Barnaby Ross名義  作品別 内容・感想

Xの悲劇   8点

1932年 出版
2009年01月 角川書店 角川文庫

<内容>
 強引で嫌われ者のロングストリート、内気で堅実なドウィットは共同で株式仲買業を営んでいた。彼らがパーティーを開き、市電で移動する際、満員電車の中でロングストリートが毒殺されるという事件が起きる。凶器はコルクの球に毒の付いた無数の針がついているという奇怪なもの。嫌われ者のロングストリートを殺害したいと思う動機のあるものは数多くいた。そのうちの誰が彼を殺害できたのか?
 サム警視とブルーノ地方検事はこの難解な事件に対し助言を求めるために、元有名俳優であったドルリー・レーンのもとを訪れる。レーンが事件の捜査に乗り出すものの、第2の殺人事件が起きてしまう。そして容疑者としてドウィットが逮捕されることとなるのだが・・・・・・

<感想>
 この作品は私にとって曰く付き。遠い昔、推理クイズにこの作品のネタバレがしてあるものを見て、読む前に犯人を知ってしまったのである。それ以来、この作品に手を出すのは微妙な感じとなってしまった。とはいえ、今回角川文庫での新訳を機に再読することにしたのだが、これで読むのは3回目くらいになるであろうか。

 個人的には、その曰く付きの件もあり、単に論理的に優れている作品というイメージでしかなかったのだが、改めて読んでみると、他にも優れたところがある秀作であるということを再確認することができた。読むたびにどんどんと良いところを発見することができる作品。

 物語の序盤はやや退屈かなと思えたのだが、話が進むにつれて、殺人事件が2回3回と起き、さらには法廷場面までが繰り広げられる。徐々に明らかにされる犯人の動機、さらに極めつけはタイトルの“Xの悲劇”にかけたダイイングメッセージと読みどころ満載。この最後の最後で明らかにされるダイイングメッセージがなかなかの優れもの。

 さらにこの作品を不動にしているのはドルリー・レーンという探偵の存在であろう。耳が聞こえず、読唇術で相手の言葉を理解する60歳の元有名俳優。シェイクスピアを引用しながら犯罪を語り、時には特殊メイクを駆使して自ら捜査へと乗り込んでゆく。この神秘的な探偵の存在が作品をさらなる高みに上げているといっても過言ではないであろう。これは間違いなくオールタイムベスト級の作品。


Yの悲劇   7点

1932年 出版
2010年09月 角川書店 角川文庫

<内容>
 全米でも有数の資産家でありながら、異常な者達が集まった家族だと揶揄されるハッター家。そのハッター家の実権を握るエミリー・ハッターの夫、ヨーク・ハッターが水死体として発見されたことから事件は始まる。ハッター家で次々と起こる謎の怪事件。毒殺未遂事件、奇妙な兇器による撲殺事件、謎の放火事件と怪事件が勃発してゆく。見えざる犯人により翻弄されるサム警視と元俳優のドルリー・レーン。ロングストリート事件を見事に解き明かしたことにより一躍探偵として有名となったレーンは、ハッター家の謎も解き明かすことができるのか!?

<感想>
 この「Yの悲劇」についても、某推理クイズによりネタばれされているのを見て、読む前から犯人がわかってしまったという作品。この作品を読むたびに、犯人の正体がわからない状態で読んでいたら、どのように感じたのだろうかと考えずにはいられない。

 しかし、この作品を読んでいると犯人の正体は実は分かり易いものなのではないかと思えてしまう。ヒントや示唆も多いように思えて、初めて読んだ人でもある程度犯人の検討がついてしまうのではないだろうか。ただし、問題はその検討を付けた犯人と動機の結びつきが全く見えてこないというもの。その異様な動機というものが実はこの作品の一番の見どころではないかと思えてしまう。

 今の世であれば、このような内容のもの、または異様な動機のものというのは珍しくない。ただし、発表当時であれば、このような書かれた方をした作品というものは珍しかったのではないだろうか。特に異様と思える点は、

<ややネタばれ注意>
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
 真犯人の心情や内面が作品中で一切語られないところ。
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

 この書かれ方が、「Yの悲劇」をオールタイムベストにまでのし上げたのだろうと推測する。ただ、犯人の動機というか、行動面が全ては悪い遺伝のためという乱暴な理由はどうかと思えるのだが、それは時代というものなのであろう。

 個人的には「Xの悲劇」のほうが楽しめたかなという感想。本書は、本格ミステリ色が非常に強く楽しめるものの、後半やや退屈と感じられたのが残念なところ。少々、ハッター家で起こる事件が少なかったように思えた。


Zの悲劇   7点

1933年 出版
2011年03月 角川書店 角川文庫

<内容>
 ペイシェンス・サムはあちこち見聞してきた旅を終え、元警視で現在私立探偵を務めている父親のもとで暮らすことに。そんな状況の私立探偵サムに依頼がもたらされる。クレイ大理石発掘会社の社長が共同経営者であるアイラ・フォーセットに不審なものを感じるので調べてもらえないかというのだ。アイラにはジョエルという州上院議員を務める弟があり、こちらもまた曰く付きの人物。ペイシェンスは父親と共に彼らが住むアルゴンキン刑務所がそびえたつ街へと向かう。ペイシェンス親娘を待ち受けていたのは、ジョエル・フォーセットが殺害されるという事件。彼は殺害される前に刑務所の受刑者であるエアロン・ダウに脅迫されていたことがわかる。事件はエアロン・ダウにとって、あまりにも不利な状況となって行くのだが、ペイシェンスは彼は犯人ではないと固く信じていた。ペイシェンス親娘は事件の真相を暴くためにドルリー・レーンの助けをかりるのだが・・・・・・

<感想>
“X”“Y”“Z”の三作品のなかで一番印象が薄いのはこの“Z”である。今回再読してみると、何故印象が薄いのかを理解したのと共に、この作品が本格ミステリとして十分に優れているということを再認識することができた。

 この作品、早いうちから我らがドルリー・レーンが出馬し、事件に挑んでいるのだが、そのレーンでさえも犯人を特定する糸口をつかむことができず、最初から最後まで悩み抜くこととなる。この事件は「Yの悲劇」から10年もの時が経ち、さすがのレーンも年には勝てないのかと、そんな思いさえ抱かされる。「Xの悲劇」は冤罪をかせられた者を裁判で無実を勝ち取るという場面があったのだが、この作品では同様の裁判の場面でも無罪を勝ち取ることはできず悲観にくれるばかりとなる。

 本書では“X”や“Y”に見られたような決定的証拠というものが見当たらなく、さらには怪しい人物は多々いるものの、誰がやったのかを決定づけるヒントさえないようで、登場人物らと共に読んでいる方までが悩まされてしまう。

 しかし、最後の最後でレーンは犯人を特定する手がかりが得られたと言い、とんでもない形で衆人の前で論理的な推理を披露する。その推理が思いもよらぬところから決定的とも言える条件を抽出し、論理的に犯人の特定に至っているのである。まさにこのような形で出てくるなどとは予想だにつかない展開であった。その推理に驚かされる反面、“X”や“Y”に比べれば明快さに欠けるがゆえにこの“Z”は印象に残りにくいのかもしれない。とはいえ、犯人の論理的な特定は素晴らしいものであり、他の2作品と比べても本格ミステリとして決して劣るような出来ではないことは確か。この出来栄えを満喫してもらえれば、いかにこのレーン4部作の完成度が高いものであるかを痛感させられることであろう。


レーン最後の事件   6点

1933年 出版
2011年09月 角川書店 角川文庫

<内容>
 私立探偵のサムとその娘ペイシェンスの元に、謎の男がやってくる。男が言うには封書をあずかってもらい、もし自分からの連絡がなければ、ドルリー・レーンと共に、その封書を開けてもらいたいというのだ。また、それとは別にメトロポリタン美術館で行方不明となった警備員を探してもらいたいという依頼をサムは受けることに。メトロポリタン美術館にて捜査を始めるサムと、事件を聞きつけやってきたドルリー・レーン。彼らはそこで、貴重な本が盗まれていることを発見する。しかも、その貴重な本の代わりに、存在すると思われていなかったさらなる貴重な本が置かれていたのだった。いったいこれらの事件が意味するものとはいったい??

<感想>
 かなり昔に読んだきりであるので、内容に関してはほとんど覚えていない。また、読んでみると、内容がわかりにくい複雑な事件が描かれている作品だと再認識させられた。

 謎の男がサム警視に封書を預け、さらにはメトロポリタン美術館にて、失踪事件と貴重な本の盗難事件が明らかにされる。本の盗難に関しては、後に盗まれた本が送り届けられることとなり、ますます不可解な様相となる。結局のところ、事件性のありそうなものは警備員の失踪事件のみであり、それがかろうじてミステリとしての内容をささえているというもの。話が進むにつれて、とうとう殺人事件までに発展することとなるのだが、後半近くなると、事件の大筋が明らかとなり、それだけで終わってしまうようにさえ思えてしまう。

 そうして、この“最後の事件”を締めくくる衝撃的なラストへと向かうこととなるのだが、このラストこそがこの作品を異色のものとしているのである。理論的、心情的にこのラストが納得できるのかというと、はっきりいって微妙。ミステリとしてではなく、あくまでもこの“四部作”のためだけのラストという気がしてならない。確かに、深読みすれば、色々と納得できるところもあるのだが、どこか心情的に納得させられないところが残ってしまう。特に「X」「Y」「Z」に思い入れが強い人ほど、そう思われるのではなかろうか。

 といいつつも、何事にも始まりがあれば終わりがあるのもまた事実。読者としては、この悲劇の閉幕を受け入れるのみしか道はない。名優のカーテンコールを惜しみつつ、四部作に別れを告げたい。




作品一覧に戻る

著者一覧に戻る

Top へ戻る