<内容>
「雀がしゃべった・・・」 緊迫した状況下のドイツの古都ハイデルベルクで、アメリカ人技術者が巻き込まれた謎の殺人事件。毎日決まった時刻に松の木に敬礼する男、主人公をつけ狙う不気味なナチの指導者。次々に降りかかる難問を解決して、果たして無事アメリカ行きの船に乗ることができるのか。
<感想>
軽い題名とは裏腹に、一人でドイツに滞在するアメリカ人の孤独と戦争時代の暗いドイツの背景が色濃く描かれた一冊となっている。推理小説というよりはハードボイルドの形態に近いであろう。日本の作品で言うならば大沢在昌氏の「走らなあかん、夜明けまで」のような巻き込まれがたの話である。
ただこの作品、どうしてこの世界探偵小説全集のなかに組み込まれているのだろうと考えてしまうような作品。それがなぜかというと、謎という謎らしきものがないのである。題名になっている“おしゃべり雀”の話も途中で軽く明かされてしまうし、殺人を繰り返すものも別に謎というわけではない。時代背景を捉えた点とか、別の視点においては異色たる作品であるのかもしれないが、それがミステリとして反映されているのかという点については疑問である。
<内容>
「眠れる童女、ポリー・チャームズ」
「エルサレムの宝冠 または、告げ口頭」
「熊と暮らす老女」
「神聖伏魔殿」
「イギリス人魔術師 ジョージ・ペンパートン・スミス卿」
「真珠の擬母」
「人類の夢 不老不死」
「夢幻泡影 その面差しは王に似て」
<感想>
何も考えず購入し、てっきり普通の推理小説だと思っていたため、読んでみてびっくり。これほどアクの強い小説を読んだのは久しぶりだ。
じっくり読んでみても、さっぱり内容が頭に入ってこない。それもそのはず、ここで語られているのは著者が作り出した架空の舞台であり、そこでの架空の出来事が語られているという内容。さらには、著者のスタンスもついてこれる者だけが理解できればよいという、ある種いさぎのよい姿勢。そんなわけで、読み手を選ぶ作品である。
探偵小説っぽいところがなくもないのだが、“エステルハージ博士の生活”とでもしたほうがニュアンスとしては合っているような気がする。さまざまな不思議な事件を解決するというよりは、エステルハージ博士が体験するというような内容。
といったとこで、万人にお薦めできる作品では決してない。普通の小説では飽き足らないという方にお勧め。どちらかといえば、幻想文学小説といった類であろうか。
<内容>
架空のイギリス王家、ビクター二世と王妃イザベラ、そしてその娘に当たる王女ルイーズ。この王家のもとである日、ひとつのたわいもないいたずらがなされる。それがいつしか行過ぎたものとなり、さらには殺人事件へと発展して行く。あちらこちらへと顔を出す13歳の王女ルイーズはこの事件の真っ只中に巻き込まれることとなり・・・・・・
<感想>
本書は25年前にサンリオSF文庫から出版され、それが扶桑社ミステリー文庫にて復刊されたという作品。故に、SFの要素とミステリの要素をあわせ持った作品なのかと期待して読んだのだが、あまりそういったものは感じ取る事ができなかった。
この本の内容は王家の内幕を主人公である13歳の王女ルイーズを中心として語られていくという内容。とにかく、その王家の醜聞についてが延々と語られていたという印象しか残っていない。そんな場面が続き、ようやく中盤になって殺人事件が起こり出す。そして王家の醜聞にからめた解決がなされる、というそんな内容。
と、簡単にあらすじについて説明したのだが、実際に私自身の中に残った印象というものはこの程度でしかない。結局なんだったんだろう、というような疑問符が残ったまま終わってしまう。
しかし、この本を読んだ事によって沸き上がる不可解な思いについての解答は、物語を読み終わった後に挿入されている“訳者のノート”にて説明されている。この部分を読むことによって、初めて本書の舞台となっている王家が架空のものであり、その中でどういった物語が進行されているかと言う事がようやく理解できるようになった。
ちなみにこれから本書を読むという方は、この“訳者のノート”という部分は極力ネタバレにはならないように書かれているので、こちらを読んでから本編を読んでいったほうがより理解できるのではないかと思える。とはいえ、この本を読んで、ここまで内容を掘り下げて理解していくと言うのはかなり難しいことなのではと思われるのだが・・・・・・
<内容>
ピブル警視のもとに、彼の父親の元上司でノーベル賞を受賞した事のある科学者から一通の手紙が届く。彼を訪ねてくるようにと書かれていたが、その場所はスコットランドの西海に浮かぶ孤島。しかもそこは、とある教団が居座っている場所でもあった。ピブル警視は亡くなった父の過去を知るために単独へ島へとおもむくのであったが・・・・・・
<感想>
“ピブル警視の警察退職の事情が明らかになるファン必読の書”とあるのだが、ピブル警視が登場する作品自体を読むのが初めてなので、なんの感慨も抱けなかった。実際、本書を読んでみて、この本の中心と成す部分がそのピブル警視の諸事情というくらいしか思い当たらず、この警視に対する感情移入がなければ、何の印象も残らない本という気がしてならない。
話の内容は教団の教祖のような人がピブル警視の父親の知り合いで、その彼を連れて、なんとか島から脱出するという話。大雑把に言えばそのくらい。ゆえに、特に謎と呼べるようなものはなく、せいぜいスパイ・スリラーと言えなくもない作品。
そんなわけで、これ単体で読むのはお薦めできない作品。ただ、それならそれでピーター・ディキンスンの本って、何から読めばいいのだろうと言われても、現状では何も答えようがない(現在入手できるかは別として、ハヤカワミステリにて数冊の本が訳されてはいるようだ)。
この本、“論創海外ミステリ第50巻特別書下ろし”という名目が付けられているのだが、これをそんな位置づけにしてよかったのだろうか?
<内容>
石油王スルタンが砂漠にかまえる宮殿にて、心理言語学者ウェズリー・モリスは暮らしていた。彼は、スルタンが飼う多くの動物の面倒をみ、特に知能の高いチンパンジー、ダイナに言語を教えるという仕事をしていた。あるとき、その宮殿内で殺人事件が発生する。アラブ側は、その事件を独自の言語体系を持つ沼人のせいだとし、争う構えを見せる。そうしたなか、成り行きからモリスが沼人との交渉に向かうこととなるのだが・・・・・・
<感想>
特殊な環境のもとで発生した事件のてん末を描くミステリ作品。富豪のもとでチンパンジーに言語を教える心理学者が事件に(嫌々ながら)挑むこととなる。
本書を読んで真っ先に感じるのは、ピーター・ディキンスンはミステリ作品を書きたいというよりは、沼人の言語体系とか、チンパンジーによる言語などと言った特殊学術的なものを描きたいがために、この作品を書いたのだろうなということ。そのくらい、この奇異な世界や言語体系的なものが強調されている。というか、ミステリ作品として謎自体が強調されているのかが微妙。
さらに、この作品世界が奇異と思えるのは、一見文明から切り離された世界を書いているようでいながら、飛行機が登場したり、事件解決にビデオカメラが役に立ったりと、どこか世界設定の不安定さを感じ取れる部分があるからなのかもしれない。
そうしたなか、肝心のミステリ的な展開は薄いともいえるのだが、最後の最後でまるで“チンパンジーは見ていた”とでも題したくなるような場面が待ち受けているのには感嘆させられる。
しかし、やはり物語全体を通して奇怪なミステリ作品という印象はぬぐえない。というよりは、ディキンスン描く世界というのは、こういったものが普通だと考えるべきなのであろう。
<内容>
医薬品会社の実験薬理学者デビッド・フォックスは、動物を用いた実験にて高く評価されていた。彼は会社の命令でカリブ海の島国へと派遣される。そこは魔術を信仰する島民を独裁者が支配するという奇怪な島。デビッドがそこで行うこととなった実験は目新しいものではなく、日々鬱々と実験をこなす毎日が続いていた。そんなとき、彼は島全体をめぐる陰謀劇に巻き込まれることとなり・・・・・・
<感想>
1981年にサンリオ文庫から刊行された作品がちくま文庫として復刊。復刊されたのもうなずける、良作ならぬ強烈な怪作。
最初はもとミステリっぽい作品なのかと予想していたのだが、物語の始まりは、まるで企業小説、もしくはサラリーマン小説のような感じで幕を開ける。未開の地に転属させられた薬理学者の憂鬱を描いたような内容。そんな感じで物語が始まり、読みにくいというか、興味が持てないというか、微妙な感じで話が続いてゆくのだが、中盤になってから波乱万丈な展開が待ち受けている。
100ページを超えるころにようやく殺人事件が起こり、事件が起こったと思いきや主人公がとんでもない状況に陥る羽目に。そこからはまさに予測不可能。単なるサラリーマン小説から、政治小説、陰謀小説へと早変わりし、もはやジャンルを超えるかのような怒涛の展開へとなだれ込む。
昔にサンリオSF文庫で出たということもあり、現在でもジャンル分けすれば、SFのほうに組み込まれるかもしれない。もうちょっと詳しく言えば、仮想政治小説といってもよいのかも。魔術信仰と、その信仰を利用する政治、そこに現代的な薬学まで加わり、幅広い分野にて一連の物語を仕立て上げている。一度読んだからと言って、すべてを理解することができるような作品ではなさそう。伝説とされた復刊作品とはいえ、決してとっつきやすい物語ではなく、万人にお薦めできる小説とはいいがたい。ただし、奇書のたぐいが好きな人にはたまらない小説であることは間違いない。
<内容>
平凡な街で平和に暮らす薬局店の主人グレゴワール。妻と子供に恵まれ、何一つ不自由のない生活を送っていた。そんなある日、町の奔放で淫らな若い娘が裸で日光浴をしているのを見かけ、グレゴワールは過去の想い出と昏倒しつつ、何故か彼女の首に手をかけて死亡させてしまう。女が死亡したことにより、彼女と暮らしていた男が容疑者として逮捕される。女とほとんど接点のないグレゴワールは疑われるはずもない。しかし、無実の若者を見捨ててよいのかと葛藤する中、グレゴワールその事件の陪審員に選ばれることとなり・・・・・・
<感想>
読む前は法廷ミステリなのかと思いきや、実際に読んでみると犯罪を犯した主人公がひたすら悩むという文学風の小説。
この作品は映画化されて高評価されたという有名作。それを知って納得。小説で読むよりも、いかにも映像化した方が栄えそうな内容。小説では犯罪を犯した主人公が無実の罪をきせられた容疑者のことをひたすら悩むというもの。奇妙なのは、自分が犯した犯罪については、さほど悩んでいるようではない。それに残された家族のことを考えると自首をするなどもっての外。そんなこんなで悩んでいる中で、容疑者を告発するための裁判に陪審員として選ばれることとなり、さらに煩悶することとなる。
こうした内容なので、ミステリ小説としての見どころはあまりなく、主人公や容疑者らが裁判の結果どのような人生をたどることとなるのかがポイントといったところか。ただ、これを読むと日ごろ読むミステリ小説では如何に完全犯罪を成すかを試みる犯人に対し、それを嘲笑うようなアンチ完全犯罪小説のように思えてならない。
<内容>
中等学校にて突如生徒の死亡事故が起きた。そして事件に何らかの関係があると思われるロドニー・ブレイクという少年が謎の失踪を遂げる。このブレイクという少年は何ら目立たない生徒であったが、失踪する直前の授業中に見事な絵を描いて担任のゴードン・シーコムを驚かせていた。ゴードンはブレイクの事が気になり、彼の行方を追おうとする。そしてゴードンは彼の驚くべき出生の秘密を知る事に・・・・・・
<感想>
今で言えばモダンホラーというジャンルに属されるであろう。これが描かれた当時であればSFと言われてしまう可能性もあったかもしれない。
と、そんな風に描かれている作品なのだが、なんの予備知識もなく読んでいったら、その話の展開の意外さに驚かされる事になるだろう。最初は学校で死亡事故が起き、いったい何故そのような事が起こったのかという話が突き詰められると思いきや、そんな事は放っておかれて一人の少年の行方を追う流れへと進められてゆく。その謎の少年なのだが、出生を調べていくうちになんと双子だという事がわかり、彼とは別のもう一人の存在が事件に関わっているということがわかるのだ。そしてさらに調べを進めてゆくと、もっと意外な事が・・・・・・
というように、読んでいるほうは話の流れにどんどんと惹き込まれていく事間違いない。内容がミステリーではないので、論理的に話が帰結するというものではなく、あくまでもモダンホラーとしてとらえて読んでもらいたい作品である。あと、最後に付け加えるとすれば、最後にもうひとつくらいどんでん返しが欲しかったかなというところ。ただ、今まで読んだ論創海外ミステリの中では異端の一作であり、かなり楽しめた作品であるという事は付け加えておきたい。
<内容>
マサチューセッツ州ケープコッドに住む50歳の独身女性ウィッツビー。彼女と姪のベッツィは、彼女たちが住む避暑地に客を迎えるべく用意をしていた。そして、二人の友人たちが来て、なごやかに過ごしていたときに、近所の小屋にこれまた避暑に来ていた有名作家デイル・サンボーンが殺害されているのを発見する。その後の調べにより、作家サンボーンが多くの人々に恨まれていることがわかり、容疑者多数という状況。しかも、サンボーンが殺害された前後に、彼の小屋に多くの人々が訪れていたことが明らかになる。そうしたなか、容疑者として警察に拘留されたジミー・ポーターの疑いを晴らすべく、ジミーの雑用係であるアゼイ・メイヨが捜査に乗り出す。
<感想>
タイトルは掲載されたことはあるが、今まで訳されたことがなかったという幻の作品。「コッド岬の惨劇」というタイトルで紹介されたこともあるようだが、きちんと翻訳されて日本で出版されるのはこれが初めてのよう。
読んでみると、なんとなく探偵小説初心者に説明しながら話を進めているようにも感じられる作風。タイトルからして陰惨な内容なのかというと、そんなこともなく、登場人物たちが集まって、あれやこれやと騒ぎながらゴシップ混じりに捜査を進めていくという内容。どうやら、コージー・ミステリの走りである作品という見方もあるようなのだが、実際にそんな感じの作品。
基本的に、話が進められつつ、真実がちょっとずつちょっとずつ関係者の口から明かされてゆき、最終的に真相が明かされるというもの。その真相に関しては、さほど印象的なものではなく、誰が犯人でも・・・・・・という気がしなくもない。しかし、そういった論理的な整合性よりも、全体的に感じさせる陽気な作風こそがこの作品の重要な点なのではなかろうか。さらには、若干22歳の女性が書いた作品であるというのもポイントかもしれない。歴史的には重要な点も見いだせる古典作品。
<内容>
古書研究家で素人探偵でもあるガーメッジは知人が持ちかけてきた依頼を引き受けることに。その依頼とは、数年前に起きた夫毒殺の嫌疑をかけられた事のある夫人が何者かに狙われているので、魔の手から救い出してもらいたいというものであった。その未亡人には従妹の関係となる娘、養子の青年、長年付き添ってもらっている家政婦などと何らかの動機を持ちそうな人々がそばにいるので、とりあえずガーベッジは未亡人の所在を隠すこととした。そしてガーベッジが過去に遡り事件を調べているとき、殺人事件が起きてしまう!
<感想>
なんとなくありがちな名前のせいか、どこかで聞いたような気もするのだが、日本ではそれほど有名にはなっていない作家のよう。私自身もどうやら読むのは初めてのようである。しかし、読んでみるとこれがまた、クリスティ風というかなんというか、なかなか取っ付きやすいミステリ作品となっており、楽しんで読む事ができた。
本書の内容は何者かに脅迫され、命を付け狙われている夫人を魔の手から救い出すというもの。この夫人の夫は数年前に起きた毒殺事件で死んでおり、夫人に嫌疑がかけられたものの、判決で無罪をいいわたされた。しかし、その時の事件は未だ尾を引いており、彼女に対する嫌疑は沈静化されたとはいえないところに起きた今回の事件。
と、こんな話なのだが、物語を引っ張っていくうえでも読者に飽きさせないような構成になっており、すらすらと読む事ができた。基本的には平凡な流れのような事件ではあるのだが、見せ方というものを心得た作品といえるであろう。
また、結末に関しても、動機についてはなかなか凝っているといえるものであり、かなり楽しませてくれたミステリ作品である。
本書に出てくる主要キャラクターは素人探偵のガーメッジをはじめ、彼の妻や使用人、そしてガーメッジに翻弄されるばかりの警部など、魅力的な人物でいっぱいである。これは、今後も別の作品が翻訳されていってもおかしくないシリーズといえるであろう。
<内容>
ジョニー・レッドフィールドから招待され、彼の屋敷へとやってきた素人探偵ヘンリー・ガーメッジ。レッドフィールドの屋敷を散策中、ヘンリーは彼のすぐそばにいたジョニーの叔母、ジョセフィーヌ・マルコムが銃撃を受けるという事件に遭遇する。庭のなかで彼女を殺害したのは誰なのか? 限られた容疑者たちの全ての者に確たるアリバイはなく、誰もが事件を起こし得ることができた。事件を起こすことにより誰が得をするのか!? 警察による捜査が行われる矢先、そこに意外な別の人物が登場し、さらなる殺人事件までが起こることとなり・・・・・・
<感想>
庭園で起きた銃殺事件の謎を解くという、シンプルかつオーソドックスなミステリ。しかも、矢継ぎ早に事件が次々と起きていくことにより、読んでいるものを飽きさせない構成。300ページ弱という薄さで、なかなか取っ付きやすい本格ミステリといえよう。
ただ、全体的にスッキリし過ぎていて、これといった特徴がない小説という気もする。最初事件が起きた後に、容疑者が訊問されるものの、その訊問によって得られるものがほとんどなく、登場人物の紹介程度の役割しかないのがもったいない。一応は、物語の最初から結末へとつながる種をまいており、最後できっちりと回収するという形が採られているのだが、その割には伏線がきっちりと張られているという印象は薄い。ひとつひとつがきちんと描かれているようでありながら、そのひとつひとつのパーツがやや弱く、さらに言えば、効果を出しきれてないようにも感じられてしまう。
最終的な真相は、なかなか驚くべきものとなっている。単なる軽いミステリ作品という程度に終わらせないところは見事。もうちょっとうまくひとつひとつの要素を書き表すことができれば、それなりの秀作として名をはせたかもしれないところが残念。
<内容>
「トンネル」
「失 脚」
「故 障 −まだ可能な物語」
「巫女の死」
<感想>
スイスの作家、デュレンマットの作品集。劇作家としても有名。昨年のミステリ・ランキングをにぎわせた作品の一つということで、また文庫で読みやすそうということもあり購入した作品。ただ、実際に読んでみると、全然ミステリっぽくないなと。もう少し、ミステリ的な作品だと思っていたのだが、綺譚集とか、モダンホラーに近いような感触。
「トンネル」は、列車がトンネルに入った後に、そのトンネルから全く出る様子が見られなく、主人公が慌てふためく作品。まさに、トワイライトゾーン。その状況を全く気にしていなかったり、運命を享受したかのような人々の様子が印象的。
「失脚」は、作品中では一番読み応えがあった。アルファベットのAからPまでで表された人々の会議室での様子を描いた作品。場面は会議室のみ。まさに劇作家的な内容と言えよう。そこで、国家を巡る陰謀と失脚劇が展開されてゆく。“革命は会議室で起こるのだ!”と言わんばかりの内容。類を見ないような作品である。
「故障」は、ひとりのセールスマンが立ち寄った屋敷で裁判ゲームに付き合わされるというもの。サラリーマンは被告となり、ありもしない殺人の容疑をきせられてしまう。ラストへの展開は、なんとなくありがちのようにも思えるのだが、解説により、何故このような展開になったのかを説明されると、意外と深い作品であったということに気づかされる。
「巫女の死」は、「オイディプス王」をモチーフとした作品・・・・・・というよりも、オイディプス王に対して、著者なりの別の解答を付けた作品と言うように捉えられる。あまりピンとくる内容ではなく、作品中の中ではいまいちというように捉えられた。