ア行−ウ  作家作品別 内容・感想

死者を起こせ  Debout les morts (Fred Vargas)

1995年 出版
2002年06月 東京創元社 創元推理文庫

<内容>
 歴史学者で現在職を失っているマルクは金がないために、安上がりな家を同じく金のない歴史学者たちと共に借りることにした。そのときから世にも奇妙な共同説活が始まることに! 中世時代が専門のマルクと、裸で歩き回るのが好きな先史時代専門のマティアス、教師をしている第一次世界大戦専門のリュシアン、そしてマルクの伯父で元刑事のアルマン・ヴァンドスレール。
 彼等がその家に住み始めるとすぐに、隣の家に住む元オペラ歌手のソフィアが訪ねてきた。なんでも彼女の家の庭に突然一本のブナの木が植えられていたのだという。いったいどのような意味合いがあるのか調べてくれないかといわれるのだが・・・・・・その後、なんとソフィアは行方不明になってしまう。いったい、彼女に何が起こったのか? そしてブナの木が標す意味とはいったい!?

<感想>
 これは色々な意味で面白い作品であった。ミステリとしても良く出来ていると思えたし、また、なんといっても人物設定が非常に良い。とても事件の解決にはおぼつかないのではと思える3人の若き歴史学者と唯一落ち着いた雰囲気をかもし出す元刑事。この4人のコンビがうまく物語を引っ張っていっている。

 そしてミステリとしても出だしから興味をひきつけられるものとなっている。突然、庭に植えられたブナの木の謎。オペラ歌手の失踪事件。そして、その失踪事件を調べていくうちに次々と明るみにでる過去の事実。

 色々な展開でうまく物語を引っ張って行きながら、さらには次々と起こるどんでん返し。そして最後に明かされる真相と、そこにたどり着くのは4人のうちの誰か、などなど実に興味深い構成で作品が成り立っている。ひとつ残念であったのは、“ブナの木”自体にもう少しうまい意味合いを付けてもらいたかったというところ。

 と、良いフランスのミステリを読むことができたわけだが、この作品が書かれたのが1995年と新しい年代であることにおどろかされる。現代作家にもこのような作品を書く人がいるのだなと。2006年にはヴァルガスの別の作品が訳されていたが、本書に登場する人物達が活躍する作品もまだまだいくつかあるようなので、是非ともそちらも訳してもらいたいところ。ポール・アルテといい、このフレッド・ヴァルガスといい、フランスのミステリ界には良い人材がまだまだ埋もれているのでは?


青チョークの男  L'Homme Aux Cercles Bleues (Fred Vargas)

1996年 出版
2006年03月 東京創元社 創元推理文庫

<内容>
 新しくパリ五区に来た警察署長のアダムスベルグはパリで続く奇妙な事件に気を奪われていた。その事件とは、そこらじゅうの道ばたで青いチョークで円が描かれるというものであった。その円の中にはガラクタが置かれており、犯人は夜な夜な街を歩き回ってはがらくたを見つけ、青いチョークで円を描いているのである。アダムスベルグはこの人畜無害のような事件に不穏なものを感じ取り、部下のダングラール刑事に事件を調査するように命じる。そしてある日、とうとう青い円の中で死体が発見されるという事件が・・・・・・

<感想>
 フランスの作家による警察小説を読むと、どうしてもメグレ警部シリーズと比較をしてしまう。そして、色々なところにメグレ警部シリーズの影響が出ているのではないかと考えてしまうのだ。本書では主人公である署長がメグレ警部とは性格が大きくかけ離れているものの、独断的な捜査の進め方とか部下の使い方とかを見るとどうしてもメグレ警部シリーズの影響を受けているのではと考えずにはいられなくなってしまう。

 と、メグレシリーズとの影響云々は置いといて、この作品単体での評価はどうかといえば、なかなか悪くないというところ。

 悪くないというのは、最終的な解決まで到達すると、作品全体としてよい評価をあげたくなるのだが、読んでいる途中は結構退屈な場面が多かったと感じられた。事件の捜査自体にもっとページを割いてくれればよかったのだが、直接事件に関係ない人物に対する描写が多すぎたように思われる。この辺は、シリーズものとして今後再登場してくる人物について描いておきたいという思惑があってのことだと思うのだが、もう少し事件主導で行ってもらいたかったところ。また、署長のアダムスベルグの捜査というものが直感的なものであり、その直感が働くまで時間がかかるということも退屈さに拍車をかけていると感じられた。

 とはいうものの、最終的に犯人や真実が明らかになったときには感心させられたし、シリーズものとしてこういう作風なのだと慣れてくれば、そういったことも気にならなくなるかもしれない。とりあえず、このシリーズが今後追って行き続けたい作品となったことには間違いない。


論理は右手に  Un Peu Plus Loin Sur la Droite (Fred Vargas)

1996年 出版
2008年04月 東京創元社 創元推理文庫

<内容>
 元内務省調査員のルイ・ケルヴェレールは毎日のように公園を見張り、周囲に怪しい出来事が起きていないか探り続けていた。そんな折、彼は公園内に落ちていた犬の糞のなかに人骨が混じっているのを発見する。ケルヴェレールはその人骨から、何が起きたのかを割り出すために綿密な調査を開始する。そして、その調査の助手として“三聖人”とあだ名を付けられているひとり、歴史学者で現在失業中のマルク・ヴァンドレースの手を借りる事に。

<感想>
「死体を起こせ」に続く“三聖人”シリーズの第2作! ということであったのだが、肝心の“三聖人”の活躍の場があまりなく、この作品ではルイ・ケルヴェレールという男が主人公となっており、彼のほうが強い印象を残している。

 今作では“三聖人”がどちらかといえば脇役で(しかも三人のうち一人はほとんど出てこない)肩をすかされるうえ、本格ミステリとしては若干もの足りない内容となっている。

 それというのも、事件の発端が“公園の犬の糞のなかに人骨があった”というのみで、それ自体からは事件性というものを感じられないからである。その奇怪とはいえ、ちょっとした出来事をケルヴェレールは異常なほど熱心にとらえて、真相を追究していくことになる。

 具体的に話が事件へと結びついてゆくのは中盤以降となっており、それゆえにミステリ作品としての密度は薄く感じられる。しかし、本書で注目すべき点はケルヴェレールが何故、今回の事件ともいえないような事柄を熱心に追いかけてゆくのか、そして日々彼は何を目的としてスパイ活動のような日々を過ごしているのかということである。

 それこそがこの作品で一番の強烈な印象を残すものとなっている。ゆえに、本書はミステリ作品というよりは、一種のスパイものとか謀略小説のような感じを受けるものとなっている。まぁ、これはこれとして面白くはあるものの、次回は“三聖人”らが中心となった本格ミステリ作品を読めればと思っているところである。


裏返しの男  L'Homme A L'envers (Fred Vargas)

1999年 出版
2012年01月 東京創元社 創元推理文庫

<内容>
 フランスの小さな村で羊が狼に襲われるという事件が起きた。被害は羊だけにとどまらず、牧場主である女性までが殺害されてしまう。その後、次々と他の村で羊が狼に襲われるという事件が起きるのだが、一部では狼男の仕業ではないかという噂が持ち上がる。女牧場主の仇をとろうと、黒人青年ソリマンと老羊飼いハリバンは村から行方がわからなくなった男の行方を追うことを決意する。彼らは車の運転ができる音楽家のカミーユを巻き込み、3人で狼男と噂される男の跡を追うのであったが・・・・・・

<感想>
 日本で「青チョークの男」が訳されたとき、アダムスベルク・シリーズ第1弾と書かれていたのだが、それからこの2作目が訳されるまでに6年もかかっている。本国で出版されているのは1999年のことなのだから、もう少し早く紹介してくれてもよいと思えるのだが。

 本書は本格ミステリらしくない出だしから始まる。それは狼による羊の襲撃事件。しかし、その襲撃事件はおかしいのではないかと動物の研究家は意見する。そこから狼男の噂が出て、事態はホラーの様相を呈しつつ、ロードノベルのような3人の追跡劇が始まって行くこととなる。

 その間、「青チョークの男」で活躍したアダムスベルクも登場はするのだが、別の事件を抱えていて、本邦の事件とはあまり関係ないことをしている。後半に入り、ようやく事件はアダムスベルクの手にゆだねられることとなる。

 事件全般がミステリというよりは一風変わった冒険ものというような感じになっている。とはいえ、最後の最後にはミステリとして帰結する作品に仕上がっている。ただ単純に謎を解くというだけでなく、登場する主要キャラクターそれぞれの性格や、彼らのやりとり、そしてアダムスベルクの個人的な悩みとその始末の付け方というものが書きつづられている。最初はちょっとした役としか感じられなかった老羊飼いが徐々に味のあるキャラクターとして存在感を出してゆくところは見どころと言えよう。

 単純にミステリとしてのみならず、フランス小説の渋さを堪能しつつ、娯楽作品としても楽しめる逸品。


彼の個人的な運命  L'Homme A L'envers (Fred Vargas)

1997年 出版
2012年08月 東京創元社 創元推理文庫

<内容>
 元売春婦のマルトのもとに一人の男がやってくる。少々、頭の足りなさそうなこの男はクレマン・ヴォケールといい、マルトは彼が子供であった頃面倒を見たことがあったのだ。クレマンが言うには、彼は連続殺人の容疑者になっているという。マルトはクレマンの言い分を信じ、元内務省調査員であるルイ・ケルヴェールに彼の無実を証明してくれと頼み込む。ルイはクレマンを三聖人と呼ばれる歴史学者たちが住むボロ館に預け、真犯人の正体を探ろうとするのであるが・・・・・・

<感想>
 今年、フレッド・ヴァルガスの作品が訳されるのは2作目。この調子で未訳の作品をどんどんと訳してくれればと思っている。本書は“三聖人”シリーズと呼ばれる作品の三作目。ただ、このシリーズは三作目以降は書かれていないようであり、後の未訳作品はアダムスベルク警部が登場するシリーズとなるよう。

 今作は2作目に引き続き、肝心の“三聖人”よりも元調査員のルイ・ケルヴェールが中心となって活躍する内容。ただ、このルイという人物が活躍すると、単なる警察ミステリという印象しか残らない。ひょっとすると、そんなわけもあって、このシリーズを書かなくなったのであろうか。

 連続殺人犯の容疑をかけられた男の無実を証明するためにルイは、三聖人らの助けも借りつつ、事件を捜査していく。そうするうちに、過去の事件が明るみに出て、徐々に事件の真相が見えていくという内容。その捜査の展開はなかなか面白かったものの、犯人に対しては意外性が少なかったかなと。何しろ容疑者と目されるものが少なすぎた。

 ルイが捜査する過程や、シリーズ作品として内容を楽しむという作品か。とはいえ、全体的にそれなりに楽しめたので、シリーズとしてここで終わってしまうというのは、ややもったいない気もする。あと、フレッド・ヴァルガスが女性であったと、この作品のあとがきを読んで初めて知った。


コードネーム・ヴェリティ  Code Name Verity (Elizabeth Wein)   6.5点

2012年 出版
2017年03月 東京創元社 創元推理文庫

<内容>
 第二次世界大戦中、イギリス特殊作戦執行部員の女性がナチスの捕虜となった。彼女は拷問を受け、知っていることを全て話さなければならない状況に追いやられる。インクと紙、そして二週間の猶予を与えられた彼女は、何故か物語風に手記を書き始め・・・・・・

<感想>
 IN・POCKETの文庫翻訳ミステリーベスト10でその存在を知り、購入した作品。

 読んでみて、どうだったかというと・・・・・・これは小説としては物凄くよく出来た作品であると思われる。ただ、ミステリというよりは、戦争小説という赴きが強いので、ミステリ的な部分を期待し過ぎると微妙と感じられてしまうかもしれない。個人的には、創元推理文庫ではなく、別のレーベルで出版すべき作品ではないかと感じられたのだが、文庫で手軽に読めるという点ではよいことなのであろう(それでも1200円+税)。

 前半は、第二次世界大戦中にナチスの捕虜となった、イギリス女性軍人によって書かれた手記が表される。彼女はナチスから責め立てられ、自身が知っている全ての情報をそこに書き記さなければならなくなったのである。ただ、そこに彼女が書いたのはマディという女性を主人公とした小説のような内容のもの。

 物語の前半は、この手記が延々と描かれてゆくこととなる。彼女が何を考えて(また、最初は彼女の本名ですらよくわからない状態)、ナチスに情報を漏らす際に、このような形式にしているのか? 彼女を見張る女性監視員に責め立てられつつも、手記の続きを延々と書き綴ってゆく。そして後半に入ると、別の人物からの視点に移り変わり、物語の全貌が徐々に明らかとなってゆくことに。

 読んでいる途中は、読み通すのがきついとも感じられてしまうのだが、読み終わってみると良い作品を読んだという印象が強くなる。単なる戦争小説というものではなく、女性兵士の視点で描かれ、女性兵士たちが戦争によりどのような体験をすることとなったのかが表された小説としても貴重なのではなかろうか。ミステリ云々に関わらず、広く読まれることを期待したい感動作。


ボルヘスと不死のオランウータン  Borges e os orangotangos eternos (Luis Fernando Verissimo)

2000年 出版
2008年06月 扶桑社 扶桑社文庫

<内容>
 私(フォーゲルシュタイン)は物書きであり、ブエノスアイレスで開かれるエドガー・アラン・ポー愛好家による学会に出席しようとしていた。すると、そこでゲストとして招かれていた高名な作家、ボルヘスと会うことができたのである。しかし、喜びもつかの間、私達が宿泊していたホテルで殺人事件が起きてしまう。私はボルヘスと共に事件の謎をとこうとするのだが・・・・・・
 ブラジル作家による文芸ミステリ。

<感想>
 まぁ、ちょっと変わった作品というか、いかにも“文芸ミステリ”という名にふさわしいような作品であった。

 事件自体はそれほど不思議なものでもなく、最終的に解かれる謎もありきたりと言ってよいのかもしれない。ただ、そこに至るまでのアプローチが摩訶不思議な内容になっている。

 死体の奇妙な状況から、それをダイイングメッセージであると断定し、さまざまな推理推測を組み立ててゆくのである。しかもそれらが全く信憑性のなさそうな途方もないものばかり。

 最終的には普通に謎が紐解かれ、まるで目くらましにあったような展開が嘘のように現実的に解決されることとなる。

 文学者達に殺人事件の謎を解かせるものではないという教訓を感じる事ができる作品。


半 身   Affinity (Sara Waters)

1999年 出版
2003年05月 東京創元社 創元推理文庫

<内容>
 マーガレット・ブライアは慰問としてミルバンク監獄を訪れる。そしてそこでその場にふさわしくないような少女に目をとめる。彼女の名はシライナ、霊媒師であるという。マーガレットはたびたび慰問に訪れ、シライナと話を交わしつづけるうちに彼女に惹かれて行き・・・・・・

<感想>
 静けさの中に迫力があるとでもいったらよいだろうか。話そのものは平坦な感じがするものの、決してページをめくる手を休ませることのない魅力と魔力に包まれている。

 その妖しい雰囲気が取り巻く中で、主人公であるマーガレットが確実に落ちつつある。読んでいて決してマーガレットに明るい未来が来ることはないだろうなぁと予測しながらも、どのような終焉を迎えるのかが気になり、ラストへの期待が否応なしにたかまる。そしてもう一人の主人公たるシライナは善人なのか、悪人なのか? そして彼女の真意とはいったいどこにあるのか? そして最後に読者に知らされる“半身”の真の意味。

 独特の雰囲気をまとう期待の新人作家がここにまた一人現われた。


荊の城   Fingersmith (Sarah Waters)

2002年 出版
2004年04月 東京創元社 創元推理文庫(上下)

<内容>
 19世紀半ばのロンドン。故買屋の家で暮らしている孤児のスウ。あくどいことをして稼いでいる夫婦の手によって何故かスウは大事に育てられてきた。スウが17歳のとき、詐欺師で<紳士>と呼ばれる男が故買屋夫婦の元に大きな仕事を持ってくる。その仕事にスウが必要だというのだ。その計画はというと、古い城に令嬢とその伯父が住んでいるというのだが、その令嬢をたぶらかして大金をせしめようというのである。そしてちょうど、今まで働いていた侍女が病気になったので、その後釜にスウが入り<紳士>の計画を手伝ってもらいたいというのである。大金に目がくらみ、乗り気になる故買屋夫婦達。そしてスウは侍女として、その城に乗り込むことになるのであるが・・・・・・

<感想>
 去年「半身」で一世を風靡した著者の最新作。著者にとって本書は3作目。

 今回の作品も前作に劣らず、高いリーダビリティを誇る本となっている。上下巻となっているが、一気に読まされてしまう。特に序盤の詐欺師による計画の部分はなかなかの見所。詐欺師のいいなりになって、令嬢を騙し続ける主人公のスウであるが葛藤にさいなまれながらも計画を推し進めてゆく。そしてその計画が終盤へと近づいたとき、世界が一変する。これは前半の山場といってもいい部分。これにより読んでいるものは物語に釘付けになることであろう。

 そして中盤から後半にかけては若干冗長と思える部分があるのも事実。下巻の前半の部分はもう少し、はしょっても良かったんじゃないかなと感じられた。とは言うものの、最後まで物語に対する興味は尽きることがないように描かれているので、途中で読むのを止めることなどできない本である。

 本書で注目すべき点はこの著者による独特の世界が描かれているという点ではないだろうか。物語の内容としては特にオリジナルというほどではないかもしれない。しかし、物語に広がる世界観が著者独自の作風を見事に表しているといえよう。

 この物語では舞台はいろいろと移り変わっているのだが、主には3つの場面で構成されている。ロンドンの下町の“故買屋”と令嬢の住む“城”とそしてもう一つ(これは読んで確かめてもらいたい)である。その閉鎖された空間の中で、まるで劇中の一幕のように物語が語られてゆく。そしてその薄暗い部屋の中で展開される一場面一場面に強い印象を焼き付けられるのである。それはあたかも目の前で劇や映像で展開されているかのように感じられるものとなっている。

 本書には数々の見所があるので、読む人によって強い印象を持つ場面というのは異なるものになるであろう。ぜひとも読んで自分の目でそれを確かめてもらえたらと思う一冊である。


夜 愁   The Night Watch (Sarah Waters)

2006年 出版
2007年05月 東京創元社 創元推理文庫(上下)

<内容>
 1947年、ロンドン。屋根裏部屋に住む孤独な女性ケイ。マンディという老人と同居する、工場で働く青年ダンカン。その姉であり不倫の恋に悩むヴィヴ。ヴィヴの同僚であり、同姓の作家ジュリアと同居するヘレン。彼らはそれぞれ他人には言えない、心に秘めた思いを抱いていた。そしてそれぞれの想いが過去へと遡るとき、真実が明らかにされ・・・・・・

<感想>
「半身」「荊の城」にて好評を得たサラ・ウォーターズの4作品目であり、日本で翻訳された作品としては3作品目となる新作がこの「夜愁」である。

 ただ、読んだ感想を一言で述べると、退屈であったと。前作までのミステリ色が濃い内容のものをこの作品に求めるとがっかりすることになるであろう。というより、創元推理文庫で刊行するような内容ではないというのが正直なところである。

 とはいえ、この作品がひとつの小説としてできの悪い作品なのかといえば決してそうではないと思われる。戦時中さなかの、男たち女たちの変わった関係が情緒深く描かれた良質の作品といえるであろう。また本書は、1947年、1944年、1941年とだんだんと過去にさかのぼりながら物語を語り継ぐことによって読者に深い印象を残すことを成功させた小説であるとも言うことができる。

 というわけで、良質の落ち着いた小説であるということは請合うことができる作品である。しかし、スピーディーなミステリ小説を望んで読むとがっかりすることになるので注意が必要。ミステリ作品のみを追っているという人にとっては敬遠してもよい作品であろう。


エアーズ家の没落   The Little Stranger (Sarah Waters)

2009年 出版
2010年09月 東京創元社 創元推理文庫(上下)

<内容>
 医師となったファラデーが住む地域一帯にて、かつて隆盛を極めたエアーズ家。ファラデーが子供のころは、気軽に屋敷に立ち入ることさえできなかったくらいである。それが第二次世界大戦後にはエアーズ家は見る影もなく衰退していった。現在そこに住んでいるのは屋敷の主人であるエアーズ夫人、娘のキャロライン、そして戦時中に大けがを負った息子ロデリックの三人。召使は住み込みのメイドが一人と通いの家政婦が一人。たまたまファラデーは医師としてエアーズ家を訪れることとなるのだが、屋敷に入るとかつての様子が見る影もなく荒廃していることに驚かされる。このとき訪ねたのが縁でその後ファラデーは度々エアーズ家を訪れることとなる。すると息子のロデリックが屋敷にたいして異常を訴え、それからエアーズ家を数々の事件が襲うこととなり・・・・・・

<感想>
 これでウォーターズの作品が訳されるのは4作目となるのだが、読む前に一番気になったのは本書がどのようなジャンルの作品になっているのかというところ。私自身「半身」からずっと読み続けてきたわけだが、徐々にミステリらしさは失われてきているように思われたのだ。それが今作を読んでどうおもったかといえば・・・・・・どんなジャンルの作品かは読者自身が決めてくださいと投げかけられたまま終わってしまったように感じられたのである。

 本書は衰退しつつあるエアーズ家での不思議な事件を描いたもの。それらの事件によってエアーズ家に住む者たちは徐々に正気を失ってゆく。しかし、読んでいる側からすれば、そこで起きている事件は霊的なものとか妄想などというよりも人為的な事件なのではないかと疑ってしまうのである。それならば誰が何のためにやったのかということを気にかけながら物語を読み続けてゆくこととなる。

 最終的に、そういった疑問に対しては読者に満足のいく答えが投げかけられることはない。とはいえ、それまでの物語の流れを考えると、決して犯人たるものが存在しないわけではなく、さまざまな部分で悪意であったり動機となるものを多々感じることができるのである。私も読んでいる最中や読了後に、これが犯人なのでは、という候補をいくつか挙げることができた。ただし、それらの解決は提示されているわけではないので、この物語に結末を付けるとするならば、あとは読者自身の胸の内で決めるしかないのである。

 と、そんなわけで決して納得のいく作品ということはできないのだが、全くミステリとして楽しめないというわけでもない。でも、次のウォーターズの作品が出た時に、それを購入するかどうかは微妙になってきた。


英雄たちの朝   ファージングⅠ   Farthing (Jo Walton)

2006年 出版
2010年06月 東京創元社 創元推理文庫

<内容>
 1941年、イギリスとナチスドイツが講和したことにより、大戦が終結したという世界。その講和から8年後、講和に尽力をつくしたことにより大きな権力を手にしたイギリスの政治派閥“ファージング・セット”。その一族が集うなか、ひとつの殺人事件が起こる。下院議員の変死体が発見され、そばにはユダヤ人が着用を義務付けられている星印の布が残されていたのだ。屋敷の主人の娘であるルーシーは、周囲の反対を押し切りユダヤ人であるデイヴィッド・カーターと結婚していた。当然のことながら、容疑はカーターに降りかかることとなる。しかし、スコットランドヤードの警部補ピーター・カーマイケルは捜査を進めていくうちに、別のものの犯行ではないかと疑い始め・・・・・・

<感想>
 昨年話題となった歴史改変ミステリ作品。歴史改変ものと聞いただけで、小難しく考えてしまう人もいるかもしれないが、本書は基本的にはミステリ路線で進んでゆく物語となっている。

 世界設定は、ナチスドイツが勢力を伸ばし続ける1949年におけるイギリス国内での話。ただし、こうした設定については特にこまごまと語られることはない。そこに住む人々の暮らしぶりから、われわれが住む世界とはことなる情勢になっていると感じ取ることができるという程度。そうしたなかで、ユダヤ人を夫に持つ権力者の娘ルーシーと、事件を捜査するスコットランドヤードの警部補カーマイケルの二人の視点によって交互に話が進められてゆく。

 読んでみると、普通の海外ミステリ作品となんら変わらない気がした。一族が集まる中で事件が起こり、それを警察が捜査するというもの。なんともイギリス・ミステリらしい展開と言えよう。途中まではひとつの事件のみで話が進められてゆくため、やや単調と感じられるのも確か。中盤以降、さらに事態が動くことによって、話が急展開して行き、物語は一気に加速する。

 と、まぁ普通のミステリらしい展開であるのだが終盤においてようやく、この世界設定らしい話が推し進められることとなる。ゆえに、物語の結末についてはかなり政治的な面が強調されるものとなる。この結末がこの一冊のみであれば、どうかと思うところだが、3部作の最初ということであれば、ようやくここから物語が始まったと、とらえることができる。一応はこの巻で結末が付けられるものの、ここから2冊目、3冊目とどのように展開し、どのようにして話が進められてゆくのかが気になるところ。さらに、今作で登場した人たちのその後のことを考えると気になって気になってしょうがない。

 結局のところ、本当の感想は3部作全部読み終えてみなければ語ることはできなさそうである。


暗殺のハムレット   ファージングⅡ   Ha'penny (Jo Walton)

2007年 出版
2010年07月 東京創元社 創元推理文庫

<内容>
 1949年、戦後8年が経ったとき、演劇界では男女の配役を逆転させて上演することがはやりとなっていた。そんなとき、女優のヴィオラ・ラーキンはハムレットの役をやらないかと持ちかけられる。乗り気になったヴィオラは役を引き受けるのだが、それによって国家をゆるがす陰謀に加担してゆくこととなる。そのハムレットの上演初日、観覧者として首相のノーマンビーとドイツのヒトラー総統が来るというのだ。その情報を知った労働党の幹部であるヴィオラの妹シディは、彼女に上演当日、爆弾を仕掛けろという難題を持ちかけてくる。
 一方、スコットランドヤードの警部補ピーター・カーマイケルはとある女優の家で爆弾が爆発した事件を調べていた。何ゆえ、このような事件が起きたのか? 事件を調べていくうちにカーマイケルはその裏に潜む陰謀を見出すこととなり・・・・・・

<感想>
 歴史改変ミステリ、ファージングの第2作目。今作は話としては面白いのだが、見どころが少なかったというのが正直な印象。

 最初に爆弾事故が起きたり、ヒトラーを狙った暗殺計画が練られたりという話が出て来るものの、爆弾事故に関してはおおよその概要がすぐに明らかになってしまう。また、暗殺計画も終幕まで淡々と話しが進められてゆくのみ。要するに、謎となる事項がほとんどないのである。調べてゆく警察にとっては、数々の謎を抱えていかなければならないものの、読者としては起こっていることのほとんどが明らかになっているので、ラストがどうなるかが気がかりというのみ。

 もし、この本を読むにあたって、演劇“ハムレット”に関して含蓄があるのならば、さらに内容を楽しむことができるはず。ところどころにハムレットの劇中の言葉を引用したり、皮肉を入れたり、男女の配役を入れ替えるという試みを行ったりという工夫がなされている。よって、そういった知識を持った人であれば、別の楽しみ方ができるはず。

 というわけで、今作は普通のサスペンス小説としてのみ楽しめる作品であった。まぁ、読みやすかったのでストレスも抱えずに普通に読むことができた。ただ、ファージングというシリーズの中においては、さほど重要なことがらが起きなかったという気がしてならない。ただし、本文中にちょっとずつ書かれているように、人民が徐々に今の世界は何かおかしいということに気付き始めるという前触れが高まりつつあるようには感じられた。


バッキンガムの光芒   ファージングⅢ   Half A Crown (Jo Walton)

2008年 出版
2010年08月 東京創元社 創元推理文庫

<内容>
 イギリスはファシズム一色に染まりつつあるものの、日に日に国民はそうした状況に疑問を抱くようになりつつあった。そんな1960年、18歳のエルヴィラ・ロイストンは社交界デビューを迎えようとしていた。彼女の父親は警察官であり、殉職してしまったのだが、養父として監視隊隊長のカーマイケルが後見人となってくれた。そんな養父の力により、何不自由ない生活を送っていたエルヴィラであったが、ファシスト達のパレードを軽い気持ちで見に行ったことにより人生が一変する。パレード中、暴動が起こり、エルヴィラは警察に逮捕されてしまうのだった。彼女は養父のカーマイケルの名を出し、助けを求めるのであったが・・・・・・

<感想>
 歴史改変小説の完結編。前2作と比べると、物語はやや単調。というのも、序盤は事件らしい事件は起きずに、エルヴィラという18歳の少女と監視隊隊長であるカーマイケルの近況が語られてゆくというもの。そこからやがて事件に発展するものの、物語の背景と比べればほんの一部の出来事にすぎず、小さなところで話が動きつつあるという感触。

 今回物語が展開される中でふと思ったのは、監視隊隊長であるカーマイケルが地位のわりには権限がやたら小さいと思われたこと。ファシズムで染まるなかでの隊長という権限をもった者であれば、自分の後見人くらいもっと簡単に助け出すことができそうなものであるが。とはいえ、カーマイケル自体が様々な弱みを持っているということが大きなネックにもなっている。

 後半は早い展開で物語が進み一気に読みとおすことができた。逃れようのない状況からエルヴィラとカーマイケルはそれぞれどのように危機を脱することができるのかが大きなポイントとなる。まさかエルヴィラの社交界デビューがこのような形で物語に効いてくるとは想像もしなかった。

“ファージング”という大きな物語をつくり、どのように話を締めくくるのだろう、もしくはこれを本当にうまく締めくくることができるのだろうか? と正直疑いを抱いていたのだが、これがまた実にうまく締めくくられている。邦題のタイトルにあるように「バッキンガムの光芒」という希望を見出す形で話がまとめられている。ファシズムというものに対して、全てが結論付けられたというわけではないにしても、ひとりの少女の視点から始まりそして帰結する話としては最高の着地点であったのではないだろうか。これは歴史改変小説として、まさに歴史に残る一作となった作品と言えよう。


警察署長   Chiefs (Stuart C. Woods)

アメリカ探偵作家クラブ賞受賞
1981年 出版
1987年03月 早川書房 早川文庫NV(上下)

<内容>
 ジョージア州の田舎町デラノで初の警察署長にウィル・ヘンリー・リーが就任した。平和な町の中で警察署長の仕事を無難にこなしつづける中、一つの事件が起こる。郊外で黒人の若者の全裸死体が発見されたのだ。ヘンリーはK・K・K団が犯行にかかわっているのではないかと捜査を進めるのだが・・・・・・
 40年に及ぶ殺人事件を多彩な人物を配して描く大河警察小説。

<感想>
 近年、ランズデールやマキャモンがクー・クラック・クランが公然と活動する黒人差別社会が顕著な時代を背景に小説を書いている。それらの元祖ともいうべき名作がこの「警察署長」であろう。元祖とはいっても、本書以外にも当然いろいろな関連する本が書かれていることだと思う。例えば、「アンクルトム」という文学的名作もその一つである。ただ、この「警察署長」はその時代を背景として書かれているだけではなく、ミステリーとしても抜群のでき栄えを誇る1冊なのである。

 この本はのっけからいきなり面白い。何が面白いかというと、警察署のない田舎において警察署長が抜擢されるところからはじまるのだ。しかもその男はいままで警察という職業を経験していない人物。それが警察に必要なものを周囲のアドバイスを聞きつつ、そろえていき、そして町の警察官としての仕事をこなしていくというストーリーが興味深い。

 そして時間の流れが進みつつ、その警察署にはさまざまな人々が任務につくことになっていく。後半になると警察署の話というよりは、町というよりも、州レベルの議会選挙の話も取り上げられて、前半と趣が異なるようにも感じられる。しかし、そういった部分もまた興味深く読むことができ、警察署長の移り変わりにも目が離せない展開がなされていく。

 また、時間が進むといっても、基本的には初代警察署長であるウィル・ヘンリーとその息子が時間軸の中心となり、さらに物語の裏の中心ともいえる“とある事件”が常に見え隠れしている。よって、代が変わっても大きな時間の流れの中での一つの物語として楽しむことができるのだ。

 また、これは読了後あとがきを読んだ事によって得た知識であるのだが、本書には実在の人物と思われる人々が多々出てきているとのことである。ルーズベルトやケネディなどは実名で登場しているのだが、主人公のひとりであるとある人物も、ある有名人と重ねあわすことができるとのことである。これはアメリカ史に詳しい人が読めばさらに楽しむことができるのではないだろうか。

 アメリカの片田舎の発展を描いた壮大なる叙事詩と融合したミステリー大作。これはもう語り継がれる名作であろう。読みやすい本なので多くの人に読んでもらいたいものである。




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