<内容>
1月12日の日曜日、スーパー・ボウルが行われる競技場を、大統領と8万人の観客もろとも爆破する。米政府の対イスラエル武器供与に報復するため、パレスチナ・ゲリラ「黒い九月」は想像を絶する方法による無差別テロを計画した。情報をキャッチしたイスラエル秘密諜報機関とFBIは、全力を挙げてこれに立ち向かう。
<内容>
満月の夜に連続して起きた一家惨殺事件は、全米を恐怖の底に叩き込んだ。10人(二家族)が残酷な方法で殺されたうえ、犯行現場では不気味な死の儀式が行われていたのだ。
かつて異常殺人の捜査で目ざましい業績をあげた元FBI捜査官グレアムは、次の満月までに犯人を捕らえるべく捜査を開始。グレアムはかつて彼が捕らえた異常殺人鬼で精神異常犯罪者収容所に現在収監されているハンニバル・レクターに助言を仰ぐ。そして新聞の報道でグレアムの存在を知った犯人が彼を狙おうとする。グレアム達はこれを利用して新聞記者ラウンズと共同で犯人に罠をはるが、ラウンズが次の生贄となってしまう。
詩人・画家であるウィリアム・ブレイクが描いた<大いなる赤き竜>。その姿に自らを重ねて、冷酷な殺人を繰り返す男、ダラハイド。彼は小さいころ複雑な幼児体験をしてきた。そんな彼は<大いなる赤き竜>を見たときに何かが狂い始めた。だが一人の盲目の女性との出会いを契機に、ダラハイドの自我は二つに分裂し始めた。
そしてグレアムは映写フィルムを元に犯人ダラハイドを追い詰めて行く。はたしてグレアムは次の満月が昇るまでにダラハイドを阻止し、第三の惨劇を防ぐことができるのか?
<感想>
サイコ・サスペンスであるが、2000年になって読んだのでありきたりの物としか見る事ができない。まぁ確かに現在でているサイコ物の走りである事はよく分かる。出始めは斬新だったのかも。
ただ、できればこの物語の前とかにグレアム自身が活躍する物を一編書いてからこちらを書いてもらいたかった。グレアム自身の有能さをそこで感じさせてくれれば、この作品ももっと成功したのでないかと思うのだが。
<内容>
あの血みどろの逃亡劇から7年。FBI特別捜査官となたクラリスは、麻薬組織との銃撃戦をめぐって司法省やマスコミから糾弾され、窮地に立たされる。そこに届いた藤色の封筒。しなやかな手書きの文字は、追伸にこう記していた。
「いまも羊たちの悲鳴が聞こえるかどうか、それを教えたまえ」
だが、欧州で安穏な生活を送るレスター博士には、仮借なき復讐の策謀が迫っていた。過去に彼の手にかかりながらもかろうじて生き長らえている者がいたのであった。ある意味、肉体を失い、復讐と言う名の精神のみで生きている者が。彼は全財産と人員を使って、レクター博士の情報を取り寄せていたのであった。そしてレクターがイタリアにいると知ったとき・・・・・・
<内容>
1941年、リトアニア。12歳のハンニバル・レクターは父親レクター伯の元、母親や妹らと共に幸せな生活をおくっていた。しかし、その幸福な生活も戦争により一変してしまう。レクターは両親達と共に、居城から避難したものの、ソ連軍とドイツ軍の戦線に巻き込まれる羽目に。そのとき、レクターが生涯、復讐を誓うこととなる残酷な出来事が降りかかり・・・・・・。そして、いつしかハンニバル・レクターは怪物の道へと進み始める事に・・・・・・
<感想>
まぁ、普通の戦災小説かな、というくらいの作品である。別にレクターをわざわざ出さなくても、別の主人公でも充分に成り立つ作品ではないだろうか。まぁ、もちろんのことレクターを主人公にするのとしないのとでは、売れ行きは段違いになるのだろうけれど。
本書を読んで驚かされたのは、日本に対する造形が事細かに描かれている事。本書にはレクターに関わる重要な人物として、日本人の女性が登場してくる。その日本人女性がレクターにもたらす日本文化が実に微細に描かれている。その力の入れようには、トマス・ハリスってこんなに日本びいきだったっけ? と思わせるほどであった。海外の作品で、ここまで日本文化に力を入れて書いたミステリ小説を読むのはトレヴァニアンの「シブミ」以来であろうか。
と、そのような日本文化に関する印象が残るくらいで、後は通俗のサスペンス作品となんら変わり映えはしない。レクター博士のトラウマについては理解できたものの、本作品での切れっぷりはいまいちであったように思われる。
と、レクター作品の誕生秘話を書いたということは、次はこの作品の後から「レッド・ドラゴン」へと至るまでの間の話が描かれるのであろうか。たぶん、次の作品もレクター博士がらみであることは間違いあるまい。それとも、新作はレクター博士の息子とか!?