショーウィンドウを砕く」
「潮騒理髪店」
「怪しい店」
<感想>
最近、有栖川氏の新作を単行本で買っておらず、文庫化を待ってからということにしているのだが、この作品が文庫化されたのを見逃していて、あわてて購入した次第。実は火村シリーズにはいつもあまり期待せずに読んでいるのだが、この作品集は意外とよく出来ていたと感心させられることとなった。
特に最初の「古物の魔」であるが、骨董品を巡る単なる殺人事件と思いきや、意外な凶器の出所から論理的に事件の謎が解き明かされてゆく結末に驚かされた。このレベルの作品が他でも見れればと思ったのだが、本書のなかではこれが一番の出来であったようである。
「燈火堂の奇禍」と「潮騒理髪店」は、ちょっとしたエピソードトークのような感じの作品。ページ数も短め。
「ショーウィンドウを砕く」は倒叙もの。完全犯罪を目論んだものであり、読んでいる側も、どこから真相が明るみに出るのかと期待しながら読むものの、捜査が始まってみると、完全犯罪どころか穴だらけの犯罪であったよう。ただし、その割には姑息ともいえるトリックで犯人を罠にかけている。そういったトリックを仕掛けるところあたりはコロンボ警部シリーズを思い起こさせる。
「怪しい店」は、“ききや”という人の悩みを聞くだけという店を開いていた女が殺害された事件。いったいこの店はどのようなものなのかと調べていきながら、そこに関わっていた者たちに対し取り調べを進めてゆく。なんとなく従来の火村シリーズらしい作品という(勝手なイメージかもしれないが)感じの作品。色々な部分で凝り過ぎていて、それによって話がややこしくなり、真相を指摘されても腑に落ちた感が少ないという内容のように思えた。
「古物の魔」 古物商を営む男の死を巡って、火村がその凶器から論理的に犯行を暴く。
「燈火堂の奇禍」 頑固な古本屋が万引き犯に遭遇する事件。
「ショーウィンドウを砕く」 経営に困ったプロダクション社長は愛人を殺害しようと企てるのだが・・・・・・
「潮騒理髪店」 火村が旅先で立ち寄った理髪店で遭遇することとなったちょっとしたミステリ。
「怪しい店」 人の悩みを聞くだけという怪しげな店を営んでいた女が殺害され・・・・・・
<内容>
作家・有栖川有栖はベテラン作家の景浦浪子からホテルで起きた事件について、探偵として活躍する火村英生に調べてもらうことはできないかと頼まれる。その事件について興味を持った有栖川は、大学の仕事で忙しい火村に代わって、事件の背景を調べ始める。それはホテルに長期滞在していた69歳の男・梨田稔が縊死した事件。警察は自殺だと断定したが、周囲の者たちは梨田が自殺するとは考えられないという。その梨田は自分の過去のことは一切語らず、昔何をしていたか、何のためにホテルに長期滞在しているのかはわからなかった。そうしたなか、日々ボランティア活動にいそしむという生活。有栖川は関係者から話を聴き、徐々に梨田稔の過去に迫ることとなり・・・・・・
<感想>
長かった。読むのに時間がかかった。火村シリーズとしては、最長の作品というだけあって(有栖川氏の長編のなかでも最長かもしれない)、本当に長かった。
読んだ感想はといえば、他の作家が書けばもっと面白い話になったのではないかと。とにかく退屈というか、基本的に特定の人物の過去を調べるだけの内容なので、エンターテイメント小説としても薄い。ミステリとしてはラストになって、ようやく山場がくるのだが、そこまでの積み重ねというよりも、その場だけの解決というように思えた。
ラストの解決では本格推理小説らしい展開とはなっているものの、あまり感銘を受けず、思わず“これって誰だっけ”とか“そんな場面あったっけ”と前のページをめくり始める始末。さらには、その核心にせまるエピソード自体が後付というのもどうなのかと。久々に有栖川氏の作品を単行本で購入して読んでみたのだが、火村シリーズは文庫落ちでも十分であったなと再認識させられた次第。
<内容>
ナイトクラブ“ニルヴァーナ”のオーナー、間原郷太を中心に7人のメンバーが集う“インド倶楽部”。そこで今回はインド人によるリーディングが披露されることとなった。インドに伝わるアガスティアの葉に人々の人生が書かれており、それを読み上げるというもの。そして、そのリーディングは特に何の混乱もなく終わるのであったが、その後、そのときリーディングに集まったメンバーのうち、二人が殺害されることとなり・・・・・・。インド倶楽部を発端としたと思われる事件に火村英生が挑む。
<感想>
うーん、そういう結末を持ってきてしまうのか・・・・・・という、やや納得しがたい幕引きであったような。
序盤から中盤へかけての導入部分は、物凄く興味を惹かれた。“インド倶楽部”における怪しげな占い。身元不明の死体発見から、徐々にインド倶楽部と事件がつながってくるという流れ。この辺は完璧と言ってもよいくらいの展開。
ただ、中盤以降は、単に事件関係者からの事情聴取のみとなり、事件に対して五里霧中の手探り状態で、やや興味がそがれていくような流れ。事件関係者の過去に、怪しげな部分が指摘されるものの、そこからどのように動機につながっていくかがわからず、悶々としたまま話が続いてゆく。
そして最終的に、驚くべき真相というか、驚くべき動機が語られることとなる。ただ、その動機に関してなのだが、どちらかというとそれが真相というよりは、通常であれば真相前のダミーの動機として語られるようなものと感じてしまったのがどうだろうか? これをそのまま“真相”として終わらせてしまうのはちょっと・・・・・・という感じがしてならなかった。まぁ、ひょっとすると今の時代であるならば、こういった動機があってもいいんじゃないという、そんな感じに捉えるべきなのであろうか。