<内容>
戦争から帰ってきたワトソン医師は友人の紹介により、シャーロック・ホームズという男と共同で部屋を借りる事となった。そのホームズ氏というのが奇妙な人物で、普段は何を仕事としているのかがまったくわからない。しかも彼は妙に鋭い洞察力を持っていたのであった・・・・・・
<感想>
今回読んだことにより、この作品をきちんと読み通したのは2回目か3回目くらいになるかと思う。ただ、ホームズとワトソンの出会いの部分は、もう幾度となく読んだような気がするので不思議なものである。と、本書はそれくらい有名な、シャーロック・ホームズが登場する最初の作品である。
本書ではワトソンがホームズと出会い、二人が共に同じ家に住むようになるくだりから始まってゆく。そこでワトソンはこの奇妙な同居人に対して分析を試みるのであるが、これこそが本書の一番の見所であろう。実はこの作品こそが、一番ホームズに対する分析、そして詳細事項がきちんと描かれている本といえるのではないだろうか。
それからようやく事件に入っていくのだが、事件自体は短編にしてもおかしくないくらいの分量である。そこに第2章という犯人側の視点から、なぜ復讐が行われなければならなかったのかを示す物語が描かれている。
純粋に推理小説としてだけを望むのであれば、このパートは邪魔だともいえる。ただ、読みやすい物語になっているので、それなりに楽しんで読むことはできる。前回読んだときはよく覚えていなかったのだが、今回読んだことにより、モルモン教徒による出来事が中心に描かれているということに気づかされる。ここに書かれていることが、どこまで史実をなぞらえたのかはわからないが、興味深く読めることは確かである。
そして肝心のシャーロック・ホームズの推理についてであるが、本書では推理というよりも科学的な分析に頼るところが大きい作品となっている。ホームズお得意の職業当てをひけらかし、一見いかにも推理に重点がおかれた作品にも見えるのだが、事件の謎を解く際には、ほとんどが科学的な分析によるものとなっている。とはいえ、犯人を捕まえる劇的なシーンとか、ホームズが警官たちの無能ぶりをあざ笑うかのように、的確に真相へと近づいていくくだり等、見所は多く挙げることができる。
総合的に見てみると、ホームズ登場の作品としては、なかなか良いできに仕上げられた作品といえるのではないだろうか。とはいえ、シャーロック・ホームズの作品に触れる際には、この本から入るよりも、先に「シャーロック・ホームズの挨拶」から入り、その後に、この長編を読んだほうが良いように感じられなくもない。
最後に予断であるが、ホームズを取り巻く仲間の一員として“ベーカー・ストリート・イレギュラーズ”という少年探偵団のような存在のことを知っている人は多いのではないだろうか。しかし、本書の解説を読むと、以外にも彼らが出てくるのは本書を含めた長編2作と短編1作のみとのことである。それなのに、この名前が浸透しているというのは、後からホームズ関連の本が色々と出てきた中で、この“ホームズ・少年探偵団”のような存在が色々な形で広められたということなのかもしれない。
<内容>
退屈をもてあますホームズのもとにメアリー・モースン嬢が事件の依頼にやって来る。その依頼とは、モースン嬢の行方不明になった伯父にまつわる事件に関してのことであった。モースン嬢を呼び出した者から語られる莫大な財宝の話。そして、その財宝を巡っての不可解な殺人事件。ホームズとワトソンは次第に奇妙な事件の真っ只中へと巻き込まれていくことに!!
<感想>
ホームズの作品は既読作品がほとんどなのだが、長編で「四つの署名」と「恐怖の谷」だけが未読であった。故に、新鮮な気持ちで読むことができたホームズ作品。とはいえ、基本的な構成は「緋色の研究」とあまり変わらなかったりする。
本書を読んで思ったのは、ホームズ作品は短編向きであるのだなということ。この作品でも前半はホームズの短編作品と同様の展開であり、後半部分に犯人の行動の背景を付け足したというものになっている。よって、この作品もちょっと長めの短編を読んだという気分でしかない。
一作品として見ても、いたって普通の内容。事件の導入部分や、“四つのしるし”といった謎などは面白いと思えたが、それらに対するホームズの回答はやや地味なものであったと思える。
それよりも本書は一連のホームズ・シリーズの中でいろいろと想像が深まる描写が多いところが特徴といえよう。のっけからいきなりホームズがコカインを打っていたり、ホームズが料理をしたり、ワトソンにはロマンスがあり、それに対してホームズがいい顔をしなかったりと、シリーズものとして見るべきところはなかなか多い。ファンであれば熟読必至の作品であると言ってもよいのかもしれない。
あと、予断ではあるがホームズを見て、現代の日本作家の探偵と照らし合わせて共通点が多いと思える探偵といえば、私は御手洗潔の名が頭に浮かんでくる。ホームズとワトソンの関係と御手洗と石岡の関係とか、ホームズの挙動を思わせる御手洗のエキセントリックさとか色々な共通点をあげることができる。
今回さらに思いついたのは、著書の構成というところでも共通点があるのではないかということ。それは御手洗作品では探偵が犯人と犯行方法を指摘した後、手紙などによる犯人の独白にて物語の幕が閉じるという作品をしばし見ることができる。このような作風はホームズ作品の「緋色の研究」や「四つの署名」の作風に共通しているのではないかと今回思い当たった。
あまり、ホームズ作品の感想とも関係なく、また既に出ている話なのかもしれないが、なんとなく思いついたのでつい書いてしまったしだいである。
<内容>
シャーロック・ホームズのもとにモーティマー医師という人物がたずねてきた。彼はバスカヴィル家の後見人であり、とある伝承に悩まされているというのである。彼が言うには、先代となってしまったバスカヴィルがダートムーアの地に伝わる魔犬によって殺害された疑いがあるのだと・・・・・・。そして、バスカヴィルの家系をたどって、新たなバスカヴィル家の当主を迎え入れる事になったのだが、どうすればいいかホームズの助言をもらいたいというのである。とりあえず、新たな当主を迎え入れる事になったバスカヴィル家。しかし、その当主にさまざまな怪しい出来事がふりかかり・・・・・・
<感想>
シャーロック・ホームズの長編の中では(といっても四編しかないのだが)群を抜いて優れた作品といえるであろう。先に読んだ「緋色の研究」「四つの署名」に関しては、基本的には短編を長編の形式に引き伸ばしただけと感じられた。しかし、この「バスカヴィル家の犬」は正真正銘の長編本格ミステリ作品といえるものである。
ミステリを成す謎の要素となるものもそれぞれ興味深く作られている。バスカヴィル家に伝わる魔犬伝承、無くなった片方のブーツ、怪しい使用人、さらに怪しい近隣に住む兄妹、そしてダートムーアという神秘的な土地。さらにはミスリーディングを誘うための脱獄囚の存在も色を添えているといえよう。
こうしたさまざまな謎をホームズが見事に解きほぐしていくさまは、ミステリ愛好家にとってはなんともいえないものである。ただ一点惜しいと思ったのは、“魔犬”というもの存在自体にもう一ひねりほしかったというところ。
また、この作品では、あとがきによってドイルがこの作品を書く事になった経緯が語られている。これがまた神秘的な話であり、この「バスカヴィル家の犬」という作品の魅力をさらに引き立てているといえよう。
この作品こそ、短編だけでは満たされなかったホームズファンの心の隙間を埋めることができた作品といえるのではないだろうか。
<内容>
ホームズがその正体を暴き出そうと狙いを定め続けている人物、犯罪王モリアーティ教授。その組織にいる人物からホームズのもとに暗号文が届く。それを解読してみると、バールストン館に住む、ダグラスという人物の身が危ないというのである。しかし、ホームズがこの暗号を解いたときにはもう遅く、ダグラス氏が惨殺されたという報告を受けることに。さらに、そのダグラス氏が不思議な状況の中で殺害されているということで、ホームズは捜査へと出向くことに。はね橋で閉ざされた屋敷の中で誰がどのようにしてダグラス氏を殺害したのか? 現場の不可解な状況からホームズが導き出した答えとは!
<感想>
これで新訳シャーロック・ホームズも長編短編含めて全て読了したことになる。その追尾を飾るのがホームズの長編小説で最後に書かれた作品「恐怖の谷」である。
この作品はホームズの長編であればおなじみの二部構成となっている。一部ではホームズが推理を披露し、二部では過去に起きた事象の説明がなされるという構成。
物語の始まりはモリアーティ教授の存在をほのめかすところから始まっているものの、本書のなかでは名前だけにとどまっており、登場場面がなかったのは残念なところ。ホームズ一連の作品を通して、教授との闘いをきちんと描いた作品というものを見てみたかった気がする。
今回の事件ははね橋のある城のような住居の中で起きた殺人を描いている。犯人がいつ、どこから侵入して、どのようにして逃げていったのか。いたるところにそれらしき痕跡があるものの、どこか不自然なものが残るという様相。その状況を詳しく調べてホームズが調べていくのだが、肝心の推理の場面はちょっと薄味だったかなと。
何しろ、犯行を明らかにする伏線というのが“ダンベルの片側のみ”というのはちょっと寂しすぎる。また、犯人の隠ぺい工作もかなりお粗末で合ったような気がしてならなかった。
そして犯人が明らかにされた後には、ある登場人物の過去にまつわる物語が語られていくこととなる。こちらの内容は史実を脚色したもののようであり、実際にピンカートン探偵社の人が活躍したという事件が描かれている。これは純粋に冒険小説として楽しむことができた。
最後にはまた現代へと舞台が移され、後日譚ということで物語に幕がひかれるのだが、その結末の付け方は少々後味の悪いものとなっている。長編最後となる場面にしてはどうかと思えるのだが、ひょっとするとこの場面こそが短編「最後の事件」のプロローグたるものであるといえるのかもしれない。