<内容>
名だたる旧家、マクシー家に子持ちの家政婦サリーがやって来たそのときから、何やら不穏な気配がし始めていた。周囲の人々にうまく溶け込むことができないサリー。しかし、マクシー家の当主の息子のスティーブンには気に入られ始めている。そしてある日、サリーは皆の前でスティーブンに求婚された事を発表する。その夜、サリーは自分の部屋で何者かに首を絞められて殺されることに・・・・・・。事件の謎を解くのはスコットランド・ヤードの警視、アダム・ダルグリッシュ。彼は事件に秘められた謎を解くことができるのか!?
<感想>
ふと、P・D・ジェイムズを読破しようと思い至り、集められるだけの作品を買ってきた。さっそく、第一作目から読むことにしたのだが、そのデビュー作となるのがこの「女の顔を覆え」である。主人公はシリーズ探偵となるダルグリッシュ警視。
内容はといえば、いたって平凡。ひとりの嫌われ者の家政婦が家に住む誰かに殺害されたというもの。その家政婦が誰に殺害されたかをダルグリッシュは特定しなければならない。
本書の特徴は何と言っても、女性作家ならではの心理描写。事件に至るまで、そして事件が起きた後についても、登場人物たちの心の揺れ動く様子がきっちりと描かれている。そして、この作品において心憎いともいえるところは、被害者である嫌われ者の家政婦の心理描写が一切描かれていないところ。探偵であるダルグリッシュは、彼女をとりまく人たちの反応や証言から、殺害されたサリーという女性が何を考えて行動していたかを推理し、そこから真相へと結び付けて行くのである。
正直なところ、事件の回答についてはどうでもいいように思われる。それよりも、どういう経緯で事件に至ったのか。そして、どういう考えをもとに家政婦のサリーは行動していたのか。そういった点がポイントとなった作品である。
地味な作品ではあれども、深読みすればさまざまなポイントを見つけることができるだろう。巻末の解説では、そういった深いところまで掘り下げたものとなっているので、是非ともあわせて堪能してもらいたい。
<内容>
ロンドンのスティーン診療所の地下室で、ボーラム事務長の死体が発見された。彼女はノミで刺殺され、木彫りの人形を胸に乗せた状態で横たわっていた。生前厳格であったボーラム事務長であるが、殺されるほど誰かに恨みをかっていたのだろうか? ダルグリッシュ警視は病院内の人々から事情を聞き、事件を解明しようとするのだが・・・・・・
<感想>
ミステリの女王とも言われるP・D・ジェイムズの2作目となるダルグリッシュ警視が活躍するシリーズであるが、久々に退屈なミステリを読まされたという気がした。
まず事件はすぐに起きる。しかしその後、警察が呼ばれて、警察による事情聴衆が行われ、それぞれの人々が家路に着き、という1日を描くだけで作品の半分以上が費やされているのである。
P・D・ジェイムズに対する評価としては、ありきたりのミステリ小説が出てきた中で、重厚な作風の作品を描く作家が出てきたと言うことで話題になったようだが、もう少しメリハリがほしいところ。とはいえ、本書の注目すべき点は細かく描ききった、登場人物それぞれの感情を網羅した内容とのこと。興味のある方はじっくりと腰を落ち着けて読んでもらいたい作品である。
最終的な結末は、確かにこれしかないというところに収まるものの、そこへ至るまでの決め手に関してはこれといったものがなかったようにも思える。ミステリ的なセンスにより名声を勝ち取ったというよりも、細かい人間描写や重厚さによってファンを勝ち取ってきたというP・D・ジェイムズの評判がよくわかる本という見方もできるかもしれない。
<内容>
休暇をとり、サフォークの叔母のもとへと向かったダルグリッシュ警部。しかし、彼を待ち受けていたのはひとつの死体であった。近所に住む作家の死体がボートに乗せられているのが発見され、しかもその死体の両手首が切断されているという不可解な状況。この近隣に住む、ダルグリッシュの知人達の誰かが彼を殺害したというのか!? ダルグリッシュは不本意ながら、現地警察の手助けをすることとなり・・・・・・
<感想>
時系列順にP・D・ジェイムズの作品を読んでいるのだが、3冊目のこの作品が今までのなかでは一番読みやすかった。ストーリー展開としては2作目の「ある殺意」と変わらないのだが、本書のほうが登場人物の数が抑えられており、物語的にもすっきりした印象を受ける。
事件は不可解な状況で発見された、作家の死をめぐるもの。この作品も多視点となっており、主人公であるダルグリッシュの視点だけではなく、登場人物らそれぞれがさまざまな思惑を抱いている様子が表されており、こうした人間関係を密にしたミステリ小説が形成されている。
最終的な結論にしても、事件のてん末にしても、普通というのがこの作品に対する感想。ただ、ここまでジェイムズの作品を読んできた立場としては、ようやく普通のミステリ小説になってきたなと高評価を与えたくなる。あとがきにも書いてあったことなのだが、P・D・ジェイムズの一連の小説を読むには、最初からではなくこの作品から始めるというのも、確かに大きな選択肢のひとつと言えるのかもしれない。
とはいえ、濃密なミステリ世界を楽しみたいのであれば、最初の作品からどうぞと一応お薦めしておく。これらの作品を読むときは、片手間に読まず、じっくりと腰をすえて読むべきということもお薦めしておきたい。
<内容>
看護婦養成所での訓練中、事故が起こった。ひとりの学生が患者の役をし、胃に栄養剤を送るという実習をしている最中、突然患者の役をしていた学生が苦しみだした。その後、学生は死亡し、栄養剤の変わりに使用していた牛乳に毒が混入されていた事が明らかになった。どうやら患者の役をするものが急きょ交代となっていたようなのだが、それは今回の事件に関係があったのだろうか!?
数日後、今度は養成所の別の看護婦候補生のひとりが毒物を飲んで変死を遂げていた。これは、前に起きた事件を悔いての自殺なのであろうか? 事件の謎を解くために派遣されたダルグリッシュ警視による捜査が始められる事に。
<感想>
この4作目こそがP・D・ジェイムズの出世作であるということがよくわかる作品。途中まではずっと地味な内容としか感じられないのだが、最後まで読めばきっと強い印象を残すこととなるであろう。
本書の特徴は、ダルグリッシュ警視の人物造詣について今まで以上に濃厚に書かれた作品であるということ。今までは、ただ単にダルグリッシュは優秀な刑事であるということぐらいしか書かれていなく、事件は解決するものの本当に鋭い刑事なのかどうかということはわかりにくかった。
それが今作では部下の視点から語られたりと、ダルグリッシュ像が様々な角度からあらわにされており、どのように優秀で、どのような人物なのかと言う事が事細かに描かれている。最後の場面では、ダルグリッシュが冷酷ともとらえられるような、職務に忠実に事件を解決するというスタンスまでもを見て取る事ができる。
本書は非常に良い作品であると思われる反面、妙に描きすぎであるというようにも感じられる。特に人物描写から風景描写まで、あまりにも隅から隅まで書き表し過ぎというように思えてしまう。これこそがP・D・ジェイムズの作風たるものだと思われるので、ここを否定するのは間違いなのかもしれないが、それでもそう感じずにはいられない。
この作品はトリックなどが秀逸というわけではなく、心理描写に優れた逸品という位置づけになると思われるのだが、その情報量が多すぎるように思えてしまう。これがもっと整理されて、余計とも取れる部分を除いたほうが、よりインパクトの強い内容になったと感じられるのだが、どうであろうか。
まぁ、そうなってしまうとP・D・ジェイムズらしさが無くなってしまうという意見もあるのかもしれない。ただ、その書き方がP・D・ジェイムズという名前が日本でメジャーであるか、そうでないかの分かれ道になってしまっているという気がしてならないのだが。
<内容>
共同で探偵事務所を経営していたのだが、その共同者が自殺を遂げ、一人残された22歳のコーデリア・グレイ。彼女はひとりでも探偵事務所を経営していこうと決心をする。そう決心をした矢先、依頼が舞い込んできた。依頼主は著名な科学者であるロナルド・カレンダー卿。彼の息子のマークが自殺を遂げていたのだが、何故息子が自殺したのかを調べてほしいという。マークは生前、大学を辞めて退役軍人の家に住み込みで庭師として働いていた。さっそくコーデリアはマークの生前の様子を調べに行くのであったが・・・・・・
<感想>
「女には向かない職業」は再読である。しかし、読んだのはずいぶんと前のことなので内容に関してはほとんど覚えていなかった。
私がP・D・ジェイムズの作品を最初から読みとおしてみようと思ったのは、瀬戸川猛資氏によるP・D・ジェイムズの評論を読んだことによる。そこでP・D・ジェイムズの魅力を紹介しており、その評論に触れたことでジェイムズの作品をきちんと読んでみたいと思ったのである。特に「女には向かない職業」に対する瀬戸川氏の評価は興味深いものであったのだが、その内容はちょうどこの早川文庫版のあとがきに書かれているので、本文とともに必見である。
久しぶりに読んでみた印象はというと、序盤は文章が固いなと。中盤へ行くにつれて展開がどんどんと動いてゆくので、あまり気にはならなくなるが、ひょっとすると序盤でつまづいてしまうという人もいるかもしれない。そこは我慢してもらい中盤までたどり着ければ、あとは自然に読み干すことができるだろう。
本書の山場というと、もちろん事件の真相が明らかになる後半であるのだが、その後の最後の最後にダルグリッシュ警視が登場することにより真の大団円を迎えることとなる。そこでダルグリッシュが登場し、推理を披露する場面こそが一番推理小説らしいところといえるであろう。
この作品のみしか読んだ事のない人にとってはダルグリッシュという人物については何の感慨も抱くことはないであろうが、実はこの人こそP・D・ジェイムズが描く作品群において最も主要な人物なのである。ということで、「女には向かない職業」以前に出ている4作品も読んでもらいたいといいたいところなのであるが、「ナイチンゲールの屍衣」以外がさほどお薦めし難いところが悲しい現実である。
P・D・ジェイムズのこれまでの作品を読んでから「女には向かない職業」を読み、この作品のあとがきを読んで、ここまでの軌跡を振り返ってもらえれば、きっと感慨深いものが残ることであろう。今まで「女には向かない職業」のみしか読んでいないという人は、もし暇があればぜひとも他の作品を読んでから改めて本書を読みなおしてもらえればということをお薦めしておきたい。
<内容>
病気の疑いが晴れ、病院から退院し、仕事に復帰しようとしていたダルグリッシュ警視。そんな彼のもとに一通の手紙が来ていた。30年前に会って以来、手紙のやりとりだけをしていた老神父から、相談に乗ってもらいたいという内容のものであった。詳しい話を聞くために、ダルグリッシュは静養する期間を延ばし、復職前に神父に会いに行くことにした。しかし、彼を待っていたのは、心不全によりすでに神父は亡くなっていたという事実。ダルグリッシュは、神父が通い詰めていた療養所、トレイトン・グレンジにて、いくつかの事件らしきものが起こっているという噂を聞きつける。神父の相談ごとに何か関わりがあったのではないかと、ダルグリッシュは当てもなく、ひとり捜査を始めるのであったが・・・・・・
<感想>
一見、モダンホラーと言ってもよいような陰鬱な内容。トレイトン・グレンジという数名の身体障害者が過ごしている施設。その施設を運営する医師と看護婦、そして入院患者たち。その誰もが曰くありげで、何か秘密を隠しているよう。とはいえ、そんな具体的な秘密があるというわけでもなく、ただ単に鬱屈している様子が何かを隠しているように見えるだけのようでもある。そして極めつけは、近くにそびえ建つ“黒い塔”。療養所の所長の曾祖父が建てたという、現在はたいした目的では使われていない塔。その塔の存在がさらなる不気味さをあおる効果を出している。
基本的に鬱屈した雰囲気のなかで、事件が起こっているのか、いないのかさえ分からないような状況のまま話が流れてゆく。最後の最後では、突如地味な展開から一変して、まるで火曜サスペンス劇場のような終幕を迎えることとなる。静かな雰囲気の探偵小説が一変して、やけに派手な終焉を迎えたなぁ、という印象が最後に残った。
本書で悩ましいのは、全体的な暗い雰囲気と描写もさることながら、登場人物の視点の切り替わりが多いこと。さほど重要ではないと(最後まで読まなければわからないことであるが)思われる人物に関しても、いちいち視点を抜いて行ったりするので、結構こんがらがってしまう。とはいえ、内容に関しては読みやすいものよりも、このくらいわかりづらいほうがP・D・ジェイムズの作品らしいとも言えるのであるが。
<内容>
犯罪の科学捜査を行う研究所にて、所長代理のロマリーが殺害されているのが発見された。ロマリーは生前、多くの者から疎まれており、動機のある者は多数。そうしたなかで、彼を殺すことができたものは誰なのか? ロンドン警視庁のアダム・ダルグリッシュによる捜査が始まる。
<感想>
読みづらいクリスティ系統の小説といってしまうと、一言で終わってしまうような作品。
事件が起こる前に、ひとりの嫌われ者の人物にまつわるエピソードがさまざまな登場人物により紹介される。そして、当然のごとく、その嫌われ者が死体となって発見される。その後、ダルグリッシュ警視長による入念な聞き込み捜査が行われてゆくという流れ。
群像小説のようになっていて、かつたまに突如視点が切り替わったりしていて、非常に読みづらい。また、簡単に流せそうな部分を事細かに描写しているところも読みにくさを強めている気がする。
そもそもこの作品というかP・D・ジェイムズの作品が、ミステリ的な部分とか、警察捜査に重きをおいて描く小説ではないということ。どちらかといえば、登場人物らの心象や感情に強く言及した小説を描くという感じに捉えられる。そのへんは、ある意味クリスティーと似たようなところという気がするのだが、ジェイムズの作品はクリスティーのような読みやすさはない。まぁ、その読みにくさを重厚な小説だと捉えることも可能であるのかもしれないが。
そんなこんなで読みにくいとはいえ、最後にはしっかりと真相が指摘されている。その真相については決して意外なものではないのだが、きちんと被害者とその周辺の人々に関する関係性や感情などをまざまざと書き表し、それゆえに、このような結末になったのだという説得力は十分にあると思われる。