<内容>
アラブ過激派を狙うユダヤ人報復グループの若者二人が、ローマ空港で虐殺された。指令を発したのはアラブ諸国と結んで石油利権を支配し、CIAをも傘下に収める巨大組織<マザー・カンバニイ>。だがグループの一人、ハンナがからくも生き延び、バスク地方に住む孤高の男に救いの手を求めた。ニコライ・ヘル、<シブミ>を体得した暗殺者に!
1930年代の上海で少年期を送り、日本軍の将軍から<シブミ>の思想を学んだヘルは、かつてハンナのおじに受けた恩義に報いるために<マザー・カンパニイ>から彼女の身を守ることを決意する。だが巨大組織の魔手はすでに彼の許に伸びていた。追撃を逃れるためにバスク山中に足を踏み入れたヘルとハンナを待ち受けるものは何か?
日本の心を身につけた男の波瀾の半生と、巨大組織との死闘を描く冒険巨編。
<感想>
一見、あやしげな日本の格闘術<シブミ>を身につけた男が組織相手に八面六臂、闘い狂う冒険活劇かと想像した。実際、読み進めると、怪しく思えた<シブミ>とは、まさしく<渋み>という日本語であり、格闘術ではなく日本の思想であった。そしてヘルは誇りと気品をたたえ世界の暗殺者という舞台へと進んで行く。
この日本の書き方が、外国から見た誤った文化ではなく、きちんとそれらしくとらえているところには驚く。さらにその日本文化に対する考察も深く、自分なりの解釈のように打ち出しているところはすばらしい。作者は日本文化を研究する大学教授とかか?
内容のほうは、きちんと日本の文化をとらえてくれるのはいいが、その分、解釈だの哲学的な考え方などといった部分にページが多く割かれたりする。純粋なアクションを期待するには少々まわりくどくもある。しかし、少年期から青年期へと覚醒して行くヘルの成長や、後半の洞窟での命がけのシーンなどと見所はたくさんある。
ただ、大きな不満が一つある。それは、文庫では上、下巻になっているのだが、まさにこの中巻となるべき部分の話を書いてもらいたかった。少年期から青年期へ写る部分から、壮年期と暗殺者として活躍した部分は詳しくは書かれていないのである。この部分を書いてこそ、ニコライ・ヘルの一生となるのではないだろうか。残念ながら、作者が創作したにもかかわらず、ニコライ・ヘルは600ページぐらいでは書ききれる人物ではない。
<内容>
さびれた鉱山町にふらりと一人の若者が訪れた。若者はその鉱山町で暮らそうというのか、町の人々に頼み込んで数々のちょっとした仕事を手伝うことに。そして若者が徐々に村に人々になれ始めた頃、その小さな町に刑務所から脱走した3人の凶悪犯がやってきて、町はパニックになる。
<感想>
プロンジーニの「雪に閉ざされた村」を思い起こすような内容の本。パニック・サスペンスとでもいいたいところなのだが、トレヴェニアンが描く本書はそれだけでは納まらない内容になっている。
序盤のほうは一見、文学作品であるかの内容。最初は一人の青年がさびれた町にて、人々に認めてもらい、町の住人にならんとしてゆく様子が描かれてゆく。この青年がまた変った人物であり、正直者なのか単なる嘘つきなのかがわからない。そうこうしているうちに、今度は町に凶悪犯がやって来て、物語は一変して陰惨な舞台が幕をあける。
凶悪犯たちは何をせんとしているのか。また村の人たちは、その彼らに対してどういう反応をするのか。さらにまたそのなかで青年がなす役割とはなんなのか。先行きはいったいどうなるのだろうかということが気になって、ページをめくる手を休めることができず、あっという間に結末まで一気に読んでしまった。そのショッキングといえる内容にもかかわらず、不思議と終始落ち着いた雰囲気があるという変った作品であった。
また、本書はその山場が終わった後の後日譚が詳しく述べられてる。最後まで読むと、本書は誰かが主人公というよりは一つの町の盛衰、またそれだけに留まらず、時の流れそのものを書き写した1冊のドキュメントというように思えてくる。最後の最後まで凝った構成がなされた味わい深い本といえよう。
<内容>
1936年、6歳のジャンは母と妹と共にノースパールストリートへとやってきた。別居している父親が家族共に住もうということで、ここに家を借りたのである。アイルランド人区画のスラム街であるパールストリート、そこに住むクレイジーな女たち、そんな環境のなかで新たな生活が始まったのだが・・・・・・
<感想>
アメリカで戦争が始まろうとする中、スラム街に引っ越してきた家族の様子が描かれた8年間。パールストリートでの物語・・・・・・ということなのだが、はっきり言ってつまらなかった。自伝小説だからつまらないかと思いきや、前書きにはフィクションというように書かれている。これがフィクションであるならば、物語としてあまりにもつまらないのではないだろうか。
“クレイジー女たち”とタイトルに書かれている割には、そのクレイジーな女自体がほとんど出てきていない。物語は、ジャンという少年が見たもの、体験したものが主として語られている。ジャンがパールストリートで生きるうえで、いろいろなことを体験するのであるが、そのエピソードのほとんどが印象に残らず、つまらないものばかり。というか、書き方が平凡なのだろうか? どうも、ごく普通の生活が淡々と綴られているだけという感じであった。
唯一感銘を受けたエピソードは、ジャンと教師ミス・コックスとの邂逅であるが、あまりにも現実的で残酷な終結がなされており、そこから話が広がることはなかった。この例のように、華々しい話がなく、失敗エピソードの繰り返しのなかで、苦しい生活が続いていくという流れ。トレヴェニアンの小説という事で、ミステリ色を多少なりとも期待していただけに、あまりにも普通小説すぎてがっかりしてしまった。