<内容>
イギリス、ウォルター・レノックス卿が所有するチャドランズ屋敷には曰く付きの“灰色の部屋”と呼ばれる部屋があった。その部屋で過ごすと謎の死を遂げるといわれているのだ。その話を聞いたレノックス卿の娘婿であるトーマス・メイは、その部屋で過ごしてみたいといい、周囲の反対を押し切り実際に一夜を過ごすこととなったのだが・・・・・・翌朝死体で発見される羽目に! しかも検死をしたにも関わらず、死体にはなんの異常も発見されなかった。事件の謎を解くべく、名探偵と呼び声の高いピーター・ハードキャッスルが呼ばれたのだが・・・・・・
<感想>
イーデン・フィルポッツの初期作品。2016年の復刊フェアにて購入。
内容については一言。“そこで一晩過ごしたものが不慮の死を遂げる部屋の謎に迫る”というもの。ディクスン・カーが書きそうな内容のものをフィルポッツが野心的に挑戦。
物語の展開については部屋の謎に迫るだけなので、少々退屈か。全体的に動きが少なく、登場人物らの思想等の意見を交わす場面が多かったという印象。ただし、中盤で意外な展開もあり、それなりに惹かれるものがある作品ではあった。
そして、最終的に謎の部屋の真相に迫るのだが、その謎自体よりも、探偵役の者が出した解決の一つに興味深いものがあった。それは、それぞれの被害者がどのような形、もしくは体勢で亡くなっていったかを推測するもの。それについては、探偵小説らしくなかなか読み応えがあった。ただ、肝心の部屋の謎については、なんとなくホラー風という感じ。まぁ、このような感じにしかならないだろなという想像はしていたのだが。
とはいえ、なかなか雰囲気のある小説となっており、楽しむことはできたかなと。古典作品らしさの出ている怪奇風探偵小説。
<内容>
ジェニー・レドメインの叔父であるロバートが、ジェニーの夫のマイクルを殺害したという報がロンドン警視庁のマーク・ブレンドンの元にもたらされる。ロバートはマイクルを殺害後、その死体の痕跡を残さず失踪してしまう。マークら警察による必死の追跡もむなしく、犯人は行方不明となる。その後、レドメイン家の人々に忍び寄る魔の手。マーク・ブレンドンが途方に暮れる中、アメリカの引退した名探偵ピーター・ガンズが事件に乗り出してきたことにより・・・・・・
<感想>
何年も前に読んで以来の再読。そんなこともあり、内容についてはうろ覚えでしかなかった。若干、クイーンの「エジプト十字架の謎」と混同していた部分もあったのだが、今回読むことによってようやく内容をすっきりとさせることができた。また、先週読んだばかりの「トレント最後の事件」とも共通項があることにも気づく。
再読前のうろ覚えの内容としては、殺人を犯した犯人がそのまま行方をくらまし、次々と事件を起こしていくというようなもの。実際読んでみてその通りであったが、イメージとしてはバイクで失踪する犯人というイメージが残っていたものの、そのバイクが利用されていたのは最初のみ。最初の事件以後は長い時間をかけながら、レドメイン家を襲う連続殺人が続けられてゆくこととなる。
再読して、きちんと読んでみると何気に欠点が多い作品でもあるという事が確認できた。全体的に冗長ということもあるし、また警察の捜査に関しても微妙に感じられることが多々あった。特に、捜査主任であるマーク・ブレンドンが被害者とみられる男性の妻に恋をし、それゆえに捜査に目がくらんでしまうところは、ちょっと行き過ぎているのではないかと。この辺が「トレント最後の事件」と似てはいるものの、こちらの作品の方がより重大な禍根を残していると感じられた。
また、捜査側による事件の検証や検討があまりなされていないのも微妙なところ。事件の検討もせずに、犯人らしき者が目撃されたらその跡を追って、ということの繰り返しのみであったように思える。最後に探偵役のピーター・ガンズが、実はあのときにこういう捜査や検証を行って、という話になるのだが、そういった描写を犯人逮捕前に入れておく必要があったのではないかと感じられるのだが。
では、この作品があまり面白くないのかというとそんなこともなく、読んでいる最中、物語前半で犯人の検討を付けていたものの、真相は思っていたものよりもずっと凝っていたものであった。こちらの考えを上回る真相を見せつけられて、思わず感嘆させられてしまった。微妙と思われたところがありつつも、書かれた年代を考えると本格ミステリ古典の名作であることは間違いない。
<内容>
イングランドの名門テンプラー家、その一族が次々と惨劇に見舞われる。
テンプラー家の一族が一堂に会したある日のこと、屋敷に何者かが侵入しテンプラー家の当主サー・オーガスティンの遺言状が盗み見られるという事件が起こった。その後、昔にサー・オーガスティンの命を救った青年が事故死したとの訃報がもたらされる。これらの事件を発端とし、テンプラー家の血が次々と流れることに・・・・・・。次々と凶行を重ねる黒衣の男とは何者なのか? そしてその目的とは?
<感想>
次々と殺人事件が起き、ひとりまたひとりとテンプラー家の跡継ぎ達が亡くなっていく。登場人物がだんだんと少なくなることによってなんとなく犯人らしき人物の影は見えてくるような気がする。しかし、最後までわからないのは動機はいったい何なのか? ということ。そしてその一連の殺人の動機は最後の最後にて語られる。これこそが本書を一番特徴づけるものであろう。
全体的に見てこの作品はミステリーであるといって間違いない。ただし、その一方で本書の中に強い“ドラマ性”というものも感じるのである。殺人が起きなければ、とある地方の大地主の盛衰を描いた物語といってもよいであろう。また、登場人物の死によっても相続の問題や一族の行く末が語られたりと“テンプラーの一族”という題名にしてもおかしくないくらいのひとつのドラマがそこに存在している。
しかし本書においては、その“ドラマ性”を壊すかのような異常な執念を秘めた殺人犯の意思というものによりミステリーとして確立している。とはいうものの、その殺人犯の動機が明かされることによって物語りはさらなる異常性を秘めた“ドラマ”へと昇華していくようにも感じられるのだ。
ミステリーでありながらも、そこに一族の異様なる衰退のありさまを描ききったこの作品。これを異色ミステリーといわずなんと呼べばよいのであろうか。
<内容>
周囲の反対を押しのけ、大恋愛のすえ結婚した医師ノートン・ベラムとダイアナ・コートライト。ノートンは本来であれば、別の婚約者と結婚することにより伯父から莫大な遺産を受け取るはずであったが、伯父の意に反した結婚により、その話もなくなってしまった。ただ、ノートンがその伯父から遺産を受け取ることができなくなったことをダイアナに黙っていたことにより、二人の間に不穏な空気が漂い始める。そして、ある時期からダイアナが体調を崩し始め、とある事件が・・・・・・
<感想>
ミステリというよりは、前半はドラマ風の恋愛物語を描いたかのような内容。ただ、ノートン・ベラムが受け取ることのできなくなった莫大な遺産の件と、ノートンの妻となったダイアナの隠れざる気性の激しさにより、物語に不穏な空気が漂うこととなる。
そうして、ポイントとなるのは物語の後半にはいり、ダイアナが死を遂げること。体調不調を訴え続けたダイアナが、原因不明の病気により死亡してしまう。病死という事で落ち着いたかと思いきや、そこからとある手段による告発により、ノートンがダイアナの殺人容疑で訴えられることとなるのである。
ここからミステリ的な内容となるものの、正直言って読んでいる側としては、真相は明らかというように感じられた。ノートンが犯人でなければ、ダイアナによる狂言ではないかと。とはいうものの、ダイアナの気性の激しさを考えると、単純に自死を遂げるとも思えない。そう考え込んでいると、ノートンの友人である探偵ニコル・ハートが事件に対する別の見解を示唆するのである。
最終的に待ち構えている真相は、なかなか驚かされるもの。ただ、心情的には理解できるトリックであるのだが、現実的に可能であるのかどうかというと疑問が生じてしまう。色々な事象により、決してうまくいかないだろうという印象の方が強い。とはいうものの、真犯人の強い意志というものを感じられ、その痛烈で不器用な生き方にはある種の感嘆を受けずにはいられない。恋愛ドラマ風のサスペンス小説としてよく出来ている作品ではなかろうか。
<内容>
上記の「誰がコマドリを殺したのか?」参照。
<感想>
いまさらながら2015年7月に出版された、論創海外ミステリの作品を読了。既に200冊以上出ているシリーズのこの作品を何故、いまさらながらの読了なのかというと、実はこちらの作品「誰がコマドリを殺したのか?」という作品の別タイトルのもの。その「誰がコマドリ〜」がちょうどこの作品が出たのと同時期に復刊され、全く同じ内容と知らず、何も考えずにそちらを先に読んでしまったのである。ゆえに、同時期にタイトルだけ違う同じ作品を読んでも・・・・・・ということで、しばらく意図しての積読とすることにした。
そして約3年が経ち、ついにこの作品を手に取ってみたのだが・・・・・・3年というスパンは短かった。3年経っても、前回読んだときとほぼ感想はかわらない。ただ、作品の内容からすると“コマドリ”よりも“ダイアナ”というタイトルのほうが合っているように思われる。
情熱的な男女の恋愛から、その破綻、さらには情熱を越えたと言わざるを得ない生き様まで、数奇とも言える人生を垣間見えることができる作品。
<内容>
名刑事とうたわれたジョン・リングローズは警察を引退し、ホテルを経営する知人に誘われ、イギリス海峡に面したホテルでゆっくり過ごしていた。そんな彼はホテルでの宿泊中、夜中に不思議な声を聴くこととなる。それは子供が何かに脅えているものであった。このホテルに何か秘密が隠されているのではないかと思い、リングローズは長期宿泊しているベレアズ夫人に話を聞いてみる。すると、以前このホテルで不慮の死を遂げた子供の存在を知ることとなり・・・・・・
<感想>
20年以上前に読んだっきりとなっていた作品。2013年に復刊されたのを機に買い直したものの、積読期間が意外と長かった。読んでみて、このような内容だったのかと、ちょっとびっくり。通常のミステリとは違った味わいのある作品となっている。
引退した刑事が、子供が不慮の死を遂げたという事件を知り、その事件について調べ始めるというもの。ただし、黒幕の存在は最初から明らかとなっており、その容疑者がどのように犯行を行ったかという計画を掘り起こし、証拠を見つけてゆこうとする試みがなされてゆく。その捜査の様子が時間をかけながら地道に行われてゆくのである。
ちょっと着地点が変われば、探偵の仕事というよりも、ある種の復讐劇のようにさえ思えてしまう。ただし最終的には、探偵小説を逸脱することなく終幕を迎えたというように感じられた。探偵が犯人の心理的な面にスポットをあてつつ、徐々にその人間性をあらわにしていくという物語であった。
通常の犯人当てのようなミステリを期待すると、ちょっと肩透かしをくらうかもしれない。とはいえ、重厚な雰囲気のなかで、犯人の正体を暴こうとする刑事の執念を堪能することができる。これはこれで十分魅力的なミステリだと感じられた。
<内容>
守銭奴として誰からも嫌われている男は、まるで金庫のような固く閉ざされた部屋の中で死んでいるのが発見された。明らかに自殺ではなく殺人と判断されたが、いったい誰がどのようにして犯行を成し遂げたのか? 警察らが捜査を始めると、さらなる死体が発見されることとなり・・・・・・。元刑事のジョン・リングローズとその親友のジョー・アンブラー警部補が事件の謎に挑む。
<感想>
いきなり死体が、ものすごい密室のなかで発見されたり、謎を解く探偵が「闇からの声」でも活躍したジョン・リングローズであったりと、つかみはなかなかのもの。さらには次々と発見される死体といい、見どころ満載。これはかなり期待のできる作品かと思いきや・・・・・・
展開はなかなか楽しめて、それなりに飽きさせないものになっているのだが、なんとなく捜査がおざなりというような。事件自体についてはほとんど調べることなく、事件からちょっと外れたところや登場する人物の人物像について淡々と話し続ける始末。
また、なんといっても結末が残念。それなりの密室を登場させた割には、あまりにおざなりな解決っぷり。さらには探偵であるジョン・リングローズについても「闇からの声」での悪人に対する厳しさはどこへやら、最終的に真犯人に取る行動がなんとも微妙なものとなっている。
出だしにおいて、あまりにも期待を煽られたが故に、この結末は納得がいかなかった。今まで書いた作品とは一味異なるものを書き表したいと思ったのかもしれないが、それが成功しているとは思えなかったのだが。
<内容>
グレハム海岸で男の溺死体が発見された。その男は売れないことを悩んでいた旅芸人だと思われ、検視により自殺という事で処理されることとなった。この事件に興味を示した元医師のメレディス。彼は友人である警察署長のフォーブズに、この事件の隠された秘密を暴き出すことを宣言する。メレディスは、発見された死体は旅芸人のものではないと推理し、捜査を始めるのであったが・・・・・・
<感想>
2014年に復刊された作品。元医師であるメレディスが素人探偵となり、事件の秘密を探るという物語。溺死体が発見され、世をはかなんだ旅芸人が自殺したのだろうという見解がなされる。しかし、メレディスはその検視の結果に疑問を抱き、秘密裏に死体を調べ、死体の主は旅芸人ではなく、もっと年配の男で毒殺されていたという事を突き止める。では、男の正体は誰なのか、いったい何故殺害されたのか、ということをメレディスは単独で捜査する。
内容としてはミステリ的ではあるものの、理論的に解き明かすというよりは、調査をしていくと徐々に真相に近づいていくというもの。素人による捜査ながらも、さまざまな幸運に助けられ、とんとん拍子に事件の核心へと迫っていくこととなる。なんとなく探偵ものというよりも、冒険的なイメージを感じ取ることができる展開がなされる。
この作品では、単に捜査活動をするだけではなく、主人公メレディスと友人である警察署長フォーブズとの交わされる議論もポイントとなっている。時事的なネタや道徳的な内容が盛り込まれているため、こういった部分が読み進めにくい要因のひとつとなっている。ただ、ラストの展開を目の当たりにすると、実はこの議論こそがこの物語の大きな焦点となっていることを理解させられる。
決して万人向けのミステリとは言えないが、意外と深い内容のように捉えられる作品。当時の社会派ミステリ的な様相を示している。
<内容>
イギリス南部の風光明媚な町ブリッドマスの市長アーサー・マナリングが殺害された事件は、一大センセーションを巻き起こした。町の発展のために別荘地の開発に精力的に乗り出して財をなした不動産業者であると同時に、貧民対策事業に多額の金を投げうって賞賛を一心に浴びているこの人物を、誰が、なぜ殺さなければならなかったのか?
だが、人々の異常なまでの関心を事件に引きつけたのには、もひとつ別の要素があった。それは、事件の有り様が、七年前のちょうど同じ日に起きた被害者の息子ルウパート殺害事件にあまりに酷似していたことだった。現場は景勝地マッターズ沼地のまったく同じ場所、しかも左のこめかみから撃ちこまれた銃弾が頭蓋を通り抜けている点も同じだった。
二つの事件を結び付けて考えないものはなかった。しかし、スコットランド・ヤードが七年前と同様、一番の腕利き刑事を派遣してあらゆる努力を続けたにもかかわらず、謎は再び未解決のまま残されてしまった。迷宮入りの二重殺人は永遠の謎を秘めたまま葬りさられようとしていた・・・・・しかし、30年後、マックスオストリッチ医師の手記が事件の恐るべき真相を白日のもとにさらけだす!
<感想>
正直言って、ひどく退屈さを感じてしまう。というのも結末にだいたい見当がついてしまうので、あとは長々と独白をただ聞くばかりという書き方がなされているからだ。著者もそれはわかっていると思い、本作はあくまでも意外性を重要視しているのではなく、マックスオストリッチ医師による告白というものの文書自体に重要性をおいている。
そこにあるのは、題名にもなっている一種の皮肉が込められているのではないのだろうか。マックスオストリッチは義父であるアーサー・マナリングを非難するかのような書き方をしているが、もし他の視点から見るのならばこのマックスオストリッチ医師という人物はどうであろうか。ある種この人物は、過去に欧州をさわがせたことのある毒殺魔を思い起こさせるような人物に感じられるのだ。であるからして、本書はある種の捕まらなかった悪徳な知能犯の自己の正当化に重きをおいた告白文ともとれる。
まぁ、そのように興味深い一面もあるのは確かだが私的にはあまり好きになれない作風である。
<内容>
准男爵家フォーチュン家の三男、アーウィンは手記を書き始めた。それは彼本人による殺人の告白であった。彼は、あるとき、それまで興味がなかったアーウィン家の長男と次男を殺害しようと決意する。しかも完全犯罪を成し遂げようと、入念な計画を練りはじめ・・・・・・
<感想>
ちょうどこの作品を読む前に「闇からの声」を読んでいたので、その対比を楽しむことができた。それは「闇からの声」は完全犯罪を暴こうという趣向がなされた作品であり、それに対しこの「極悪人の肖像」は完全犯罪を試みた内容だからである。「闇からの声」は、地道に捜査を調べていけば、完全をもくろんだ犯罪でも暴くことができるということを語っているようであり、それに対し「極悪人の肖像」は注意深く計画すれば完全犯罪をなすことができると語り掛けているようなのである。どちらがどうこうとは言えないものの、ひとりの作家がこのような2作品を書いていることは非常に興味深い。
ただ、この作品を単独で見た時にどうかといえば、やや退屈なきらいはある。淡々とした犯罪模様が、非常に慎重に時間をかけ、ゆっくりと行われていくので決して面白い物語とはいえない。ミステリ作品というよりも、むしろ文学的な作品のようにさえ思えてしまう。また、殺人計画の立案が演劇の台本を作り上げるようでもあり、著者の劇作家としての側面も感じ取れる内容となっている。
また、この作品は犯罪を行った者自身による手記として語られているところも特徴。それゆえか、事件の状況を見ていると、あまりにもこの主人公自身が怪しいと思えるのだが、手記故に、外から主人公を見た印象というのはまた違うのかもしれない。ただし、仮に主人公が怪しいとして捜査したとしても、決して証拠はつかませないという用意周到な念の入れようとなっている。とはいえ、この完全犯罪が一生をかけて行うほどのものであったのかには、疑問が残るところ。