<内容>
父親の代では繁栄を極めていたが、今はもう没落して日々の酒代を私立探偵の仕事によって細々と稼ぐミロ・ミロドラゴヴィッチ。そんな彼の元にヘレン・ダフィと名乗る女性が現われ、行方がわからなくなった弟を探して欲しいと依頼してきた。元々離婚訴訟ばかりを扱ってきたミロは依頼を一蹴する。しかし、ヘレンが帰った後、ミロは事件のことよりもヘレンのことが気になり、行方不明であった弟の行方を捜し始める。すると、その弟は酒場のトイレで麻薬の打ちすぎで亡くなっていたのを発見されたと知らされ・・・・・・
<感想>
本書はネオハードボイルドと言われるジャンルの中ではさきがけ的なとなる存在となるであろう、クラムリーの2作目の作品である。
物語の始まりこそは“失踪調査の依頼”と典型的なハードボイルドらしき場面から始まってゆくのだが、探偵ミロはその依頼を断ってしまう。よって、序盤から物語りは通俗のハードボイルド小説とは異なる様相で語られてゆくこととなる。
本書ではハードボイルド初期に描かれた英雄のような探偵は描かれていない。それどころか戦争帰りで普通の社会に溶け込めず、アル中で敗残兵のような不恰好の探偵が描かれている。一応、物語は失踪した若者がどのような道筋をたどり、死体と成り果てたのかを突き止めるものとはなっている。しかし、一見その捜査は主題のようでありながらも、実は本題ではないようにも思われる。探偵ミロは依頼された調査を行っているにもかかわらず、どちらかといえば、自分自身の人生を模索しているように感じられるのだ。ただし、その自分探しは決してうまい具合に、どこかに当てはまるようなものでもなく、なにかをきっちりと見つけられるようなものではない。それは中途半端に転がる石のように、ただ少しずつ緩やかな坂を下り続けているというくらいのものでしかない。
こういった様相をとらえて考えると、本書はハードボイルドというよりも、アメリカの病理学的な社会問題を扱った小説のように思える。実際、クラムリーの作品は本国ではジャンルとして、ハードボイルドというよりは文学作品として扱われるほうが多いようである。
というように、文学的な味わいが深い内容になってはいるのだが、作品最後ではロス・マクドナルドの「さむけ」を思わせるような、薄ら寒さを持って締められている。故に、単なる退屈な作品と割り切る事もできない、色々な意味で深い作品となっている。
<内容>
酔いどれ私立探偵スルーはトラハーンという有名作家の妻から、どこかの酒場で飲んだくれているトラハーンを見つけ出してきてもらいたいという依頼を受ける。カリフォルニアじゅうの酒場をめぐり、トラハーンを見つけ出したスルー。すると、その酒場のマダムから10年前に家を出て行方不明になった娘を探してもらいたいと依頼されることに。途方もない依頼であるが、なぜか受けてしまうことになるスルー。作家トラハーンの面倒を見つつ、行方不明になった娘の捜索を始めるスルーであったが・・・・・・
<感想>
かなり前に読んだ作品であるが、久々に再読してみた。というのもクラムリーの未読の文庫がかなりたまってきたので、最初の作品から一気に読んでいこうと思い、まずはクラムリーの最初の作品(本当は「酔いどれの誇り」が最初の作品と後から知るはめに)から始めてみたというしだいである。
内容は、前半はロード・ノベルという感じで始まり、後半はひとりの女性を巡っての大騒動が繰り広げられる。
前半は作家のトラハーンを捜し、さらに10年前に行方不明になった娘を捜してもらいたいとの依頼を受け、その無茶な捜査を酔いどれ探偵スルーが始めていくというもの。基本的にはスルーが独りで捜査をするのだが、たまにトラハーンが付いてきたり、酒場のブルドックが付いてきたりと余計なものをひっつけながら、当て所ない捜査が行われていく。
この辺は牧歌的とまではいえないものの、主人公である探偵・スルーの人間性がよく表れていると感じられた。一見、作家のトラハーンが癒されていくという物語のように見えなくもないのだが、実はスルー自身が仕事を通じて、自分の居場所というのも感じ取っているようにも思われる。
後半は血なまぐさい場面が多くなり、スルーがさまざまな騒動に巻き込まれていくこととなる。この作品を読んで感じたもうひとつのことは、チャンドラーの作品群に対してのこの作品の位置付けというもの。本書を読んで、チャンドラーの作品群のような事件に対して、酔っ払って身持ちを崩した探偵を登場させ、それがどのように事件を追っていくかというのを描いた作品のように感じられた。ゆえに、アンチ・チャンドラー的な作品とも思えないことはない。
ただ、この時期のハードボイルド作品というものが、だいたいはこのような作風(酒とポルノと行方不明)であったのかもしれないので、ひょっとしたらチャンドラーのみを前面に押し出してしまうのは誤りなのかもしれない。
全体を通して感じたのは、本書が依頼人のために私立探偵が事件を解決するというものではなく、事件そのものが私立探偵のためであるかのように描かれているということ。よって、色々な意味で主となるのは、依頼人でも事件でも加害者でもなく、スルー自身であり、彼自身の物語となっているということ。自身の過去を背負い、自分自身を救済するがごとく、事件を解いて行くというのが、新しいハードボイルドのスタイルというものなのであろうか。
<内容>
かつては名家であったミロドラゴヴィッチ家もミロの代で没落し、ミロは探偵をしながらほそぼそと暮らしていた。しかし現在はその探偵の職も追われ、知人のつてで警備の仕事をしながらミロは、52歳になったときに支払われる信託財産を待つという日々を送っていた。
ある日、ミロはかつての父の愛人から密会をする謎の男女の目的を探ってもらいたいという不可解な依頼を受ける事に。懐かしさも手伝って、ミロはその仕事を引き受ける事にする。しかし、その不可解な密会を調べるうちに、わけもわからぬままミロは命を狙われるはめになり・・・・・・
<感想>
長らくの積読をようやく読むことができた。これで残りのクラムリーの小説を読み干すのにも弾みがつくことになるであろう。
今作で驚かされるのが、前作では酔いどれ探偵として紹介されていた主人公のミロがその探偵の職を追われて警備員の仕事をしているということ。そんな彼がかつての知人からの紹介で調査を引き受ける事になる。
ということで、探偵らしからぬミロが探偵が引き受けるには程遠いような仕事を行う事になる。しかもその仕事がわけのわからぬまま厄介な事態へと彼を巻き込んでいくこととなってしまう。
今作はなかなか複雑なプロットの作品となっている。ぼやぼやしていると最初に依頼をしたミロの知人の女性の存在すら忘れかけてしまいそうになってしまう。そうこうしているうちに、どんどんと新たな登場人物が出現し、ミロは新たな厄介ごとに巻き込まれてゆく。しかし、最終的には少々強引ながらも、全てが収まるところに収まるように描かれているのでたいしたものといえなくもない。
この作品も相変わらず円熟味あふれた人間描写で描かれているが不思議と主人公のミロ自身に破滅的な雰囲気は感じ取れなかったように思える。たぶん、今回一緒に事件に臨んだ相棒のベトナム帰りの青年、シモンズのほうが破滅的な雰囲気をにおわせ、それをミロがなだめるというような描き方がされているせいであったからであろう。今回はこのコンビを組んでの行動が作品自体に落ち着かせる効果を挙げていたように感じられた。また、事件にまきこまれたミロがあまりにも絶望的な状況であったがために、かえってその分生き生きと行動できていたように思えたのかもしれない。
というわけで、今作は今までの作品に比べれば探偵らしい生命力にあふれていたような気がする。そういうわけで、本書は今までの作品のなかでは一番ハードボイルドらしい作品といえるのではないだろうか。
<内容>
酒場でバーテンダーなどをしながら、酒びたりの日々を送る元私立探偵のC・W・シュグルー。そんな彼に知人の暴走族の頭ノーマンから依頼がもちこまれることに。ノーマンは結婚する事にしたのだが、結婚式の際、是非とも母親に出席してもらいたいというのである。その母親というのが、実業家の妻で現在行方不明となっており、FBIやCIAが血眼になって探している人物だと・・・・・・。途方もない依頼であるが、シュグルーは久々の仕事に心を躍らせながら調査を進める事に。
<感想>
私立探偵シュグルーが登場する二作目の作品。前作では名前をスルーと訳していたようだが、この作品からシュグルーと改めたようである。
というわけで、今回も良質のハードボイルドを読めるかと思ったのだが、雰囲気的にはかなりハードボイルドというものからかけ離れた内容のように思えた。
今まで読んだクラムリーの作品では、酒におぼれて落ちぶれた探偵たちが自分の人生の一端ともいえる探偵活動をこなしていく、というようなものを感じられたのだが、今作で強い印象を残しているのは“戦後の男達の生き方”というもの。ベトナム戦争などを経験し、その後に酒や麻薬におぼれた男達にとって、彼らの戦争はまだ決して終わっていないという想いが作中からにじみ出ている。
そういった理由もあってか、本書はやけに大げさに武器で武装し、おおっぴらに武器を使用し、大掛かりな抗争を繰り広げる内容になっている。
この作品が書かれたのは1993年で、それほど前の時代に描かれたものではないはずなのだが、このようなぶっそうな時代が実は現在でも平和の影に隠れながら進行し続けているのだということを垣間見ることができる。
と、そういうわけで本書ははハードボイルドというよりも、クラムリー独自の廃退的文学の香りがただよう、社会から自然に脱落せざるを得なかった者達の挽歌というような作品である。
<内容>
探偵のミロは念願の父親からの遺産を受け取ることとなったのだが、いつのまにかその遺産は横領されており、なけなしの金しか受け取る事ができなかった。一方、同じく私立探偵のシュグルーは何者かに殺害されそうになる羽目に陥っていた。シュグルーは自分が誰に狙われていたのかを探り出そうと、ミロに事件を依頼し、二人で事件の謎を調査しようとする。すると、ミロの財産を横領したものの行方にもつながってくることとなり・・・・・・
<感想>
勝手な私見であるのだが、クラムリーの作風は元々はチャンドラーやロス・マクドナルドを継ぐようなものだと思っていた。しかし、前作「友よ、戦いの果てに」から様変わりしてきたような気がする。今作も含めて内容が西部劇調、ようするにハードボイルドの流れで言えば、始祖とも言えるハメット調になってきているように感じられるのである。
これはクラムリーが先祖がえりをしてきたと見るべきか。もしくは、元々クラムリーの作品はベトナム戦争以後を強調したようにもとらえることができ、そういう観点からすれば現在の流れはごく自然ともとることができる。
ただ、そういった流れを好むかどうかは読む人によるということであろう。個人的にはこういった作風はあまり好みではない。
今作も「友よ、戦いの果てに」のように大味すぎると感じられてしまう。基本的には単純なことをしているはずなのだが、無駄に話をややこしくしながら、どんどんと暴力的な方向へと進んでいっている。
そんなわけで、ちょっと私が望んでいるハードボイルド作品とは異なるかなぁと。むしろハードボイルドというよりも、ロードノベルズとか、そういったジャンルに組み込まれる作品なのかもしれない。もしくは、ジェイムズ・クラムリー作という一ジャンルを築き上げている作品なのであろう。
<内容>
無事に遺産を受け取ることができ、テキサスに引っ込んで酒場の経営者となったミロ。そんなミロもとうとう還暦を迎えようとしていた。ただ酒場を経営しているだけでは飽き足らず、細々と探偵稼業も続けていた。そんな中、とある酒場でミロが酒を飲んでいるとき、そこに刑務所帰りの大男が現れる。大男は酒場の経営者を銃殺し、意気揚揚と引き上げていった。その大男のことが気になり、行方を追ってみようと思い始めた時からミロは騒動の渦中に入り込み、何度も銃殺される危機に追い込まれる羽目となり・・・・・・
<感想>
ストーリーはチャンドラー風でありながらも、クラムリー独特の作風を生かした、いかにも著者らしい世界観が構築されている。還暦を迎えようとしているミロであるが、相変わらずコカインを吸いながら、酒場へと繰り出し、騒動に巻き込まれる人生を好んで生き続けている。
この作品は海外でも賞を受賞したり、日本でもランキングで上位に入ったりはしていたようだが、実際のところうまくできている作品かというとそうでもない。全体的にかなり雑多で、決して読みやすい小説としてはできあがっていない。もちろん読みどころはあるものの、それらがうまく整理されていないという印象。
この作品からクラムリーを読み始めるというのは決してお薦めしない。たぶん、この作品から読み始めた人はクラムリーのことが好きにならないであろう。クラムリー未読の方はぜひとも「酔いどれの誇り」から順に読み始めて、出版された順番でこの作品までたどりついてもらえたらと思う。