<内容>
雪に降り込められたカントリー・ハウス、一族を集めたクリスマス・パーティの夜、シャンパンを飲み干した青年は、次の瞬間その場に倒れ伏した。病の床につく老貴族、ファシストの青年、左翼系の大蔵大臣、政治家の妻、伯爵令嬢、忠実な執事と野心家の娘、邸内には事件前から不穏な空気が流れていた。地域を襲った大雪のため、邸は周囲から孤立した状況となる。そしてさらには彼らを二つの死が襲うことに!
古文書の調査のために滞在していた歴史学者ボトウィンク博士は、この古典的英国風殺人事件に如何なる解決を見いだすか。
<感想>
この作品での主題は動機にある。題名による“英国風”というのも動機を示唆してのもの。よって、それほど“どうやって”ということについては言及されない。最終的な解決も、動機から犯人を当てる、というものになっている。
この作品の著者が意図する主題が“英国風”というものにあり、作中でもボトウィンク博士によって指摘されている。よって犯人についても納得できるものであるし、主題を中心に考えれば、無駄のない秀作と思える。
ただ、作者の意図していない“いかに”というい点を取り上げると、少し作品が弱くなってしまう。犯行という点においては、特に最初の殺人は誰でも行えたようにも感じられる。まぁ確かに、最後の犯行を行え得る人物という点から犯人を割出し結論に持っていけば、と考えれば納得できないこともないのだが・・・・・・。この“いかに”という犯行の点をもっと絞り込んでくれればなどというのは欲張りなことなのだろうか。
<内容>
マレット警部が旅先のホテルで知り合った老人は、翌朝、睡眠薬の飲み過ぎで死亡していた。検死審問では自殺の評決が下ったが、父親が自殺したとは信じられない老人の子供たちとその婚約者は、アマチュア探偵団を結成、独自に事件の調査に乗り出した。やがて、当日、ホテルには何人かの不審な人物が泊まっていたことが明らかにされていくが・・・・・・
<感想>
本格ミステリとか推理小説とかいうよりも、どたばたコメディといったほうがふさわしい。結末ではそれなりにミステリーらしい展開を見せてくれるが、それもある種のサプライズエンディングにとどまるものでしかない。であるからして、途中の捜査状況等が無意味なものとして感じられてしまうのがいたいところか。
とはいえ、軽口なのりで全編楽しませてくれて読物としてなかなか面白いとは思う。
<内容>
元弁護士のフランシス・ペティグルーは散歩の途中に死体を発見する事に! 慌てて、近くにいたものを連れて来たのだが、そこには死体の影も形もなかった。自分が見たものは幻だったのか、と悩むペティグルーの前に現われたのは旧友で元警部のマレット。マレットの誘いにより、ペティグルーは自分が見たものの真偽を確かめるため、事件を捜査し始める。すると、その事件はある一族の遺産相続へと関わってゆくことになり・・・・・
シリル・ヘアー、最後の作品。
<感想>
落ち着いた文章、落ち着いた展開、落ち着いた内容、まさにこれは大人のミステリーと言いたくなるようなきっちりとした作品である。
内容は、死体を発見したものの、その死体が消えて後に発見されるというもの。それが遺産相続に関わる事件へとつながって行き、法廷ものへと様変わりしてゆく。ただ、この法廷の場面はあまりもりあがらなく、そこで事件が解決されるわけでもないので、法廷ミステリーとは言いがたい。しかし、最後の最後で事件の真相に予想だにしなかった結末が付けられ、なるほどとうなずける仕上がりを見せてくるところはさすがとも言える。また、話全体が事件に密接に関わっていたというところも良くできていると感じられた一因であろう。
本書はシリル・ヘアーの今までの作品に出てきた登場人物が集うキャラクター小説でもあるという側面を持っている。そこは、遺作となる本書に到るまでの作品を読んでいなければ楽しみにくいところなので、ヘアーの作品群を連続して読み通してみれば、また本書に違った感慨が浮かぶのではないだろうか。
<内容>
屋敷から不審な者が出てくるのを見た警官が、そのグレイストーンズ屋敷に立ち入り調査してみると、主人のアーネスト・フレッチャーの撲殺死体を発見する。さまざまな噂がされるなか、容疑者は多数。その日、屋敷を訪ねて来ていた甥、近所に住む夫婦、生前にアーネストと会ったとみられるビジネスマン、さらにはアーネストを付け狙っていた犯罪者。スコットランドヤード警視のハナサイドは、容疑者それぞれのアリバイを調査し、犯人を特定しようとするのであったが・・・・・・
<感想>
なんか微妙だったな。群像小説というほどでもないが、視点がころころと移り変わって、最後まで達しなければ、どの部分が中心となる小説なのかがはっきりわからなかった。最終的には警察の捜査が中心となる小説であるようなのだが、優秀なのかどうなのかわかりづらいハナサイド警視とヘミングウェイ巡査部長。そしてアクが強く皆から避けられる(無意味に聖書の言葉を引用することにより)ダラス巡査。彼らの存在が読んでいる途中では冗談のようにも思え、その捜査の様相をどこまで信用していいのか微妙であった。
そして、微妙さ加減では他の登場人物らも同じ。いい加減そうな被害者の甥、なんとなく登場しているような女流作家、仲がいいのかどうなのか立ち位置がわかりづらい夫婦、存在するのかしないのかわからない犯罪者と、あやふやなまま話が流れて行ってしまっている。
物語が進んでいくと、徐々に嫌疑をかけられている人の無実が明らかになっていき、対象者が絞り込まれていく。すると、ひょっとすると犯人は“あれ”なのではとなんとなく気づかされる。すると、そこまで謎とされた凶器の存在も解き明かされることとなる。その最終的な真相はよいのであるが、ただ、この真相であるとそれまでの物語はなんだったのかと。あまり重要そうではなく、あまり語られなかったパートに真相が隠されていたというのはどのようなものかと。まぁ、色々な意味でアクの強いミステリ小説と言えるのかもしれない。
<内容>
「大公殿下の紅茶」
「付き人は眠っていた」
「気立てのいい娘」
「ある賭け」
「ホッテントット・ヴィーナス」
「几帳面な殺人」
<感想>
名探偵フォーチュン氏が登場するミステリ作品集。私はフォーチュン氏の作品を読むのはこれが初めてであり、全て未読の作品であったのだが、フォーチュン氏の短編集は創元推理文庫などからも出ているようなので、既出のものも含まれているのかもしれない。ただ、最初の作品「大公殿下の紅茶」はフォーチュン氏初登場の作品となっているので、フォーチュン氏の物語を最初から読んでいくうえでは、ちょうどよい本となっている。
「大公殿下の紅茶」
ということで、最初の作品なのだが・・・・・・作品の内容よりもフォーチュン氏の奇妙さのほうが印象に残ってしまう。フォーチュン氏は医者であり、この作品によって始めて事件に巻き込まれ、その後探偵活動を行っていくというようになっている。
事件自体はなかなか面白いものであった。車に引かれたという人物の診療に行く際に、別の車に引かれた死体を見つけてしまうというもの。提示された謎自体は魅力的であったが、解決のほうはややあっさりめ。ただ、その解決に用いたフォーチュン氏の手段がなんともいえない後味の悪いものとなっている。
「付き人は眠っていた」
女優が志望し、そのかたわらで付き人の女中が熟睡していたという奇怪な事件を扱ったもの。男女の三角関係によるもつれかと思われたのだが・・・・・・
これも扱われる事件はなかなか面白い。また、徐々にわかり始めてくるのが、フォーチュン氏は事件解決の手段として、好んで犯人に罠をかける傾向にあるということ。
「気立てのいい娘」
鉱山主で実業家の男が殺され、彼をうらんでいた男が最重要容疑者とされる。その容疑者の婚約者からフォーチュン氏は彼の潔白を証明してくれと頼まれる。
前2作はフォーチュン氏が事件に首を突っ込むと、警察が厭な顔をしていたのだが、この作品からは警察の態度が反転し、フォーチュン氏にやたらと頼るようになってくる。本作の見どころはタイトルにある“気立てのいい娘”が意味するもの。ある意味、“フォーチュン氏の失敗”というタイトルをつけてもいいほどであるが、それを悪びれないのがフォーチュン氏らしいところか。
「ある賭け」
父親と大喧嘩していた男が何年かぶりに和解をしようとしていた。しかし、その父親が殺された事から息子は警察から容疑をかけられることに。
事件自体もそこそこ凝ったものとなっているが、それよりも容疑者のイタリア人の妻がいい味を出している。こちらのほうがよっぽど“気立てのいい娘”である。
「ホッテントット・ヴィーナス」
フォーチュン氏は女学校で起きた盗難事件の捜査をさせられるはめになるという作品。
あまり印象に残ることなく、あくまでもちょっとした事件という感じのものであった。
「几帳面な殺人」
証券取引場で巻き起こった疑惑事件から、さらには殺人事件へとまで発展していくという作品。本書の中では一番ページ数の長いものとなっている。
結論から言えば、“几帳面な殺人”というよりは“几帳面な復讐”と言ったほうがよいだろう。一見、普通の事件にしか見えないものが、複雑な過去の因縁を発端としている事が徐々に明らかにされるというもの。やや物語性が強めの作品というところか。
<内容>
1943年ベルギー領コンゴ。植物学者のフーバー・トリヴァーは農場の視察へと出向く事になり、この地に降り立った。フーバーは現地にたどり着くものの、当の農園経営者が突然亡くなったことを知らされ、その葬儀に出る羽目に。その経営者は以前、反乱を起こした現地の部族を処刑したことがあるという。そしてさらにフーバーが到着した後にもナイフによる殺人事件が起きてしまう。これは現地人による報復なのか??
<感想>
当時はまだ暗黒大陸とも言われ、その詳細が知られていなかったアフリカ地方。そのアフリカを舞台にした異色ミステリー・・・・・・とのことなのだが、いまいちアフリカが舞台だという感触がえられなかった作品。
というのも、舞台こそアフリカであれども、白人コミュニティーの中でのみの出来事となっているので、通俗のミステリーを読んでいるのと変わり映えはしない。一応、アフリカという未知の領域に囲まれているという恐怖感をあおるような内容になってはいるものの、そこまでの迫力は感じられなかった。さらに付け加えれば、そこで起きている出来事を追っているだけのようにしか思えなかったので、ミステリーという感じさえもしなかった。
まぁ、異色は異色なのだろうけれど、色々な意味でパンチ力が弱い作品としか言いようがない。
<内容>
全寮制のアンスティ・コート校では最近、校長の甥を狙った事件が続発していた。さらに青酸とチョコレートの紛失事件が発生、危険を感じた校長はヤードに調査を依頼した。紛失した毒物が発見されて、事件はひとまず決着したかに見えたが、一月後、ついに毒入りチョコレート事件が・・・・・・
<感想>
いちおうこの作者、幻の作家ということなのだが紹介された作品がこれでは・・・・・・。あまり構成も成功しているとはいいがたいし、最後に読者への挑戦のようなものを提示するのだが、果たしてそれを提示するレベルなのだろうかと疑問に思うようなできである。確かに結末を読むと、この事件においてはこの結末しかないといえるほど納得のいくところに落ち着くのだが、どうにも・・・・・・
<内容>
アントニー・パードンはアデア少佐らとともに、とある屋敷に逗留することとなった。アデア少佐は競売で競り落とした1冊の古書から、その屋敷に財宝が隠されている可能性がある事を知り、少佐は屋敷を購入し、宝探しを始めたのであった。そうして財宝の一部と見られる宝石が見つかるのであるが、それが何者かに盗まれてしまう事に。事態を重く見たアントニーは他の人物の薦めもあり、友人のエドワード・ビール主任警部を屋敷へと呼ぶ事にした。そうしてビール主任警部が到着したとき、事件が起こることとなり・・・・・・
<感想>
それほど期待せずに読んだのだが、いやはや良く出来たミステリ作品であった。帯に“密室ミステリ史に輝く逸品”と書かれているのだが、その言葉に決して偽りはない。
ただ、もったいないと思ったのは小説としてのリーダビリティの無さ。全編通して、あまりにも退屈すぎる。これがもし、リーダビリティ十分な作品であったら、間違いなくとっくに訳されており、オールタイムベストにも入っていたのではないだろうか。
いや、これはある意味、実に惜しい作品と言えるかもしれない。一般的には薦めにくい作品ではあるが、ミステリファンであるならば必読の1冊と言えるであろう。最終的な解決に関しては、必ず納得のいくものになっているので、退屈さを我慢しながら最後まで読み通してもらいたい。
<内容>
判事エヴァレットは誤って、無実のものを投獄してしまうという過ちを犯す。その後、真犯人が捕まり、投獄されたものは無罪放免とされる。エヴァレットは、病気により判事の職を退くが、彼のもとに脅迫状が届くこととなる。そしてある晩、彼が就寝中、近くで看護のものが控えていたにもかかわらず、ナイフで殺害されることとなる。いったい誰が、どうやって? 事件の謎にスコットランド・ヤードの主任警部エドワード・ビールが挑む。
<感想>
地味だ。起こる事件がただ一つのみで400ページという長さゆえに、解決までたどる道のりがただただ地道。まぁ、同じく論創海外ミステリから出ている「警官の証言」も同じような作風であったので、覚悟はしていたからさほど問題でもないのだが。
事件は、病人である判事が衝立越しに看護されている中で、ナイフにより殺害されるというもの。数少ない容疑者のなかから、誰が犯行を実行することができたのか、綿密にアリバイを調査したなかで、エドワード・ビール警部が謎を解き明かす。
犯人を指摘する決め手はさほど強いものではないのだが、謎が明かされてみると、動機といい、そこまでに至る過程といい、それぞれの細かなことがぴったりと当てはまるところはさすがといえよう。実にうまく創りこまれた本格ミステリであると称賛したい。
といいつつも、最後の最後まで衝立越しの殺人というのには、無理があるのではないかと思ってみたり、「警官の証言」に比べればやや落ちるかなとも感じたりした。ただ、このビール警部が活躍するシリーズ作品がまだ数冊あるようなので、訳されればぜひとも読みたい・・・・・・というよりも、ぜひとも訳してもらいたいところである。
<内容>
作家志望のナンシー・グラハムは久々に友人のサラ・ランプソンと出会う。サラが言うには、何者かが彼女を脅す手紙を送り付けてきたというのだ。サラは、自分のことをよく知っているナンシーにこの件を調べてもらいたいと依頼する。サラには現在の婚約者、それに元夫、さらには複数の元恋人がいた。ナンシーが彼らに話を聞こうとしたやさき、サラが死体となって発見され・・・・・・
<感想>
作家を志望するナンシーが友人であるサラから、脅迫状の送り主を見つけてもらいたいと依頼される。その候補者は全てサラの元の彼氏であり、それぞれナンシーもよく知っている人物。しかもそのひとりがナンシーの婚約者でもあるということもあり、ナンシーは元の彼氏達から話を聞いていくこととなる。
基本的に主人公が事件を解決するというスタンスではないためか、なんか読みづらかった。巻き込まれ形のミステリかと言えばそうでもないし、微妙な線で主人公のナンシー自身が積極的に自分から事件に関わっていっている。また、ナンシーとさまざまな男たちの会話や、ナンシーと警官との会話が、なんともかみ合わなく、読み手を苛立たせるような感じに思えてしまい、全体的に取っ付きにくい印象の作品であった。
作品を通して、なんとも変わっているというか、妙に感じたのは主人公ナンシーのスタンス。この作品を読むと、ナンシーに関わる男を、すべてサラが奪い取っていったということは一目瞭然。それにも関わらず、ナンシーはサラに積極的に関わっていっている。また、ナンシーがやたらと他の登場人物たちに軽視されており、また、ちょっとした脇役のような者達からも軽くみられているような形で書かれている。このナンシーに対する人物造形というものが非常に奇妙な感じがし、理解できなくて気持ちが悪かった。ひょっとすると、女性視点であれば、このような人物は、特に気にならないのかなと?
<内容>
キース・ワーウィックはもう直ぐ資産家の祖母が亡くなり、莫大な遺産を受け取る事ができるという身の上であった。しかし、彼はその遺産を受け取ることなく、崖から転落して死亡してしまう。崖の上には罠のような仕掛けがあったものの、子供の悪戯ということで片付けられ事故死扱いにされてしまった。これにより、残った遺産の全てを受け取る事になったバーナード・スコットは自分に嫌疑がかかっているのではないかと怯え始め、素人探偵のウィントリンガムに事件の調査を依頼することに。
<感想>
良い作品と悪い作品の狭間にある作品という感じがした。何か、もうちょっとうまく工夫すればすごく良い作品になったのではないかなぁと、感じられるところがあり、なんとなく見過ごせない作品ではあった。
本書は莫大な遺産を巡る連続殺人事件について書かれているのだが、その特徴としては既に事件らしきものは起こり終わってしまっているということ。その既に終わってしまった事件を探偵役が掘り起こしてゆき、最終的に真相へとたどりつくというものなのである。
ただ、この既に事件が起こってしまっているという所が微妙に感じられたのである。どちらかといえば、徐々に事件が起きて行き、連続殺人へと発展するという過程のほうが楽しめたのではないかと思えるのだ。確かに、過去を掘り起こすということにより効果を狙ったというのもわからなくはないのだが、その過去を掘り起こしてゆく部分がやけに平坦に感じられたために、その効果は薄かったのではないかと感じられてしまうのだ。
最終的なオチも付けられていて、ある種、日本の新本格ミステリーに近いものも感じられたのだが、微妙なずれも感じられてしまうというちょっとおしい作品。
<内容>
双子の姉弟、マリエクとパトリックは母と三人で暮らしていた。ある日、姉弟は自宅で母が死んでいるのを発見する。身寄りが亡くなったことにより、寄宿学校へ入れられるのを恐れた二人は母の死を隠そうとするのだが・・・・・・
<感想>
2003年の復刊フェアの際に購入したフランスのサスペンス作品。短いページながらも予想だにさせないサスペンスフルな展開と、子供の純粋さ、残忍さがいかんなく発揮された作品である。
物語は隣り合った2件の家を中心に繰り広げられる。母親が死んだことを隠そうとする11歳の双子と、その様子をうかがう隣人。お互いが予想のつかないことを行うために、全くかみ合わないまま話が進んでいくことになる。それにより、自分の想像通りに事が運ばずに慌てふためく隣人と、何が起きてもさほど動揺せずにその時のみを生きてゆこうとする双子との様子が対照的に表されている。
最後には、必然的ともいえる結果が待っているのだが、この結果を皮肉ととらえてよいのかどうか。ここに登場する双子は、完全な被害者といってもよいはずなのだが、それでも同情すべきかどうか難しいところである。
<内容>
騎兵大尉ヨッシュ男爵らは俳優オイゲン・ビショーフの家に楽器を持ち寄り、皆で演奏を楽しんでいた。その演奏の合間の歓談中、突然ビショーフは四阿の中にこもり拳銃自殺をしてしまう。彼が最後に残した言葉は「最後の審判」という言葉。さらにその現場を見たものより、これは自殺ではなく殺人であるとしてヨッシュ男爵が告発され・・・・・・
<感想>
最後まで読み終わり解説を読んで、初めて本書が密室殺人を扱ったものだということに気がついた。というのも、読んでいるときは本格ミステリーというよりは謀略小説に近いかなという感慨を抱いていた。また、この著者というのが解説を読んだ限りでは、特にミステリー作家というわけではなく、それなりに著名な文学作家であると評価されているように感じられた。ゆえに、本書はミステリーというよりは文学よりの“奇書”というような位置付けだろうと思われる。本書がこの2倍くらいの分厚さがあれば、奇書としてもっと有名になっていたのではないかなとか適当な事を考えてしまった。とはいうものの、これくらいの薄さだからなんとか読み通せたものの、全般的に読みづらかったなというのが正直な感想。
<内容>
英国の田舎町で奇妙な現象が起こり大騒ぎとなる。それは、雪についた奇妙な足跡によるものである。その足跡はひずめの形をしているものの、明らかに二本足で歩いているのである。そしてその足跡は、突如現われ、細い垣根の上についていたりと、普通ではありえないような痕跡を残している。きわめつけは、その足跡の終着点には死体が残されていたということであった!
実はこのような事件は一世紀前にも英国の別の場所で起きており、今回の事件はその再来を思わせるものであった。村人達が噂するように、それは本当に“魔王の足跡”なのだろうか??
<感想>
これはなかなか魅力的で面白い本格推理小説であった。
ひずめの形をした謎の足跡と、その足跡の先に残る死体。読んでいるうちは物語の誘導によって、どう考えても“魔王”のような超常的なものでしか成しえない行為であると思わされてしまう。
これを読んでいるときにふと思ったのが“ミステリー・サークル”について。あれだけ世間を騒がせた謎の幾何学模様が、実はロープと板と少数の人間の手によって簡単にできることがわかり、話題になったのもかなり最近のことだったのではないだろうか。
それを考えると本書で起きた現象も人の手によるものだと思えるのだが、どういう風に行ったかという具体的な部分は真相が暴かれるまではまったくわからなかった(実はフラミンゴのような鳥がひずめを付けて飛んでいたのではないかと想像してしまった)。
その謎がきちんと整合性を持って解かれてゆくのだから、これはもう見事としか言いようがない。確かに、現代であれば謎のいつくかは自然にばれてしまうようなものであるのだが、そういったことを差し引いてもよく描かれたミステリーである言えよう。まぁ、登場人物の少なさゆえに犯人が特定しやすくなっているという事はあるのだけれども。
ただ、こういう小説を読んでいると自分でも雪の上とかに不思議な跡を付けてみようかなと考えてみたりして・・・・・・
<内容>
滝から飛び降りた男が、その後発見されず行方不明になるという事件が起きた。飛び降りた男、ボランド氏にいったい何が起きたというのか? しかもそのボランド氏の家では、何者かの死体が発見されることとなり・・・・・・
<感想>
著者のノーマン・ベロウについては以前、国書刊行会から「魔王の足跡」という作品が訳されている。20作くらい小説を書いているそうであるが、日本で訳されているのは本書とあわせての2冊のみ。
それでこの作品に関してなのだが、同じく論創海外ミステリで最近読んだ本と、ずばり“ネタがかぶってしまっている”。ゆえに、序盤でトリックの大筋について気づいてしまったのであるが、この辺は内容によって出版する順番を考えてもらいたいところ。
内容についてであるが、1954年に書かれた作品という割には、現代風の作調のような。何故か古さを感じられず、近代的なミステリ作品と言われてもおかしくないようなものであった。ただ、肝心のミステリ部分については若干不満が残る。
大ネタともいえるトリックについては、ミステリ作品らしくて良いのであるが、そこに至るまでの背景が書き切れていないという感じ。本書は実は、二つの勢力の戦いを描いたものであるのだが、読んでいる時にはそれが全く感じられなかった。特にボランド氏側については、全く不透明で何者であるのかがよくわからないという状況。この辺をきっちりと書き切れていれば、もっと作品全体に厚みを持たせることができたのではなかろうか。
<内容>
マサチュセッツ州の刑務所内に何者かが銃を持ち込んだとの噂が流れた。事態を重く見た刑務所所長と刑事部長ウエイド・パリスは何かが起こる前兆と考え、警戒を強める事に。一方、刑務所内の囚人ダン・オークレーとスティーブ・ランステッドは手に入れた拳銃によって看守を人質にして脱獄しようという計画を練っていた。そして、二人は警備が手薄となる瞬間を狙って・・・・・・
<感想>
タイトルからして、本書は華麗な脱獄っぷりが描かれた冒険活劇なのだろうと思い込んでいた。しかし、実際には社会派警察小説というような内容となっており、その真面目さ硬さに驚かされてしまった。
ただ単に警察小説といってしまうと、範囲がせまく感じられてしまうかもしれないが、本書は警察側のみで描かれた作品というわけではない。この作品の中ではとある刑務所の“脱獄”というものを通して、警察上層部の思惑、刑務所内のパワーバランス、犯罪者側の駆け引き、事件に間接的に巻き込まれた一般市民の感情、などと多数の人々の様相が描かれている。この短い300ページという中でよくここまで色々と描き、さらによくまとめきったなと感心させられた。
本書で強い印象を残すのは、そのリアリティさ。囚人は脱獄を計画するも、ささいな事から計画通りに事が運ばなくなる。それに対応する警察側のほうも人質がいることから強い手に打って出ることができない。その結果両者はこう着状態になってしまう。
このどちらも容易に手を打つことの出来ないこうちゃくっぷりが、かえって実際に起きた事件を描いたノンフィクションのように思わせるのである。
そして展開はタイトルのとおり、事件が起きてから9時間後に決着を迎えることとなる。この状況からして当然のごとく全面的にきれいに治まるという解決はなされていない。しかし、本書はこの煮え切らないような余韻こそが味となり、強い印象を残す作品となっている。