<内容>
ミュージカル公演の観劇のために並ぶ人々の長蛇の列。その列に並んでいたひとりの男が殺された。事件を捜査することになったグラント警部であったが、その事件の真相どころか、被害者の身元さえなかなか特定できない始末。そして、ようやく犯人らしき人物が特定できたと思いきや・・・・・・
ジョセフィン・テイ最初の作品にして、グラント警部初登場の作品。
<感想>
うーん、全体的に何をやりたい小説なのかがわからなかった。あとがきを読むと、当時はこのような形式がはやりだったとのことであったが、なんともわかりづらいという印象しか残らなかった。
最初に事件が起きたときには、大衆の中での殺人事件ということで、社会派ミステリを狙ったものなのかと考えた。しかし、それがやがてグラント警部が登場し、単独で捜査を始めたかと思いきや、突如メグレ警部ばりに部下を使い出し、そうかと思えば単独で犯人を追って旅に出かけたりと、妙な具合に次々と展開を変えていく。その展開の変え方が物語に起伏を付けるものであればよかったのだが、そういったわけでもなく、全編にわたって退屈な雰囲気はぬぐいきれなかった。
また、真相も笑えるというか、なんともいえない結末が待ち受けていたりする。まぁ、ある意味印象的であったともいえなくはない。
まぁ、要するにテイ自身の作風が決まりきらなかった小説ということなのであろう。その後の作品でのグラント警部の活躍というのも、普通のミステリ的なものではないような気がしたが、テイが作品を書き続けるにあたって、ずっとしっくりくる作風を探し続けていたということなのであろうか。
<内容>
心理学を描いた著書でベストセラー作家となったルーシー・ピムは旧知の友人から呼ばれて女子体育大学で講演を行う事になった。講演後、ピムはすぐには帰らず、誘われるがままに学校に逗留することに。そして学生達が卒業を間近となったとき、就職先の推薦を巡って学園内で事件が起きる!
<感想>
本書を読んだとき、この作品が出た当時は現代で言うライトノベルスのような位置付けにあったものなのではないかと感じられた。学園が舞台となっており、ちょっとしたミステリーが展開されるという内容であり、誰もが気軽に読むことのできる本といったところ。
本書はある意味青春小説ともとれるのかもしれないが、視点となる主人公が大人であるためか、若干青春小説という位置付けからは外れているような感じがした。そういったところも、益々本書が“ライトノベルス風”だという印象を駆り立てたしだいである。
で、その内容なのであるがミステリーとして見るとかなり不満だらけ。学園内を中心に多くの登場人物が出ているのだが、その個性がはっきりしない。人間が書けていないなどとは言う気はないのだが、もう少し主要人物とその他の人々との区別をはっきりつけてもらいたかった。また、事件自体もあまりパッとしないものであり、さらにはその解決も安易なままで終わっているという感じであった。また、いくつかの原因について究明されていない部分もあり結局のところ中途半端という印象。
それなりに舞台設定などは整っているだけに、もっと面白くする事ができたのではないかと思えて残念。
<内容>
イギリスの名門アシュビー家は家長であるビルが幼い子供達をおいて、妻ともども事故死してしまった。そしてアシュビー家は子供たちの叔母にあたるビーによって管理され、双子の兄弟であるパトリックとサイモンが大きくなったとき、彼等がその家督を継ぐはずであった。しかし、幼い頃に長男であるパトリックは失踪し、遺書があったことから自殺したものとみなされた。月日は経ち、もうすぐサイモンが家督を継ぐという日がせまってきた。
そんなある日、職を転々としていた孤児のブラット・ファラーはロディングという役者からアシュビー家の行方不明になったパトリックに似ている事を指摘される。そしてロディングの薦めによりブラットはパトリック・アシュビーとしてアシュビー家へもぐりこもうとするのだが・・・・・・
<感想>
名作の歌い文句にたがわず、なかなか良質のミステリーであった。ただし、ミステリーというよりはサスペンス風の物語という印象があくまでも強く感じられた。海外では実際になされているかもしれないが、ドラマ化されたらおもしろいのではないかと思えるような作品である。
本書が面白く感じられるのは、偽者としてアシュビー家に入ったブラットに感情移入してしまうことである。本来ならばブラットが悪者という構図のはずなのに、潜入したブラットが善人で正当な継承者のサイモンのほうが悪役に見えてしまうのだ。そしてブラットとサイモンが互いに抱く感情のジレンマの加減がうまく表されており、その絶妙さが物語りを彩っているといえよう。
そしてこの物語は最終的には、落ち着くべきところに落ち着いてうまく収まるように書かれている。ハッピーエンドが好みであるのならば、この終わり方で満足であろうが、そうでなければもうひとひねり欲しかったと感じられるかもしれない。
なにせ主人公のブラットがあまりにも善人に描かれすぎではないかと感じられた。特に彼を送り込んだロディングとの悪しき掛け合いがもう少し挿入されているべきではないかとも考えてしまった。
と、ささいな部分にけちを付けてしまったが、本書が面白い物語であるということは申し分がない。イギリス文学小説としても楽しむことのできる逸品といえよう。
<内容>
ウォルターの元に訪ねてきた美貌の青年写真家リスリイ・シャール。二人は意気投合し、共に行動することとなる。しかし、ウォルターの婚約者であるリッツが次第にリスリイに惹かれるようになり、ウォルターの心に嫉妬という影が差し始める。そして、ある日リスリイが突然失踪したという報がもたらされる。川に転落したのでは? と疑われ、川をさらうもなにも出てこない。そうしたなか、人々の間にウォルターが何かしでかしたのでは、という噂が立ち始める。事件に立ち会うこととなったグラント警部の判断は!?
<感想>
序盤は、ウォルター青年と美貌の青年写真家が出会い、その後ウォルターの婚約者を巡っての三角関係へと発展していく・・・・・・かと思いきや、その三角関係が本格的に発展する前に青年写真家が失踪し、グラント警部が登場し、警察の捜査が繰り広げられることとなる。
中盤以降は、その捜査状況と、グラント警部の聞き込みと、推理がなされてゆくのだが、事件が失踪事件ひとつということもあって、あまり話が盛り上がらない。しかも、失踪事件に関しても何の手がかりもなく、当の失踪した人物が生きているのか、死んでいるのかも一向にわからないという状況が延々と続くのである。
最後の最後でようやく真相が見えてくるという展開になっているのだが、そこにいたる伏線があまりにも薄すぎるように感じられた。どうも事件自体を描きたいというよりは、田舎での騒動や、その際の人々の考え方感じ方などを物語として書き表したかったようである。また、邦題にも使われている“美”というものは、失踪した写真家のものを表しているのであろうが、その“美”というものについて、語りたかったのか、そうでもなかったのかと、何かとあやふやなような。
<内容>
極度の神経症にかかったグラント警部は、昔日々を過ごし、そして幼馴染の住んでいるスコットランドへと病気療養のために旅立つ。その道中の寝台車の中で、グラントはとある青年の変死事件に立ち会うことになる。結局、それは事故死と断定されるのだが、グラントの脳裏にしこりを残すことに・・・・・・。その青年が残した詩に書かれていた“歌う砂”という言葉。グラントはそれだけを手掛かりに、この事件を調べようとするのだが・・・・・・。
<感想>
事件を解決するミステリというよりは、グラント警部自身の癒しを描いた作品という趣が強い。序盤は事件が起こるものの、それについてはあまり進展はせず、グラント自身が田舎に来たことにより徐々に精神的に癒されていく様子が描かれている。
事件は序盤で起こるのだが、あまりに漠然とした事件であり、警察が下した結論は事故というものであった。グラントは亡くなった青年が手にしていた一編の詩の存在と、何故かその青年に共感を覚えたことにより、事件を深く掘り下げようとする。しかし、なかなか新たな事実は出てこないまま時間ばかりが過ぎてゆく。
時間は過ぎ去りながらもグラント自身はだんだんと元気になってきたときに、とある訪問者による事実によってようやく事件は本格的に動き出す。ここからがグラントの本当の捜査が始まるのである。
と、微妙ながらも魅力的な詩編による謎とそれらの謎を足がかりにしてグラントが見出す真相などはなかなか凝ったものとなっている。ただ全体的に見ると事件捜査のみが書かれた作品ではないが故に、退屈に感じられてしまう部分が多々あった。しかし、これはあくまでもグラントの癒しを描いた物語であり、ここから本格的にグラントが再生してゆくという位置付けの作品であったはずなのであろう。・・・・・・にも関わらず、これがテイの最後の作品となってしまったのはなんとも惜しい事なのではあるが。