<内容>
ギブソン氏は55歳になり、現在は学校で詩を教えている。ギブソン氏は知人の老教授が亡くなり、その娘ローズマリーが途方に暮れているのを放っておくことができず、彼女を支援し、そして結婚することとなった。しかし、ギブソン氏はローズマリーとの年の差を気にし、しばしば暗い思いに捕らわれることとなる。そんなとき、隣人が毒薬を持っていることを思いだし、彼はある行動をとることに・・・・・・
<感想>
シャーロット・アームストロングという著者のことは知らない人のほうが多いのではないだろうか。たぶん、それほど多くの作品は訳されていないのではないだろうか。しかし、この「毒薬の小壜」という著書は読んでいなくても知っている人が多いと思われる。というのも、昔からずっと廃刊にならずに生き残り続けている著書だからである。かくいう私も、手に取る事はなかったのだが、なんども本屋で見た記憶がある。それを今回はなんとなくであるが、手にとって読んでみようと思ったしだいである。
本書をまだ読んでいない人は概要などの知識をいっさい入れずに読んでもらいたい。そう思えるほど、本書は驚くべき展開が待ち受けている作品となっている。
この本のタイトルからして予想する内容といえばどのようなものになるだろうか。私自身は、誰かが毒殺されて、誰が犯人であり、どのような方法で殺人を犯したのかということを推理する作品だと思い込んでいた。しかし、実際に読んでみて、そのような考えとは全く異なる作品であるということを思い知らされる事となった。
最初は、老教授が若い嫁をめとるところから話が始まっていく。そして老教授がだんだんと悩んでいくという少々“鬱”の入った展開がしばらく続く事となる。そして老教授が自殺を図ろうと、毒入りの小壜を手に入れたところから話が大きく動き始めていくのだ!
序盤から中盤にかけては、暗い、気のめいるような鬱々とした描写が続いていくのだが、後半は今までの展開からは予想だにさせない“動き”が加えられ、大勢の人を巻き込んで大団円の待つ結末へとなだれ込んでいく。
これはとにかくびっくりさせられる内容と展開が待つ作品。最後まで読めば、なるほどこういう小説だから長きに渡って出版され続けられてきたのかと納得させられるはず。まだ未読の方は、何かの機会に手にとってみられてはいかがか。
<内容>
化学の助教授ルイ・ブレイドが学生の事件室に入ってみると、部屋の中で学生が死亡していた。どうやら実験中に誤って毒ガスを吸ってしまったらしいのだ。しかしブレイドはこの学生がそんな初歩的なミスを犯すはずがないと考え、これは何者かの手による殺人なのではないかと疑い始める。そしてブレイドは真犯人を見つけようとするのだが・・・・・・
<感想>
これはまたアシモフ氏らしい、真面目な作品である。本書を読んでいるときに、つい近年の日本のミステリと比較して考えてしまった。どういうことかというと、本書では事件が起きたのが大学構内であり、主人公は助教授となっている。これが日本のミステリであるならば、大学構内で事件が起こったのならおのずと主人公は学生とするのではないかと思う。本書は主人公が大人である助教授ゆえに、堅めな内容になっている。これが学生が主人公であれば、やわらかめな内容になるのではないだろうか。しかし、よくよく考えてみれば過去に読んだ大学構内で起こる事件を扱った外国ミステリーはたいがいが大人が主人公であったように思える。その辺は捜査する探偵の年齢によるところもあるのだろうが、外国ではあまり学生が探偵という作品を読んだおぼえがないような気がする。
これは日本と海外における社会性の違いなのだろうか? それともただ単に私が読んだ本がそういうものばかりだったという事だろうか。
ということはさておいて本書の内容であるが、なかなかうまくできているミステリであると感じられた。生真面目な小説ゆえに、若干の退屈さは感じられたが、ミステリとしてのできは悪くはないと思える。意外な犯人、そして伏線を張ることによっての犯人の特定、さらにはその意外な動機と3拍子そろった作品となっている。少々弱く思えるところもあるのだが、その辺は脇役である癖のある刑事によって見事にカバーされている。
エラリー・クイン風の堅めの外国ミステリが読みたいという人にお薦め。これも復刊しているうちにぜひ。
<内容>
アメリカ図書販売協会(ABA)の年次大会中にひとりの新進作家が死亡した。一見シャワー室で頭をうって死亡したように見えるが、発見者であり、作家でもあるダライアス・ジャストは現場の状況から“殺人”ではないかと疑いを抱く。ダライアスはかつて自分の弟子であった作家が死亡したということと、その死の一因が自分にあると考え、事件の真相を探ろうとするのであるが・・・・・・
<感想>
2006年の復刊フェア時に購入。
本書については、長すぎるというのが正直な感想。ひとつの事件のみで400ページ近くもひっぱるのは、かなり厳しく思えた。
この作品はタイトルにあるようにABA(アメリカ図書販売協会)というものの年次大会の会合中に起きた事件を扱っている。よって、そのABAの様子をうまく取り入れてくれればよかったと思うのだが、あまり作品には反映されていないように思えた。このへんはどうやら著者が“フィクション”というものにこだわったゆえに、実名を用いたりとか、内情を組み入れたりとかしない方向で書き上げたらしい。
それを補うかのようにアイザック・アシモフ自身が登場し、彼の言動や思いが色々と述べられているのだが、これはかえって余計だと感じられた。
ミステリパートのみを抽出すれば、意外とよくできているといえるだろう。思わぬ伏線が張られており、被害者が何ゆえ、誰に殺されたかが論理的に導かれるように描かれているのはさすがである。ただし、そういったことを踏まえたうえで、やはり作品のページ数が長すぎたと思わずにはいられない。この内容であれば、300ページ以内くらいが望ましかったと思える。
<内容>
チャールズ・マニオン主演「第二の警告」を上演中のプレイハウス劇場。いつもと変らぬ上演の日であったはずなのだが、その日は何か凶兆の予感が見え隠れしていた。劇の上演は順調であった、カーテンコールの際、主演のチャールズ・マニオンが姿を現さなかった。控え室へ確かめに行ったところ、マニオンは死んでいた。劇の合間の少しの時間の間にマニオンを毒殺することができたのは誰なのか? ファーニス主任警部が謎に挑む。
<感想>
この作品のような演劇の舞台を犯罪にからめた作品というものは多くはないにしても、さほど珍しくないような気がする。しかし本書ほど“舞台”という題材をいかんなく発揮した作品というものはなかったのではないだろうか。これは復刊される値があると心置きなくいえる本である。
本書を読み始めると、序盤に多くの登場人物が出てくるために誰が誰だかわからなくなり少々混乱してしまう。こんな具合で、これだという犯人を決定付けることができるのかと思ったのだが、最終的にはこれしかないという犯人をずばり言い当てている。さらには真相を聞けば、序盤の場面がよみがえり、あぁ、あの場面が犯行につながるのかと納得させられてしまう。このように多人数が出てくる作品だと話がまとまりきらず、納得のいかないまま終わるミステリーが多い中で、うまく簡潔にまとめられた作品といえよう。ミステリー初期の作品だからこその簡潔なまとまりかたではあるのだが、だからこそミステリーとしての完成度が高く感じられた作品である。
せっかく復刊した作品なので、今、本屋に並んでいるうちにお見逃しなく。
<内容>
数学者であり、最近は警察の不可解な犯罪の捜査の手伝いをしているジェフリー・ブラックバーンはあるとき旧友と出くわす。その旧友の話を聞くと、現在彼が働いている屋敷の主人は悪魔研究学者であり、その不気味な屋敷にて怪事件発生しているのだという。
その事件の発端は屋敷の住人をモチーフとして作られた人形が紛失し、後にそのうちの1つが送られてきたという。すると屋敷の主人の妹が階段を踏み外して死んでしまったのだ。そしてまた人形が送られおり、その人形は長男をかたどったもので、人形の胸には釘が打ち込まれているというのだ。旧友に請われるまま、屋敷に乗り込んでいったブラックバーンはそこで次々と起こる怪事件に出くわすことに!
<感想>
世界探偵小説全集の第4期が刊行されることになり、そのラインナップを見たとき一番気になったタイトルがこの魔法人形である。“魔法人形”なんと魅惑的なタイトルであろうか。ただ、私が想像していたのは怪しいマネキンのような作り物の人形が殺人を犯すというようなものであった。しかし実際の内容は、小さな人形が送られてきて、その人形が送られてくるたびに示唆された人間が殺害されるというものである。想像どおりではなかったとはいえ、本書は怪奇に彩られ綿密に練りこまれた本格推理小説となっている。
本書の特徴はなんといってもその怪奇性ではないだろうか。悪魔の研究を行う学者の屋敷、陰鬱で何かを秘めているような家族たち、いかにも怪しい礼拝堂と連続殺人のための舞台仕立てが満載である。そしてさらに怪奇性を増すのが狡知極まる犯人の計画。最後にその犯行が明らかになったとき、犯人がどのような動機により、どのように計画を立て、登場人物らを操ってきたのかという事実こそがまさに怪奇的であると気づかされることになる。
今年出版された海外ミステリのなかでストレートな本格作品としてはこれが一番ではないだろうか。よく練り、よく考え、うまく創られた作品である。ぜひともご一読あれ。
<内容>
オーストラリアにて百年祭が行われている中、高等裁判所の判事が殺害されるという事件が起きる。判事は自室で殺害されていたのだが、明らかに他殺であるにもかかわらず、部屋の扉には鍵がかけられていた。“密室”のなか、犯人はどのように事に及んだというのか。この事件を発端にさらに起こる殺人事件。犯人の目的はいったい!? 事件の謎を、数学者の素人探偵ジェフリー・ブラックバーンは解き明かすことができるのか?
<感想>
読み終えるまで、やや時間がかかってしまった。内容は十分に面白く、読みにくいというわけでもなかったのだが、各章がこまごまとわかれているので、一気に読みづらい構成であったということなのかな?
のっけから密室殺人事件が披露される。そこで素人探偵ジェフリー・ブラックバーンによる論理的な推理が行われ、序盤から読み手を期待させてくれる内容。とはいえ、第2の殺人事件が起こるまでは事件がこう着してしまい、やや退屈にも感じられた。ただ、後半は怒涛の展開で一気に犯人逮捕へともつれこんでゆくこととなる。
最初は“密室”とか“論理的推理”などに重きを置いた内容のように感じられたのだが、終わってしまえば大味なミステリ作品という印象。個人的には江戸川乱歩風の“探偵対怪人”的なミステリ作品と感じられた。
最後の最後までプロローグで起きた出来事のことを忘れてしまっていた。また、部分部分でしゃしゃり出てくる新聞記者たちの描写も不必要なものに思えたのだが、それはそれで徐々に物語全体に効いてくることとなっている。緻密な作品とは言い難いのだが、十分良くできているミステリ作品であったという印象。十年前に国書刊行会から出た「魔法人形」も良い出来であったので、もっと作品を紹介してもらいたい作家と言えよう。
<内容>
素人探偵ジェフリー・ブラックバーンは、友人であるリード警部が今夢中になっているというラジオドラマを収録している現場の見学に付き合うことに。そのドラマの生放送中、話の内容に合わせて収録している部屋の灯を消すという趣向が行われ、そして灯りがついたとき皆が目にしたのは一つの死体であった! 一旦は、心不全かと思われたものの、やがて殺人事件と断定され・・・・・・
<感想>
ラジオドラマが行われている最中に起きた殺人事件を解決するという内容の作品。最初はあたかも密室殺人のように描いているが、実際にはそういった趣向のものではない。誰が、なんのために犯罪を行ったのか? そして誰に成しえることができたのか? という捜査を素人探偵のブラックバーンが友人のリード警部と協力して行ってゆく。
実は序盤は、犯罪が起きてもいまいちピンと来なかった。最初読んでいる限りでは、動機らしきものも見当たらないし、密室のようでそうでもなさそうだしと、漠然とした内容ゆえに物語にあまり惹かれなかった。それが徐々に被害者の前歴が明らかになったり、さらなる殺人事件が起こることにより、内容に興味を惹かれることとなる。
そうして真相はというと・・・・・・これがなかなか感心させられてしまう。読んでいる際には気付かなかったのだが、実は序盤から犯人や犯行に至る伏線がきっちりと張り巡らされ、最終的にそれらがしっかりと回収されているのである。これは真犯人に対して、なるほどこの人物しかいないと、思わずうなずかされる。ただ、一点推理のなかで強引だなと思われた点というか、飛躍し過ぎに感じられたものの、全体的には非常にうまく出来ているミステリ作品である。
<内容>
「タルタヴァルに行った男」
「優しい修道士」
「空気にひそむ何か」
「そして三日目に」
「悪の顔」
「アンクル・トム」
「デビュー戦」
「向こうのやつら」
「かかし」
「見知らぬ男」
「愛に不可能はない」
「蛇どもがやってくる」
「雨がやむとき」
<感想>
特にジャンルは定められていなく、この著者の良質な作品が集められた作品集という感じである。ただし、単に雑多というようには感じられず、むしろ“ルール無用”と言いたくなるような妙なまとまりかたをしているようににも感じられる。
たぶん本書はデイヴィッド・アリグザンダーの最高傑作が集められた作品であり、最高の短編集なのではないかと思う。なぜならば、これだけのレベルの作品集が何冊も出ているようであれば、決して今まで無名でいられるはずがないだろうと思われるからである。本書はそれだけ高い評価を送りたくなる作品集であった。
最初の作品「タルタヴァルに行った男」は酒場の酔いどれの話なのであるが、それが歴史的事実につながっているという、意外な様相を見せる作品。こんな作品を第一編に見せられると、嫌でもページをめくる手が早まってしまう。
この「タルタヴァル」のように歴史的事実とからめた作品がいくつか見られる。「空気にひそむ何か」はスパイ小説のようであって、さらには歴史的事実を叙述トリックにさえしてしまった作品。また、「向こうのやつら」もある種の歴史的な作品と言えるのだが、こちらはホラーテイストに溢れていて、他の作品とは違う味付けになっている。
純然たるサスペンスとしては修道士による復讐を描く「優しい修道士」や連続殺人鬼を追う刑事の捜査の様子を描いた「悪の顔」という作品がある。こちらはやや結末がわかりやすいような気もするが、この作品集らしい独特の暗さが溢れている。
そのサスペンス風の作品をより悪意を強くして味付けした作品が村人の異様な行動を描いた「そして三日目に」、虐待された続けた妻の行く末が書かれている「かかし」、オールドミスのかつての輝かしい恋愛がしのばれる「デビュー戦」の三品。これらは読了後、なんともいえない後味の悪さが残る作品。
同様に悪意が溢れているにも関わらず、若干ユーモア風にさえ感じられるのが黒人社会を描いた「アンクル・トム」と雪山の遭難を描いた「愛に不可能はない」。
そして最後の二編「蛇どもがやってくる」と「雨がやむとき」はどちらもサイコホラー風の作品となっているのだが、結末の付け方がまったく違ったものになっている。
という具合に、どの作品もそれぞれに関連性はなく、作調に統一性があるわけでもないのだが、何故かうまく一冊の本としてまとまっているように感じられた。不思議なことに、何故か“絞首人の一ダース”というタイトルが妙にしっくりくる短編集となっているのである。
<内容>
ウェントワースはアフリカの百万長者として有名な金融家、チャールズ・ヴァンドリフトの秘書をしている。二人は家族ぐるみの付き合いであり、仕事のみならず、休暇をとるときも一緒に行動する仲である。そうして二人がさまざまな場所へ出かけてゆくと、そこで必ず彼らを騙そうとする者が現れる。その者はクレイ大佐と呼ばれる怪盗であり、顔を粘土(クレイ)のように変幻自在に変えることからそのように呼ばれていた。そうして、百万長者が行く先々で、姿を変えたクレイ大佐が罠をしかけることとなるのだが・・・・・・
<感想>
記念すべき論創海外ミステリ100巻目、そこに登場するのは怪盗“クレイ大佐”。この作品が発表されたのは1897年ということで、かなり昔のことである。この作品こそが“怪盗モノ”の走りではないかとも言われているのだが、文壇においてはまるで無視されたかのように、ほとんど取り上げられることがないという曰く付きな作品。実際に読んでみると、これがまた微妙な内容なのである。
本書は連作短編となっていて、その一つ一つの短編でクレイ大佐が百万長者を騙し、金を巻き上げていくという内容。ただし、視点は百万長者側であり、まるで被害者側が主人公であり、その主人公が同一人物から延々と金を巻き上げられていくという様子が描かれていると言っても過言ではないのである。
たぶん、この作品の趣旨としては、典型的な成金から義賊的な者が金を見事に奪い取り、民衆から喝さいを受けるという風刺的なものであったのだと思われる。これが書かれた当時は、そういった趣向が強く見られたのかもしれないが、現代において読むと、むしろ百万長者が気の毒にさえ感じられるのである。実際この百万長者、決して良い人物とは言えないにしても、それほど悪い人物としては描かれていない。このような趣旨であれば、もっと極端な悪漢として描いてもよかったのではなかろうか。
また、クレイ大佐についても微妙なところ。それは、何にでも化けられ過ぎというところ。まさにここまで他人に化けることができれば何でもありということになり、ミステリというよりは、伝奇作品に出てくる怪人のようである。また、この怪盗が一人の人物のみを執拗に狙うというところもマイナス点となっている。
そんなこんなで、非常に微妙な作品、そして微妙な怪盗と言えるのであるが、歴史的に見て貴重な作品であることは間違いないと思われる。とりあえず日の目を見ることができてクレイ大佐もホッと(?)していることであろう。
<内容>
その晩、ひとりで過ごしてたアリソンであったが、出張中の夫が突然帰宅してきたことに驚かされる。さらには警察までもがやってきて、夫が殺人事件の容疑者として告発される事に! 殺害されたのはリンダというモデルで、夫とは愛人のいう関係にあったのだという。アリソンは夫の無実を晴らそうと、リンダの兄でロンドン警視庁の警部であるロジャーとともに、捜査を始めるのであったが・・・・・・
<感想>
これはサスペンス・ミステリとしてなかなか楽しむことのできる作品。厳密な犯人当ての推理小説というものではないのだが、次から次へと起こるさまざまな展開により飽きることなく楽しませてくれる作品であった。読んでいる最中は、若干捜査と関係なさそうな場面が続いたりとか、途方もない話が連続しているようにも感じられるのだが、実はタイトルが示すとおり首尾一貫した内容であることに最後の最後で気づかされる。
ただ、作中に挿入されている主人公らの男女のロマンスについては読む人によって好き嫌いがあるかもしれない。これはこの著者の作風なのであろうか??
あと気になったのは警察の容疑者の逮捕の仕方について。やたらと周囲の噂に振り回されすぎで、厳然たる証拠もないのに容疑者扱いしすぎているように感じられるのが、そこはユーモア・ミステリだということでお茶を濁しておけばよいところなのだろうか?
などと取り留めのないことを色々と書いてしまったが、下手にあれこれ書くと犯人がばれてしまうかもしれないので実に気をつかう作品である。
<内容>
1930年代の英国、バーフォード伯爵家の荘園屋敷にさまざまな人々が集まることとなった。銃器マニアの当主、これまた銃器のマニアであるテキサスの富豪、バーフォード家令嬢の友人、旅行ガイドの記者、等々・・・・・・。さらには、荘園屋敷内で政府の交渉を行うとする高官たち、そして屋敷にある宝石を狙おうとする怪盗。
屋敷の中でさまざまな思いが交錯する中、嵐の夜に宝石の盗難と貴重な銃の強奪と殺人事件が同時に勃発する! いったい誰が何を行ったのか!? さらには身元を偽っている者達のそれぞれの正体と真の目的とは??
<感想>
いや、これが復刊であるのはもったいない。初出であれば必ずや今年の各種ランキングなどをにぎわせていたのではないだろうか。それほど良いできのミステリ作品であった。
物語は多視点ながらも淡々と進んでゆくのできちんと整理していかないと話がわかりにくくなる可能性がある(特に犯行当時の夜の場面はきちんと読むことをお薦め)。とはいえ、たくさんの人数が登場して、複雑な行動がなされるものの各キャラクターの描写がきちんとなされているので、物語自体は把握しやすいといえよう。
そして事件が起こり、最初は頼りないかと思えたウィルキンズ警部が冴え渡った推理を披露していくこととなる。真相を暴く場面は少々長いのだが、そこは登場人物たちがそれぞれ独自の動きをしているために、そのひとつひとつを突き詰めていかねばならないのだからしょうがない。
その事件のひとつひとつを突き詰めていくと、宝石の盗難事件、拳銃のすりかえ、政府の交渉の裏に隠されていたもの、殺人事件の真相が次々と明らかになっていく。この複雑な構図をひとつの事件としてまとめ、一冊のミステリの中に納めてしまう手腕は見事というより他にない。
近年で(といっても書かれたのは30年以上も前であるが)これだけ本格スピリットあふれる作品が書かれていたのかと感心してしまう。また、ただ単に本格ミステリが描かれたというだけでなく、そこにスパイを絡めた冒険ものの要素だとか、様々な要素が絡められている事にも驚かされた。普通はこのように色々な要素を詰め込めば詰め込むほど、どっちつかずの小説になって失敗してしまうほうが多いであろう。本書では、そのさまざまな要素が本格ミステリをひきたてる形となっており、本格ミステリとしてのレベルをさらに押し上げているのだから実に見事である。
この作品を読んだことにより、ついこの間出版された本書の続編となる「切り裂かれたミンクコート事件」を読むのが楽しみでしょうがない。こちらは日本では初出ゆえに来年のランキングをにぎわすことになる可能性もあるだろう。
<内容>
あのオールダリー荘にてまたしても殺人事件が!?
バーフォード伯爵の最近の趣味は映画鑑賞。その趣味が高じて、映画関係者をオールダリー荘へと呼ぶことになる。映画制作者のハガーマイアはオールダリー荘で映画を撮りたいと願い、俳優のレックス・ランサムとともに、伯爵家の人々を説得に行くことに。そこに脚本家とその秘書、従妹と名乗る夫婦、伯爵令嬢ジュラルディーンの婚約者候補の二人の男性、さらには突然現われたイタリアの映画女優と、ありとあらゆる人々が伯爵家に集まることに。そして、それぞれの人々の秘められた胸の内のもとで、さまざまな出来事が進行し、その果てには殺人事件が起こることに! 事件を解決すべく呼ばれたのは、今回もあのウィルキンズ主任警部であった。
<感想>
今作も前作と同様に多くの人々のそれぞれの思惑が入り組む中で、見事なミステリが展開されている。前作ではスパイものという印象が強かったのだが、今作ではそのような要素がなかったために、かえってミステリ色がより強められたと感じられた。よって、前作と同じ舞台にて、さらに極上のミステリを味わう事の出来る作品となっていた。
本書で面白いのは、それぞれの人々がさまざまな思惑を持ってオールダリー荘に集まってきて、さらに別々の関係のないはずの人たちの中にまで別の動機が芽生えていくということ。よって、もともと持っていた思惑だけではなく、さまざまなハプニングによって、さらなる動機や思わぬ出来事が派生し、事件はさらに混迷極まりない状況になってゆく。とはいえ、事件全体がかなりきちんと整理されているので、その辺は混乱せずに読み進めることができるようになっている。
また、本書の見どころはなんといっても探偵役となるウィルキンズ主任警部の存在。前作を読んでいるのであれば、このウィルキンズ警部が真の探偵役になるだろうということは予想できることと思われる。しかし、そこにロンドン警視庁から来た名刑事オールグッドが登場することにより、謎がどのように解かれるのかという点についてもまた興味深く読むことができるようになっている。
なにはともあれ、とにかく面白い本格推理小説に仕上がっていることは間違いないので、ミステリ・ファンはぜひとも読み逃しのないようにしてもらいたい一冊である。
<内容>
<百発百中のゴダール>は素晴らしい泥棒だ。その偉大な頭脳は、すべての可能性を予測し、あらゆる不可能を可能にする。水も漏らさぬ包囲網も難攻不落の金庫も、彼の行く手を阻めはしない。あるときは侵入不能の大邸宅から神秘の宝石ホワイト・ルビーを盗み出し、あるときは最新の防犯システムを破壊してウォール街を大混乱に陥れ、またあるときは合衆国貨幣検質所からタンク一杯の黄金を奪取する。20世紀の初め、世界の首都ニューヨークに君臨した怪盗紳士ゴダールの冒険譚。
<感想>
うーーん、凝りに凝った怪盗譚ではあるのだが・・・・・・。怪盗は盗みに成功してあたりまえである。失敗すれば物語にならないからだ(失敗を売りにする者たちもいるが)。では怪盗というのはどのように活躍すれば良いのかというと、標的を“いかにして”盗むかということと、“いかに華麗に華々しく”盗むかということである。
ゴダールの作品群では“いかにして”盗むかというところにこだわっているようではあるが、それだけでは怪盗とはいってほしくない。ようはゴダールには華々しさが欠けているのだ。ようは、ただ単にあっさりと盗んで終りではつまらないのである。そこにスリル、サスペンスという起伏があってこそ、成功が華々しく語られ、怪盗と人に呼ばれるのである。ゴダール君は腕の良い、泥棒にしかすぎないのでは。
<内容>
ロンドン社交クラブのひとつ、ベヴァリー・クラブ。ここは議論するために会員が集まるクラブ。そこで一つの事件が話題になっていた。デレク・リヴィングストン卿が殺害された事件で、なんと死体が発見された後に一度消え失せ、その後に別の場所で発見されるという不可解なもの。しかも容疑者となったのはベヴァリー・クラブの一員。彼はその後、無罪となり、自身で犯人を見つけようとしたところ、交通事故で死亡してしまうことに! クラブの会員たちは、探偵のヴェリティに事件の真相を探るように依頼する。
<感想>
「衣裳戸棚の女」が実にインパクトが強かった、あのピーター・アントニイの作品が翻訳された。それがこのベヴァリー・クラブであるが、こちらも良い味を出した作品と言えよう。インパクトという点では、さほど強いというわけではないが、なかなか玄人受けするような本格ミステリに仕上げられている。
この作品を読んでいて不思議に思えたのは、“密室”という面が強調されていないこと。死体が最初に発見されたときは、明らかに密室といってよい状況なのだが、それについてはほとんど言及されることなく終わっている。真相を聞けば、とある理由からそのようになっているとわかるのだが、ここまで“密室”状況をあからさまに無視してしまう作品というのもあまり見られないように思える。
内容は館の主人が殺害され、周囲の人々は皆一様に動機を持ち、犯行も可能という状況。被害者の浮気相手、浮気に嫉妬する妻、脅迫されている女、遺産相続を受ける予定の甥、被害者とは昔からの知り合いである芸術家。このように怪しい者達ばかりが集まっている中で、どのように犯罪が行われたのかを探偵が解き明かすこととなる。
本書は一筋縄でいくような内容ではなく、被害者の謎の行動にスポットをあてることによって、探偵は真相へのヒントをつかむこととなる。最終的な事件の解き明かし方はなんとも残酷とも言えるような形なのだが、物語全体に込められた“悪意”をまざまざと見せつけるものとなっている。
<内容>
語学教師を職業とする青年ジョゼフ・バダシーは旅行先のフランスで、とんでもない事態に巻き込まれる。彼が持っていたカメラから、彼が写したはずのない写真が出てきたことにより、スパイ容疑で警察に逮捕されることに。彼自身が疑惑をはらすために、警察からカメラの行方を突き止めるようにといわれ、再び宿泊先のホテルへと帰ってゆくバダシー青年。他の宿泊客のなかで本物のスパイは誰なのか!? 彼の目には、皆が怪しく見えるのだが・・・・・・
<感想>
2008年の復刊フェアにより購入した作品。スパイものの小説というのはあまり読んでいないのでどのようなものかと思って読んだのだが、かなり楽しんで読む事ができた。しかし、本書は純然たるスパイ小説とは少々異なる作品ではないかと思われる。
というのも、この作品では普通の青年が自分のスパイ容疑を晴らすために本物のスパイを見つけなければならないという事態に追い込まれてしまう。そしてその青年が怪しき人物を探し回るのだが、やることなすこと裏目に出て、失敗ばかりしてしまうのである。素人であるがゆえに仕方がないとはいえ、これで本当に自分の容疑を晴らす事ができるのかと読んでいる方が心配どころか同情心までわいてくる始末。
と、そんなわけで本書はスパイの妙技を堪能する作品ではなく、素人スパイの失敗談を描いたといってもよいような作品。とはいえ、これはこれで楽しめること間違いない。訳が古いゆえに、少々読みづらさを感じるところはあるものの、内容からすればライト系の作品といっても過言ではないだろう。
なさけない主人公バダシー青年をより多くの人に応援してもらえればと祈るところである。