<内容>
「君の婚約者は過去三人の男を毒殺した妖婦だ」劇作家ディック・マーカムに恐るべき話を告げた著名な病理学者は翌朝、青酸を注射され、密室の中で絶命しているのを発見された。状況は彼が話した過去の事件とまったく同じだった。可憐なレスリーは果たして本当に毒殺魔なのか? 複雑怪奇な事件に挑むフェル博士の名推理。
<感想>
カーの作品の中ではリーダビリティがかなりある本(訳が新しいせいかもしれないが)。とりまく状況が二転、三転し、誰が正しいことをいい、誰を信用すべきなのかが分からなくなってゆく。事件とすばやく展開していく状況がうまく噛み合い作品全体を見事なものに見せてゆく。後半の方は少々煩雑すぎる気もあったのだが。
事件自体も作為的に密室を造り、青酸自殺という意味合いのあるものにしているのは見事。トリック自体もうまくまとまったものになっている。
後半に一人歩きしてしまったような、すばやく展開していく情勢が最後にあまりきれいに収束しきれなかったように見えるのがやや難。
<内容>
パリ郊外の古塔で奇妙な事件が起きた。だれもいないはずの塔の頂で、土地の富豪が刺殺死体で発見されたのだ。警察は自殺と断定したが、世間は吸血鬼の仕業と噂した。数年後、ロンドンで当の事件を調査していた歴史学者の妹が何者かに襲われ、瀕死の状態に陥った。なにかが、“囁く”と呟きながら。霧の街に跳梁するのは血に飢えた吸血鬼か、狡猾な殺人鬼か?
<感想>
なかなかの名作であると思う。展開を予期させぬ構成といい、不可能犯罪による殺人劇と、豪華な内容となっている。ただし、結構有名なトリックがつかわれているため、わかりやすいといえば、わかりやすい。それでもカーの作品中のなかでは、また一風変わった名作の一つといえよう。
<内容>
弁護士パトリック・バトラーは毒殺事件の容疑で捕らわれたジョイス・エリスという秘書の弁護を引き受けた。バトラーはジョイスを一目見て、彼女が事件を犯したと決め付ける。そこでバトラーは無罪を勝ち取るために、ジョイスに嘘の証言をさせることに。しかし、当の裁判では予期せぬ証言によってジョイスは簡単に無罪放免に。さらにその裁判の直後、また別の毒殺事件が起き、こちらの事件でもバトラーが弁護を引き受けることになるのだが・・・・・・
連続毒殺事件が巻き起こり多くの被害者が続出する中、バトラー弁護士はフェル博士の手を借りて事件の真相へと迫る!
<感想>
本書はフェル博士の話だと思っていたのだが、今回はフェル博士が脇役に回りバトラーという弁護士が活躍する物語になっている。この作品は推理小説というよりはカーが何作か書いている歴史ミステリーに見られるような冒険活劇に近いという気がした。
最初にバトラー弁護士が登場したときは、何かいけ好かない奴という印象で、どう見てもこれが本書の主人公であるとは思えなかった。それが事件が進むにつれてなにやら“熱い男”へと変貌(?)してゆき、最初とは違う人物像を見せつけられることになる。どうして、最初の人物像と異なるのか、その変が少々理解に苦しむところであった。
また内容は本格推理小説という側面は持っているものの、謎の殺人集団の正体を暴くということがいつの間にやら本書の主題になってしまい、最後の最後では大立ち回りまでもが繰り広げられる。そして肝心の推理はフェル博士にまかせっきりで、バトラー弁護士はアクションと恋愛を担当していた模様である。
最初に毒殺事件が出てきたときには、カーは結構毒殺モノの作品を書いているなぁと思ったのだが、最終的にはそういった感慨も吹き飛んでしまった。また、このバトラー弁護士はもう一作品「バトラー弁護に立つ」という作品にも出ているようである。そちらはどんな味付けとなった本になっているのやら。怖いもの見たさで読んでみたいものである。
<内容>
軍の任務を終えて戻ってきたドナルド・ホールデンであったが、その任務の性質上、自分が故人となっていた事を知らされる。知人たちに生きている事を知らせ、かつて愛していた女性に思いを告げようと故郷へ帰って行くのだが、その故郷では愛する人の姉が亡くなっていた事を知らされ・・・・・・しかも不可解な状況で。
ホールデンの愛するシーリアと故人となったシーリアの姉の夫ソーリイに話を聞くと、二人の話は全く食い違ったものであった。シーリアは姉が夫から虐待を受けていたといい、ソーリイは虐待などしておらずシーリアの日々の言動がおかしいと・・・・・・。いったい隠された真実とは? フェル博士が謎に迫る!!
<感想>
この作品はサスペンスタッチで描かれているものの、過去の事件を掘り起こすものとなっておりやや地味な印象がある。しかし、最後の最後で犯人が明かされたとき、「いや、本当にうまいな」と感心せざるを得なくなった。
この作品に限らず、カーの作品では多くに見られるように、その伏線の張り方が実にうまい。なにしろ普通に読んでいるときには、それを一切気づかせる事なく物語が進められ、真相が明かされたときに、「あぁ、あの場面がそうだったのか」と感嘆させられてしまう。今回は特に話が地味だったせいか、よりその伏線の張り方が際立っていたように感じられた。
いやいや、やっぱりカーの作品は良いなと、改めてカーを心酔しなおした作品。
<内容>
ジョン・ディクスン・カー描く、シャーロック・ホームズの生みの親、コナン・ドイルの生涯の記録。
<感想>
コナン・ドイルの伝記ということで、ミステリ的なものではなく、その生涯を淡々と書き綴ったもの。物語風の感じでもないので、決して読みやすいとはいえない。ゆえに、カーのファンで作品のコンプリートを目指すか、よほどコナン・ドイル自体に興味があるという人でなければ、無理に読むことはお薦めしない。
コナン・ドイルの生涯に関してはホームズ作品のあとがきなどで、大雑把には知っていた。しかし、事細かいことまでは知らなく、この作品を読んで、新たにいろいろな事を知ることができた。
最初に驚かされるのは、ドイルは医者であったものの、ほとんど客が来ず、収入が乏しかったために小説を書き始めたということ。当然ながら小説を書くという事自体は元々行っていたので、急にそこで思いついたというわけではないのだが、それでも医者の方が儲からなかったというのは驚かされること。
また、ドイルといえば、実はシャーロック・ホームズの作品を書くことについてはそれほど乗り気ではなかったということはよく聞く話。そして実際に、この伝記ではホームズ作品を書くことについて、コナン・ドイル自身が重要な事とは思っていないようで、ホームズやその小説について割かれているページも驚くほど少ない。ドイル自信のホームズものへの思い入れのなさが強く伝わってくるのは、ホームズ・ファンにとっては寂しいことではなかろうか。
コナン・ドイルは小説家として活動していたものの、その他の小説についてはあまり売れていなかったという印象であったが、実際にはそんなことはなかったようである。彼が書いた歴史小説等は、当時ベストセラーになっていたよう。ただ、そういった歴史ものに関しては国内では受け入れられたであろうが、たぶん国外ではさほど興味を惹かれなかったのではなかろうか。ゆえに、ドイルの作品といえば、世界的にはシャーロック・ホームズ・シリーズのみという印象が強くなるのであろう。
ドイルは精力的に海外を旅し、講演を行っていたようであるが、海外の人々からすれば、あくまでも彼はシャーロック・ホームズの作者。ただ、当のドイル自身はそのような認識はなく、あくまでも一作家としてふるまっていたようである。その辺の温度差には、何とも言えないものを感じられた。
ホームズのエピソードで有名な話といえば、彼がモリアーティー教授と共に滝に落ち、命を落とすことによって、一旦シリーズが途切れてしまっているという事。しかし、ホームズ・ファンからの熱烈な要望により、とうとうホームズを生き返らせて、新たなる作品を書き続けることとなった。この間、かなり間が空いているのだが、実はドイルは自らの希望により、ボーア戦争に従軍医として参加していたのである。ホームズ・ファンにとっては、やきもきさせるような長い時間であったのかもしれないのだが、当の著者はそんなことはどこ吹く風で、自信の人生に忙しかったということなのであろう。
また、驚くべきエピソードとしては、シャーロック・ホームズの作品が出た後に、二度ほど選挙に出馬しているものの、二度とも落選しているということ。これだけ有名なドイルであれば、選挙くらい楽勝で勝てそうなものと思ってしまうのだが、実際にはそれほどうまくいくものではないということなのか?
あと後年、ドイルが心霊関係の方面に熱を入れるようになっていったというのも有名な話。この作品を読むと、第一次世界大戦によりドイルの身近な人たちが次々に亡くなり、そういった方面へ傾倒してしまうのもいたしかたないことなのかもしれないと感じられた。ただ、この作品では、ドイルの近親者に気遣ってか、彼が心霊関係にのめり込んでいく様子についてはあまり詳しく取り上げられてはいなかった。
コナン・ドイル史ということに関しては非常に興味深かったかなと。ただ、物語のようなものを期待してしまうと、裏切られた気分になるかもしれない。全体的に、ドイル自信の話と、歴史上の話が入り混じり、それらの区別がつきにくく、読みにくい作品となっている。ただ、シャーロック・ホームズの研究家や、コナン・ドイル自身についての詳しく調べたいという人にとっては貴重な作品の一つといえよう。
<内容>
ニューゲイト監獄に、美貌の令嬢キャロラインが死刑囚ディックを訪ねてきた。祖父の遺産を継ぐため、遺言どおり二十五歳前に結婚しようと死刑を控えた彼を相手に選んだのだ。が、結婚式の後、事態は急変した。ナポレオン敗北に伴う情勢の変化で、ディックが釈放されたのだ。実は彼は身に覚えのない殺人罪で投獄されていたのだった。復讐に燃える彼は、真犯人を見つけられるのか?
<感想>
カーは好きなのだが歴史物と聞くと、どうも読むのに躊躇してしまう。しかしながら、本書は読んでみるとかなり面白いものであった。この本は食わず嫌いで終わらすにはもったいない一冊である。フェル博士ものでないからといって読んでいない人にはぜひとも読んでもらいたい。
本書は史実などにはさほど即していなく、単純に冒険ミステリとして読むことができる。絞首刑になるはずの主人公が刑から逃れることができ、そして自分をはめた相手を見つけ出そうとしながら悪人相手に得意の剣技にてバッタバッタと打ち倒すというもの。さらに単純な冒険活劇のみかと思いきや、そこはさすがにカーらしく最後はミステリで締めるという離れ業までやってのける。これであればフェル博士が登場しても全く違和感のない出来である。なかなかの逸品。
<内容>
歴史学教授のフェントンは過去のある事件を調べるため、悪魔と契約を交わし時を遡った。三百年前の貴族に乗り移り、その妻が毒殺された事件を解明しようというのだ。きっかけは、事件の顛末を記した執事の手記だけだった。なぜか事件解明の部分だけ欠落していたのだ。過去の謎に挑むフェントンは事件を防ぎ、歴史を作り変えられるか?
<内容>
ウィリアム・ドーソンは弁護士の待合室で、話を耳にしてしまったがために、奇妙な事態におちいることとなる。それは、ラリー・ハーストという青年に成り代わって、ラリーの伯父である富豪のゲイ・ハーストのもとに行くというものであった。ゲイの前に出てゆきたくないというラリーに成り代わり、遺産相続を受けに行くこととなったウィリアム。実際に、ゲイ・ハーストと会うこととなるのだが、そこでゲイからとんでもない要求をされることとなる。それは、ゲイがウィリアムの命を狙うので、それを見事に振り切ることができれば、遺産を全て相続させるというのである。否応なしに、とんでもない事態に巻き込まれることとなったウィリアムであったが・・・・・・
<感想>
一番に思うことは「話が長い」ということ。それに尽きる。なかなか、本題が始まらなく、本題が始まってからも結構脇道にそれたりする。後半になって展開が早くなるまでは、なかなか読み進められなかった。内容としては、カー本来のミステリというよりも、カー描く歴史もののような感触。これといった探偵役が出てこないところもマイナスの要因か。
と、なんだかんだ言いつつも、決してマイナス要因のみの作品ではない。まるでデスゲームを描くような老人と青年の対決というのもなかなかのもの(ただし、後半はその取り決めがグダグダになったような)。
さらには、たびたび繰り返される注釈によって、読者の予想をうわまわるような警告がなされ、陰で事件を操る存在が示唆されることに。いったい、何が起きているのだろうと読み進めていくと、驚愕の真相が待ち受けることとなる。
しっかりと読者をだまそうという試みがなされているところや、読んでいて気付くはずもなかろう事細かな伏線については、カーらしさを感じさせる作品である。これがもっと短いページ数でスピーディーになされていれば、それなりに評価は上がったのではなかろうか。その長さと、シリーズ探偵が登場しないゆえに、カーのマニアのみが読むだけの作品となってしまっているのが惜しいところ。
<内容>
「七つの時計の事件」
「金時計の事件」
「蝋人形賭博師の事件」
「ハイゲイトの奇蹟事件」
「色の浅黒い男爵の事件」
「密閉された部屋の事件」
「ファウルクス・ラス館の事件」
「アバス・ルビーの事件」
「黒衣の天使の事件」
「二人の女性の事件」
「デプフォードの恐怖の事件」
「赤い寡婦の事件」
<感想>
全12作品のうち、最初の6作品はディスクン・カーとドイルの息子であるアドリアンとの共著という形で、残り6作品はアドリアン単独の作品となっている。ホームズの正典のなかで語られながらも実際には書かれることのなかったものを題材とし、それぞれひとつの作品としたパスティーシュとなっている。
さすがにドイルの息子とカーがタッグを組んだだけのことあって、しっかりした内容となっている。決して正典に引けをとらない内容であり、きちんとホームズ・シリーズらしさが残っている。また、ややひいき目の見解になってしまうかもしれないが、個人的にはカーが携わったとされる最初の6編のほうが、魅力的な設定のミステリとなっていたように感じられた。時計を壊しまくる青年とか、蝋人形の持つカードが変わっているとか、傘をやたらと大事にする男など。また、怪奇的な部分や、密室を扱ったり、奇想天外な殺人道具が使われたりと、カーらしさも随所に表れていたところも読みごたえとなっていた。
一方、後半の6編は分量も少し減り、少々読みごたえに欠けたかなと。それでも女性のスキャンダルを扱ったものや、怪しげな結社が出てきたりと、それはそれでホームズの正典らしい内容のものがきっちりと書かれていると感じさせられた。
これらのパスティーシュ作品であるが、非常に完成度が高いと思う。何しろ当時の風習や風俗などがきちんと取り扱われており、これらについては今の時代の作家ではなかなか書くことができないではなかろうか。しかし、これだけきっちりとした作品であるにも関わらず、あまり有名になっていないというか、大きく取りざたされていないのは何故であろう。ドイルの息子が関わっているのであれば、正典とまではいかなくても、外伝くらいの扱いで正典と並べて組み込んでもおかしくなさそうであるが。
「七つの時計の事件」 時計を壊しまくるという不思議な性癖を持つ青年の真相。
「金時計の事件」 死因不明の老人についての真実を暴く時計のねじ巻き。
「蝋人形賭博師の事件」 蝋人形館で展示されている人形が持つカードが変わっているという怪奇。
「ハイゲイトの奇蹟事件」 傘を以上に大事にする男が、衆人環視のなか突如いなくなり・・・・・・
「色の浅黒い男爵の事件」 由緒ある杯で乾杯をした後に死亡した男の謎に迫る。
「密閉された部屋の事件」 密室のなかで妻を殺害し、自らも自殺した大佐。その事件の真相とは!?
「ファウルクス・ラス館の事件」 被害者が死の直前に犯人の名前を残したことにより逮捕された甥。彼は本当に犯人なのか?
「アバス・ルビーの事件」 盗み出されたルビーと容疑をかけられた前科者の使用人の話。
「黒衣の天使の事件」 田舎に引きこもり、人々との接触を避ける男の前に、黒衣の天使の絵が・・・・・・
「二人の女性の事件」 重婚疑惑のスキャンダルと引き換えに恐喝された女性をホームズが助ける!
「デブトフォードの恐怖の事件」 屋敷に住む家族が次々と不審な死を遂げ、そして残されたひとりも謎の魔の手に・・・・・・
「赤い寡婦の事件」 ギロチンで殺害された男と、逃げる容疑者。ホームズが独断でとった行動とは!?
<内容>
1805年、皇帝ナポレオンの下、フランス軍はイギリス侵攻に向け英仏海峡に布陣していた。そのフランス軍の陣営では夜な夜な殺人鬼が現われていた。その名も“喉切り隊長”。彼は犯行不可能の状況の中で何度もフランス軍の兵士を殺害するという行為を行い、フランス軍陣営は“喉切り隊長”を恐れおののくようになっていった。
そんな中、フランスのフーシェ警務大臣は“喉切り隊長”を捕らえるため、逮捕したイギリスのスパイのアラン・ヘッバーンの力を利用して事件を解決しようとたくらむのであったが・・・・・・
<感想>
これは本当に歴史ミステリーの一冊というべき本である。何が言いたいかといえば、ようするにその背景を知っていなければ、あまり楽しむ事ができない本であると言う事。ナポレオンの指揮の下でのフランス軍とイギリス軍が対決さなかの話を書いてはいるものの、私自身にとってはそこに出てくる登場人物らが実在の人物なのかさえも全くわからず手探り状態で読んでいたという状況。あとがきを読んだ限りでは、最初は単なる脇役かと思ったフランスの警務大臣フーシェの物語が書きたかったのでは、というような事が書かれていた。とはいえ、このフーシェという人物など全く知りもしないのでただの悪役くらいにしか思えなかったのだが。
と、そんなわけでカーの作品をコンプリートしたいとか、歴史ミステリーに興味があるという人のみお薦め。だいたいミステリーとしてのトリックとか、その辺に関しては読了後全く頭に残らなかったし。
<内容>
ロンドン警視庁のチェビアト警視は突然百年前のロンドンへとタイムスリップしてしまった。彼は百年前の世界に来ても警察官という立場の人物に乗り移ったようなのだが、その時代では警察機構がまだ確立されていなく、そういった背景の中でチェビアトは警察活動を行わなければならなかった。そして彼が遭遇した事件は、彼と他の人々の目の前で突如女性が射殺される場面を目撃してしまうことに・・・・・・。現場には銃が落ちていたものの・・・・・・チェビアトはこの不可能事件をどのように解決するのか!?
<感想>
構成は「ビロードの悪魔」に似ている。つまり、現代の人物が過去の人物に憑依し、数々の妨害を乗り越えながら事件を解決していくというもの。
こういったカーの歴史ものの小説は面白く感じるところもあるのだが、物足りなさを感じてしまうところもある。例えば、いわゆる冒険活劇とはなっているのだが、時代背景があまりピンと来ないために、行われている活劇の意味自体がよくわからなかったりする。特に決闘の場面などにいえるのだが、そのルールがなんともわかりづらい。結局どのようにすれば名誉が護られて、勝ち負けが決まるのかという事がとてもわかりづらい。
そしてそういった冒険活劇がメインになってしまうために、ミステリー色が薄くなってしまうのも残念なところ。今作も起こる事件は一つだけであり、その謎解きだけしかないという事には物足りなさを感じてしまう。
とはいえ、今回の作品はその謎解きをそれなりに楽しむことができるものとなっていた。不可解な銃撃事件が起こるのだが、この真相は“歴史ミステリ”という形態をとっているということが重要なポイントとなっている。真相が明かされたときには、なるほどと思わされ、この作品だからこそのトリックというものがうまく活用されていると感じられた。
なかなか良い作品だと思うのだが、でもやっぱりカーの作品は歴史ものではないほうがいいなぁ。
<内容>
クイーンズ大学の英文学教授、マーク・ルーベンは妻ブレンダとの関係に悩んでいた。どうも妻は若い男と浮気をしているらしく、また妻はマークが他の女と浮気をしていることを疑っている。そんななか、近くに住む何かと噂のある女性、ローズ・ストレンジがマークの元にウィルキー・コリンズの本を借りに来る。その様子を見てブレンダはマークに腹を立て、家を飛び出してしまう。すると翌日の早朝、彼の元に「もう手遅れだよ、彼女はやってしまったよ」という電話が。嫌な予感を覚え、ローズの家へと言ってみると、そこで彼女は死体となって発見される。しかも何故か密室の状態で・・・・・・。マークのもとに客としてやって来たギデオン・フェル博士がこの難事件に挑む。
<感想>
現在絶版であると思えるが、ちょうど古本屋で見つけたので、さっそく購入して読んでみた。カーの作品としては後期よりのものとなるのだが、これが意外と良い出来であった。いや、むしろ後期の代表作ではないかと言ってもよいくらいである。
事件としてはさほど複雑ではなく、密室で死亡していた女性の事件をめぐる内容。関係者の数も少なく、そのなかで誰が、どうやって、そして何故、といったところが焦点となり話が進められてゆく。語り手であるマークは話の間中、疑心暗鬼にかられ、自分の妻がやったのではないかとおそれおののきながら、フェル博士の質問に答えていくこととなる。一方、フェル博士の方は、何事かに悩みながらも淡々と事件の関係者から事情聴取を重ねてゆく。
事件の全容が明らかになったときは、なるほどと思わずうなってしまった。物語の序盤から心理的な伏線がしっかりと張られていたことを知らされ、思わず最初の方を見返してしまった。初期のカーの作品でも、こういった仕掛けはよく見ることができたが、後期の作品ではここまでしっくりと決まっていたのは珍しいのではないだろうか。
この「死者のノック」、思いのほか出来が良かったので、なんで今現在絶版になっているのだろうと思ったのだが、ラストでの決着のつけ方が微妙なのかもしれない。そのラストの締め方が、探偵小説というよりはカー作品の歴史物作品のような締め方となっており、ちょっと現代劇としてはそぐわないようにも感じられる。もしくは、この作品の特徴として英国で活躍していたフェル博士がアメリカへ来て遭遇するという事件となっているので、アメリカ風の穿った結末の付け方というようにもとらえられなくはない。何か色々な意味で考えられる問題作でもあるような。
<内容>
往年の名女優イブが山荘のテラスから転落死した。それを離れた所から目撃した者はいたものの、イブのすぐそばには誰もいなかった。本来ならば事故死で済まされるところだが、それと同じ事件が17年前にも起きていた。そのときは、イブのすぐ目の前で婚約者の男性が転落死し、その結果イブは巨額の遺産を相続することに。これらの不可解な事件にはどのような関係があるのか? フェル博士が過去と現在の謎を解く。
<感想>
これまた、変った様相の事件が描かれた物語。本書のポイントとなるのは、転落死事件。手すりのあるテラスから、誰も触れた形跡がないにもかかわらず、転落してしまうという事件が起こる。本来ならば事故で済まされるべき事であるにもかかわらず、その周囲をとりまく状況から“殺人事件”という疑いをぬぐうことができない。では、殺人事件だというのであれば、その殺害方法は!? という内容である。
というところがこの作品の主題だろうと思いながら読んでいったのだが、実はその“殺害方法”というものは本書においてそれほど重要なポイントではなかったように思われる。この作品で大きな主題となっているのは、前の事件から17年が経った今、“何故このような事件が起きたのか?”という動機についてだと感じられた。
本書を読んでいたとき、はっきりいってその内容がいまいちわかりづらかった。何がわかりづらかったかというと、何故17年前をぶり返すような事件が起きて、そして何故事件と何の関係もなさそうなオードリーという若い女性が狙われているのかがさっぱりわからなかった。そういった事件全体の構図がよくわからないまま話がどんどん進行して行ってしまうのである。
しかし、最後に真犯人が指摘され、その動機が明らかにされたとき、ようやく事件全体の構図に日が射さし込まれる事となる。最後の最後まで読んで、ようやく「あぁ、なるほど」とうなずくことができた。
話の途中では、全体の構図がわからないため、読み進めにくいところもあるかもしれないが、なんとか我慢して真相が明らかにされるところまで読んでもらいたい。そうすれば、何を意図した物語なのかを理解してもらえることであろう。
これまたカーらしいとも言える、ちょっと意地の悪い少々難解な作品に仕上がっている。
<内容>
1757年、ジェフリー・ウィンはモーティマー・ラルストン卿に請われ、彼の姪のペッグを救いに向かった。ジェフリーは無事にペッグを連れ出すものの、その後不足の事態が起こる。ロンドン橋にて、老婆の奇怪な死に遭遇し、ペッグが容疑者とされてしまったのだ。ジェフリーは彼女の無実をはらすべく、真犯人を捕まえようとするのだが・・・・・・
<感想>
カーによる歴史ものの作品。いつもながらの恋愛系英雄譚が描かれているのだが、相変わらずわかりにくい内容。
話を要約すれば単純な話ではあるのだが、それをあえて複雑に描いているかのような、歴史的な作法にのっとってという展開が妙に回りくどく、物語にのめり込みにくいものとなっている。さらには、登場人物らまでが、わざわざ話をややこしくするという行動をとり続け、なんとも締まりが悪い。
物語が進んでいくと、光明が差すというか、だんだんと話全体がわかりやすくなってくるのだが、そこまでえ読み進めていくのがなかなか大変。カーのファン以外は、あえて読む作品ではないのかなと。訳が新しくなれば、少しは印象が変わるかもしれないが。
<内容>
時はチャールズ2世が英国に帰国した1670年の頃。地方郷士のロデリック・キンズミアは資産請求の件でロンドンを訪れていた。すると、つまらなぬいさかいに巻き込まれ、竜騎兵隊長のハーカーに因縁をつけられることに。この事件をきっかけにキンズミアは国家を巡る陰謀へと巻き込まれていく・・・・・・
<感想>
これは何冊か読んだカーの歴史ものの作品の中では、あまり良い出来だとは思えなかった。
まず、出だしにおいてであるが、何故かこの物語の主人公となるキンズミアの孫が語るという手法がとられている。それが、いちいち“我が祖父は”と、もったいつけた言い回しが多用されるので、話を読んでいる途中で、しばし混乱させられた。ただ、その語り口が後半なんらかの効果を上げることになるのかと思っていたのだが、結局、なんら効果のようなものが見られるどころか、キンズミアの孫が語るという手法ですら途中から、なし崩しになってしまっている。
また、この作品上の物語は大半が一日に起きた出来事を主に語られている。よって、内容自体は単純そうなように感じられるのだが、ところどころで現在起きている事象とは関係のない話が挿入されており、それがまた物語り全体をわかりづらくさせている。
そして、さらには会話のみで物語が進んでいく場面が多いものの、似たような人物ばかりがでてくるせいか、誰がしゃべっているのか区別が付けづらく、それも読書の進行をさまたげる要因となっている。
単純に言ってしまえば、ひとりの地方郷士が国家陰謀のなかで自分が知らないうちに活躍をしてしまうという話のようなのであるが、数々の歴史的検証が挿入されているせいで、かなりわかりづらい内容になってしまったというところか。
ミステリとか冒険ものとかいうよりも、歴史ものが好きだという人にのみお薦めできそうな作品である。
<内容>
クロヴィス・バークリーが死んだ後、その家を継いだのは次男のペニントンとその若き妻ディードルであった。そして彼らとペニントンの妹エステルとその他の秘書や使用人たちと“悪魔のひじ”とよばれる場所に建つ家にて過ごしていた。しかし、ある日老クロヴィスの新たな遺言状が発見された。それによると、すべての財産はすでに家を出ている長男に譲ると。そのペニントンの兄はすでに死んでおり、そこで全財産をその息子ニック・バークリーがの全財産を受け継ぐ羽目になるというのだった。それを境に、“悪魔のひじの家”に大昔にその家に棲んでいたという大法官の亡霊が現われるように!
その財産を受け継ぐつもりのないニックは友人の歴史家であるガレット・アンダースンを伴い、バークリー家の弁護士アンドリュー・ドーリッシュと共に悪魔のひじの家へとむかう。しかし、その家についた矢先にペニントンが幽霊に銃を向けられ、危うく殺されそうになったというのだ! そしてさらにその魔の手は悪魔のひじの家に住む者を襲おうと・・・・・・
<感想>
カー晩年の作品である。年代的にも内容的にも晩年の作品といえよう。いろいろなネタが満載されているのだが、どれもその以前の作品で見られたものばかりとなっている。それはそれで、どの作品に出てきたのかを探すというのも楽しいかもしれない。
本格という点においてはいまいちであるが、カーの作風の変わりようの一端となる作品でもあり、後期におけるこの落ち着いた雰囲気を楽しみながら読むものであろう。
<内容>
イギリスからアメリカへわたる客船上で、ギデオン・フェル博士は不可解な銃撃事件に巻き込まれる。しかしそれは、これから起こる悲劇のささやかな前触れにすぎなかった・・・・・・。
<仮面劇場>では、シェイクスピア劇の公演を前に、関係者を招いた舞台稽古が行われていた。その劇のリハーサル中に、劇場二階の特等個室−ボックス席−で殺人が起こる。一つしかない扉は内側から施錠され、窓は舞台に向けられており、人の出入りはなかったという。被害者は至近距離から背中を撃たれていたが、「凶器」はなぜか殺害現場から離れた地点で発見された。そして容疑者達には完璧と思えるアリバイが!!
不可能状況下の殺人と複雑に入り組んだ人間関係、そこでフェル博士はいかなる「仮面」をはがすのか!
<感想>
カー後期の作品になる本書。残念ながらあまりぱっとした感じは受けなかった。特に感じるのが、ミステリである場面がやたらと少ないのだ。犯罪自体もなかなか起こらず、登場人物の個人的な話や舞台に関する話、さらには台詞の引用といったものが続くので読み辛さがつきまとう。犯罪が起きて事件を検討する場面にしても、やたらと横槍が入りなんの話だかわからなくなる。そして事件自体も単純に感じられるものである。演劇などにでも興味がないとなかなかね・・・・・・
<内容>
メイナード邸に住むものが、近くの浜辺で死体となって発見された。しかし、その周囲には足跡がなく、まるで犯人が宙に浮いて殺害したかのような状況となっていた。この場所では100年前にも同じような事件が起きており、まさにそれを再現したかのような事件が起こってしまったのだ。不可解な事件と、邸に住む人々の不可解な行動。この事件をギデオン・フェル博士はどう解くのか!?
<感想>
この作品は原書房からの単行本で買っておいたものの、積読のままにしており、その後ハヤカワ文庫で購入して、これもしばらく積読していた後、ようやく今年になって読んでみたしだい。ここまで積読にしていたのはわけがあり、それは副題の“フェル博士最後の事件”というのがどうも気に入らなかったからである。
別に“最後の事件”と書かれていたからといって、フェル博士がどうこうなるというわけではないのだが、これを読んだらおしまいかと思うと(他にもカーの積読本があることはいっさい関係なく)なんとなく物悲しくなってしまうからである。
それで読んだ感想はというと、良い意味悪い意味も含めて、やはりカー後期の作品であるなということ。まずは、事件が起こるまでが非常にもどかしさを感じてしまう。それなりに厚い作品のわりには事件の数も少なく、少々冗長に感じられてしまうところがある。また、肝心要の話をしている最中に、必ず途中で邪魔が入り、後回しにされてしまうというのも、カーの作品ではわりとあるところ。
ただ、解決に至っての心理的描写については、相変わらず良くできていると感心させられる。心理的な伏線という面では、後期の作品になっても変わらずレベルの高さを感じさせてくれる。とはいえ、今作品のメインとなるはずの足跡のない殺人のトリックに関してはあまりにもあっさりとしすぎと思われる。これは、カーの作品を読み続けてきた人にとっては肩透かしという気にもならざるを得ないであろう。
ということで、この作品にてフェル博士が活躍する事件は終わってしまうのだが、よく考えてみれば、読了した作品でも既に内容を忘れてしまった作品があるわけなので、また一から読み直せばよいではないかという考えが今作を読むきっかけとなった。既に内容を忘れてしまった名作もあるので、これからはそちらも読むようにしよう・・・・・・といいつつ、カーの歴史ものも含め、まだまだ手を付けてない本が結構あるのも事実である。
<内容>
英国領事リチャード・マクレイはサンセール夫人からの相談を受けることに。なんでも夫人の娘のマーゴの様子がおかしいというのである。ひょっとしたら、これは“ヴードゥー”に何らかの関わりがあるのではと怖れる夫人。その話の中で“ヴードゥー”の名前が出てきた途端、窓の外から彼らがいる部屋の中へ陶器の“かめ”が投げ込まれた!!
衆人環視の中での馬車からの消失劇、階段から落ちた判事の怪死事件、人々を付け狙う何者かの影、そして過去に見え隠れする因縁。これら謎の全ては“ヴードゥー”に関わり合いがあるのか!?
<感想>
ついに出た、カー最後の未訳作品。これでフェル博士でも出てくればよかったものの、残念ながら歴史ミステリー。とはいえ、せっかくの記念碑的作品なのだからそこは充分に楽しみながら読むべきであろう。
本書で不満だったのが、登場人物表がないこと。数多くの人々が登場するゆえに、途中で誰が誰だかわからなくなってしまった。よって、途中まで読んだにもかかわらず、最初に戻り登場人物の名をメモしながら読み直した。登場人物の名を整理しながら読むと、内容がはっきりとわかり、ようやく楽しんで読むことができた。
ただ、本書は構成上、物語の途中で何が行われているのかがわかりづらい。さまざまな不思議なことが起こるものの、それらがちょっとした謎という感じで、はっきりと何が起きているのかはわかりづらい。その漠然とした展開の中で、実はひとつの陰謀が侵攻していたという事は、解決によって明らかにされる。その解決により、さまざまな事象が実は一つのある目的によって進められていたという真相が明らかにされたときには、なるほどさすがカーだなと思わず感嘆してしまう。
ただ、いくつかの事象が事件に密接に関連されていなかったようにも感じられ、そのへんは不満もある。とはいえ、ひょっとするとそれらはあえてミスリーディングを誘うために挿入されていたものなのかもしれない。
この作品を筆頭に、その後に出た「亡霊たちの真昼」、「死の館の謎」の三作で、ニューオリンズ三部作と呼ばれているらしい。他の作品は未読であったので(家にはある)続けて読んでみると面白いかもしれない。とはいっても、それぞれの作品は単独のものであり、直接の関連性はないようである。せめて同じ登場人物でもいれば取っ付きやすいのになぁ、と思ってみたりして。
<内容>
1912年、作家で記者も務めるジム・ブレイクは新聞社の依頼により、ニュー・オリンズの下院議員を取材するために旅立った。取材相手の議員の名はクレイ・ブレイク。この人物が何者かに狙われているという噂があるらしい。また、彼は高級娼婦のイヴォンヌ・ブリサールと恋仲になっており、スキャンダルの噂も後を絶たないという。ニュー・オリンズへと向かう列車のなかで、ジム・ブレイクは謎の女ジル・マシュウズ、さらには親友のレオ・シェブリーと出くわす。その間にも、何やら数々の不可解な出来事が起こり始める。そうしてニュー・オリンズに到着したジム・ブレイクであったが、彼を待ち受けていたものとは・・・・・・
<感想>
謎の事件を追うというよりも、サスペンスタッチのミステリ作品のように感じられた。また、カー作品の中では歴史物というジャンルに入るはずなのだが、従来の作品と比べても今作のほうが近代的なように思われた。たぶん、登場人物同士での電話のやりとりが多く、その電話自体も作中で重要な役割を果たしているからかもしれない。
さらには、ロマンス的な色合いも強く、これらを総合するとまるでオフィス街での恋愛サスペンス・ミステリのような印象さえも受けてしまう。なんとなく色々な意味でカーらしからぬイメージを感じてしまう作品であった。カーの後期作品ならではのじれったさや冗長さもあるものの、それでも他の歴史ミステリと比べれば各段に読みやすかったような気がした。
<内容>
パリで活躍する歴史小説作家ジェフ・コールドウェルは友人デイヴから手紙をもらいアメリカへと帰ることとなった。その船上でジェフは当のデイヴと出会い、デイヴが暮らしている由緒ある建物“デリース館”の噂について聞くこととなる。その館は過去に一度、階段からの謎の転落事故死事件があり、それがもとで“死の館”と不気味なあだ名で呼ばれることとなったと言うのだ。そうしてアメリカにもどったジェフはデイヴの誘いからデリーズ館に滞在することに。すると、そこで新たな事件が起きることとなり・・・・・・
<感想>
カーの後期の作品と言えば、歴史ミステリが多く書かれていたことで有名だ。この作品もそのつもりで読んでいたのだが、やや勝手が違うように思えた。これって歴史ミステリ? と疑問に思ったのだが、あとがきで面白いことが書いてあった。
歴史ミステリというと2通りあるようで、ひとつは有名なところでいえばジョセフィン・ティの「時の娘」のように過去の実際の出来事をモチーフとして作られた話。そしてもうひとつが今作のように過去のある時代が舞台となった推理小説。あとがきでは歴史ミステリというよりも時代ミステリといったほうがわかりやすいだろうと書かれていた。
現代の作品でいえば、過去の時代が舞台として小説が書かれるのはあたりまえのこと。ゆえに今ではそのような作品を歴史ミステリとは言わない。しかし、昔はこのような作風のものも歴史ミステリという位置づけにしていたのだろうということがわかる。
そんなわけでこの「死の館の謎」は1927年を舞台に書かれた作品であるのだが、他のカーの作品と変わり映えのしない普通のミステリとして読めるものとなっている。
とはいえ、出来栄えはというと、やはり初期中期に書かれたカーの作品と比べればやや落ちてしまう。基本的に話が冗長というところが一番のマイナスポイント。また、名探偵が登場してないのも残念なところ。作品全体を短めにして、フェル博士でも登場させてくれれば、普通のカーの本格ミステリ小説と言っても過言ではないのだが。
<内容>
1869年、ニューヨークからロンドンに9年ぶりに戻ってきたジャーナリストのクリストファー・ファレル。彼はロンドンに着くやいなや、奇妙な騒動に巻き込まれる。アメリカで別れ、再開した恋人の奇妙なふるまい、探検家である友人の奇妙な行動、さらにはファレル自身が銃で狙われる羽目に! そして探検家の自宅であるユドルフォ荘にて、ついに大きな事件が!! これら事件の推理をするのは「月長石」という探偵小説を書いて有名になったウィルキー・コリンズであった。
<感想>
本書の一番の目玉と言えば探偵役としてウィルキー・コリンズが登場するところか。ただ、このコリンズ氏が物語上では活躍どころか、さほど登場せず、最後の最後まで本当に探偵役として締めるのかどうか、読んでいる最中は微妙に思えたほど。結局、ビッグ・ネームにもかかわらず、それほど印象に残らないまま終わってしまったというところ。ただし、探偵役として、きちんと真犯人は指摘してくれている。
なんとも全体的に微妙な作品であったが、カー晩年の歴史ミステリ作品というと、だいたいこれくらいのものというイメージがあるので、特にがっかりはしなかった。ただ、カーの歴史ミステリ作品でよく見られる、思わせぶりをしながら発言を先延ばしにするという行為にはいらいらさせられてしまう。今回もヒロイン役のパトリシアが話をもったいぶって後回しにしたり、話そうとすると邪魔が入ったり、それで実際に話をしてみれば大したことがなかったりという展開は相変わらず。できれば“謎”と捉えられるものに関しては、前半までに全て明らかにしてもらいたいところ。
結局は謎の提示があとまわしになり、解決とほぼ変わらないくらいで話が語られるため、ミステリ作品というよりは単なる物語を読んでいると印象につきてしまう。ネタとしては面白いものもあったので、初期のカーであればもっと面白く話を転がせたのではないかと思われるのが惜しいところ。