ダーク・タワー   内容・感想

感想の前書き   
2006/02/11

“ダーク・タワー”という作品はキングが学生時代から構想を練り、その後作家として活躍するようになった1982年にようやく本として書かれ、第1巻「ガンスリンガー」が出版された。このシリーズはキングのライフワークとも言われ、いつ終わるともわからない壮大な物語として読者の前に現われた。その後、1987年に第2巻「ザ・スリー」、1991年「荒地」、1997年「魔道師の虹」と間隔が開きながらも順調に発表されていった。日本では角川書店で訳され、既に文庫にもなっている。

 それからしばらくの間、日本では音沙汰がなく、このシリーズの続きはどうなったのかと心配していたのだが、キング自身に思わぬ転機が訪れ、一気にこのシリーズの完成が加速する事となった。それはキング自身が負った交通事故によるものである。その事故をきっかけに中途であった“ダーク・タワー”のシリーズを一気に書き上げる事を決意したのだという。それにより、第5巻「カーラの狼」、第6巻「スザンナの歌」、第7巻にして完結となる「暗黒の塔」がアメリカにて書き上げられ出版されたようである。

 これにより、日本では今まで出版されていた角川書店からではなく、新潮社から新潮文庫として第1巻の「ガンスリンガー」から全てを一気に出版する事となった。私自身は角川文庫版で買って読んでいたので(「魔道師の虹」は未読)最初から買う事には抵抗があった。しかし、詳細を調べてみると、キング自身がこの物語を書き上げたときに、今まで出版された本の内容に対しても、全体的なつじつまが合うように手を入れなおしたという事なのである。それならばと、今回この新潮社文庫で全巻そろえ、全て一気に読む意味があると思い、購入を決意したわけである。

 出版と同時期にリアルタイムで読む自信はなく、今年(2006年)中に全部読むというわけにもいかないだろうが、なるべく間をあけずに読みとおしたいと考えている。


ガンスリンガー   ダーク・タワーⅠ   

1982年 出版
2003年 改訂
2005年12月 新潮社 新潮文庫

<内容>
 最後のガンスリンガー、ローランド。世界中の人々が狂気に蝕まれる中で、ただ独りローランドはダーク・タワーを目指し、黒衣の男の後を追って旅を続けてゆく。
 辺境でただひとり狂気にかられずに生き続けている農夫ブラウン。狂気にかられたタルの町に住む人々と、酒場の女アリス。中間駅で出会った異世界から来た少年ジェイク。
 また、ローランドの過去にあった数々の出来事。父と母への想い。仲間達と戯れていた少年時代。ガンスリンガーになるために闘う事になる師匠コート。そして鷹のデイヴィッド。
 やがてローランドが黒衣の男にたどり着き、彼が自分の道を選択したとき新たなる旅が始まる事に・・・・・・

<感想>
 角川文庫版に続き再読となる「ガンスリンガー」。改訂版となって読みやすくなったのか、はたまた再読ゆえに読みやすく感じたのかはわからないのだが、かなりスムーズに読めた気がする。ただ、この物語はまだ詳細が明らかになっていないので不明な点も多々ある。まだ語られていないローランドの過去や世界の崩壊の秘密、そしてダーク・タワーが意味するもの。さまざまな事象が謎のまま話が進められてゆくので、とっつきにくい部分もあるのだが、確かに興味を惹かれる点も多々ある。ただ、すでに第3巻まで読んだ上で話をすると、ここから先のほうが話としては面白くなっていると言っておきたい。あくまでも本書はとっかかりの一冊という事。


運命の三人   ダーク・タワーⅡ   

1987年 出版
2003年 改訂
2005年01月 新潮社 新潮文庫(上下)

<内容>
 黒衣の男と別れたローランドはどことも知れない浜辺へとたどり着く。そこで彼を待ち受けていたものは巨大なロブスターの化け物であった。そのロブスターにローランドは右手の2本の指を喰われてしまう。致命的な怪我を負ったローランドが浜辺を前進続け、そこで見たものは地面から生えているかのような“ドア”であった。その“ドア”は別の世界に通じており・・・・・・
 謎の“3”という数字が意味する「囚われ人」「影の女」「押し屋」。異界の彼らと出会ったローランドがとるべき行動とは!?

<感想>
 いよいよ、この作品もファンタジー、もしくはロールプレイング・ゲームっぽくなってきた。暗黒の塔を捜すのにはローランドひとりだけではなく、神(?)もしくは運命は3人の仲間を与えようとする。しかし、その3人というのが麻薬中毒患者、二重人格の車椅子に乗る女、殺人鬼、とくるのだから驚くより他はない。さきほどロールプレイング・ゲームっぽいと言ったが、こんなゲームはどこにもない。

 麻薬中毒患者は五体満足ながらもどこか影を引きずっており、いつローランドを裏切ってもおかしくないという状況。

 二重人格の女はひとつの人格はとても穏やかで知的であるが、もうひとつの人格は乱暴で疑い深く、手も付けられないという始末。挙句の果てに車椅子ゆえに、砂浜の中を他の者が押して歩かなければならないという苦行までが強いられる。

 さらにもうひとりの殺人鬼にいたっては・・・・・・こちらはローランドがどのような行動をとるのかが、意外な展開となっているのでぜひとも読んで確かめてもらいたいところである。

 という具合に、今回は話し自体は進んだとはいえず、浜辺の中にある三つのドアを捜すということだけで終わってしまう。ただ、今回ようやく旅の仲間が整った・・・・・・というにはまだまだ前途多難であるのだが、ようやくこれで暗黒の塔への進軍開始の準備が一応できたと言って良いであろう。

 今回ローランドが選択した出来事によって、今後どのような影響が出てきて、そして仲間達がどのように変わって行き、そしてそれらが物語の中でどのように生かされていくのかが見ものである。


荒 地   ダーク・タワーⅢ   

1991年 出版
2006年02月 新潮社 新潮文庫(上下)

<内容>
(上巻)
 ローランドと、それぞれ時代の異なるニューヨークから連れてこられた麻薬の運び屋だったエディと車椅子に乗る(オデッタ、デッタ改め)スザンナ。3人は一路、暗黒の塔を目指して旅を進めることに。そんなとき、彼らを襲ってきたのは熊の姿をしたかつて守護者といわれる存在であったものであった・・・・・・なんとか守護者を倒した3人は“ビーム”といわれる道筋に沿って旅を続けて行く。
 そのころ現代の世界では一度ローランドと袂を分かれたジェイクが自分の運命を待ち受けようとしているところであった。しかし、ローランドがジャック・モートを罠にはめたことにより、ジェイクは生き延び、以前とは異なる運命をたどることとなる。ローランドとの出会いを記憶しているジェイクは再びあの世界へ行こうとし、街をさ迷い歩いているときに謎かけの本を手に入れることに・・・・・・

(下巻)
 ローランド、エディ、スザンナ、ジェイク、バンブラーのオイと4人と一匹となった一行は“ブレイン”を求めるために、次の目的地へと目指す。しかし、その“ブレイン”が隠されているはずの街の入り口でジェイクがチクタクマンの手下と名乗る男に連れ去られてしまう。一行は二手に分かれ、ローランドはジェイクを助けに、そしてエディとスザンナは“列車”を探しに行くことになったのだが・・・・・・

<感想>
 一度読んだはずの本なのに、不思議とその内容を覚えていなかった。1巻、2巻は覚えていたのに、この3巻だけは印象が薄い。ただ、読んでいくと個々の場面は思い出され、そういえば読んだような気がすると感じながら読み進めて行った。そして最後まで読んだときに、本書に対する印象が薄いのは、この本のラストで話がきちんと一段落していないからだろうと思い当たる。続きものとはいえ、今までは1巻、2巻がそれぞれ細かなエピソードで語られており、その巻の中で話の区切りがつけられていた。しかし、ようやく登場人物も出揃い、“ダーク・タワー”の話が架橋となってきたことにより、3巻はそのまま4巻へとつながる内容となっている。これは4巻もすぐに読まなければと強く感じさせるような終わりかたであった。

 肝心の内容のほうはというと、ようやく旅の仲間がそろい、ローランドがニューヨークから連れてきた2人を鍛えながら“ダーク・タワー”を目指す道程が描かれている。そんな中で、この世界の様相が少しずつあらわにされるものの、今のところはまだ魔術が横行する世界なのか、科学が破滅した世界なのか、理解できないような事象が数多く見られる。この世界観については今後明らかになってゆくのであろうか?

 3人の仲間がそろったところで、あとは“ダーク・タワー”を目指すだけになるのかと思っていたのだが、もうひとりのキーパーソンの存在が明らかになることに。それは1巻でローランドと決別した少年ジェイク。彼と決別したことを2巻からずっと気に病んでいたローランドであったが、やはりこの出来事についても解決されなければ過酷な旅は続けることができないということであろうか。

 話は現代に戻りジェイクのパートとなる。少々このジェイクのパートについては冗長と感じられたのだが、本書の下巻の展開などを見ると実は今後の冒険に一役かうことになりそうなものがちりばめられているということに気づかされる。特に今回は謎解きの本がひとつのキーとなっている。

 そしてジェイク少年がローランドと合うための道を探し、一方ローランドの世界ではエディやスザンナが現在の人生を受け入れつつ成長していき、それらの過程の中でうまくジェイクがローランドらと合流する様が描かれている。さらにはおまけの犬(正確にはバンブラー)も加えて4人と一匹の旅が始まることとなる。

 ようやくこれで本当の旅の準備が整い、これから少しずつ“ダーク・タワー”へと近づいていくこととなるのであろう。しかし、今後の展開を予想することは全く不可能であると言ってよいであろう。今回も、年老いた人々が集まる村へとたどりつき、その後モノレールを手に入れようとしたらチクタクマンというわけのわからない怪人物に邪魔されたりと、ローランド達に様々な障害が襲い掛かってくる。

 そして彼らが目指していたモノレールとのやり取りがまたなんともいえない味を出している。今作はこのモノレールとのやり取りの途中で話が終わってしまう。

 と、とにかく3巻まで終わってみても何もかも漠然としていて不思議な小説という風にしか表現することができない。現在起きている事象についてもきちんと説明することができないし(ローランドもきちんと説明していない)、ゆえに今後何が出てくるのかも予想できない。ただ、本書のなかでひとつだけ明らかといってもいいのは“ガンスリンガー”という存在、もしくは精神である。アメリカでいうと、この精神は“ガンマン”というものに表されているのだろうか。日本風に言えば間違いなく“侍”であろう。

 要はどのような事象が降りかかってきても、決して屈しない“精神”というものが基盤にあり、その基盤を元に話がつむがれているということである。

 今後ローランドらがどのように成長し、どのように困難に立ち向かっていくのか、とにかく続きを読むのが楽しみである。


魔道師と水晶球   ダーク・タワーⅣ   

1997年 出版
2003年 改訂
2006年03月 新潮社 新潮文庫(上中下)

<内容>
 チクタクマンの魔の手から逃れたのもつかの間。次は謎掛けを要求するモノレール“ブレイン”に捕らわれるローランドら4人と1匹。時速8百マイルの猛スピードで疾走するブレインを止めるには、彼に解けない謎々を考え出すことのみ。果たして彼らの運命は・・・・・・

 辛くもブレインの魔の手を逃れた4人と1匹。彼らは再び自分達の足で“暗黒の塔へ”の旅を続けることに。全員の絆が深まりつつあるとき、ローランドは頃合と感じ取ったのか、彼が14歳のときに経験した“魔道師の水晶球”をめぐる旅のことを話し始める。それは、ローランドが旧友カスパートとアランと共にハンブリーという街へ視察に行き、そこで起きた陰謀、そしてスーザンという女性との恋・・・・・・ローランドがガンスリンガーになった直後の話が今語られる・・・・・・

<感想>
 前作「荒地」に引き続いての第4作品となるのだが、前段のモノレール“ブレイン”の章は前作の中に組み込んでもらったほうが、区切りが付いて読みやすかったのではないかと思える。今回は、ローランドの過去の話だけで充分なボリュームとなっている。

 今作を読んで多々感じたのは、本書がローランドの過去のパートだけだとしても冗長であったということ。元々、キングの作品自体が表現や描写が冗長に思えることは多々あるのである程度はいたしかたないと思えるのだが、それでも今回は物語の進行が遅いと感じられた。

 多数の登場人物が出てくることにより、それぞれにパートを設けて多視点にするのはいいとしても、その数多くのキャラクターのほとんどがあまり重要な役割を担っていなかったというのが問題であったと思う。特に重要な役割を割り振っていないのであれば、もう少し視点を絞って物語を進めてくれたほうが、もっと話しに取っ付きやすかったかと思える。

 今作も主人公はもちろんのことローランドとその仲間たちなので“主人公が呪われた町を葬り去る”というようなテーマのように感じられるのだが、それを町の人々の視点にたって考えてみると外部から来たものにより自分達の町が滅ぼされるという受け方もとることができる。本来であればキングの小説はその町の人々の視点にたったホラー小説を描くのが得意であり、そのようにを考えると本書はキングにとっては異色作なのかもしれない。

 この物語を普通に書くのであれば、主人公達が町を滅ぼすという内容のみでよかったところを、本来のキング特有の町の人々の視点を入れようとしたためにバランスが悪くなったというようにも考えられる。もしくは、そのように深く考えずに、ただ単にキングが勧善懲悪のような物語を書こうとしているわけでなく、後味の悪さを残したかったゆえにこのようないびつなバランスになってしまったということなのかもしれない。

 また、本書はダーク・タワー全体の物語からすると、“ローランドの失敗”を描いた作品でもあると言えるだろう。文中に登場する主人公の様子を見ていると、どうも20歳前後の青年にしか思えないのだが、実際には14歳の少年の姿を描いた作品となっている。

 本書を読んでいるときにはローランドたちが町の人々と戦うときに、やけにいろいろな事で失敗しているなと感じられるのだが、それは当然の事なのかもしれない。この物語はローランドがガンスリンガーになってからの初陣の話であり、彼の補佐役もまた彼と同じくらいに幼く未経験である。よって、話の節々でローランド達は失敗し、物語がクライマックスを迎えても決して綺麗に終わるような結末には到っていない。

 と、ローランドは彼の新しい仲間に彼の14歳の頃の失敗談を語りつくすこととなる。この話はもちろんただ単に過去の話をしたというわけではなく、“魔道師の水晶球”の存在など、今の冒険に必要な知識が備わっているからこそ語られた物語である。

 ただし、ローランドが物語を語ったのはそれだけの理由からではなく、ようやく今回集まった4人と1匹の絆が深まり、“ダーク・タワー”を目指すという決意が固まったからこそ語られた話とも言えよう。

 ようやく絆が深まり、ひとつになった中間達、そして新たな仲間を得たローランド。彼らの絆の強さは物語の後半へ進むにつれ、どのように変化していくのか? そして全員が無事に“ダーク・タワー”へとたどり着く事ができるのか!?


カーラの狼   ダーク・タワーⅤ   

2003年 出版
2006年04月 新潮社 新潮文庫(上中下)

<内容>
 暗黒の塔へと向かう途中、ローランド一行はカーラという町から来た代表者たちに助けを求められる。そのカーラという町は何年かの周期ごとに“狼”と呼ばれるものたちが訪れ、双子の子供たちの片方を拉致して行くのだという。その後、さらわれた双子の片割れは戻ってくる事になるのだが、明らかに以前の状態とは違ってしまっていると・・・・・・
 また、ローランドたちは“タッチ”という能力によってニューヨークへと行き来し、とある土地の薔薇を守ろうと奔走する。また、カーラの町で出会うことになる、エディらと同じように現実の世界から来たキャラハン神父から重要な話を聞くことに。そしてさらには、スザンナの体に異変が起き、さらなる別の人格“マイア”が夜な夜な奇妙な行動をとり始める。

<感想>
 前作から6年ぶりの「ダーク・タワー」の新作ということもあって、書くほうもかなり気合が入ったようだ。その気合の入り具合によったのかどうかはわからないのだが、少々ページ数が長すぎたのではないかと思えてしまう。次の巻の「スザンナの歌」のほうがやけに薄い気がするので(といっても上下巻ではあるが)なんとなくバランスが悪いという気がしなくもない。

 今回の作品が少々長いと思えたのは、内容によるところもあり、キャラハン神父が語るパートが冗長であったと感じられた。どうやらこの登場人物はキングの初期の作品「呪われた町」の登場人物のようで、それゆえにキングの力の入りようも強くなるのは仕方のないことかもしれないが、「ダーク・タワー」という物語だけを見ると、余計に感じられてしまう。できれば、今いる人物にもっと活躍してもらったほうが読んでいるほうとしても面白いと思えるのだが。しかも、このキャラハン神父のパートがどれだけ重要かということがわかりづらいのも冗長という原因のひとつである。

 ただ、この作品の全体的な構成を見たうえでは、一応背景としては西部劇を意識したものであるのだが、あくまでも著者としては“活劇”そのものよりも、この世界を構築するという些細な部分のほうにこだわっているように感じられた。

 本書ではクライマックスともいえる“狼”たちとローランド一行が戦うパートがあるのだが、その部分がやけにあっさりすぎたように思われる。それについてはあくまでも構成の仕方が悪いというわけではなく、この構成の仕方にこそ、キングがどこに重点を置いて「ダーク・タワー」の物語を書いているのかということが伝わってくる。

 ということで、本書では“狼”に対しての処置は一応結末がついたようであるが、ニューヨークの土地の中に潜む“薔薇”の存在や、スザンナの中に巣くうマイアの件などのというように、まだまだ結末がついていないエピソードが残されている。次の巻では、それらにけりをつけてからまた暗黒の塔への旅が始まるのか。それとも読者が予期せぬような展開が待ち受けているのか。クライマックスに向けて、物語はどのように動いていくのか? ますます楽しみになってきた。


スザンナの歌   ダーク・タワーⅥ   

2004年 出版
2006年08月 新潮社 新潮文庫(上下)

<内容>
“狼”を退けたローランド一行。しかし、喜ぶのもつかの間、スザンナが姿を消しているのを発見することに! ローランド、エディ、ジェイク、オイ、キャラハンは“扉”を通ってスザンナの後を追いかける。彼らはスザンナの後を追いつつ、暗黒の塔にまつわるさまざまな謎と直面することになり・・・・・・

<感想>
 今までの作品を読んできた経過では、一冊ごとを単位にそれぞれのエピソードが語られ、次の巻へと続いていく・・・・・・というふうに考えていたのだが、5作目6作目に関しては区切りというものはあまり意識していないようである。ゆえに、5作目からは最終巻までずっと続きの作品としてとらえたほうがしっくりとくる、ということがようやくこの作品を読んで理解することができた。

 前作では“狼”と戦い、決着が付きはしたものの、スザンナが失踪してしまい、エピソードとして完結しないようなまま次巻へと続くとなっていた。本書でもそれは同じく、今作までの問題に決着をつけないまま次巻への持越しとなっている。

 と、そんなわけで今回の作品は特に最終巻へ至る経過という感じがするので、重要な場面が描かれているにもかかわらず、さまざまな事象について語るにはまだ早いように思われる。ということで、詳しくは最終巻を読み終えてからということになるのであろう。

 ただ、もちろんのこと、ここまで読んだうえで色々と考えさせられることもあるのは確かである。

 前作を読んだときには、“狼”との戦いについて淡白に書きすぎではないかという感想を書いたのだが、それ以後このシリーズを読み続けているにあたって、著者自身は“狼”との戦いについては重要視していないというように感じられるようになってきた。

 本書はあくまでもそれぞれの内面を語る物語であり、決してアクションシーンのみによって語られる物語ではないというように感じられた。これは特に4巻までと5巻以降で著者自身の考え方が変わってきた部分なのではないかと思われる。

 特に今作ではスティーブン・キング自身が登場することにより、ファンタジーの雰囲気が一変し、メタ・フィクション小説というようにさえ感じ取れてしまう。

 さらに言えば、本書が“内面”を表し、そして探す物語となってきたように感じられるのは、キング自身が登場し、自らの思いを激白しているからでもある。まぁ、一応小説として書かれているのだから、ここに書かれているのがそっくりそのままキングの心情というわけではないにしても、それなりの思いがこめられているのは事実であると思われる。

 ただ、私自身はこういった著者の心情が描かれる作品というのはどうも苦手である。なんか、このキングの独白を聞いていると“ダーク・タワー”という作品を嫌々書いているようにさえ思えてしまうのである。作家にとっては一冊の本を書くということに対しては苦悩の連続なのであろうが、それを読者が受け入れたいかといえば全くの別物であろう。

 本書に対して、スティーブン・キングの登場がどうしても物語を創造するうえで必要であるというのであればしょうがないのだが、そうでなければあまり登場してもらいたくなかったというのが本心である。ただ、ここで語られているキングの苦悩がなければ“ダーク・タワー”の5作以降が書かれることがなかったのでは、と考えるとなんとも複雑な思いである。

 ほとんど内容に触れる事のなかった感想になってしまったが最終巻が終わった後にはたっぷりと書きつくしたいと思っている。


暗黒の塔   ダーク・タワーⅦ   

2004年 出版
2006年11月 新潮社 新潮文庫(上)
2006年12月 新潮社 新潮文庫(中)
2007年01月 新潮社 新潮文庫(下)

<内容>
“塔”の存在を守ろうと、さまざまな次元へと飛び立ち修正を果たしていくローランド達。そんななかスザンナから妖魔の子モルドレッドが生まれてしまう。離れ離れになっていた4人と一匹が再び終決したとき、ついにカ・テットの崩壊が彼らを待ち受けていた・・・・・・

<感想>
 うーん、結局こちらの想像通りには進まない物語であったなと。私自身のイメージでは、この最終巻では“暗黒の塔”にたどり着いたローランド一行がその塔のなかで強敵たちに立ち向かう、というようなものであった。しかし、そういった期待した内容が始まるのは上中下巻中の下巻になってようやくのこと。今までも、このシリーズの4巻あたりから、物語の区切りがうまくそれぞれの巻で付けられていないなと思っていたのだが、最後までそれを払拭できない構成であった。

 これもあくまでも個人的な意見であるが、主人公一行が他の世界を歩き回り、塔の存在を守るために修正をほどこすというパートは6巻の「スザンナの歌」までに終わらせてもらいたかったところである。それが最終巻にまで足が出てしまい、最後の最後で一番読みたかったところがおざなりに終わってしまったようにさえ思われる。

 そして“カ・テット”の崩壊に関しても不十分。確かに、物語の都合でこの4人と一匹のパーティーがそのまま続くとは思えなかったのだが、それを崩すにしても、もう少しきちんとした意味づけが欲しかったところである。ただただ、あっけなかったなの一言しか出てこないのは残念なこと。

 あっけないといえば、ローランドの最大の敵とも目されていたマーティンに関しても同じことが言える。このような退場のしかたをするならば、マーティンに関しては1巻だけに登場していれば済む事のように思えたのだがどうであろう。モルドレッドやクリムゾン・キングらもまた同じ。最後の下巻の後半部だけでバタバタと話にケリが付けられてしまうというのはどうかと強く感じた。

 これならば、もう一冊付け加えて全8巻にしても調度良い内容であったのではないだろうか。と、そんなむなしい考えも心に浮かんだものの、とりあえずローランドの旅はこれで終了ということになる。

 結局のところ、終わってしまうのがもったいないと思えたということは、やはりこの世界に充分に惹き込まれたのであろう。この世界に惹き込まれたからこそ、あれこれ注文を付けたくなってしまうのだと思われる。

 ただ、物語が完結して、“カ・テット”の皆が幸せになったのではないかと思えただけでも充分満足感を得ることができた。もう他の作品でこの登場人物たちに会うことはできないのであろうが、いつか再読する事によって再び“暗黒の塔”への冒険を味わいたいと思っている。


ダーク・タワーを読み終えて   
2007/11/04

 この「暗黒の塔」のシリーズを一年がかりで読み終えたわけであるが、正直言って充分に満足できたかというとそういうわけでもない。しかし、最終的に物語を完結にいたるまで書いてくれたという事においてはスティーブン・キングに感謝をしたい。どんなに良い作品であったにしても、終わらないということほど悪いことはないと思っているからである。

 当初は長編ファンタジー作品ということで、わかりやすいファンタジー作品というのを期待して読み始めたものの、そこは作家がキングであるがゆえに、そんな単純な物語ではないということにすぐに気づかされる。内容はひとことで言ってしまえば、ダーク・ファンタジーという分類に当たるのだろう。ただし、ダーク・ファンタジー=難しいという意味では決してないと思われる。

 本書が難しいと感じられる作品になっているのは、物語の世界が多次元にわっているということにある。ローランドが生きる西部劇風の世界がメインとなるものの、舞台が変わり年代の異なるニューヨークが現れることもある。さらにメインとなるローランドの世界も、現代に比べて文明が遅れているのかと思いきや、発達した文明が滅びて現在のような形になったという複雑な設定。

 そして次元が複雑に結びつかれることによって、人の生き死にがあいまいになったり、また、複数のキングが描いた作品の登場人物らがそれぞれの次元から登場したり、さらにはキング自身でさえもが登場していたりするのである。

 そういうわけで、背景や状況を整理するにもなかなか個人で行うには難しいといった状況である。一応、最終巻のあとがきにて、そういった部分を整理している項目があるので、それを元に読み直してみるとさらに物語に対する理解力が深まるのではないかと思われる。


 本書の内容において一番触れておきたいのは5巻以降の展開について。この「暗黒の塔」という作品は1987年から少しずつ書かれてきたようだが、3巻の「荒地」や4巻の「魔道師と水晶球」あたりから、徐々に間隔があきはじめた。しかし、キングは2003年ごろから5巻、6巻、7巻と最終巻まで一気に書き終えてしまったのだ。この契機となったのが、キングの身に起こった交通事故である。

 この事故がきっかけで「暗黒の塔」は最終巻を迎えることとなったのだが、皮肉なことにこの事故をきっかけに「暗黒の塔」という作品は本来構想していたものとは全く違う方向へと進み始めてしまったのではないかと思われる。

 5巻以降はやたらと現実のアメリカへと戻ってくるパートが多く、本来の物語がおざなりにされてしまっているという気にさえさせられた。しかもそこに作家自身が登場してしまうのだから、ますます興が覚めてしまうことになる。

 私自身は著者が登場する物語というのは非常に嫌いである。物語に入り込んでいるはずが、ふと余計な現実に遭遇してしまうかのようにばつの悪い思いをしてしまうのである。しかも、「暗黒の塔」というのはファンタジー小説でもあるのだから、そこに現実をはさんでしまうというのはどうかと思わずにいられない。

 さらには、キング本人が登場するパートが2箇所もあり、キングに「暗黒の塔」を書かせるということと、キングを事故から救うという、かなり個人的なことで登場しているようにしか思えない。しかもキングが描く「暗黒の塔」というのを強調してしまえば、そこに登場しているローランドたちの存在意義が軽くなってしまうようにさえ感じられるのである。

 そうしたことにより、いつのまにか「暗黒の塔」という主人公ローランド自身の物語が、キング自身の救いの物語に取って代わってしまったように感じられた。そしてキングはこの続編を書き続けたときには、作家活動を終えようとしていたようで、キングが描いた一連の作品群の終決を表す物語という要素も付け加えられてしまったのである。

 よって、物語はますます、ローランド自身の物語というところからはずれ、余計と思われる思念の入り混じった作品になってしまったと思われるのである。ここに描いたのはあくまでも個人的な感情でしかないので、実際にキングがどう思っていたのかはわからないが、「暗黒の塔Ⅶ」の下巻の最後で、一気に物語が終決してしまう様を読んだ人は似たり寄ったりの感情を抱いたのではないだろうか。

 ということで、いまさらどうなるものではないだろうが、今でもキングが最初に描いていたはずの「暗黒の塔」の物語を読みたかったと痛切に思わずにはいられない。一応、最後までこうしてこの物語に付き合ってきたのだから、最後にこれくらいの愚痴は言うことは勘弁してもらいたい。


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