<内容>
ジャック・アイズリーは空港で出会った女から、「あなたのドリンクに毒をもったわ」と告げられる。タイムリミット以内に解毒しなければ死んでしまうのだと。最初は信じなかったものの、やがてそれを事実だと思わざるを得ない出来事に遭遇する。そうして、謎の女ケリー・ホワイトと行動をともにすることとなるのだが、そのケリー自身もとてつもない爆弾を抱えていることを知る。さらには、彼らを必要に追いかけてくるエージェントの魔の手が彼らに迫りつつあり・・・・・・
<感想>
ノン・ストップ、アクション・サスペンス小説。まさに、一度本を開くと、途中でやめられなくなってしまう面白さ。
なんといっても、荒唐無稽な設定がものすごい。十時間以内に解毒しなければ死亡するという毒をもられた男。そして毒を持った女は、さらなる厄介ごとを抱えているという始末。しかも、その女を凄腕の(という設定っぽいが、読んでいる分にはマヌケっぽい)始末屋が追ってくるという内容。
個人的には、もっと到達点を決めて、そこに向かっていくという内容のほうが好みなのだが、本書では行き当たりばったりで、どんどん話を進めていくという展開。ただ、その行き当たりばったりっぷりが、無駄に派手で、あちらこちらで予期せぬような騒動を巻き起こしているので、そこに楽しみを見出すこともできる。
ある種、サスペンス・コメディと言えなくもないのだが、設定がブラックなだけに、手放しで笑えるというわけでもない。しかし、なんとなくブラック・サスペンス・コメディと言いたくなる様な無謀さと無意味さとスピード感を兼ねそろえた作品。
<内容>
土曜日であるにもかかわらず、社長であるマーフィーはビルの36階オフィス会議室に社員7人を集めた。そしてマーフィーは社員に告げる。「ここは全面的に封鎖された」そうしてマーフィーは集まった彼らをひとりひとり殺害しようとする。それに抵抗する社員達。その集められた者たちにも、それぞれ思惑があり・・・・・・
<感想>
封鎖されたビルのワンフロアを使ってサバイバルゲームが繰り広げられるという内容。それだけを聞くと、日本でも似たような内容のものを思い浮かべることができる。しかし、海外の作家が書き、欧米人らが登場するということもあり、日本で書かれるサスペンス小説とは異なるものとなっている。
では、どのような点が異なるかと言えば、
・集団で集まって、現状を確認したり推理したりということはしない。
・それぞれが悩みはするが、とりあえず即行動する。
・軍隊経験を持つものが意外と多い。
・致命傷を受けても頑丈なので簡単には死なない。
こんな感じで話が進んでいくことになる。
それぞれの行動に整合性とか伏線とか、そういったものはほとんどないので、綿密なミステリを期待する人にとっては肩透かしになってしまうかもしれない。基本的にはアクション・サスペンスを楽しむというような内容。個人的には前作の「メアリー-ケイト」ほどではないかなといったところ。
<内容>
警官のケイトは休暇中に船の転覆事故に巻き込まれてしまう。なんとか命からがら生き残ったケイト。なるべくその出来事を頭から追いやろうと、すぐに仕事に復帰することに。職場で彼女を待っていたのは、女性が残忍な手口で殺害されるという事件であった。ケイトはなんとかその事件を解決しようと奔走する。しかし、同一犯人の手による殺人が再び起きてしまうことに・・・・・・・その犯人は犯行現場に蛇を置いていくことから“黒まむし”と呼ばれる。
船の転覆事故によるPSDT、船の転覆事故を捜査するケイトの父親との確執、そして検討のつかない犯人の動機。ケイトは以前の上司であり、現在服役中のレッド・メカトーフの力をかりて犯人を捕らえようとするのだが・・・・・・
<感想>
2001年来の積読本をようやく・・・・・・。この作品の前に「メサイア」という作品があり、そちらを読んだ後、すぐにこの「ストーム」も買ったのだが、それから長らく放置してしまっていた。このスターリングという作家、日本ではこの2作しかまだ訳されていないのだけれど、その後はどうなったのか・・・・・・
本書を読んでの感想はというと、“平凡”の一言につきる。別に読んでいて退屈な作品というわけではない。息詰まる船の転覆劇、陰惨な手口で殺人を繰り返すサイコキラー、犯罪の手口から犯人を推測するプロファイルと、見所は数多くある。しかし、こういった小説が乱立するなかで、この作品ならではの特徴というものが見出せないのが“平凡”といいたくなってしまう理由であると思う。
今作では前作「メサイア」の主人公であったメカトーフがレクター博士のように描かれていて、ゲストとして登場することになるのだが、このメカトーフの存在を思い切ってもっと超人的にしてしまったほうが、いっそうのこと良かったのではないのだろうか。また、今回の結末が結局前作と同じような締め方になってしまっているのも気になったところ。
本国ではまだまだ作品が出ているのかもしれないが、少なくとも日本では流行に乗り切れなかった作家となってしまったというところか。
<内容>
作家として成功者のキャリアを送っているノーマン・ホールの元に執筆依頼が来た。それは、大富豪のウィリアム・ライカーがタイタニック号の引き上げを行うので、それに関してノン・フィクションの原稿を書いてもらいたいというもの。ノーマン・ホールには、過去にタイタニックにまつわる苦い思い出があった。それは、若かりし日に彼が警官であったとき、タイタニック号の生き残りだという女の惨殺体を発見し、現場から逃げ出してしまったのである。このタイタニック引上げの件に運命的なものを感じたノーマン・ホールは大富豪ウィリアム・ライカーと、タイタニックの生存者である彼の娘であるエヴァ・ライカーについて、深く調べてゆくのであるが・・・・・・
<感想>
2、3年前にランキングなどで作品名があがり、その当時購入したものの積読になっていた。実はこの作品、創元推理文庫で出たのは2008年なのだが、それ以前の1979年にに文藝春秋から出版されていたとのこと。新刊ではなくて、復刊であったのか! 確かに復刊されるだけあって、読みやすく、楽しめるエンターテイメント作品として完成されている。
元警官である作家がタイタニック号引上げにともない、大富豪から執筆を依頼され、彼ら家族について調べていくという内容。中心となるのはタイトルの通り、大富豪の娘であるエヴァ・ライカー。彼女はタイタニック号の生き残りであるのだが、当時は幼かったために、そこで起きたことを覚えておらず、しかも心を閉ざしている。当時、何が起きたのかを掘り下げていくというのがこの作品の趣旨でもある。
ただ、そのように聞くと精神的なカウンセリングのような内容に思えるかもしれないが、実際にはアクションあり、暗号ありと、エンターテイメント的なものが色々と用意され、読者を飽きさせることは決してない。作家であるノーマンがまさに体を張って、過去の謎に挑むこととなる。
そうして話が進んで行くと、実はこの物語は、二人の男女がタイタニック沈没当時から、どのように時代を駆け抜けてきたのかが描かれた作品だということが明らかになってゆく。この二人の過去が厳密に言えば、タイタニック沈没には、あまり関係ないように思えるのがやや不満な点であるのだが、そんなことを差っ引いても十分に楽しめる内容であった。さらには、最後の最後まで予断を許さぬ内容となっているので、最終頁まで一気読みは必至である。
<内容>
アメリカからメキシコへ観光にやってきた二組のカップル、ジェフ、エイミー、エリック、ステイシー。彼らはそこでドイツ人のマティアスと知り合う。マティアスが言うには、彼の弟が知り合ったばかりの考古学者の女と奥地へ出かけたきり帰ってこないという。そこで彼ら5人は仲良くなったギリシア人のパブロを連れて、ちょっとした冒険のつもりで奥地へと出かけていった。しかし彼らがマヤ人の集落へと入ったときに、事態は予想だにしなかった恐るべき方向へと進む事に・・・・・・
<感想>
「シンプル・プラン」で過剰に有名になりすぎた作家、スコット・スミスの第2作品。第1作から10年もの歳月がすぎ、2作目を書くまでよほど苦労したのだろうと強く感じられる。しかし、10年もの間をおきながらも、ひとつの作品を仕上げたということは評価してよいことであろう。
本書は“快作”とはいえないまでも、充分“怪作”というに値する作品である。序盤は気だるい雰囲気が先行し、あまり面白そうな内容とも思えなかったのだが、中盤に入り、主人公達一行が理不尽で奇怪な状況におかれることになってからは、物語に対する印象は一変することとなる。
この作品も特殊な状況下にあるとはいえ、うまく“モダン・ホラー”というものを体現したかのような作品に仕上げられている。理不尽な状況下におかれた普通の人々が、危機的状況の中でどのような行動をとることになるかが、まざまざと描かれている。主人公達が絶望の中から、ちょっとした希望を見つけ出そうとするものの、さらなる大きな理不尽な力が襲い掛かり、木っ端微塵に破壊してゆく様には、ただただ声を失うばかりである。
例によって、この作品も映画化が考えられているようであるが、どこまで作品に忠実に再現できるか見ものである。でも実際に、この作品を読んでしまうと映像化したものをあまり見たくないような・・・・・・
<内容>
スターリン体制下のソ連、レオ・デミドフは国家保安省の捜査官としてスパイ容疑者を捕らえるという職務を日々こなしていた。しかし、その捕らえた者の多くが無実の罪であり、その仕事に疑問を抱きながらも己自身が投獄されないよう、鬱々と業務にまい進していた。そんなとき、部下の子供が何者かに殺害されたという事件が起きる。しかし、この国では不要に殺人事件などというものは認めず、やがて事故として処理されてしまうことに。
レオはやがて、副官の計略により、その地位が脅かされるはめに陥ってしまう。しかし、それをきっかけとして、とある殺人事件に遭遇する。それは部下の子供が殺害された事件と全く同じ状況で別の子供が殺されていたのである。レオがさらに調べていくと、大量連続殺人事件の存在が浮き彫りになることに・・・・・・
<感想>
本書は旧ソ連にて実際に起きた事件をモチーフとして創り上げられた作品である。実際に起きた事件では50人以上もの少年少女が犠牲になったのだが、その事件が何故起きたのか、そして何故これほどの子供達が犠牲になるまで犯人が捕まらなかったのかを著者なりに解釈し、書き上げたものがこの作品といってよいのであろう。
この作品では社会的システムの破綻した世の中の恐ろしさをまざまざと描き挙げている。あらすじだけ追えば、犠牲になっているのは子供達だけなのだが、実際にはここで描かれている社会の中でいかに多くの人々が犠牲になっているのかということが強く感じとれるのである。また、この作品はフィクションとして描かれているものの、作品のなかで起きている事のほとんどはノン・フィクションであったのだろうと容易に推測される内容になっている。
本書をミステリ作品と捉えると、唯一結末の収束の仕方だけは個人的にあまり好みではなかった。しかし、それを差し引いてもこの作品が与えるインパクトはとてつもないものがある。また、難しい内容のように感じられる人も多いかもしれないが、かなり読みやすい作品として仕上げられているので、そこは安心して手にとってもらいたい。
これこそ2008年、一番の目玉といえる作品であろう。著者のトム・ロブ・スミスにとって、これが最初の作品。これで今後注目しなければならない作家がまた一人増えたことになる。次の作品を既に書き上げているとのことなので、来年くらいにまた、発表されるという可能性もあるだろう。楽しみに待ち望むこととしよう。
<内容>
スターリン体制が崩壊したものの、人々が自由を勝ち取るにはまだ程遠く、反乱から粛清へと民衆はさらなる翻弄へと巻き込まれてゆくことに。
連続殺人事件の解決を経てレオ・デミドフは新設された殺人課での職を勝ち得ていた。しかし、彼の家庭では問題を抱えており、養女にしたゾーヤが彼ら夫婦に決してうちとけようとしなかった。そんな中、ソ連の国を揺るがすような事件が起きた。スターリン体制下で行われていた事が民衆に明らかにされることに。さらにレオのもとには、かつて捜査官時代に彼が罠をはめることによって逮捕したものが復讐のために現れたのである。そして復讐者の手によってゾーヤがさらわれ、レオはとてつもない計画を実行せざるを得ないこととなり・・・・・・
<感想>
去年話題をさらった衝撃作「チャイルド44」の続編が早くも登場。トム・ロブ・スミスは今回もまたとてつもない物語を送り届けてくれた。
前作同様、ソ連の体制下時代を描いた作品となっているのだが、今作は前作にもましてリーダビリティーの強い作品となっている。主人公レオがかつて逮捕した者と相対する場面や、“報道不可”の名のもとに届けられた本がもたらす混乱、かつて虐げられた者達の反乱、今回のタイトルとなっている収容所“グラーグ57”への潜入、等々。
とにかく見どころ、読みどころがこれでもかといわんばかりに繰り広げられる。まさに読み出したらとまらない一冊といえよう。
また、本書はひとりの人物が経験するというには、あまりにもやり過ぎという気がしなくもない。しかし、異なる見方をすれば、スターリン体制の崩壊から反乱、そして収束の模様をひとりの人物を通すことによって、見事に描ききっている作品とも言えるのである。
前作の終わりでは、めでたしめでたしという雰囲気のなかで終わったように思えたのだが、決してそんなことはなく、今作でさらなる地獄を垣間見ることとなったレオ・デミドフ。この作品の最後には、またそれなりの着地点に落ち着くこととなるのだが、このシリーズは3部作として予定されている模様。今後もレオの苦悩はまだまだ続くことになるであろう。
<内容>
レオ・デミドフは秘密警察を辞職し、妻のライーサと養女として迎えたゾーヤとエレナらと共に静かな生活を送っていた。ライーサは教師を務めるうちに出世をし、教育界では有名な人物となっていた。それによりソ連の友好大使として使節団を連れ、ニューヨークへと向かうこととなる。一団にはゾーヤとエレナを含むものの、レオはひとり家に残されることに。漠然とではあるが不穏なものを感じるレオ。そうしてライーサらはニューヨークに着き、歓迎を受けるのであったが、思いもよらない陰謀に巻き込まれることとなり・・・・・・
<感想>
「チャイルド44」から続くレオ・デミドフが主人公のシリーズ三部作の完結編。しかし、完結編といっても、これ一冊で壮大なサーガといってもよいほどの内容。上下巻2冊で結構分厚いページ数の作品なのだが、上中下巻でもよかったのでは!? と思わせるくらい濃い内容であった。
上巻ではレオの妻ライーサと養女のゾーヤとエレナとがニューヨークへ使節団として向かうこととなる。そこで共産主義として弾圧されていた黒人歌手ジェシー・オースティンを巡る陰謀に巻き込まれることとなるのだ。事件が起きた後に事の顛末を聞いたレオはライーサらをニューヨークに行かせたことを後悔するが時すでに遅し。彼は何とか自分の力で真相を暴こうとするのだが、ニューヨークに行くことさえできない始末。そこでレオはとある行動をとる・・・・・・
というのが上巻で、下巻ではさらに予想もしない方向へと話が進んでいくこととなる。
「チャイルド44」から「グラーグ57」にかけて、ソ連をとりまく情勢もよくなりつつあるのかと思いきや、まだそこまでには至らない。それどころか、アメリカとの冷戦やアフガニスタン戦線などといった国際的な情勢に巻き込まれることにより、レオとその家族はさらに運命に翻弄されることとなる。個人的には最終的に幸福な方向へと向かうのかなと思っていたのだが、行先は単純なハッピーエンドになるようなことは許されないといった状況。
ここまでくると、政治や社会情勢というものに翻弄される国民の無力さが何とも悲しくなってしまう。決して運命ではなく、ごく普通に必然的に権力により蹂躙される人々の様相がただただ空しい。どこまでが実際の話かはわからないものの、世界的な規模のなかでみれば、決してフィクションにとどまらない内容なのであろう。
「チャイルド44」から始まる一連のシリーズには物語の重厚さのみならず、こうした社会情勢についても圧倒されるばかりであった。普通の物語であれば、そうした圧政に逆らい新たなる社会を切り開くとなるのだろうが、ここではそのあまりの重さと現実に翻弄されるのみという主人公が描かれていた。こうした背景の小説を普通の社会小説としてではなく、読みやすいミステリという形状で表してくれたことに感謝したい。このシリーズはまさに忘れる事の出来ない作品として私の心に永遠に残ることであろう。
<内容>
スウェーデンの田舎へ移住した両親、そしてロンドンに住む息子ダニエル。ダニエルの元に父親から電話がはいる。「お母さんが精神病院から脱走した」と。その後、母親から連絡が入り、父から無理やり病院に入れられたので脱走してきたという。父と母、どちらの言い分を信じればよいのか。父の元から逃げてきたという母親とダニエルは再会し、母親の口から事の顛末が語られることとなるのだが・・・・・・
<感想>
「チャイルド44」で名をはせたトム・ロブ・スミスの新作。結構期待して読んだのだが、思っていたよりも・・・・・・ちょっと、期待が高すぎたかな。
今作では、以前のスミスの作品と比べると動きがほとんどない。ダニエルの元に逃げてきた母親が、事の経過を語る場面が物語の大部分となる。その怪しいのか、真実なのか、いまいちわかりにくい話はいったい何を意味をなすのか? それが終幕で全て明らかとなるというもの。
基本的に、ちょっとしたスパイめいたものというよりは、田舎の村八分を描いたかのような程度の話。それに過剰に反応する母親、もしくはその反応が実際に的を得たものなのか? そうした話が延々と語られるのみ。その語られる話自体が、決して面白く読めるものではないので、延々とした鬱屈した展開にだれてしまう。また、最終的に明らかとなる真相もそれほど劇的なものでもなかった。
なんか、地味な田舎の一幕という感じ。さらには、地味な田舎の過去と現在の様子と言ってもよいのかもしれない。全体的に話の緊迫感を保たせるには、ちょっと長すぎたとも言えよう。
<内容>
小児科医であるヒラは突然、さる資産家から遺産を相続することとなり一夜にして大金持ちとなることに。彼女が相続したボンベイ郊外に建つアルデシル荘でパーティーを開催することとなり、多くの知り合いを招待する。そこには、著名な作家、評論家、舞踏家、等々有名人たちが集まることに。次第に、そこに集められた人々それぞれに因果関係があることが明らかになる。そうして起こるべくして殺人事件が起こる。
<感想>
アジア本格リーグの最後の作品はインドのミステリ。タイトルの「第三面の殺人」と聞いた時には、阿修羅のような像とか、精神的なペルソナのようなものを思い浮かべたのだが、実際には新聞の第三面を賑わす人々という意味のようであった。
というわけで、やや俗な内容なのだが、このアジア本格リーグも最後の作品にきても盛り上がることがないまま終幕となった。最初は警察の相談役のようなことを務める、かつて色々な事件を解決したという女性が登場する。この人が活躍するものすごい事件が描かれてゆくのかと想像したのだが、そこから先は思いもよらぬほど退屈な展開が続くこととなる。
本書にて事件が起こるのはページの2/3が過ぎてから。そこからようやく探偵小説らしい展開となるのだが、そこに至るまでが長すぎる。そのころには、もう事件なんてどうでもいいという感覚におちいってしまう。そうして事件の解決自体もあまりにもあっさりとしたものであり、せっかくの舞台も何ら生かされていないと感じられた。
というわけで、何ゆえこの作品を率先して紹介しようと思ったのか不可解なほど普通で退屈な作品であった。帯に“インドが放つ最高クラスの本格”と書いてあるのだが、そんなことを書いて大丈夫なのかと色々な意味で心配してしまう。