<内容>
大学を卒業したピアス・ダンカンは作家を目指し、そのために色々な経験をしようとヒッチハイクの旅に出る。しかし、浮浪者と間違われ収容所に入れらたり、ラスヴェガスで犯罪組織にかかわったり、と予想だにしないさまざまなことを体験することに・・・・・・
<感想>
本書はタイトルの付け方が難しい作品と思えた。“路上の事件”という邦題に対してなのだが、読めば納得するものの、読む前であればこのタイトルは“堅く”見えてしまう。なんとなく“路上の事件”といってしまうと一見、社会派小説のような難しい作品に見えてしまうのだが、実際にはそういった内容とは反するようなものとなっている。
この小説は、ある種の青年の成長物語と言えなくもないのだが、成長物語と言うにはやや残酷な青春と感じられてしまう。行く先々でさまざまなトラブルに出会い、しかもそのトラブルひとつひとつがどれもトラウマに残ってもおかしくないような重いものばかり。しかし、それでもダンカン青年は作家を目指して、はたまた一流の探偵を目指してか、自分の道を歩み続けてゆく。
こういった作品はいわゆる“ロード・ノベルズ”といわれているようだが、従来のロード・ノベルスと比べれば、かなり波乱にとんだ作品となっていると言えよう。それなりに分厚い作品であるのだが、その長さを感じさせないほど、読者を惹きつける内容となっている。
2007年度の注目作品であるが、入手しやすいうちに購入して読んでもらえたらと願うところである。
<内容>
元CIAのスナイパー、ブレンダ・ソーンは現在サファリキャンプで密猟者を監視する仕事をしていた。そんな彼がFBIと大統領から、大統領を暗殺しようとする男を見つけてくれと依頼される。その暗殺犯はコーウィンといい、かつてのスナイパーであり、自分の娘夫婦を殺害して現在逃亡中の危険人物。ソーンは彼の痕跡を探り出し追跡しようとするのだが、さまざまな妨害に会うこととなり・・・・・・
<感想>
つい最近「路上の事件」からジョー・ゴアズの作品を読み始めた私にとっては、あとがきで今年(2011年)の1月にジョー・ゴアズが亡くなったということを知った事が今作での一番の衝撃であった。79歳とのこと。
本書の内容は、スティーブン・ハンターの作品を読みなれている読者からすると、だいたいそんな感じの内容だと。凄腕のハンター対ハンターの対決が描かれた作品である。ただ、その出来具合からすると微妙であったかなと。
物語の始まりが、いきなり多視点かつ早い切り替わりで展開されているので読んでいて混乱した。中盤以降はだいぶ視点が収まってきて読みやすくなったのだが、序盤はやや切り替え過ぎではないかと感じられた。
また、ハンター対ハンターの対決を描いている部分は面白く読めたのだが、全体的には大半が主人公と3流の悪役であるFBI捜査官との対決が描かれている。このFBI捜査官がとにかく典型的な悪役過ぎるというかダメ過ぎて、物語の緊迫さや面白さが損なわれてしまったように思われる。
と、そんな感じで良い部分もあるのだが、悪い部分がそれを上回ってしまったように思えた作品。スティーブン・ハンターの作品を読みなれている人にとっては、物足りなく感じられてしまうのではないだろうか。
<内容>
1982年、ダシール・ハメットはピンカートン探偵社での仕事を辞め、作家として生活していた。いつものように酒びたりとなりながらも小説に頭を悩まされているなか、かつての同僚ヴィクター・アトキンスンから市政浄化のために調査員となるので力を貸してもらいたいと頼まれる。その頼みを断るハメットであったが、そのアトキンスンが死体となって発見されることに。しかも、アトキンスンは死の直前にハメットに手助けをしてもらいたいと電話をしていたのだ。ハメットは、旧友殺しの犯人捜しに乗り出すこととなったのだが・・・・・・
<感想>
ハメットの研究家であるジョー・ゴアズによるダシール・ハメットを主人公としたハードボイルド小説。その都度その都度の出来事や背景には事実が含まれているのだろうが、事件とか物語的には創作のよう。そういえば、ジョー・ゴアズについてであるが、私が氏の作品を読んだのは「路上の事件」が初めてだったので新進の作家と思いこんでいたのだが、この作品が書かれたのは1975年、ずいぶん前から作家活動をしていたということがわかった。
作品を読んでみると、あくまでもダシール・ハメットの研究書というか、ダシール・ハメットを主人公としたことのみに意義がある小説という感じがした。ハードボイルド作品としては、やや味気ないというか物足りない気がするし、話の流れもハメットの作品をそのまま踏襲したというように感じられる部分もある。今まで外国のハードボイルド作品を読まずに、この作品のみを読んでもピンと来ないかもしれない。やはりこれは、ハメットの作品をある程度読みこんだ人が読むべき作品と言えよう。ただ、ハメットの作品のファンに、というよりもハメット自身に興味がある人のほうが読むのには向いているかもしれない。
<内容>
法律事務所の裏仕事に手を染めながらロンドンの街で生き抜くエドワード・グラブソン。彼はあるとき、縁もゆかりもない男を殺害した。その理由は、自分の宿敵を殺害するための“試し”としてであった。彼の宿敵は、詩人として名をはせるフィーバス・ドーント。彼とグラブソンの間に何があったというのか。グラブソンが語るこれまでの人生と、出生の秘密とはいったい!?
<感想>
一昨年ランキングをにぎわせた作品。著者のマイケル・コックスという名については知らない人がほとんどであろう。それもそのはず、なんとこれが処女作であるという。処女作にしては充実した内容であり、その重厚さに驚かされてしまう。それほどの完成度を誇る作品である。
ただし、ミステリというものではなく、あくまでも重厚な小説という内容。イギリスの1800年代の中期がしっかりと描かれている。これまで読んだ本と比べると、昨年読み終えた「五輪の薔薇」に趣が近い。ただし、「五輪の薔薇」ほど複雑怪奇ではなく、この「夜の真義を」のほうが取っ付きやすい。とはいえ、この作品も十分にプロットが練られており、分厚いページ数を誇るので、簡単には手を出しにくい作品かもしれない。
内容はひとりの男の復讐の物語。その男がどのような人生をたどり、どのような秘密を抱えていたのかが語られてゆく。そうして、真の自分を手に入れようとしたところで、それらの夢がこぼれおち、復讐を誓うようになるのである。この様子を当時の時代性と共に見事に描ききっているというところが、この作品が多大に評価された理由であろう。万人にお薦めできる作品というわけではないのだが、このイギリスの時代に興味がある方にはお薦めしておきたい。どちらかというと、文学作品より。
この著者であるが、すでに「夜の真義を」の続編となる作品を書き上げているとのこと。そして、その次の作品により壮大な三部作となる予定であったそうだが、2009年に亡くなってしまったとのこと。おしい限りである。とはいえ、この続編が出れば、是非とも読んでみたいもの。この内容を忘れないうちに続編を読むことができればよいのだが・・・・・・
<内容>
売れない中年作家のハリー。ペンネームを使い分け、ミステリ、SF、ヴァンパイア小説と色々と書き分けはするものの、どの売れ行きもパッとしない。ガールフレンドには見捨てられ、収入が少ないことから始めた家庭教師のアルバイト先の女子高生にはあごでこきつかわれる始末。そんなある日、ハリーに転機が訪れる。彼のもとに、かつてニューヨークを震撼させた現在服役中の連続殺人犯から告白本の執筆を依頼されたのである。ハリーは恐る恐る、服役中の殺人鬼が待つ刑務所へと向かうのであったが・・・・・・
<感想>
2011年、もっとも話題になった海外作品。そんなわけで期待して読んでみたのだが、思っていたよりも普通のミステリ小説。連続殺人鬼の依頼を受けてポルノ小説を描くとか、殺人鬼との刑務所での対話とか、斬新というわけではないものの、かなり興味深い内容。さらに中盤には驚愕の展開が待ちうけており、そこから物語は一気に加速していくこととなる。ただ、その中盤の展開が一番のヤマであったように思える。物語の後半がやや失速気味に収束してしまったように感じられたところが残念。
とはいえ、本書の魅力はストーリー展開のみにあらず、“二流小説家”という自虐的な主人公の人となりにあると言ってもよいであろう。まさに売れない作家を体現するような人物であるのだが、そうは言いつつもペンネームによる作中小説がきちんと描かれていたりと、地道に作家としての力量を見せてくれていたりする。
面白い小説というよりは、凝りに凝った小説といったほうが良いかもしれない。この著者のデビュー作ということであるが、渾身の一作といっても過言ではあるまい。むしろさまざまな要素を盛り込み過ぎていて、2作目は大丈夫かと心配になってしまうくらい。
<内容>
小説家志望のサムことサミュエル・コーンバークは、己のふがいなさからか、妻から別れを切り出される。失意のどん底にくれるなか、サムはたまたま目にした探偵助手の仕事をすることに。電話でうかがいをたて、指定された家にいってみると、そこで待っていたのは巨漢の探偵ソーラー・ロンスキーであった。いきなり彼から命じられた仕事とは、ミステリガールと名付けられた女性を尾行し、彼女の様子を探ることであった。よくわからないまま、ミステリガールを見張ることとなったサムであったが、徐々に伝説の映画監督の作品を巡る陰謀に巻き込まれる羽目となることに・・・・・・
<感想>
「二流小説家」で一気に日本でもブレイクしたデイヴィッド・ゴートンの新作。2013年中に読んでおきたかったのだが、年を越してからの読了。そうなった要因のひとつとしては、この作品自体がさほどミステリ界隈で取り上げられていなかったこと。特にランキングでも目立たなかったような気がする。そんなわけで、後回しでいいやとなってしまい、ようやく目を通すこととなった。しかし、これが読んでみるとなかなかの秀作と感じ入る作品であった。
売れない小説家志望の男が、探偵の助手となり、わけのわからないまま女性を見張るというところから話が始まっていく。主人公サムの依頼主となる探偵は巨漢でほとんど動くことができず、まるでネロ・ウルフを思わせるような人物。ただし、頭脳明晰であり、そこはまるでホームズの兄のマイクロフトを感じさせるよう。なかなか魅力的なキャラクターである。
また、本書の特徴としては、各章の最後にそれぞれサプライズが挿入されているところ。そのサプライズによって、次の章ではどうなるのかと、読者の気を惹きつづけるという構成。そうして、単純な尾行から始まる事件が、徐々に人物の入れ替わりが何度も続くという複雑怪奇な様相をていしていく。
個人的にはなかなか魅力のある面白い作品だと感じられたのだが、「二流小説家」ほどは受け入れられなかった模様。主人公の造形が前作とさほど変わらなかったからか、マニアックな映画の世界がとっつきにくかったからか、複雑なプロットのせいかなのか。前作と異なる主人公であるのに、どこか同じシリーズのように感じられてしまうのは、どうしてもマイナスイメージとなってしまうのであろうか。次の作品では、思い切って趣向が異なる物語を見せてもらいたいところである。
<内容>
私立探偵ヘラーは警察が来る前に殺人現場にたどり着き、その凄惨な現場をじっくりと観察する事ができた。被害者の名はエリザベス・ショート。ヘラーの見知った女であった。彼女は、無残にも胴体を真っ二つにされるという惨殺体で空き地にころがっていた。やがてこの事件は“ブラック・ダリア”と呼ばれるようになり、ロサンジェルスに恐慌を巻き起こす事件となってゆく事に!!
<感想>
アメリカでは有名な“ブラック・ダリア事件”。本書は今まで語られていたものとは別の仮説によって“ブラック・ダリア事件”を描いた作品である。
ブラック・ダリア事件を書いた作品として日本でも有名なのは、言わずと知れたジェイムズ・エルロイの「ブラック・ダリア」。エルロイを始め、この事件に関しては色々な人が本を書いているようなのだが、それほどアメリカにとっては印象的な事件であったということなのであろう。逆に、日本人にとってはさほどなじみのない事件であるがゆえにこういった作品に興味を示して読むというひとは少ないのではないかと思える。
とはいえ、本書はミステリー作品としてよくできていると思われる。何よりも、背景とか感情よりも事件自体の真相を追うというスタンスを崩さずに事件が描かれているので、色々と書き込まれているにもかかわらず、非常にシンプルな作品と感じられた。そして、事件に対する結末もきちんと与えられており、ミステリーとしても好感を持てる内容であった。
この事件が起きたのがアメリカの1947年のことであるが、その時代に思い入れのある人や、そこに登場する人物名を多々聞いた事がある人にとってはなおさら楽しく読むことができるのではないだろうか。もうエルロイの「ブラック・ダリア」を読んでからだいぶ時間が経っているので、その内容を忘れてしまったが、これは両者を比べてみればまた違った見方ができるかもしれない。エルロイの作品を今一度読み返してみようかどうか悩むところである。