<内容>
殺人課の刑事リアダンが指名を受けて担当する事になったのは動物園で鹿が殺害された事件。その鹿とは、実業界の大立者ウォーレス・ヴァン・アレンにより寄贈されたものであり、この事件は警察にとって無視できないものであった。殺害されたのは寄贈された2頭の鹿。そのうちの一匹は斧によって必要以上に嬲り殺されていた。リアダンが事件の関係者に事情を聞くうちに、今度は二人の女性が殺害されるという事件が起きる。その殺され方が、鹿の殺され方と似たようなものになっているのだが、双方の事件にはなんらかの関係性があるのか・・・・・・
<感想>
クックの処女作となる作品。鹿が殺害されるという変わった状況から事件が始まるものの、中味は地味な警察小説となっている。初老の刑事リアダンを主人公とするハードボイルドといっても過言ではない。
主人公リアダンがこれまで積んできた経験を元に、事件を捜査していく様相はなかなか渋いものがある。そしてリアダンが妻を亡くしたばかりであり、この先警官を務めていくかどうかという事に揺れ動きながら仕事をしていく様は作品に深みを出しているといえよう。
そして内容は最後の最後まで地味な展開が続くのだが、最期にもたらされる不条理さは、なかなかインパクトが強く印象的なものとなっている。
処女作という事を忘れさせるような、熟練の極みにあるような警察小説。こんなところからクックの作家人生が始まっていたのだなと考えると、なかなか感慨深いものがある。
<内容>
ソルトレーク・シティで不可解な殺人事件が連続して起きた。事件はは、モーテルで黒人娼婦の絞殺死体が発見されたことから始まる。その後、次々と事件は起こるのだが、被害者はモルモン教の教会の幹部達ばかり。その彼ら相互の関係もわからず、ましてや黒人娼婦との関連も見えてこない。この事件の背後に潜むものはいったい・・・・・・
<感想>
全体的にまとう雰囲気が異色といえる。実はその独特の雰囲気には理由があり、それは“ソルトレーク・シティ”という独特の街を舞台としたことである。では、何故ソルトレーク・シティが独特なのかというと、住民の多くをモルモン教徒が占めていることである。モルモン教徒はアルコールや煙草はもちろん、カフェイン入りの飲み物さえ口にしないとのこと(一応、あとがきから参照して書いているのだが、現在においてどのような様相になっているのかまでは私にはわからない)。
ゆえに、通常のアメリカの描写であれば、麻薬やセックスがはびこる町並みが描かれるのが普通であるのだが、そういった描写は無く、禁欲的な人々の様子が描かれている。
そして肝心の内容であるが、本書ではいわゆる“見立て殺人”が行われている。ただし、何に見立てられているのかは読んでいるほうにはわからないし、主人公である刑事には見立てであることですらわかっていない。ようするに、その隠された見立ての意味こそが犯人にとっての重要な動機であり、刑事達が探す理由となっているのである。
私の予想では宗教的な意味合いをカモフラージュとして、実は全く別の動機があると考えたのだが、結局は最後まで宗教的なものに終始こだわる作品であったようだ。そして本書を読み終えた後に上記に書いたようなソルトレーク・シティの宗教的な意味合いを知り、このような物語が描かれた理由というものに納得したわけである。
刑事小説としては地味かもしれないが、不思議と話に引き込まれ、一気読みさせられてしまう本であった。刑事の捜査の様子と犯人の行動とが交互に描かれている構成もなかなか味が出ていて、この作品の雰囲気に合っていた。クック初期の佳作といえよう。
<内容>
死体となっても、彼女はなおかつ美しかった。南部の都市アトランタ、空地の夏草のかげで発見された若い女性。彼女はなぜ殺されたのか? その女性は画家の姉と二人暮し。数ヶ月前にハイスクールを卒業したばかりであった。彼女は18歳になり信託財産を使えるようになり、かなりの財産を手に入れたばかりであった。
市警殺人課のフランク・クレモンズの心に、その孤独であった女と姉のことがこびりついて離れない。不思議なのは、これほど人目をつく美女なのに、彼女のことをだれも知らないことであった。クレモンズは一人、取り付かれたかのようにこの事件にかかりきりとなり・・・・・・
<感想>
あまり、すっきりした内容とはいえない小説だが、全編にわたる気だるさに引き込まれるものがあった。フランクが被害者の女性像を追っていくとその女性がいかに孤独の中に生きてきたが分かる(ただし、それは彼女が望んだものだったのだろうが)のだが、それらが明らかになるに連れ、なぜかフランクが自分の孤独と向かい合っていくかのように感じられてしまう。
この小説はたぶん、女性の死と孤独を垣間見ることよって浮き彫りにされる、フランク・クレモンズの物語なのだろう。少々ケーレブ刑事に食われ気味ではあるが。
<内容>
警察を辞めて、ニューヨークで私立探偵を開業したフランク・クレモンズ。ある日、恋人カレンのつてにより、彼のもとに服飾デザイナーを営む女性が依頼に来る。その依頼とは、身寄りのない従業員が亡くなったものの、親族が見つからないため警察が遺体を引き渡してくれないので、誰か親族を見つけてもらいたいというものであった。フランクはさっそく、その身寄りのない女、ハンナ・カールズバークについて調べることに。しかし、このハンナという女性、ある年を境にしてその過去がたどれなくなり・・・・・・
<感想>
ちょっと暗めで独特な雰囲気をかもしだすハードボイルド小説。ただし、ハードボイルド小説とはいっても、気の利いた言葉も出てこなければ、さほどスリリングな展開も出てこない。地味な警察小説であるかのように、全編にわたって地道な捜査が続けられてゆく内容となっている。
よって、人によっては退屈だと言う意見も出てくるであろうが、その地道さを心地よく感じることができる人もいるであろう。これは、夜のゆったりした時間にでも、ゆっくりと熟読すべき本と言えよう。
本書の主人公の私立探偵フランクは前作、「だれも知らない女」に引き続いての登場。私自身は、前作を読んでからだいぶ間があいてしまったので、この本を読む際心配したのだが、あまり前作とは関係なく楽しむことができるので、この作品だけ読んでも特に問題はないだろう。ただ、「だれも知らない女」、本書「過去を失くした女」、「夜 訪ねてきた女」の三作はフランク・クレモンズが主人公となる作品となっているので、まだ読んでいない人は続けて読み通すのも良いかもしれない。
特に今作ではいつの間にかフランクの相棒となっているファルークという人物が登場し、「夜 訪ねてきた女」でも引き続き登場しているようなので続けて読んでおきたいところ。今回の作品ではフランクの捜査だけではあまりにも単調すぎるので、そこにファルークという癖のありそうな人物をすえたことにより作品の成功につながったのではないかと思っている。
一応、本書はとある女性の労働闘争を通しての人生を掘りさげるというものであるが、それ以外にも楽しむべき余地は色々と配されているので、自分なりの楽しみ方を見つけてもらいたいところである。こんな大人向けのハードボイルドもたまには良いであろう。
<内容>
1963年アラバマ州バーミングハム。この町では今、マーティン・ルーサー・キングに率いられた人々によって公民権運動のデモがさかんに行われていた。刑事のベン・ウェルマンら、市警の職員はデモの収拾に奔走していた。そんなある日、黒人少女の死体が発見された。デモの収拾に嫌気がさしていたベン・ウェルマンはこちらの仕事にかかりきりとなることに。しかし、白人と黒人の偏見の狭間の中で捜査は難航し・・・・・・
<感想>
クックといえば、暗めの話を描く作家という印象があるのだが、初期の作品ではそれに付け加えて、街の裏側を描くという作風も感じとることができる。本書では黒人の民権運動が活発になるバーミングハムという町の様相が描かれた作品である。
本書は単なるミステリというよりは、社会派ミステリという印象が強く残る作品である。もしくは、ミステリをとってしまって社会派という言葉のみを残してもよいほどの作品でもある。
ただし社会派という言葉から連想するような小難しい話でもなければ、事実が羅列されているだけの小説というわけではない。あくまでも主人公のベン・ウェルマン刑事の視点から、ひとつの事件を通して白人と黒人の間の差別にたいする意見が描かれたものとなっている。
ベン・ウェルマンは殺害された黒人の少女の身元、そして犯人を捜し出そうと単独で奔走する。そういったなかで、人種問題による矛盾というものを感じ、時にはそれらが壁となりながらも、捜査することを貫き通そうとする。その最中にも、彼の同僚らは黒人のデモを鎮圧しようと奔走しているのだが、それを横目で見つつも自分の職業に対する善し悪しについても考えてゆくこととなる。
結局のところ事件自体も、小さな話ではなくなり、背景に横たわる大きな人種問題を絡めたものとなってしまうのでミステリとしての濃度は薄いようにも感じられるのだが、それを差し引いてでも読んでいて目を離すことのできない濃厚な内容の小説として仕上げられている。
この作品は人種問題という大きな背景のなかで、ひとりの警察官として、一個人としての生き方を見出していく骨太の小説となっている。本書がクック初期の代表作であるということは間違いなかろう。
<内容>
私立探偵のフランク・クレモンズは友人のファルークに連れられて、ジプシーの占い師の店へと出向く。そこでフランクは印象的なジプシーの女を目にする。その後、彼らが訪ねた占い師の店で殺人事件が起き、容疑者としてジプシーの女が逮捕された事を知る。そしてフランクのもとに誰かが封筒を届けており、その中からは赤いビーズが・・・・・・それは占い師の店で見かけたものであった。
また、フランクの探偵事務所のもとにフィリップスという実業家の依頼人がやってきた。彼が言うには年の離れた妻の動向がおかしいので、見張ってもらいたいというのである。
フランクは昼は依頼された件により女を尾行し、夜はジプシー女の事件の真相を探り始め・・・・・・
<感想>
フランク・クレモンズのシリーズ3作目の作品。今作では別々の2つの事件をクレモンズが並行して追っていくという構成で描かれている。
雰囲気としてはいつもながらの退廃的な味が出ていて良かったのだが、事件の内容に関してはいまいちと感じられた。前作からクレモンズの協力者として登場したファルークという存在が今作ではどうも邪魔になってしまっていると感じられた。前作ではこのファルークが登場したために、物語に味が出たように思えた。しかし、今作ではファルークの万能さがあだとなり、事件を捜査するクレモンズの存在自体に疑問が出てしまい、かえってあだとなってしまったような気がした。
また、事件の解決においても、片や平凡で、片や不必要なほどショッキングなものとなっており、少々バランスが悪かったようにも思える。この作品がシリーズとしての中途であるならば見方も変わる気がするのだが、シリーズ最終巻となってしまったがゆえに、終わり方にあまり納得ができなかったということもある。
まぁ、マンネリ化しないようにこれ以上シリーズ化することを止め、新たなものを書き始めたクックに先見の明があったということなのか。
<内容>
天才的記憶力を武器に次々と問題作を発表する犯罪ノンフィクション作家キンリーにもたらされたのは故郷の親友である保安官変死の報。遺体なき少女暴行殺人・・・・・・遺された捜査の跡をたどる記憶の奥底に浮かんだのは、かつて二人が迷い込み、そして二度と近づかないと誓った山奥の谷間にひっそりと建つ蔓に絡まれた廃屋だった。
<感想>
このクックの作品を読むのは記憶シリーズの三作を読んでからの四作目となる。記憶シリーズと比べるとかなり読みやすかった印象を受ける。過去を辿って行くというのは同様であるが、視点がほぼ現在に固定されているのでさほど混乱せずに読み通せた。
この作品はゴダードのような過去を追う作品でもあり、また一人のキャラクター、ノンフィクション作家のキンリーを立てて、彼が捜査を行っていくという探偵小説のようでもある。過去がすこしずつ暴かれていくさまも絶妙で、いやがうえにも引き込まれる内容となっていく。ただこういう一人の探偵をたてるのであれば(著者にはその気はなかったのかもしれないが)、もっとすぱっと切ったような結末でもよかったのではないかと思う。まぁ、作中にあるキンリー自身の描写などが伏線になっているんだろうけど。という部分だけ気になったがそれでも面白いことには違いない。
<内容>
名医として町の尊敬を集めるベンだが、今まで暗い記憶を胸に秘めてきた。それは30年前に起こったある痛ましい事件に関することだ。犠牲者となった美しい少女ケリーをもっとも身近に見てきたベンが、ほろ苦い初恋の回想と共にたどりついた事件の真相は、誰もが予想しえないものだった!
<感想>
<内容>
ミステリー作家ポールは悲劇の人だった。少年の頃、事故で両親をなくし、その直後、目の前で姉を惨殺されたのだ。長じて彼は「恐怖」の描写を生業としたが、ある日、50年前の少女殺害事件の謎解きを依頼される。それを機に“身の毛のよだつ”シーンが、ポールを執拗に苛みはじめ・・・・・・
<感想>
50年前の事件の謎と、それを調査する主人公の過去とが平行してあきらかになっていく構成となっている。はっきりといえば、ラストはものすごい驚愕が待ち受けているというほどのものではない。しかしながら、そこまでへと持っていく作者の手腕が相かわらずながらすごい。じわじわと蝕まれるかのような恐怖と解かれつつある謎、そしてラストでの一つの結末、これらをたっぷりと楽しんでもらいたい。
<内容>
ロマンチストの弟は“運命の女”がきっといると信じていた。リアリストの兄はそんな女がいるはずはないと思っていた。美しく謎めいた女が兄弟の住む小さな町に現われたとき、ふたりはたしかに“運命の女”に巡りあったのだったが・・・・・・
<感想>
もうこの著者の本は5、6冊読んでいるかと思う。“記憶シリーズ”などとよばれる作品があるが、本書はそれらと構成は似ている。一つの事件に焦点を絞り、その事件前と事件後の様子が交互に語られて物語の全容がだんだんとわかってくるというものである。しかし、構成が似ているにもかかわらず、作品を読んでもそれらの内容が似ているようには思えない。同様の構成にもかかわらず、全く異なるかのような物語のように表現し、読者を惹きこんでしまう。これはクックの手腕か? それとも著者の魔力なのであろうか?
本書の内容は、弟が殺された事件を兄が調べていくというもの。その事件の際、弟の恋人であった女性が町から突然立ち去っているので、事件関係者としてもしくは容疑者として女の行方を追っていく。その事件の背景としてもう一つの物語が存在する。それは性格の異なる兄と弟が成長していく様を描いた物語である。この物語が後に起こる事件の原因というものに対して大きな効果を与えている。なぜ、このような事件が起こるにいたったのかという要因が兄と弟の間に存在する微妙な葛藤をとらえることにより、徐々に読み取ることができるようになっている。
全編にわたる暗いやるせなさというものが実に伝わってくる作品である。過去の明るい場面を描いたものでさい、どことなくモノトーンがかかったかのような場面として頭の中に浮かんできてしまう。もし、本書を読んでそのような感情を抱くようであれば、それはクックの魔力に捕らわれたということであろう。私のなかでは“心の砕ける音”がはっきりと鳴り響いた。
<内容>
公園で少女が殺害された。警察はその公園に住む若い浮浪者を容疑者として逮捕する。逮捕してはみたものの、警察では決定的な証拠が見つからず、このままでは明日の朝には男を釈放しなくてはならない。残されたわずかな時間で証拠を見つけようと刑事たちは奔走するが・・・・・・
<感想>
本書はクックの作品の中では異色作といえるかもしれない。話の大筋となる部分は取調室の中での夜中から明け方までの半日間という限られた場所と時間。問われるのは容疑者が幼女を殺害したのか、しなかったのかという非常に限定された内容ものである。そしてその大筋の周囲を事件の関係者と思える者から、全く関係の無いように思える者たちがそれぞれさまざまな行動をしているというもの。
事件の容疑者の男、取調べをする刑事二人。その刑事の上司で麻薬中毒にて死にかけた息子の安否を気遣う刑事部長。力にものをいわせる悪徳警官。夜中に働くゴミ収集作業員。ジャンク屋とノミ屋。こうした者達の行動が話がゆるやかに進行していくなかで、本筋とどうかかわっていくのだろうかと読者に想像させる構成となっている。
本書もクックらしさというものを特徴付ける、緩やかな時間の流れの描かれ方は顕著に表れている。本来であれば、限られた短い時間ゆえにスピーディーな展開に感じられてもおかしくないはずなのだが、それが“クック時間”とでもいいたくなるような、ゆったりとした狭間の中で時間が流れているように感じられる。そしてその緩やかな流れが次第に一箇所へと収束していく。
そして結末はどうかというと、少々微妙に感じられた。それなりにサプライズ性があり、やらんとしていることもわかるのだが、すべてがきっちりまとまったという感触が得られなかったという気がした。事件の解決自体はいいとしても、その他の部分がドタバタ劇のようになってしまうのはどうだろうと感じられた。クック作品にしては凡作のように思える。
<内容>
セーラはギャングのボスである義父レオの支配下から逃れようと、夫トニーとの結婚生活から逃げ出すことを決意する。そして彼女は単身ニューヨークへと行くことに。
一方、セーラが逃げたことを知ったレオは人をやとってセーラの居所を探ろうとする。そのことに複雑な思いを抱く夫のトニーとその友人のエディ。レオの部下であるヴィニーはモーティマーという人捜しの仲介人に仕事を依頼する。そして当のセーラは仕事を得るために、酒場へと出向き・・・・・・
<感想>
これはまた今までのクックの作品とは違った趣の本であった。私にとって、クックの作品というのは“暗くて重い”という印象が強いものであった。しかし本書は全面的に暗さが出てはいるものの、どこかハッピー・エンドを予感させるような作品となっているのだ。
また、本書は多視点から語られる小説(群像小説といえばいいのかな?)となっているのも大きな特徴である。通常、多くの視点から語られる小説というのは全体的な話がわかりにくいものが多いのだが、本書ではそんなことはいっさいなかった。多くの登場人物が出てはくるものの、目的というか皆が向いているベクトルが一方向に限られているために話の内容を把握しやすく、それが読みやすさへとつながっている。よってページはそこそこ厚いものの、本書は一気に読み干すことができる小説となっている。
クックの新境地を感じさせる小説、ぜひともごらんあれ。
<内容>
病気により父親の命が残り少ない事を知り、その最後を看取るために20数年ぶりに故郷へと帰ってきたロイ・スレーター。ロイは昔から父親との仲がうまくいかず、また弟がとある事件により死亡したという痛ましい思い出があるため、本当は故郷には戻ってきたくはなかったのだ。有り余る時間の中で、ふとロイは昔、弟の身に起こった事件の事を調べてみようと思い立ったのだが・・・・・・
<感想>
本書によってクックも従来の路線のものに戻ってきた気がする。つまりは、現在の出来事を進めつつ、過去の記憶を掘り起こしていくというもの。従来の路線ゆえのマンネリ化というものは致し方ないのだが、それでもクックらしい安定した作品であった。
また、本書の主題は“父と子”の関係というもの。対立しながらも、血がつながっているという関係のみで不治の病の父を介護する息子。二人の心は互いに閉ざされたままなのだが、やがて少しずつ互いが抱いていた印象に誤解があったということに気がつき、次第に相手を見直し始めるというもの。とはいえ、それは決して感動的に心が結び合わせられるというものではないのだが、そこはクック流の絆の深め方というところか。
ただ、やや不満に感じられたのは、本書の謎らしきところまでがマンネリ化していて先を読みやすくなってしまっているというところ。その辺に関してはもう一工夫してもらいたかった。
まぁ、結局のところ本書はミステリーというよりは、ドラマ風の作品という趣に近い内容のものということであろう。従来のクックの作風が好きな人にはお薦めである。
<内容>
エリック・ムーアは写真店を経営しており、妻と子の三人で変凡ながらもそれなりに幸せな生活を送っていた。しかし、ある事件が起きた事により、その平和な生活に暗雲がたちこめることとなる。ムーアの息子がベビーシッターをしている家の幼い娘が行方不明になったというのだ。ムーアは息子が警察から疑われるものの、普段から会話がなく、引っ込み思案の息子とはろくに会話もできない始末。まさか本当に息子がやったのか・・・・・・ムーアの疑惑は膨れ上がり、そして・・・・・・
<感想>
サスペンス系のミステリというよりは社会派ミステリと言ったほうがよいのであろうか。ただ、ミステリというよりはもはや社会派小説と呼んだほうがいいようにさえ感じられる。
本書を読んで思い出したのが最近読んだ東野圭吾氏の「赤い指」。「赤い指」では息子が事件を起こし、それを受けて両親がどのような行動をとっていくかということが描かれていたのだが、本書にも類似点があると感じられた。ただし、この「緋色の迷宮」では息子がやったのかどうかわからなく、あくまでも容疑がかけられているという状態にある。
ただ、その“容疑”というあいまいな状況が、さまざまなところに狂気という形で波紋をよぶこととなる。
本書では、普通に生活をおくっていた家族がなんらかの疑惑を心に持ち始めたとたんに、今まで信じていたものがガタガタと音を立てて崩れていく様が描かれている。この“容疑”というあいまいな状況により、普通の生活が徐々に崩れていく様がまたなんともいえないくらいうまく書き表されている。このような書き方はクックならではといったところであろう。
読んでいて決して楽しい作品であるとは言えないのだが、現代人であれば誰もが色々と考え込んでしまうような内容であると思われる。これと同じようなものを日本人が書いても全く違和感のない作品ができることであろう。ただただ、自分の身の上にはおきてもらいたくないなぁというような話。
<内容>
幼い頃から父親の奇行に悩まされ続けた姉弟、ダイアナとデイヴ。父が亡くなる事により、その枷から逃れられたかと思いきや、こんどは姉の行動に異変が・・・・・・。普通に結婚して子供を持ち、落ち着いた生活を送っていたダイアナであったが、事故により息子が溺死してから少しずつおかしな行動をとりはじめるようになってきた。ダイアナは息子は夫に殺されたというのだが・・・・・・
<感想>
今作も、過去に起きた事件を主人公が思い起こしながら、事件の詳細が少しずつ明らかになっていくというパターンの作品。ただし、現在進行形で進められているはずの取調べのパートが弱く、なんとなく普通に事件が進行していくサスペンス・ドラマ風の物語であったという印象が強かった。
一応は、意外な結末というものも用意されてはいるのだが、この作品ではそういった意外性を楽しむというよりは、徐々に迫り来る狂気をじわじわと味合うことが醍醐味といえるであろう。クックの作品すべてに言えるであろうが、この“徐々に”とか“じわじわ”といった感覚を読者に堪能させるのがクック流といったところ。
と、言いつつも、今作にきて若干その作調もマンネリ化し始めたように感じられる。コンスタントに毎年1冊ずつ書き続けているのはすごいと思えるのだが、そろそろちょっと違ったクックの作品というものも味わってみたくなってきた。
<内容>
教師であるジャック・ブランチは教え子たちに“悪”というものを教えるという風変わりな授業を行っている。その授業の中でジャックは生徒たちに、誰かひとり悪人をあげて、その者についてレポートを書くようにという課題を出す。生徒のひとりであるエディ・ミラーは自分の父親についてのレポートを書くと言いだすことに。彼の父親はかつて、女子大生を殺害するという事件を犯していた。ジャックはエディに許可を出し、彼がレポートを書く手伝いをするのだが、これが思いもよらぬ悲劇をまねくこととなり・・・・・・
<感想>
久しぶりの“記憶”シリーズということで、真相が徐々に明らかになって行くという形で話が進められる。このあたりの“徐々に”というところは、いかにもクックらしく過去の作品をほうふつさせるものとなっている。とはいえ、今作ではこの“徐々に”というところに対して“もったいぶって”という感情のほうが大きくなってしまった。
というのも、もったいぶった割にはさほど大きな悲劇が起きたとは言えなように感じられたからである。読者の推測をかわすように、次から次へと事実が明るみになってゆくものの、最後に残った真実はそれほど大したものではなかったように思われた。
個人的には、あまり意外性を出し過ぎない方がよかったのではと思わずにはいられなかった。予想できるような結末でもよいから、そこに至るまでの恐怖を味わいつくすという内容でもよかったのではないだろうか。力量のある作家ゆえ、それでも存分に楽しめたと思うのだが。多作の作家ゆえに、その辺は色々と試行錯誤しているのであろう。とりあえず次回作に期待したい。
<内容>
かつて旅行作家であったジョージ・ゲイツは、現在は地方の新聞記者として暮らしていた。7年前に彼の8歳の息子が失踪するという事件が起きたのだが、最近になり息子の死体が発見されたという知らせがもたらされた。失意に沈むゲイツであったが、酒場で出会った元刑事のマクブライドから、20年前に謎めいた小説を残して失踪したキャサリン・カーという女性の話を聞く。その失踪した女性のことが気になり、ゲイツは彼女のことを調べ始めることに。ゲイツは別の件で知り合いになった早老症の少女アリスと共に、キャサリンが残した小説の謎を読み解き始めるのであった。
<感想>
クックらしい小説でありながらも、どこか異色とも感じられる作品。旅に出ないロード・ノベルズとでも言えばよいであろうか。失意に暮れる者たちの再生と希望が描かれた小説ともとらえられる。
冒頭は、旅でであった二人の男の会話から始まる。彼らの会話から、とある新聞記者の話が語られることに。そしてその新聞記者は失踪した女性の手記を読み始めるという入れ子細工の構成。
基本は新聞記者ジョージ・ゲイツが、20年前に失踪したキャサリン・カーが残した小説を読みながら、彼女に何が起こったのかを推測するというもの。ゲイツは、余命いくばくもない早老症の少女アリスと友人となり、二人でこの謎に挑むこととなる。
結末うんぬんよりも、ゲイツとアリスの二人が共に過ごした貴重な時間こそがこの物語の残したものではないだろうか。その貴重な時間が、子供を失った男と余命少ない少女の人生に希望の火を灯したのではないかと信じたい。
結末は腑に落ちるというよりは、どこかファンタジーめいた、ややサスペンスめいたという感じがするもの。まぁ、このような物語では、さすがに全てがうまい具合に収まるという方向へ持っていくのは無理であろう。むしろ、このような謎めいた結末こそがふさわしいと言えよう。
<内容>
歴史学者であるマーティン・ルーカス・ペイジ(ルーク)は講演のためセントルイスを訪れていた。そこで彼は20年ぶりにローラ・フェイと再会する。20年前にルークの父親が殺害されるという事件が起き、その後、彼は故郷を出ることとなった。その際、事件の動機の一端となっていたのが、このローラ・フェイであった。彼女から誘いを受け、ホテルのラウンジで語り合うこととなったのだが、それによりルークは過去の事件の真相を知ることとなり・・・・・・
<感想>
今までトマス・H・クックの本といえば、ほとんど文春文庫から出ていたのだが、今回は珍しくハヤカワミステリでの登場。この「ローラ・フェイ」の作品の前に出ている未訳作品があるのだが、そちらも早川から出るとのこと。早川に翻訳権が移ったのかな?
本書は、クックが描くいつもながらの内容の作品。要するに、過去に起きた事件があり、それが物語が進んでいくうちに徐々に全容が明らかになっていくというもの。今回は事件の当事者と、その事件に関わりがある女性とが会話をしていくなかで、事件の全容と隠された真相が見出されていくように描かれている。
事件が起きたとき、主人公の父親と母親はどのように考え、どのように行動しようとしていたのか。さらには、主人公が大学へと行くための資金はどこから出たのか。こうしたことが焦点となり会話とフラッシュバックが繰り返されながら物語が進められてゆく。
内容は従来のクック作品のように普通という感じなのであるが、やや長かったかなと。いつもどおり、ものすごく大きな山場があるというわけではなく、ゆるやかな長い上り坂を上っていくという感じであった。ただし、決して悪い作品というわけではなく、今までのクックの作品とは一味違うような終わり方をしているので注目に値する作品であることは事実。とはいえ、やはり長い作品であるということは間違いないので、始めてクックの作品に触れるのであれば、別のものをお薦めしたい。
<内容>
文芸評論家、フィリップ・アンダーズ。その親友である作家のジュリアン・ウェルズが池へボートを漕ぎ出し、水上で手首を切って自殺を遂げた。生前フィリップは、悲惨な事件や連続殺人などにスポットを当て、取材をしていた。自殺したのは、そうした取材の影響なのか? もしくはフィリップとジュリアンが共にアルゼンチンを旅行した際、ガイドの女性が失踪を遂げたことに何か秘密があるのか? フィリップは、ジュリアンの妹であるロレッタの助けを借りながら、ジュリアンの生前の軌跡をたどり始める。
<感想>
クックの作品がハヤカワミステリから出版されるようになって、ちょうどというか、たまたまというか、同じ機軸の作品ばかりが続いている。どれもが一人の人物にスポットを当て、いろいろな形でその過去を掘り下げていくというもの。今作もまさにそういった内容で、変な捻りもなく直球そのもので、語り手が友人の過去を掘り起こし、その友人が何故自殺をしたのかを探り出そうとする。
これら一連のシリーズを読んでいくと、クックってノン・フィクション作家なのかなと考えさせられる。実際に物語を追っていくと、探偵のように事件を捜査するというよりも、記者が事件を掘り起こしながら人々の心情について言及していくというようにとらえられる。
最終的には意外性がないとは言えないものの、地道な取材により、地味な事実を見出したという感じ。最近のこのハヤカワミステリから出ている一連のシリーズのような作品を読んで、それでクックのファンになったという人っているのだろうか? 色々な意味で、今後の先細り感が心配になってくる。
<内容>
大学教授であるサミュエル・マディソンが妻を亡くしたのち、彼はその妻に対する殺人容疑で訴えられることとなった。サミュエルの妻で同じく大学教授でもあるサンドリーヌ・マディソンは、致死量を超える薬を飲んだことにより死亡した。果たしてサンドリーヌは自らの手で自殺を遂げたのか? それとも・・・・・・
<感想>
裁判を通して、一人の女性の死の真相が明らかになっていくという物語。いつもながらのクック流の小説通り、徐々に徐々に現実に起きたことが明らかにされてゆくこととなる。
物語を通して、基本的な視点はサミュエル・マディソンからのもののみ。検察官や証言者から述べられるものに対してのサミュエルの反応を通すことにより、真相は読者に委ねられると言ってもよいかもしれない。
読んでいる最中は、裁判の場面と主人公の葛藤を通しつつも、結局のところは“誰が”事件を起こしたのかを問うサスペンス・ミステリであると考えていた。しかし、物語の結末に至った時には、これは実は夫婦の互いの愛を確かめ合う物語であったのかと気づかされた。一概に良い話というわけではないのだが、クックの小説にしては、こういう終わり方は意外だなと思わされた。また、いつもながらに、冗長と感じられたりするところはもはやご愛嬌というところで。
<内容>
1982年にその事件が幕を開けた。青少年育成センターで働く職員の家が何者かに襲撃された。職員のひとりの家は銃で撃たれ、もうひとりの家は爆弾を投げ込まれた。その後、事件は場所を移し、車で徘徊する女が女の子に声をかけ車に乗せようとする事件が度々・・・・・・。やがて、その行為は殺人事件へと発展していくこととなり、世間を震撼させる事件へと・・・・・・
クックが描くノンフィクション小説。
<感想>
さすがにクックは書くのがうまいなと唸る小説となっている。特に事件のとっかかりに関しては色々な角度から事件を見せる事によって、読者の興味を惹くように作られている。さすがに中盤以降では中だれを感じてしまうのだが、それはノンフィクションというものである以上しょうがないことであろう。
ただ、この小説を読んで思うのは、実際の事件を裁くという事がいかに難しいかという事。本書では容疑者として二人の夫婦の名前が挙げられている。その夫婦である男女のうち、どちらが主導となって事件を起こしたのかが問題とされている。この本ではどちらかといえば、女のほうにスポットが当てられているので、自然と“悪”の天秤は一方に傾くようになっている。しかし、これが両者の側から情報を与えられるか、または不十分な情報を与えられるのみであれば、どちらに問題があるかという事を本当に正しく判断することができるのであろうか? また、それは決してどちらかが良い悪いという二択で決められるようなものでもないと思える。アメリカでは陪審員制度がとられているのだが、それを一般人が判断するのは難しい事であろうというのを痛感させられた。
また本書はノンフィクションであるがゆえに事件に対する明確な動機と言うものが表されていない。まぁ、それどころか容疑者自体が事件そのものを自分自身のせいと認めてはいないので、動機が語られるという事はないままで終わっている。しかし、こうした不条理な犯罪というものが実際に起き、こういったものこそが今ひんぱんに起きつつある現代的な事件であると考えると恐ろしいとしか言いようがない。
<内容>
1944年第二次世界対戦中、パイロットのラッセル・キーズ大尉らは戦闘中に不思議な青い光に遭遇する。ラッセル大尉らは戦闘によって飛行機が撃破したにもかかわらず、その青い光に包まれて無傷で生還する。しかしラッセル大尉は無事に故郷に帰った後にも、例の事件のときに何者かに連れ去られたという記憶が残り、怯えて生活することに・・・・・・
また、同時期にオーエン・クロフォード大尉は砂漠に宇宙船らしき謎の物体を発見する。野心に燃えるクロフォード大尉は単独でその事件を解明しようとあらゆる手段を用いて軍の上層部へとのし上がっていくのであった。そして、その宇宙船が墜落した付近では一軒の家にジョーと名乗る不思議な人物が現われて・・・・・・
60年、4世代にわたる大いなる物語がここに幕を開ける。
<感想>
元々映画の脚本があって、それをノベライズしたということのせいか、書き込みの量が足りないなと感じられた。4世代に渡る長い物語のわりには一気に読み通せてしまう分量でしかなく、物語に渡る60年をただ追っていったというだけという印象である。宇宙人による“アブダクション”という恐怖体験を描いた小説であるのならば、もっとそういったところの心理描写を描いたほうが全体的な効果を増す事ができたのではないかと思える。
また、本書は何故宇宙人は人間をさらうという行動を取り続けるのだろうと言う事が謎となっているのだが、この辺も最後まで引っ張った割には物語上の効果というものは薄かったように感じられた。
といった感じで、どこか中途半端で終わってしまったという気がしてならない。もっと恐怖体験を強烈に描いたホラー風にするか、もしくは宇宙人との交流を描いた感動ものにするのか、どちらかにしてくれればもっと楽しめたのではないかと思われる。
とはいうものの、映画でこの作品を見たらどういう感想を抱くのかという事はまた別なのであろう。