虹野博の木屑日譜

○2005/02/06 (新ジオシティーに移行)
 昨年の秋、ぼくにとっては突然、ジオシティーが衣替えをしました。
 よくフォローしていなかったのがいけなかったのでしょうが、使えないページができ、編集方法もよくわからず今日まで来ています。
 カウンターは、昨年秋の旧ジオシティ末で18000でしたが、そこでリセットされ、今また6000まで来たところで新ジオシティに自動転送することにし、ゼロからのスタートとなりました。したがって、これまでの通算アクセスは、24000ということにいたします。
 今後編集方法を勉強し、また内容の充実を図っていきますので、是非ご訪問ください。
                                虹野博 敬白

○2004/07/13 (石垣島紀行)
 6月の中旬、石垣島に行ってきた。計画を立てる前は石垣島がどこにあるのかも知らなかったが、沖縄本島のはるか南西海上で八重山諸島の中、隣は西表島で、なんとお隣の台湾の台北より南なのだ。
 実は、この旅行の直前、台風6号が発生しており、遅いながらも一直線に沖縄目指して北上していた。羽田からの移動日は、幸いにして台風が沖縄に上陸する前日で、いわば鼻先をかすめて沖縄経由で石垣島にたどり着いた。
 幸運ついでに、3つほど楽しんだ。
 1つは夜空である。石垣島は星空の美しいことで知られており、国立天文台も観測施設を置いているそうだ。青少年関係の施設には、一般向けとしては比較的大型の望遠鏡もあるらしいが、利用するところまでは調査・準備が行き届かなかった。
 大変南にある島なので、南十字星が見られるという情報もあった。台風が接近しているおり、天候はやや不安定で、次の日にはもう夜空は見られないかもしれないと思い、到着した日の夜が晴れているのを幸いに、南向きの海岸公園に出かけた。私は南向きの山肌が良いと思ったが、妻の「山はハブがでるかも」の一言で海に向かうことにした。翌日土地の人に聞いたら、私たちは夜いくらでも山に行きますよと笑われたが。とにかく海岸公園に着いた。ホテルの人から聞いてはいたが実に明るい水銀灯照明が沢山あるときている。山に行けばよかった、沖縄の人は星空を大切にしないのか、夜公園で悪さをするやつがいるんだなどとぶつぶつ言いながらで岸壁に近づいて息を呑んだ。
 確かに照明の光はかなりうるさいが、手でそれをさえぎるだけで、満天の星が真っ暗な水平線まで落ちているのが見えた。銀河は空を横切り、一つ一つの星がくっきりと明るく散りばめられて、何というめりはりの利いた美しい星空なのか。どれが南十字星かなどわかろうはずもなく、たくさんの星がまばゆく輝いている。南アルプスで見た夜空より、星が明るく、近づいて見えると感じた。子供のころ住んでいた北海道の田舎の星空より、宮崎の鬼のせんたく岩から見た星空より、星の光は強かった。石垣島は、ジェット気流の経路から外れており、星の瞬きが少ないといわれているが、それが一つ一つの星が大きく、くっきりと見える理由なのかと納得した。
 今度は、山から星を見るぞと思ったが、旅行中ついに星空はなかった。見ておいて良かった。
 2番目は、海である。珊瑚礁の海とはこんなにも美しい。よくテレビや写真で見る白い砂浜と青く透きとおった海が、ぼくの目の前にある。これは外国の景色ではない。日本にもあるところにはあるんです。
 細長い島だから、西に東シナ海、東に太平洋が一望できる高台がある。台風がはるか沖を通過しているので、太平洋側の波はすさまじく高く、次々と押し寄せては、陸地を取り囲むように広がる珊瑚礁の外縁で大きく砕けちっている。空は曇っているのに明るいうす水色で透明な珊瑚礁の海と、その周りを群青のように色濃く取り囲む太平洋、そしてその間を隔てる真っ白く砕ける波の帯。その景色が10キロも20キロも続いている。生まれてはじめてみるダイナミックな海の景色だ。ふと、十年ほど前にデスバレーの広大な谷を高台から眺めながら、こんな景色を自分が独り占めしていいものかなぁと思ったと同じような感じがした。
 3番目も、海中である。珊瑚礁の海をシュノーケルで覗いてみた。
 私はほぼ金づちである。平泳ぎの真似ごとでは、ひとかきごとに沈んで行く。子供のころから、息ができなくなったところまでが到達点である。だから足の立たないところは、宇宙空間の真空に等しい恐怖の場である。しかしシュノーケルは息ができるはずだから、大丈夫のはずだ・・・。
 海に続く川の岸から、数百メートルほど自分でカヌーをこいで下り、珊瑚礁に入っていく。河口から相当外に出て、周り数百メートルがすべて海なのに、珊瑚礁では足が十分立つ場所がある。さらに2,3百メートルほど先には、相変わらず台風の荒波が砕け散っているというのに、私たちは穏やかなうす水色の水の間を、ふわふわしている。
 インストラクターに道具の使い方を教わり、水に顔をつけた。なぁるほど、見える見える、やや白っぽい珊瑚の海底が。次に(とっても怖かったけど)水中にうつぶせに体を伸ばして、スノーケルで息をしながらバタ足をする。インストラクターに導かれ、ちょっとだけよと進むと、はやくも足の立たない深みの上に出た。
 いるいる。真っ青に輝くたくさんの小さい魚は、コバルトスズメというそうだ。生きた珊瑚は灰緑色の海藻みたいな色をしている。近間だけしか行かないので、大きい魚はいなかったけど小さな魚はたくさんいたし、巨大ナマコやイソギンチャクなどもいた。10センチくらいの茶色っぽいふわふわした虫みたいなのがいたが、後から土地の人に聞くと多分、タツノオトシゴだという。とくをした気がする。
 テレビで見る海底散歩のわずか数十分の一くらいの経験だったが、なにせ金づちだから、海中への欲はあまりないのが幸いだ。3度ほど珊瑚の小岩をめぐって疲れたので終了。その前には、カヌーで1時間半ほど川登りをやって、一休みした後さらにカヌーをこいでここまでやって来たのだから、とても疲れます。まずは無事で良かった。
 沖縄の食事もたいへん美味しく食べられた。八重山のミンサー織りは、泊まったJALホテル内のコーナーの製品は大変品質が良く割安に感じ、小物を3点も買ってしまった。今、北海道のユーカラ織りと見比べながら使っている。
 とにかく石垣島は良いところであった。

○2004/06/12
「月虹」はどこで見られるか?(Where can I see a moonbow?)
 さる来館者から次のような趣旨のご質問があった。
「「夜の虹」あるいは「月虹」が有名な観光スポットは、ハワイ以外にありますか?」
私は夜の虹を見たことがなく、見られる条件が厳しく奇跡的な現象だと思っていたので、「観光で見る」という意識はもとより希薄であった。
しかし、質問されてみれば、ハワイの「月虹」はしばしば観光客の話題になり、立派な本も出ているので、「観光」の対象という見方もありえると思った。
 面白い質問だったので、その方にご回答するとともに、多少それに付け加えて以下にまとめなおした。
 まず改めて夜の虹("night rainbow”, “nightrainbow”)と月虹("moonbow”,"luna rainbow")で検索をしてみることにした。キーワードでは膨大に出てくるので、観光というからには写真が1枚もないところは外してよかろうと思い、画像検索をしてみた。
yahoo 及び google で調べてみると「moonbow」の画像は、世界で千数百枚出て来る。しかしmoonbowが実際に珍しいものであることを示すように、本当の「月虹」の映像はごくわずかであった。以下は、ハワイ以外での、夜、月光で、空に映った虹(「月虹」)と滝に映った虹(これも「月虹」といって良いだろうが、夜空の虹よりは容易に現われる。)の情報である。
(1)空に映る月虹としては、ハワイ以外で下記の情報が見つかった。
・オーストラリア・ヴィクトリア州グレート・オーシャン・ロード (写真なし)
(The Great Ocean Road, Victoria, Australia;メルボルンの西方の海岸地域)
  http://www.sharewonder.com/honymoon/gor.html
・アメリカ領ヴァージン諸島セントジョン島(Concordia, St. John,USVI)
  http://faculty.rmwc.edu/tmichalik/atmosphere11.htm
・アメリカ・オレゴン州ギアハート
  http://www.sundog.clara.co.uk/rainbows/moonbow.htm
・長野県富士見市
  http://member.nifty.ne.jp/justin/diary/img_htm/moonbow.html
・青森県仙台市(本HPのトップ写真。佐々木靖氏撮影)
 共通点は、適度な湿度ときれいな空気の存在といったところかと思う。
(2)「月虹」が滝に映るところとしては、ハワイ以外では、
 (海外)
①「ヴィクトリアの滝」(ジンバブエ)
http://www.nationalgeographic.com/photography/galleries/zambezi/photo3.html
②「カンバーランド滝」(カンバーランド州立公園、ケンタッキー州、アメリカ)
http://www.kendunnphoto.com/waterfalls.html
  http://www.johnsnellphoto.com/moonbow.html
③「ヨセミテ滝」「ブライダル・フォール」などヨセミテ公園内の複数の滝(ヨセミテ公園、カリフォルニア州、アメリカ)
http://www.ghpstudios.com/Code/Yosemite.html
http://www.ghpstudios.com/html/Yosemite.html
http://www.pcimagenetwork.com/water/p4.html
http://www.stimulusmedia.com/IMAGES/NocturnalExposure/9506120307.jpg
http://www.stimulusmedia.com/IMAGES/NocturnalExposure/9506120326.jpg
(ヨセミテ公園内の滝と思われます。多くの滝虹の写真が滝を背景にただ単色の空が映っているのに対して、本写真は滝の虹とともに星が写っている。大変情緒深く、虹と星との組み合わせは官能的ですらある。)
「カンバーランド滝」は、下記のように、「月虹のかかる滝は、世界で2ヶ所(ヴィクトリアとここ)」という正しくないを宣伝をするほどの「名所」のようだ。
There are only two places in the world where one canwitness a moonbow: Cumberland Falls, Kentucky and Victoria Falls in Zimbabwe.This phenomenon occurs during a full moon when the light interacts with the mist from the falls and creates a myriad of colors.
(国内)
④東京・奥多摩の「百尋ノ滝」 (見るには要健脚とのこと。)
http://www.sarusuberi.co.jp/naniata/atarashi.html
(3)なぜ月虹が見られる場所が、あまり有名ではないのかの考察。
夜空にかかる月虹が得がたい現象であることは、満月と適切な気象条件という条件以外に、そこに人がいるかということ、月虹が大変色の薄いものなので気づくかということというさらに厳しい条件があり、写真に残すとなるとカメラを持っていてさらに適切な露出時間をかけるという必要があるなど、いよいよ難しいことになってくる。
一方、ハワイの月虹はすでにそのような現象が時に起こることが広く知られており、準備すれば撮影も可能であるというもので、有名になり得る理由があると思う。
一方、そこで疑問に思うは、滝があればどの滝にも適当な条件があれば月虹がかかるはずなのに、なぜ「ナイアガラの滝」では話題にならないのか、ということである。
答えは2つ考えられる。
一つは、邪魔な光があるということである。月虹は、出ても非常に薄く、色も白っぽくて意識しないと気づかない程度のものである。またその写真は、露出時間をかけて注意深くとられたものなので、実際には写真のように見えるわけではない。そのため、ナイアガラの滝のように周りに建物ができたり、ライトアップでもしようものなら、月虹は決して見えないということになる。実際19世紀までは、ナイアガラでも月虹が出ていたという話しが伝わっている。「ヴィクトリアの滝」は巨大で秘境にあり、ライトアップも無いか少ないのではないだろうか。「カンバーランドの滝」もきっと、余分な光が回りにないか意識して暗くしているのだろうと思う。
もう一つは、皆が月虹を見ることを意識しないということである。
皓々たる満月と適当な滝の配置と虹を写す大きな瀑布と月以外に明るいものがないという条件があっても、そこに行く人がなければ月虹が見られることはない。
要は、月虹を知る人が少ないということが一番の原因ではないだろうか?

○2004/04/11 「明日の神話」
去る4月4日に、岡本太郎の原爆の図「明日の神話」の原画を、東京・夢の島の都立第五福竜丸展示館に見に行った。
「第五福竜丸」は、ご存じの通り1954年に米国が太平洋ビキニ環礁で行った水爆実験の時放射能をあびた日本のマグロ漁船であり、その後東京水産大学の練習船に改良されたが、廃棄直前のところ市民の運動により救われ、1976年以来夢の島の展示館に保存、展示されるに至った。
岡本太郎は、大阪万博のメインモニュメントであった「太陽の塔」と同時期に「明日の神話」を制作した。「明日の神話」は原水爆の凄まじさ、悲惨さを描くと同時に人類の明日への強い希望を描いたのものであり、岡本太郎本人は、第二次世界大戦の悲惨さを描いたピカソの「ゲルニカ」に相当するものと考えたようだ。
この原画やその後のいくつかの原画をもとに、岡本太郎は縦5メートル、横30メートルという巨大な壁画を、新設のメキシコのホテルのために描いたが、ホテルが開館前に倒産したため日の目を見ず、作品そのものも行方しれずになっていた。その壁画が、2003年9月5日に30年ぶりにメキシコ市郊外の倉庫で発見されたのである。
この原画は、通常東京青山の岡本太郎記念館に展示されているが、私はそれを知らず、夢の島での展示会の情報を得て、見に行った。
絵は、原爆の強い光と熱と炎を受けて白骨となって破壊される人間を中央に、右に恐ろしい目をした沸き上がる原子雲や翻弄されるマグロ船、左に踊るように生まれる新しい命と複数の人の姿を描いている。岡本太郎は、単なる原爆の悲惨さだけではなく人間の持つ強烈な生命力を合わせて描こうとしたと思われる。
今、メキシコにある壁画を生かそうと岡本太郎夫人が努力なさっているそうである。壮大な壁画が見られる日を期待する。

○2003/09/02 火星大接近
 6万年に一度という火星の超大接近が8月27日の午後6時過ぎにあった。当日の神奈川は曇り。夏にしては天候が不順な今年、その日が晴れていると思うほうが無理である。そこで、事前に火星観察を行った。2度試みたが、一度は神奈川県相模原市にある私設天文台に申し込んで、月、火星などを観察させてもらった。個人所有としては画期的に大きい「35センチ」の大カセグレン望遠鏡であり、これだけ大きいものを公開しているのは、首都圏の公設天文台でも、せいぜい1、2ヶ所である。ここは、天文好きの社長が天文台を作って、得意な社員がそのお世話をし、そのままでは利用時間が短いので近所の人や申し込んできた人にも見せてくれるという、まったく奇特な天文台である。
 行った日は、台風一過の8月10日の夜。最近の神奈川であれ以上空気のきれいな日は少ないであろうという日であったが、台風自体は前夜過ぎていたので、翌日の夜ともなれば、すでに空気はやや白んでいた。とにかく恵まれた条件の下で、大きくクローズアップされた月や、極冠もぼんやりと見える火星、さらには天王星まで見せてもらった。天王星などは死ぬまで見る機会は無かろうと思っていたので、手元に残された豆粒ほどのほの青い色をしたその天体の写真は、私にとって十分宝ものとしての価値がある。また月の虹=「虹の入り江」クレータも良く見えたので、その写真をいずれ虹の博物館にアップしたいと思っている。
 もう一度は、とにかく自分の望遠鏡で火星を見ること。東南の空にオレンジ色に強く輝いているが、自分でも9センチのミードの望遠鏡を買ったので、何が何でも見なければならない。天候がまたまた悪くなった中で、23日ころだったか幸い1日晴れた日があったが、その日に住宅街の中の駐車場で望遠鏡をすえた。普通9センチというと赤道儀型で少なくとも15キロはあると思うが、とにかく小型で三脚付で7キロくらいしかない。肩に担いでひょい、ひょいと持っていける。オートスター付きなのに、残念ながら操作がうまくできず、空気が悪くて標準になる星もなかなか見えないので、マニュアルで操作した。はじめは数十倍の接眼レンズで見ていたが、どうも小さい。そこでかねて用意の100倍くらいの接眼に変えたら、火星が一気に惑星らしく見えてきた。惑星らしくということは、望遠鏡で見て大きさがあるという意味である。明るいところと暗いところはあったが、白っぽいところははっきりしなかった。白いと思えば白く、上だと思えば上で、下だと思えば下にあるような感じだったので、見えていたとは言いがたい。ともあれ自分の望遠鏡で、6万年に1度の火星の大接近を見たことは確かである。
 はじめに戻るが、あの35センチの私設天文台は、アマチュアにとって大変貴重である。場所が相模原で、山岳地帯から見たら決して空気がきれいなところとはいえないが、とにかく物がでかく、公開しているところがすごい。相手は迷惑かもしれないが、私はいつかそ、の天文台のファンクラブを作ろうと密かに思っている。その名は、「カナコー天文台ファンクラブ」。いい名前でしょう。

○2003/08/07 「メガスター」
 少し前のことだが、どこかに書いておきたかったので気まぐれの日記にする。
 2003年6月20日、東京渋谷の東急文化会館の閉館記念イベントに行ってきた。目的は、大平貴之氏製作の、超精細プラネタリウム「メガスターⅡ」の上映。その日は、大平氏本人の解説がある。館長は、宇宙大好き人間なので、上映の噂を聞きつけるや、情報入手に奔走し、肉体的にも奔走し、ついに整理券を入手して、大平氏本人と「メガスターⅡ」の星空を観察する機会を得た。
 「メガスターⅡ」は、宇宙好きの人にはすでに有名だが、余り関心のない人にはぴんとこないだろう。少し解説すると、このプラネタリウムは、映写される星の数が圧倒的に多いということが特徴である。その昔、空気がまだきれいだった頃、空に見える星の数は6千個と教わった。通常のプラネタリウムは、大規模科学館の精度の良いもので2万個くらいだが、「メガスター」はその名の通り、100万個の桁の星を映す。今回見学した「メガスターⅡ」は、何と170万個の星が投影される。日南海岸の砂浜の真っ暗闇の中で潮騒を聞きながら見た、あるいは夜更けの屈斜路湖のほとりで酒を飲みながら眺めた、さらには深夜のデスヴァレーの暗黒の谷底から見上げたあのおどろくほど美しい銀河より、何十倍も多い数の星が天空をおおう。超精細プラネタリウム「メガスター」は、その銀河を「雲」としてではなく、一つ一つの光のつぶとしての星の集合として、映し出そうとしたものであり、「メガスターⅡ」はその最新機である。
 見るものを圧倒するこの星空は、ただ者でない。ということは制作者大平貴之氏も、ただ者ではないということだ。彼の書いた「プラネタリウムを作りました。」という本を見れば、小学校以来の彼の「プラネタリウム狂」としての苦闘の歴史がよく分かるが、大切なことは彼が、その成果を常に人と共有しようとしてきたことだ。いわゆる「おたく」との違いはそこにある。彼は、ある時期以降明らかに「人が視るものとしてのプラネタリウム」の革命を目指し、ついに成功を収めた。そして他者が全く追随し得ないにもかかわらず、自らはさらに前進しつつある。彼が自ら命名した「スーパーリアルプラネタリウム」という名前が、それを表している。2万個の星による人の眼の「リアル」の再現ではなく、そこに無限にあるはずの星々と宇宙を映す「スーパーリアル」が彼の目指した世界だったのだ。
 そして、その卓抜した性能にもかかわらず、一人で持ち運べるほど極めて軽量である。その面でも大平氏がプラネタリウムの革命において何を目指したかという、明確な目的が見て取れる。
 館長は、彼の大柄だが謙虚な立ち居振る舞いの中に、今や孤高の高みを目指す、王者の風格を感じるほどである。願わくは、一層進んでプラネタリウムの世界に、さらなる革命と開化をもたらすことを希望する。
大平貴之氏のホームページ「スーパーリアルプラネタリウム」  http://www.megastar-net.com/

○2003/01/30 上野奏楽堂
1月25日、上野奏楽堂に歌を聞きに行ってきた。
上野奏楽堂は、「旧東京音学学校奏楽堂」といって、明治23年に建築された様式音楽ホールで、重要文化財である。500人位の収容だが、正面にパイプオルガンがあることを除けば、こぢんまりして何となく古い学芸会の舞台のちょっと良いやつのように見える。ここで明治の昔、天才滝廉太郎がピアノを弾き、後には芸大の学生が卒業発表をしていたそうだ。
プログラムは「日本の名歌No.14これが日本の歌ごころ」というもので、わずか2000円の入場料で、10人以上の声楽家・演奏家が登場する。場所、テーマ、値段、どこから見ても損のない舞台である。
客は圧倒的に老年が多い。プログラムのせいもあろうが、そもそも若者はこのようなプログラムを知らないし、関心もないと言うことだろう。時折いる若者は、皆音楽学校の学生らしかった。
不勉強で、プログラムに「ヨイトマケの歌」があるから美輪明宏が出るのかと思ったら佐藤光政の歌だった。初めて聞いたが、佐藤の歌も立派で失望しなかった。プロであの歌を歌う人は少ないから、本人の了解を得て時々歌っているのだろう。その他の歌手の名前も知らないが、皆それぞれ藤原歌劇や二期会などに所属している人らしく、様々な趣向もあって楽しく聞いたが、女性の中の二人が特に良かったように思う。またクラシックの歌手の民謡は珍しい。若い頃民謡をやっていたとのことだが、民謡のくささはやや薄く、上品になっている。
これからも時々、音楽会には行きたい。3月には美輪明宏の舞台「黒蜥蜴」を見る予定だ。
2002/11/23
 フランスの化学者パスツールは、「幸運は、待ち構えた知性の持主だけに好意を示す」と言っています。幸運=偶然だとしてもそれに出会った時、何も感じとれなかった人に発見は生まれません。あれ、と思う心は普段の研究から生まれるというのです。科学的発見ばかりではありません。なにかを求めている人ならば、きっとだれにでも当てはまる言葉でしょう。
       「幸運の女神は、備えある心にのみ微笑む」

○2002/10/24 二人の「グールド」
 最近、たまたま同姓の二人の著名な人物を知った。「グールド」である。物知りの人は、まったく活躍したジャンルの違うその二人が何者であるか、恐らくすぐにわかるであろうが、浅学を恥じることのない私は、いずれをも知らなかった。
 一人は、二十世紀最大のピアニストとさえ云われる「グレン・グールド」 (Glenn Gould)であり、もう一人は、古生物学者でハーバード大学教授の「スティーブン・J・グールド」(Stephen Jay Gould)である。
 前者は、バッハの演奏家として知られ、1955年のバッハ「ゴールドベルグ変奏曲」(Goldberg Variations)で衝撃のデビューを飾った。そして1982年にはわずか50歳で亡くなっているが、死の前年の1981年の同じ曲を演奏し、1955年演奏と比較し、その著しい違いゆえ、音楽家やファンに人間というもの対する深く複雑な思いを抱かせた。ご多分に漏れず、ベートーベンだのチャイコフスキーだのが大好きな私は、バッハをあまり聴いたことがなく、どちらかというと演歌によりなじんでる耳は、石川さゆりの「飢餓海峡」をヴァイオリンで弾いたらさぞ美しかろうなどと思っているためか、その違いの意味がまだよく分からない。おそらく今後何回となく演奏を聴いているうちに、なぜこの二つの演奏が、歴史的な演奏なのか次第に実感してくることであろう。
 後者は、古代の生物化石を調べ、進化の過程を解き明かすことを専門にする古生物学者であるが、同時に多くの優れた著書を刊行し、啓蒙家としても貴重な役割を果たしてきた。彼は2002年6月、60歳で亡くなったが、私は朝日新聞の死亡記事でグールドを知り、著書「ワンダフル・ライフ ーパージェス頁岩と生物進化の物語ー」(Wonderful Life)を読み出したのである。この本はグールドの最も有名な本で、20世紀初頭にカナダで発見された5億年前のバージェス頁岩層の化石群の解明の歴史的展開と生物の進化に関する「不運多数死」という偶然が支配的であるという新しい考え方の提示を行っている。私は、世にも不思議な生物群とその解明過程の面白さを味わいつつ、長大で結構難解な専門語、幾重かにループする論理展開に辟易しながら、ちょうど一月かかって読み終えた。結論を言えば、苦労をしても、またすべてをわからなくても読んで素晴らしい本であることははっきり言える。

○2002/10/23 日譜を始める
今日から日記をつけましょう。博物館を開設してから丸1年。脈絡はなくても時々、思ったことや見つけたものを書きましょう。最初は何故か、英単語から。

eaves   【発音】i':vz 【名】 軒、ひさし
edge of the eaves 軒先{のきさき}
gutter at the eaves 雨樋{あまどい}
icicle-hung eaves つららの下がった軒
under the eaves   軒下に
eavesdrop 【名】 雨垂れ 【自動】 盗み聞きする、盗聴する、立ち聞きする、聞き耳を立てる
・ It's not polite to eavesdrop. : 盗み聞きは良くない
eavesdrop a conversation 人の話を立ち聞きする
eavesdrop on 〜を盗み聞きをする、〜を盗聴する、〜に聞き耳を立てる
・ You eavesdrop on her calls.
・ He had no right eavesdropping on my private conversations with my secretary.
  eavesdrop-resistant 【形】 盗聴防止{とうちょう ぼうし}の


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