<内容>
3ページめから、わたしは憎しみに満たされた。憎悪の本流に溺れながらも、わたしはこの新作が友人ニコラ・ファブリをフランスで第一級の作家に押し上げることを確信した。テーマは新鮮で感動的だし、文体は力強く活力がみなぎっている。このときわたしは、復讐の成就のためにこの小説の成功を利用すればいいことを、一瞬のうちに悟った。本が凶器になる完全犯罪。その存在こそが凶器と・・・・・・
<感想>
男の一世一代を賭けた復讐の物語である。全編読んでみて、どちらかといえばミステリというよりは“復讐の物語”という呼び名にふさわしく思える。
主人公は周囲から見れば友人であると目される男に対して積年の恨みをつのらせていた。はっきりいって、この恨みの部分は主人公以外の視点からみれば“逆恨み”といっても過言ではないと思う。この話しでは、その視点によって感じ方や思いが異なるのではないかと思える。しかしながら、主人公の思い自体も無視できるものではない。そのある種の“逆恨みぶり”がかなり現実的に感じられ、一般人であれば思い兼ねない“危うさ”に惹きつけられるものがある。その危うい感情と行動に感じ入るものがあれば、もうこの物語にどっぷりとつかってしまったも同然である。
そしてこの主人公ならではの復讐方法というものが凝りに凝っていて面白い。“本が人を殺す”というのがうたい文句であるのだが、読み手の考えたものとは異なった形によって、まさにそのうたい文句が実行される。これはなかなか必見の“手段”であろう。
教訓、醜男が魅力的な男に対して抱く負の感情ほどおそろしいものはない。嫉妬とは女性だけの世界のものではないようだ。
<内容>
ハーヴァード大学の図像学者ラングドンは突然、スイスの科学研究所の所長から連絡を受け、とある紋章について説明してもらいたいと依頼される。突然の申し出であったが、その紋章というのがラングドンが研究している“イルミナティ”というものであり、しかもその紋章が死体に付けられている事を知り、興味を持ったラングドンは申し出を受ける。
そしてスイスの研究所へと出向いたラングドンは恐るべき陰謀が現在実行されている最中であることを知らされる。それは最近極秘のうちに膨大なエネルギーを持つ“反物質”というものが発明され、しかもそれが盗まれて、現在ヴァチカンのどこかに持ち込まれているのだという。ラングドンは“イルミナティ”の謎と“反物質”を追ってヴァチカンへと・・・・・・
<感想>
「ダヴィンチ・コード」を読む前に、その前の作品となる本書が文庫化されたので、この作品を先に読んでみることにした。また、この本を読む要因となったのが、他のサイトなどで評判が良かったということもあったからなのだが、実際に読んでみると噂にたがわず、かなり面白い作品であった。
本書を読んで驚いたのが、最初はまるでSF作品のような様相を見せられること。SFといっても近未来の科学がいろいろと提示されるのだが、その中のひとつに最近読んだ「神様のパズル」で書かれていたものと、同じような機械が描かれているのには驚かされた。
それから徐々に主人公がローマ教会を巡る事件へと巻き込まれていくのだが、これがまたうまく描かれているとしかいいようがない。ローマ教会で行われている教皇選を中心とし、さらわれた4人の教皇候補とヴァチカンの地下に隠された爆発物質。こういったものが非常にスピーディーな展開(なんとほとんどが1日のうちの出来事なのである)で描かれている。
こういう状況の中で主人公のラングドンが“イルミナティ”という存在に関連付けて、4人の教皇候補がどこで殺害されるのかを、まるで宝捜しか、オリエンテーリングのようにヴァチカン中を駆け巡る様はかなり楽しむことができる。なんとなくだが、このラングドンの軌跡をたどって、ヴァチカン観光をしてみたいと思えるほどの道筋である。
そして、その教皇候補探しが終わり、一連の事件の犯人が見つけ出され終わりかと思えば・・・・・・また、さらに一波乱、二波乱と続くのであるが、ここはぜひとも読んでどのような展開になっているのか確かめてもらいたいところである。
アクションシーンの連続と、さまざまな登場人物たちの複雑な意図。さらには、本書の本題ともいえる“宗教と科学”。色々な知識を広めることができながらも、内容を楽しむことができ、さらにはさまざまなことを考えさせられるという、色々な面を兼ねそろえた本書。いや、これならば確かに売れるはずだなと納得してしまう作品であった。
<内容>
フランス、ルーヴル美術館の館長ソニエールが異様な死体で発見される。ただし、その異様な状況は死んだ館長が自ら行ったようなのである。まるで、誰かに遺言を残すかのように・・・・・・
ハーヴァード大学宗教象徴学教授、ロバート・ラングドンはフランス警察のファーシュ警部からソニエールの事件の件で呼び出される。というのも、ラングドンは事件当日ソニエールと会う約束をしていたのだ。ただし、当のソニエールは姿を見せなかったのだが。ファーシュは事件現場の異様な状況をラングドンに見せ、象徴学教授として何か読み取れる事はないかと助言を仰ぐ。
その現場に姿を現したのはソフィー・ヌヴーというフランス警察の暗号解読官。彼女はラングドンに、実はファーシュ警部はラングドンを容疑者とみなしており逮捕しようとしている事を教える。また、ソフィーは殺されたソニエールの孫娘であり、ラングドンが潔白なことを信じていると言う。ラングドンはソフィーの助言により、ファーシュの元から逃れ、ふたりでソニエールの死の真実をつきとめようとする。その事件の背後には“聖杯”を巡る真相が隠されており・・・・・・
<感想>
ようやく昨年からの積読であった「ダ・ヴィンチ・コード」を読むことができた。先に「天使と悪魔」を読もうと思い、それからすぐにと思っていたのだが、だいぶ時間が空いてしまった。ただ、本書はほとんど「天使と悪魔」に言及しておらず、別に続けて読もうとか、または順番を気にしてとか、そういった必要ななかったようだ。この二つの作品はどちらから読んでも問題はない。
また、本書は「天使と悪魔」に比べると思っていたより動きが少なかったと感じられた。「天使と悪魔」のほうがアクションシーン満載で、そちらのほうが読む人によっては楽しめると思われる。
それで本書「ダ・ヴィンチ・コード」の内容であるが、これはキリスト教圏内の人、またはキリスト教に知識が深い人が読めば一層楽しめるであろう作品だと思われる。日本であれば“徳川埋蔵金”のように(ちょっとニュアンスが違うかもしれないが)、その土着の有名なミステリーを取り扱った作品が本書と言えよう。よって、日本人にはなじみの薄い部分が多く、その分おもしろさが薄れてしまうのではないかとも感じられた。
ただ、それでも一連の謎解き小説としては充分楽しむことができ、かなり面白い小説に仕上がっている。また、これは「天使と悪魔」を読んだときにも思えたのだが、本書は本で読むよりも実際に美術品や建造物を見ながらのほうがより一層楽しめるのではないかと思われる。よって、これはまさに映画向きの作品であろう。
ということで、機会があれば話題になった映画のほうもぜひとも見てみたいと思っているところである。
<内容>
ハーヴァード大学教授のロバート・ラングドンは、友人であるピーター・ソロモンから急な講演の依頼をされ、それを受けることに。すぐに現地に向かったのだが、そこにはソロモンはおらず、彼を拉致したとの連絡がラングドンの携帯にかかってくる。そして、その場にはピーター・ソロモンのものと思われる切断された右手首が置かれていた。ラングドンは誘拐犯の命令に従い、暗号の謎を解いて、ピーター・ソロモンを解放としようと奔走することに。そこに介入してくるCIA、さらにはソロモンの妹にまで魔の手がのび・・・・・・
<感想>
「天使と悪魔」「ロスト・シンボル」に続く、ロバート・ラングドン教授が活躍するシリーズの第三弾。今までの作品同様こちらも存分に楽しめる内容となっている。
壮大な宝探しというような作品。誘拐犯からのプレッシャーはあるものの、それを除けばワシントンDCを舞台にして、暗号を解きつつの大冒険とも言えるであろう。こんなアトラクションがあれば、面白そうだと思えてくる(昔のテレビ番組では、こういったのに近いようなのもあった気がするが)。
登場人物たちからすれば決してお遊び気分ではなく、友人や家族の命がかかっていたり、国の大事がかかっていたり、さらには自らの命までを危険にさらすこととなる。そうしたなかで、暗号を解きつつフリーメーソンが隠す真実へと近づいていくこととなる。
本書のポイントは、誘拐犯の目的は? フリーメーソンが隠すものとは? CIAが必死に捜査に加わる理由とは? といったところか。こういった疑問を踏まえながら、序盤から終盤まで一気に流れ込むこととなる。
スピーディーで面白く、とても読みやすい小説。フリーメーソンの真実というものがやや象徴的というか、煮え切らないようにも感じられ、エピローグが長すぎるのが気になったところ。それ以外については十分の楽しむことができた。これを読むと、フリーメーソンとか、神秘主義的なものとかについて、詳しく調べてみたいという誘惑にかられてしまう。この作品を読んで、そういった方面を調べるための学部へと進んだという人も結構いるのではないだろうか。
<内容>
ジャーナリストのアンドルー・ウェストリーは取材の依頼ということで、とある屋敷まで呼び寄せられる。そこで待っていたのはケイト・エンジャという女性でアンドルーを呼び出したのは、実は二人に関係する祖先の話について聞いてもらいたいということであった。二人の祖先は二十世紀初頭を代表する有名な奇術師であり、互いをライバル視していたというのである。その二人の奇術師、アルフレッド・ボーデンとルパート・エンジャの物語が今語られる。
<感想>
本書は世界幻想文学賞を受賞した作品である。しかし、この本は幻想文学というジャンルだけに納まるような本ではないということだけは断言できる。これは20世紀の“奇書”というにふさわしい本である。
本当はこれは“ミステリ”であると断言したい気持ちもあるのだが、ストレートに“ミステリ”であるとは言いがたい。なぜならば本書は、超自然的なものや、SF的な科学設定までと、物語の中で繰り広げられる分野があまりにも多岐にわたっているからである。とはいえ全編、“謎”というものに彩られており、“ミステリ”の範疇から外してしまうのも惜しい作品なのである。
私が本書を読んでみようと思ったきっかけは、この魅力的なタイトル“奇術師”に惹かれたからにほかならない。奇術や手品とういものは、それ自体がミステリーとも言えるので、“奇術小説”というようなものを見ると手を出さずにはいられなくなってしまう。通説で言われるミステリと比べれば、本書は、“はみ出しすぎたミステリ”という感じであるが、終始予想だにせぬ展開で繰り広げられる“奇術”と“嫉妬”と“憎悪”の世界を味わってもらえたらと思うしだいである。
少し変った小説を読みたいという人にお薦め。
<内容>
報道カメラマンのグレイは爆弾テロに巻き込まれ、記憶を失っていた。そのグレイが収容されている病院に彼の恋人と名乗るスーザンという女性が訪ねてきた。グレイはその女性のことを思い出せないものの、それを手がかりに必死に記憶を取り戻そうとする。そして徐々にグレイは記憶を取り戻して行くのだが・・・・・・
<感想>
プリーストの作品を読むのは「奇術師」以来の2作目であるが、この作品のほうがより幻想小説という色が濃い作品であると感じられた。本の帯に“幻想恋愛小説”と書いてあるのだが、確かにそう語るにふさわしい作品といえよう。
ただ、本書がやっかいなのは、全体的な構図が“わかりづらい”という事。物語の始まりは主人公が記憶を失っているというところから始まっていく。その後、主人公がある女性と会うことによって、自分の記憶を取り戻していくのだが、主人公の記憶と女性が語る過去とに大きなずれが見られるのである。互いに語られる2つの過去は男女二人が、もう一人のキーとなる人物をはさんで、互い違いになりかねないような危うさをはらんでいるようにも見受けられる。そして本文中では、特にどちらの記憶こそが正しくなければならないという真偽については明確にされていない。
また、本書のタイトルとなる“魔法”という言葉であるが、これは原作では“The Glamour”というタイトルになっている。本文中でも語られているように直訳すれば“魅了する力”ということになるのだろう。この“力”自体について、本書の中では超自然的な事象として描かれているのだが、読みようによってはその位置付けも微妙なものとしてとらえられる。この“力”について本文中で完全に“超自然的なものです”と語ってしまえばよいにもかかわらず、どこか常に現実への逃げ道を残しているように感じられてしまうのである。よって、解釈しだいによっては、本書が超自然的な現象が見え隠れするが、超自然的な現象と思われるものはあくまでも象徴的な出来事であり、実は現実の中で起こった物語とも解釈できないことがないのである。
といった事柄によって本書はとても微妙な作品であるといわざるを得ないのである。しかも著者自身がわざと内容が微妙になるように書いているようにも感じられる。これは一つの“奇書”という事で、変わった作品が好きだという方にお薦めの本である。
<内容>
著名な歴史ノンフィクション作家スチュワート・グラットンのもとに、第二次世界大戦中に活躍したJ・L・ソウヤーという人物の回顧録が持ち込まれる。この人物は、大戦中の首相チャーチルの回顧録のなかで、英空軍爆撃機操縦士でありながら、同時に良心的兵役拒否者であるということが書かれており、非常に不思議な人物であった。新たに見つけられた回顧録により、その真相は明らかになるのか!?
<感想>
これはすごい作品である。ただし、本当のすごさを理解できたのは、巻末の解説を読んだことによってなのだが(丁寧な解説がとてもありがたかった)。
本書はノンフィクション作家が回顧録を手に入れるところから始まるものの、中身はソウヤーという姓の双子の兄弟の視点によって多くのページがさかれた作品となっている。この二人がベルリンオリンピックにボート競技で出場し、その後、弟は空軍に入り爆撃機の操縦士となり、兄は兵役を拒否し赤十字で戦火のなか働くこととなる。
これだけ聞いてもどこが不思議な物語なのかわからないと思うが、弟が語る歴史と兄が語る歴史が微妙に異なっており、どちらがどこまで正しいのか判別がつかないのである。さらには、そこに英国首相のチャーチルやドイツの副官ヘルマン・ヘスらが重要人物として登場し、歴史的な物語として重要な意味を持つこととなる。
この本にはさまざまな仕掛けがなされているようなのだが、第二次世界大戦中のイギリスの歴史に詳しい人でなければ、本書を一回読んだだけでは何が重要なのかわからないだろうと思われる。また、私自身もこれを読んだときに調べてみたのだが、ヘルマン・ヘスという人物が戦時中にイギリスを訪れ講和も持ちかけたものの、逆にロンドン幽閉されたという史実があるようだ。このできごとも史実として不可解な点が多々あるらしいのだが、プリーストはその不可解な点も考慮に入れて、この作品を作ったようである。
とにかくこれは一度読んで、解説を見て、その内容の壮大さにふれてもらいたい作品である。SFともミステリともいえない作品であり、どのようなジャンルにも収めきることはできないが、この「双生児」という作品が奥深く、考え抜かれた小説であるということは理解してもらえると思う。是非とも一度、途中よく理解できないところがあっても、最後まで読み通してもらいたい作品である。
<内容>
元は刑事として活躍したバルーク・シャッツも今は87歳。ある日戦友が危篤となり、命を引き取る間際、既に死んだと思われていたナチスの将校が生き延びていたことを知らされる。その将校は金塊を持って逃げたと考えられ、その金塊を巡ってシャッツのもとへと様々な者が訪れてくることに。既に金などには興味のないシャッツであったが、昔の恨みを持つナチスの将校の存在が気になり、孫の力を借りて捜査を始めてゆく。すると、いたるところで死体が発見されることとなり、その容疑がシャッツらにかかりそうに・・・・・・
<感想>
昨年の話題作。文庫で手軽に買えると思い、ランキング本などを見て購入していたのだが、実際に読んでみるとこれがまた面白かった。
主人公の元刑事シャッツというキャラクターが強烈で、味を出している。まさに古き良き時代のアクの強い刑事という感じで、口は悪く、考えるより手が先に出るタイプであり、先入観が先走るタイプ。ただし、今では87歳という年齢であり、体がついてゆかない状況。妻と隠遁生活を送る毎日であったが、そんな彼がナチスの将校と金塊を巡る事件に巻き込まれてゆく。
第二次世界大戦にとらわれた事件という事で、ヨーロッパ方面ではよく見かけるような設定。ただ、それを扱うのがアクの強い元刑事ということで、作品の口当たりは通常のものとは全く異なる存在になっている。特に老人ハードボイルドというような設定が秀逸。しかも、この主人公の老人が善人とは程遠い存在により、ハードボイルドというよりは、まるでクライムノベル。ただ、87歳ということで、とっくに欲とはかけ離れている状況により、純然たる犯罪小説とも異なっている。
えらくぶっきらぼうで、過去に因縁のあるナチスの将校に対する恨みを抱えていて、事件と聞けば昔ながらの執念を見せる。しかし、妻や孫に対する親愛の情を持っており、シャッツならではの不器用さで、彼らに相対している。また、シャッツの息子が既に亡くなっているというところもポイントであり、その件を交えながら孫と邂逅していくことにより、家族の物語とも受け取れる作品となっている。
この作品を書いたダニエル・フリードマンは、これがデビュー作となり、一躍注目される作家となった。彼が書いた2冊目は、このバルーク・シャッツが活躍する第2弾となっているようで、主人公の健康を心配しながらも、邦訳されたら是非とも読みたいところ。
<内容>
バルーク・シャッツ、88歳。昔、こわもてで鳴らした刑事も今は歩行器を手放すことのできない日常を送り、妻と共に介護施設でリハビリを受けながら過ごしていた。そんなシャッツの前に現れたのは、かつて因縁のあった大泥棒イライジャ。そんな伝説的な泥棒も今は78歳。彼が言うには敵に狙われているので、警察の力で身を守ってもらいたいと。今まで犯した罪について供述するので、信頼のできる警官を紹介してほしいというのである。胡散臭いものを感じつつも、シャッツは結局イライジャに手を貸すことになるのだが・・・・・・
<感想>
80歳を超えたユダヤ人の元警官、バルーク・シャッツが活躍する作品の第2弾が去年に引き続き早くも登場。歩行器に身を委ねつつも、相変わらずの破天荒ぶりを見せてくれている。
2作目を読んだ印象としては、早くも書くネタが無くなってきているのかなと。大筋は昔因縁のあった大泥棒との駆け引きと、その昔どのような因縁があったのかが交互に語られてゆくというもの。ただ、そうしたなかで民族的なもの、人種的なものの話がところどころで語られてゆくこととなる。どうもその民族的・人種的な話のほうが本筋を上回るような印象に思え、ややエンターテイメント小説としての読みどころが少ないように思えた。とはいえ、こうした話が語られていても、主人公の人がらゆえに決して説教臭い話にならないところは好感が持てる。
大泥棒イライジャが成しえた過去の銀行強盗の件については、なかなか深いものがある。バルーク・シャッツがユダヤ人だということを利用しての、ところどころにちりばめた布石により犯罪行為を成功させるところには深いものが感じられる。また、彼らが老人となった現在においても、二人の駆け引きは一筋縄ではいかないものとなっている。
それなりに堪能することができた作品ではあるものの、そろそろ主人公として90歳近い年齢ではきつくなってきたのではないか。一応、第3作、第4作目の予定は既に決まっているとのこと。今後どのようにこの主人公設定を生かす物語を作り上げるのか興味深いところである。なんだかんだ言いつつも、このバルーク・シャッツのキャラクターに惹かれ、新作が出たら絶対に買ってしまうのだろうなと。
<内容>
ニック・ダンはニューヨークでライターをしていたが、仕事を失ったことをきっかけに、乗り気ではない妻エイミーを連れて故郷であるミズーリに戻ってきた。そこでダンは妻から金を借りて、双子の妹のマーゴとバーの経営を始めた。妻を強引に連れてきたせいもあってか、実はその前から二人の関係はぎくしゃくしていたのだが、ダンとエイミーの仲は修復がきかないくらい、悪い方へと向かう一方。そうしたなか、ダンが家に帰ると、荒らされた家に呆然とし、エイミーがどこにもいないことに気づく。妻は誰かに連れ去られたのか? ダンはすぐさま警察を呼び、捜査をしてもらうのだが、警察はダンを容疑者とみなす。ダンは徐々に追い詰められ・・・・・・
<感想>
日本では2013年に発売され、その年そこそこ話題になった作品。それが“そこそこ”という感じであったので、当初は買うまでもないと購入を控えていた。しかし、その後も店頭に並び続け、さらには映画化ということもあり、再び店頭に並んでいたので、それならば買ってみようと手に取ったしだい。
読み始めた時の印象はあまり良いものではなかった。それは、近年のアメリカ小説にありがちなのだが、資産にみあわない放蕩生活を続け、やがて借金にまみれ夫婦仲にもひびがはいるというお決まりのパターンをこの作品にも感じ取れたから。アメリカでは実際の事件でもありえそうな、妻が失踪したと夫が報道を通じて発表するも、実はその夫が怪しいのではないかというような事件。それこそが本書の大筋なのであるが、この作品ではその後の展開がとんでもないものとなっている。
物語は下巻に入るととんでもない方向へと展開し始め、主人公であるダン夫婦に対する評価は一変することとなる(それでも夫に対しては、最後の最後まで同情する気にはなれないのだが)。当初は、ごくありがちなサスペンス作品という気がしたのだが、後半にはいるとまるでサイコ・ホラーのような様相を見せることとなる。しかも、それがサイコ過ぎて、もはやコメディのようだとさえ感じ取れてしまった。これはサスペンス史に残るような化け物が登場したなと、ただただ身震いさせられるばかり。
<内容>
中国の奥地で発生した謎の疫病。それは人間が不死のゾンビと化するものであった。ゾンビ化したものは、次々と人間を襲い、襲われた人間もゾンビ化し、世界中にゾンビがあふれ出るようになっていった。ゾンビを倒す方法は頭をつぶすという事のみ! 世界中で人間対ゾンビの戦いが始まる。
<感想>
本書はドキュメント形式で人間対ゾンビの大戦を描いた作品。アクションとしての要素もあるものの、どちらかというとドキュメントという印象が強かった。
ゾンビというもの自体に大きな意味があるかどうかは微妙なところ。この作品は世界規模でのバイオハザードを描いた感染病によるパニック・ホラーという見方もできる。というか、ゾンビを感染症に置き換えればそのままである。この対処方法については、原因とか治療法とかは一切無視して、ひたすらゾンビをせん滅することのみにまい進している。
世界規模での情勢をこの一冊の本で描いているので、単独のヒーローという存在は登場しない。各地、各地に場面が変わりつつ、そこで何が起き、それからどのようにゾンビと戦い、その挙句どうなったかということが、インタビュー形式で描かれている。
エンターテイメントの要素を強くするのであれば、局地的もしくは単独の主人公を用いた方が良いのであろう。それを本書ではあえてエンターテイメントというよりも、世界スケールの視点を用いることにより、ドキュメント的な要素を色濃くしている。
なんとなく近年のゾンビブームというものもあり、このようなドキュメント形式にしたほうが新鮮に感じられるのは確か。ただし、物語を楽しむといううえでは、もう少し少数の人々のスポットを当ててもらいたかったとも感じられる。アクションという面を強く求める人には、やや不向きな作品と言えるかもしれない。
<内容>
学校を卒業したばかりの青年ソニーは双子の叔父たちとともに強盗を生業として暮らしていた。そんなある日、叔父たちと組んで銀行強盗を企てたのだが、つまらないことから失敗してしまい、ソニーは警察に捕まり、刑務所へと送られる。だが、ソニーは刑務所の連中の隙をついて脱獄を試みようと・・・・・・
<感想>
一言でいえばクライム・ノヴェルということで終わってしまうのだが、その細部にはなかなか凄まじいものを感じとることができる作品となっている。
主人公のソニーはごく普通の青年と言ってよいのかもしれない。船乗りの父親と知的な母親に育てられている。ただ、普通の家庭と違うのは双子の叔父がいて、その叔父たちが犯罪者であるということ。父母は生真面目な生活を送っているのだが、ソニーは何故か犯罪を繰り返す叔父たちに魅入られていく。いや、魅入られていくというよりは、生まれながらにして不思議と犯罪者としての素養があり、必然的にその世界へと入っていってしまうことになる。
そして叔父たちを手本にしながら犯罪者としての生活を学んでいき、数々の出来事を経験しながら地道に(変な言い回しだが)熟練した犯罪者へと変貌してゆく。
本書のタイトルは「無頼の掟」であり、原題を直訳すれば「無法者の世界」と、どちらもこの作品の本質を表していると思える。この本の中では犯罪者には犯罪者なりのルールがあり、皆ある程度それに沿って生きているということを示していると感じとれる。
また、本書の中で印象的に思えたのは、どんなにうまく計画しても決して物事は思い通りにいかないということ。それを主人公は伯父たちから教わり、さらに身をもって体現している。そして、理由はどうあれ犯罪者としてしか生きていけない人間がいて(どちらかといえば、犯罪者にならざるを得ないという人間のほうが理解しやすいのだが)、そういう人々が刑務所を出入りしながら、犯罪を繰り返し続けるという生き様が描かれている。
と、本書が犯罪者の世界を描くだけで終わってしまうのであれば、それほど印象に残らない小説となるのだが、そこにもうひとつ強烈な展開が付け加えられている。それは主人公を付け狙い続けるとある人物の軌跡。その軌跡が物語の進行と並行しながら、じわじわと主人公へと忍び寄ってくるのである。その不気味さも本書における大きな味付けのひとつとなっている。
クライム・ノベルの中でも頭1つ抜き出ているといって過言ではないこの小説、どうぞご堪能あれ。
<内容>
ジミー・ヤングブラッドはカジノの取立て屋であり、組織にたてつくものを抹殺するという仕事をしている。彼がそのような暴力に彩られる日々を送るのは、彼自身の出生の秘密に隠された“血”のせいなのかもしれない。
ある日、ジミーは国境から逃れてきた女を見て、ひとめぼれしてしまう。それが彼をさらなる惨劇へと巻き込んでゆくことに・・・・・・
<感想>
昨年話題になったブレイクの小説「無頼の掟」を読み、今年出版された「荒ぶる血」をほぼ連続で読破した。本書を読んだ感想はといえば、これは前作に劣らない傑作であるということ。近年の作家でいえば、スティーブン・ハンターを継ぐような作家であるとも感じられた。
本書は簡単に言えば、ひとりの殺し屋の半生が描かれた小説なのであるが、これがなかなかうまく描かれている。人生を年代順に書き並べていくのではなく、少しずつ思い出していくかのように明らかになっていく彼の生涯。ただ、このような書き方だけ見ればよくある手法とも思えるのだが、主人公の出生と、彼が出会う女性との間に微妙ともいえる因縁をうまく挿入しているところはよくできていると感じられた。
また、孤独ともいえる殺し屋家業を行いながらも、周囲の者達とかけがえのない絆で結ばれているというのも、また他とは変わった小説といえるのかもしれない。そして、それがラストにおける銃撃戦の結末にもよく表れていると思われた。
ということで、パッとあらすじだけ追えばありがちな小説と言えなくもないのだが、そこここに魅せる微妙な感情や話のつなぎ方など、ちょっとしたところで独自の世界観を出していると感じさせられた。こういう書き方のテクニックを見せられると、なかなかあなどれない作家であると思わされ、今後も新作が出れば読まずにはいられないであろう。
<内容>
ハリー・ピアポントは銀行強盗を企てるプロの犯罪者。しかし、犯罪行為を続けることにより、逮捕され、刑務所へ収監される。あるとき、そこで仲間になった者達と脱獄を企て成功する。その後、彼らはジョン・ディリンジャーらと銀行強盗を繰り返し、アメリカ史上有名な犯罪者となってゆくことに・・・・・・
<感想>
本書に登場する者のほとんどは、実際に現存した人物であり、起きた事件も実在のものである。ただし、本書はノン・フィクションというわけではなく、実在の事件を元にブレイクが小説としてフィクション化した作品となっている。
この作品もブレイクが描く作品として期待を裏切ることなく、極上のギャング小説であり、極上のノワール作品に仕上げられている。時代は1930年代を中心に描かれており、その時代背景から主人公がひとりの犯罪者へと成長していく様がごく自然に描かれている。とはいえ、別にこの主人公は必ずしも犯罪者にならなければいけない必然性はないはずなのだが、奇妙にもそういった道へと進んでいく行為がごく自然に描かれているのである。それはあくまでも主人公の性格によるところで、“やりたいことだけをやる”という主義がそういった道へと走らせているのだ。
とにかく本書は実際にその場を見てきたような銀行強盗を実行する場面や、刑務所に収監されているなかでの生活ぶりなどなど、妙に生き生きと描かれた主人公の生活ぶりの描写に惹かれる作品となっているのである。
なんとなく、この作家にかかれば、似たような内容のネタであったとしても、またたくまにベストセラー小説の早変わりさせてしまうような手腕を持っていると思えてしまう。近年、犯罪小説を描く作家のなかでは一番の実力者といえるのではないだろうか。
<内容>
盗みなんて楽勝さ! ダニーをリーダーとする若者四人組は、マフィアを手玉にとり、大金を奪取。が、その直後、ダニーは仲間の裏切りにあい、刑務所行きになってしまう。数年後、刑期を終えて出所した彼に、金の奪回に燃える悪党たちが襲いかかる。奇人変人、殺し屋達、マッチョマン、性的倒錯者、注射魔やFBIをも敵にまわし、奪え、騙せ、走り抜け!
<感想>
もう少し、切れた小説家と思いきや以外に中身は落ち着いている。クライムノベルではあるのだろうけども、青年の成長物語というほうが実感がわく。主人公の性格のベースがあいまいなためか、悪人度が低く、犯罪小説たる部分が希薄に感じられた。
内容は、現金強奪、逮捕、刑務所での邂逅と知識欲、ギリシャでの生活、金を取り戻そうとする者達の跳梁とてんこ盛りではある。しかし、かえって詰め込みすぎたためかそれぞれの場面が簡潔であり、登場人物らの設定が中途半端になってしまっている。もっと、場面を絞って単純な物語にしたほうが良かったように感じられる。
やはりクライムノベルならば、どこまでも切れてしまうか、もしくは大いなる爽快感をまとうものか、行き過ぎるくらいでなくては。