思うことを適当に書いてみようと思う。


2003/7/9 ★ショック★
昨日このホームページを更新中、誤って以前の内容を消してしまった。大変ショック。
まぁまたこれからがんばろう。とりあえず今日はここまで。


2003/7/10 ★自分自身の壁★
僕は何故別れたのだろう?

一緒にいてつまらないと感じることが多かった。
(ただそれは彼女のせいではないはず。)

それじゃぁ、僕はいったい何をしていると面白いとか、楽しいと感じるのだろう?


僕は人を誘うのが苦手だ。
いつも誘われるがままだ。

人につまらないと思われるのが怖い。
人に拒否されるのが怖い。

すべての根源は、自分が自ら壁を作っていることにある。
自ら自分自身にさえ壁を作っている。


どうしたらこの壁を取り払うことができるの?

自分が本当に楽しもうとすることが一番大事。
どんどん
楽しい、
面白い、
うれしい、
悲しい、
と感じなくてはいけない。


2003/7/11 ★少年犯罪★
両親や、学校、先生だけの責任ではない。
これは明らかに、いわゆる「社会問題」だろう。
社会環境は刻一刻と変化を続ける。そんな社会を生きていくことはそう容易いことではない。
この難しい社会を上手く生きていけない人がたくさんいるということだ。

社会の何がそうさせているのか。

社会の何かがそうさせているのだから、それを解決しなければ、少年犯罪問題は無くならない。

社会全体が抱える問題に取り組もうとしないで、両親、学校、先生のような個人にその責任を負わせようとするのはまったく持って政治家のやることではない。

本来政治家は、個人では解決することが難しい、社会の抱えるそういった難しい問題に取り組むべきもののはず。

どこかの大臣が的外れな発言をしているのを聞いて、むかついて思わずこのように考えてしまいました。


2003/7/17 ★こい?★
きのうデートした。正確に言うとおとといの夜二人で飲み、きのうまた会って映画を観た。
すごく楽しかった。
もともと彼女(ひろ)のことはいい子だなと思っていたけど、ひろと初めて会った1年半前は、僕には彼女がいたし、ひろも他に気に入っている人がいるということで別に恋愛対象として見たことはなかった。それが今回初めて二人であって、たった二日の間だけどいろいろなことを話した。怖いくらい強烈に惹かれた。

前の彼女(ゆみ)と別れてから、自分の気持ちにいまいち自信が持てないでいる。ゆみと出会った当初もこんな気持ちだった。すごく好きだと思ったし、それから丸四年、長く付き合った。でも結局別れることになったのは、ゆみに対する気持ちがすごく薄れてしまったからだった。最後までいい子だなという気持ちは変わらなかった。今でもそう思う。

今ひろに対して感じているこの気持ちはいったい何なんだろう。ただ居心地がよく、それが気持ちいいだけ?ひろが僕を受け入れてくれるのが楽に感じるだけ?
ひろに恋してるのかな?本当にそう?自信が持てない。


2003/7/25 ★がっかり★
昨日7月24日は僕の誕生日だった。
先週ひろとの別れ際に23日に会おうと約束(ひろが誘ってくれた)していたが、その後彼女の仕事の都合で23日の約束は無くなった。その代わりといってはなんだけど、昨日の誕生日にはおめでとうのメール来るかなと期待していたのだけど、こなかった。ちょっとがっかりした。
ひろは僕のことどう思っているのだろう?特にどうとも思っていないか或いは、ただ僕の誕生日のことを忘れているだけ。まぁ、冷静に分析するに、どちらにしても、僕に対する興味の度合いはそれほど高くは無いということだよね。

こういうこと考えている時点で、僕は、「ひろが好き」ということよりも、「ひろに好きと思われたい」ということの方が重要なようだ。
「ひろが好き」 > 「ひろに好きと思われたい」
であるべきだと思う今日この頃。


2003/8/5 ★大人と子供★
親子という関係の中で、しばしば親は傲慢になる。
親と子の違いといえば、親は子と比較して、経験が多い、ということだ。しかし、それは必ずしも「親は子より優れている」という事とは結びつかない。
人間はいつまでたっても不完全である。ところが、「親」という役割を意識し過ぎるあまりか、親はしばしば自分が不完全であることを忘れ、子に対して自分の主張、価値観を「正しいものとして」押し付けようとする。

核家族時代以前の大家族時代においては、子の周りには「親」以外の大人がたくさんいた。不完全である大人も、人数が集まれば偏った部分が中和され、子は「少数の大人の偏った価値観を押し付けられる」というリスクから守られていたのではないだろうか?
それが今日の核家族時代を迎え、子は少数の大人、すなわち「親」から偏った価値観を押し付けられ、それに苦しめられる危険が増大していると考えられないだろうか?

大人である「親」も間違いだらけであることを忘れてはならない。自分が「子」より優れていると勘違いした瞬間から、親は子に偏った価値観を押し付ける悪魔となるかもしれないからだ。
自分も不完全であることを自覚し、子が自分以外の大人とできるだけ触れ合うことができる機会を作ることが大切なことだと思う。


2003/8/6 ★人間関係★
僕は人間関係に自信が無い。
ところが、「他人と会う」と「誰にも会わない」を比較すると、圧倒的に「他人と会う」という方が気持ちが良い。
例えば、ある休日を考えたとき、その日に人と会う約束をしている場合としていない場合では、気分がまったく違う。人と会う約束をしていると気持ちがとても力強くなる。反対に人と会う約束が無い日は、なんだか物足りなさや、不安を感じる。
人間関係が苦手ではあるが、結局は他人との関わりを求めていることは間違いない。
他人との関わりを自分からどんどん作っていかなければならないんだろうな。


2003/8/11 ★他力本願★
結局僕は他力本願なんだ。

他人と会うことを望み、
そのくせ自分から誘うでもなく誘われるのを待ち、
ちょっと一人になると不安を感じる。

もっと自信を持って他人に向かい合えるようにならなくては。


2003/8/12 ★ユーモア★
そう。ユーモア。
物事を真正面から見るのではなく、さまざまな角度から見ようとすること。
さまざまな角度から見れるということが、その人の懐の深さを示すんだろう。

● ユーモア・センスを磨くための5つの習憤
 優れたユーモリストになるには、次の習慣を身につける必要がある。
1 肯定的に考える
  姿勢があれぱ、失敗を笑いに変えることができる。ユーモアはこうした考え方から生まれる。
2 ひっくり返して考える
  世の中の全ての事物や現象を褒側からのそき、別の側面を見つける。
3 時と場をわきまえる
  TPOをわきまえてこそ、人に笑いをもたらすことができる。
4 全身を使って実践する
  言葉だけでなく、時には全身を使ったアクションによって、笑いの効果をより高めることができる。
5 表情に笑いをこめる
  笑顔があって初めてユーモアは完成する。笑顔がもたらす好印象は、実際の能力以外のプラスアルファの要素として活用できる。

● ユーモアを育む3段階の訓練
 ユーモアの感覚は、次の訓練によって育むことができる。
1 できる限り多くのユーモアを集め、それを他人に伝える。
2 収集したユーモアに自分なりの加エや変形を加え、面白くする。
3 創造段階のユーモアは、「即興ユーモア」と「準備されたユーモア」の2つに分けられる。
  前者は訓練を重ねないと難しいので、まずは商談や講演の前に、事前にユーモアを準備することから始めるとよい。


「ユーモアのセンスを磨くぞ!」

一日一ユーモア励行!


2003/8/17 ★愛憎★
結局はさびしく、かなしいというのが本質なんだと思う。

それが、相手に対して過度の期待をしてしまった結果、期待通りの反応を得られず、つい相手を責める気持ちが先行してしまうのだ。
期待の根底には、相手に認められたいとか、相手と仲良くしたいという気持ちがあるはず。それに気付かないとうまくはいかないだろうな。


2003/8/26 ★バカの壁★
最近ベストセラーとなっている養老孟司の「バカの壁」から。
印象に残った文章を並べます。

「知るということは根本的にはガンの告知だ」
「ガンになって治療法がなくて、あと半年の命だよと言われることがある。そうしたら、あそこで咲いている桜が違って見えるだろう」
 その桜が違って見えた段階で、去年までどういう思いであの桜を見ていたか考えてみろ。多分、思い出せない。では、桜が変わったのか。そうではない。それは自分が変わったということに過ぎない。知るというのはそういうことなのです。
 「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」(論語)道を聞くというのは、学問をして何かを知るということです。
 要するに、ガンの告知で桜が違って見えるということは、自分が違う人になってしまった、ということです。去年まで自分が桜を見てどう思っていたか。それが思い出せない。つまり、死んで生まれ変わっている。
 そいうことを常に繰り返していれば、ある朝、もう一度、自分ががらっと変わって、世界が違って見えて、夕方に突然死んだとしても、何を今さら驚くことがあるか。絶えず過去の自分というのは消されて、新しいものが生まれてきている。
 そもそも人間は常に変わりつづけているわけですが、何かを知って生まれ変わり続けている、そういう経験を何度もした人間にとっては、死ぬということは特別な意味を持つものではない。現に、過去の自分は死んでいるのだから。そういう意味だと思うのです。


「自分の個性は何だろう」なんて、何を無駄な心配してるんだよと、若い人に言ってやるべきです。
 それより、親の気持ちがわからない、友達の気持ちがわからない、そういうことのほうが日常的にはより重要な問題です。これはそのまま「常識」の問題につながります。それはわかり切っていることでしょう。その問題を放置したまま個性と言ってみたって、その世の中で個性を発揮して生きることができるのか。
 他人のことがわからなくて、生きられるわけがない。社会というのは共通性の上に成り立っている。人がいろんなことをして、自分だけ違うことをして、通るわけがない。当たり前の話です。


「人生には意味がある」という考え方
 「意味は外部にある」
 「自己実現」などといいますが、自分が何かを実現する場は外部にしか存在しない。より噛み砕いていえば、人生の意味は自分だけで完結するものではなく、常に周囲の人、社会との関係から生まれる、ということです。とすれば、日常生活において、意味を見出せる場はまさに共同体でしかない。


そもそも教育というのは本来、自分自身が生きていることに夢を持っている教師じゃないと出来ないはずです。突き詰めて言えば、「おまえたち、俺を見習え」という話なのですから。要するに、自分を真似ろと言っているわけです。それでは自分を真似ろというほどの立派に生きている教師がどれだけいるのか。結局のところ、たかだか教師になる方法を教えられるだけじゃないのか。
 そいう意味で、教育というのはなかなか矛盾した行為なのです。だから、俺を見習えというのが無理なら、せめて、好きなことのある教師で、それが子供に伝わる、という風にはあるべきです。


原理主義というのは典型的な一元論です。一元論的な世界というのは、経験的に、必ず破綻すると思います。原理主義が破綻するのと同じことです。
 もっとも短期的に見ると原理主義の方が強いことがある。アメリカでは禁酒法なんて無茶苦茶な法律が通ったぐらいで、この手の一方的な押し付けも一種の一元的な考え方の産物です。しかし、そうした一元論はやがて、長い時間をかけて崩壊する。禁酒法だって無くなってしまった。
 いい加減にそろそろ、それに気づいたほうがいい。
 バカの壁というのは、ある種、一元論に起因するという面があるわけです。バカにとっては、壁の内側だけが世界で、向こう側が見えない。向こう側が存在しているということすら分かっていなかったりする。
 本書で度々、「人は変わる」ということを強調してきたのも、一元論を否定したいという意図からでした。今の一元論の根本には、「自分は変わらない」という根拠の無い思い込みがある。その前提に立たないと一元論には立てない。なぜなら、自分自身が違う人になっちゃうかもしれないと思ったら、絶対的な原理主義は主張できるはずがない。「君子は豹変す」ということは、一元論的宗教ではありえないことです。


2003/9/4 ★自分の気持ち★
自分の気持ちが相手に伝わる自信が無い。
自分の主張が相手に受け入れられる自信が無い。
「何々しようよ!」という言葉をかける勇気が無い

本当に素直に、自分のその瞬間の気持ちを感じ取ることを心がけよう。


2003/9/5 ★教育★
教育の場において、生徒に優劣をつけるのは良くないとの考え方があるようだ。

そもそも教育とは何か。
教育とは、世の中、社会で生きていくための基礎知識を身に付け、
社会の中でしっかりと生きていける人間を形成することが目的ではないか?

それでは社会の現実とは?
人間は得意なこと不得意なことがある。他人との間に優劣ができるのも当然のことであり、
その現実を受け入れつつ、自分にできること、できないことを見極め、生きていかなければならない。


結局、教育の現場で、「かけっこで手をつないでゴールさせる」とか、
学芸会で劇をやると役柄により優劣を感じてしまうから、合唱にする、
などということは、「社会の現実に反すること」を教えていることであり、
それではむしろ教育の目的に反していることになる。

現在の教育方針は、
「競争に負けることを受け入れられない人間を形成する」
という方向へ行こうというのか?

「競争に負けることを受け入れられる人間を形成する」
ことができなければ、社会に絶望しそれを受け入れられない人間が
どんどん増えることになってしまうのではないか。


2003/9/22 ★夢★
近頃自分自身の中に力不足を感じる。
ふと思った。「夢」を失っている。


2003/10/14 ★今幸せ★
なんだかいつもどこか満たされていない感覚がある。
自分が何を求めているのか。健康でいること。これがどんなに幸せなことなのか、忘れてしまっている。
今のままで十分幸せなはず。

何もしていない自分が我慢ならない。でも、そんなの変だ。がんばるのは一日の内、起きている時間の半分もあればいいと思わなきゃ。


2003/10/20 ★I am Sam から★
もしルーシーが父親と引き離されたら
心の中に、ぽっかりと穴があいてしまい
それを埋めるために
一生を費やすことになる


2003/11/24 ★自分への不信(恋愛)★
前の彼女とは今年の2月に別れ、それからかれこれ9ヶ月が経つ。この9ヶ月の間は、覚えていない位たくさんの女の子と出会った。もちろんいいな〜と思う子だってたくさんいた。でも、それ以上どうこうしようという気持ちになることはまったく無かった。それを「まだ別れたばっかりだから・・・」と言ってきたが、そろそろそうも言っていられないくらい時間は過ぎてしまった。
恋人が欲しくないわけではない。むしろ欲しい。

多分僕は、女の子と付き合うということに自身を無くしているのだと思う。
前の彼女と別れたくなった理由について考えたとき、それが別れなければならない程の理由だったのかどうか確信が持てない。彼女はすごくいい子だった。今でもそう思う。
別れた理由が、自分にとってやはり致命的なものだったのか、それとも、自分は些細な欠点も許すことができず、別れる理由となってしまったのか、自分でもよく分からない。前者であることを願うが、いまいち確信を持てないでいる。
もし後者が理由だったのだとしたら、この先どんな子と付き合っても、最後には別れたくなってしまうのではないか、なぜなら欠点の無い人間なんていないから、などと考えてしまう。

あまり深く考えずに軽く付き合ってみるべきなんだろうな。


2003/11/30 ★自分への不信(仕事)★
この一ヶ月は苦しかった。10月から一転して、短期間で結果の求められる仕事に携わった。
苦しかった理由はなんだろう?
■コンサルティングという、今までやってきたシステム開発とはまったく違う領域の仕事であった
■金融という、今までやってきた流通とはまったく違う業種の仕事であった
■技術文書作りの高いスキルが要求された
■部長以外に頼る人がいなかった
■提案資料での表現力が求められた

確かにこのように困難な仕事であったことは間違いない。しかし、それにしてもひとつひとつの作業の出来が悪かった。がんばってみても、どうしてもできなかった。
初めは部長も少しは僕に期待していた部分があったと思う。でも僕はことごとく部長の期待を裏切り続けた。
実は自分はもう少しできる人間だと思っていた。でも、どうしてもできなかった。このままではどこでも通用しない、そんな危機感を感じる。


2003/12/3 ★楽しい仕事、面白い仕事★
放っておけばこのまま淡々と時間は過ぎていってしまう。すごく不安だ。
今でもそうだが、これから先、仕事をしている時間がもっとも長くなる。その仕事をできれば楽しい、面白いと感じながらやりたいものだ。
今はどうか。正直なところ楽しい、面白いとは感じていない。
「世の中のほとんどの人は楽しい、面白いなんて思って仕事はしてない」と言われれば確かにそうかもしれない。でも、どちらが理想的か?答えは一つしかないと思う。だとすれば、楽しい、面白いと思える仕事を目指すのは当然のことだ。諦めては駄目だと思う。大切なのは、そういう気持ちを常に持ちつづけること。なんとなく会社に行って仕事をして・・・という生活は、できることならしたくない。


2003/12/9 ★人としての成長★
僕は、今まさに、人としての成長の最中である。
だから、たくさん失敗して、たくさん学ばなければならない。
最初から上手くいくわけが無いのだから。
失敗を恐れては成らない。
失敗を恐れずに、人としての成長を目指そう。


2003/12/15 ★インカ帝国のあいさつ★
うそをつかない
ぬすまない
なまけない


2004/1/13 ★今年の抱負★
今年は就職してから4年目に入る。
未だに一生をかけたい、と思えるものを見つけられていない。
そんなもの必至に探しているわけじゃないし、簡単に見つかるわけも無いが。
いったいどうしたらいいんだろう?このまま何となく続けていくべきなのか?
正直なところ、怖い。「なんとなく」時間が過ぎて、いつか後悔するのが怖い。「なんとなく」生きるには、人生はあまりにも短すぎる。

なんでもいい。挑戦したい、と思えるものを見つけ、挑戦したい。

今年は、挑戦したいことを探す年にしたい。


2004/1/15 ★芸術★
ここ最近、音楽を聴きたい、とか、絵を見たい、という欲求が生まれてくるようになった。
なぜだかよく分からないけど、音楽を聴いたり、絵を見ている時に心地よく感じることに気付き始めた。


2004/1/20 ★理性と本能★
人間が一緒に暮らすのは難しい。理性、論理、そんなものをいくら並べたところで、解決できない問題がたくさんある。
あまりにもいろんな考え方がありすぎる。

理性と本能。
例えば、差別は良くないということは、理性的には理解できる。
だけど、実際、差別的意識が涌き、それが原因の一端である紛争が世界中で絶えない。

それは人間の本能的な部分の成せるわざなんじゃないだろうか。
「子孫繁栄」という本能的欲求は、他の人種、民族から自分達を守らなければならないという考え方につながる。
家族を思う気持ち、国を思う気持ち、民族を思う気持ち、愛する人を思う気持ち。。。
そうすると、自分達の「子孫繁栄」を危うくさせるものは排除しなければならなくなる。そういったものが紛争つながっているんじゃないかな。
いろんな人間が一緒に暮らすというのは本当に難しい問題だと思う。


2004/1/23 ★「トラッシュ」山田詠美 作★
山田詠美の文章は初めて読んだ。他の本は知らないが、少なくともこの本においては、彼女は「書き」過ぎている気がしてならない。しつこいくらい「書い」ている。行間が無い。小説というより、何かを必至に説得しようとしている論文のようだ。しかも表現の冗長な文章で書かれた論文。
読んでて僕はあまり好きになれそうに無い文章だった。
それでもなぜだか共感した文章を抜粋してみた。多分自分の経験と重なったりしたから共感できたんだろうな。


とても自然であり、自分がそうしたいから行動に移したというのが、結果的に相手を喜ばせている。

自分本位でないことを押し通すのが、何にもまして自分勝手であるということ。彼女のように、何事の決定権をも持とうとしない人間は本当に周囲を苛々させる。

自分の心に忠実にならずに、人を幸せにできる者など、この世には存在しないのだ。

かけがえのない人を失うことを、いつも考えてると、とっても、人を愛せるものよ。

寂しい子供が誰かを求めている時って、すごく純情じゃないか。人と愛し合う時って、寂しい子供になればよかったんだな。

彼女は、リックが自分にとって、決して死んではならない存在であったことに初めて気付いた。たとえ、二人がこの先、別の人生を歩くことになろうとも、リックは死んではならなかった。彼が生きているという前提において、彼女は、あらゆる自分を創り上げていくことができるのであった。それ程、彼との生活は、彼女の現在に影響を与えていたのだ。過去が死んだものではないからこそ意味を持つと思えるのは、リックとの記憶のおかげだった。その上に成り立っていた彼女の人生の重要な部分が、今、抜き取られようとする、そのことに彼女は痛みを覚えていたのだった。


2004/1/25 ★近況★
本当に幸せだと思う。

友達に恵まれ
仕事に恵まれ
上司に恵まれ
同僚に恵まれ
女の子に好かれ
いい所に住み
健康で
テニスを楽しみ
酒を楽しみ
旅行を楽しみ
音楽を楽しみ
映画を楽しみ
一人の時間を楽しみ

なんて満たされているんだろう?


2004/1/26 ★女の子★
このところ、複数人の女の子から好意を持たれている。

女の子から誘われたら、まず断ることなく、デートしている。 それは果たして良いことだろうか?
ほとんどの場合、デートをすれば、ますます好意が強くなっていく。
その思いに対し、自分が応えることができるのであれば、なんら問題はないが、応えるつもりも無いのにデートすることは何だかあまり良いことのようには思えない。

僕は「この子のことが好きだ!」と思える子にまた出会いたい。