「もう声も聴きとうないわっ!」

 その言葉を残して、アリスは電話を切った。こんな結果になるだろうとは予測していた火村だったが、怒りのせいか泣いているせいか震えるアリスの声を思い出すと、胸が痛んだ。
「俺が悪いんだしな…」
 ずっと前から約束していた、2週間後の小旅行。最近はお互い忙しく、電話で話をするのがやっとだった。そのわずかな電話の中で、アリスは嬉しそうに何度もその旅行のことを確認していた。火村とて楽しみにしていたのだが、どうしても急な出張が入ってしまい、急いでアリスにお詫びの電話を入れたのだった。
 予想どおり、アリスは理由も言い訳も聞かずに電話を切った。その後数回コールしたのだが、呼出音が虚しく続くだけ。携帯電話にもかけてみたが、こちらも予想どおり電源がオフになっている。
「仕方ねぇな」
 ジャケットを掴み、火村は年季の入った愛車へと乗り込んだ。

 扉の前に立つと火村は少し考えた。そして、ポケットから鍵を取り出す。『何かあったときのために』と、友人時代にアリスから預けられていた彼の部屋の合鍵。今、この状況は火村にとって『何かあったとき』なのだ。
 鍵穴に差し込み、カチャリと廻す。チェーンが掛けられていないことにわずかながら安堵した。
 
 家主であるアリスは、火村専用と化しているソファの上で胡座をかいてクッションを抱えていた。
「アリス」
火村の声にわずかに反応を見せる。が、火村の姿を見ようとはしない。
「あのな、アリス…」
「早かったやないか」
 どうやったらアリスの機嫌が直るか、と考えながら口を開いた火村だったが、アリスの意外な言葉に遮られた。
「下宿から電話かけたんやろ?その割には、ここに来るの早かったな」
「ああ…かなり飛ばしたからな…」
「許したる」
 アリスが火村の姿を視線で捕らえた。その瞳は幾分赤くなっているようで、火村の胸は再び痛みだす。
「仕事ならしゃーないもんな。『俺と仕事とどっちが大事なんや』なんて言う気は無いし」
 健気にも良識ある大人の理解をみせてくれたアリスに、火村は「すまない…」と言いながら、その体をそっと自分の腕の中に抱き込んだ。
「キミもしたかったやろ、デート」
 腕の中から火村を見上げたアリスは、悪戯っぽく微笑んだ。
「absolutely」
 その返事に満足気な表情を見せるアリス。それを見て『明日の一限目は休講だな』と思いつつ、火村は何気なく目をやった先で見慣れないものを見た。
「なんだ、ありゃ」
 ここでアリスを解放してしまうのは嫌だったし、折角直ったアリスの機嫌がまた元に戻る可能性も高かったが、確認せずにはいられずに火村はその前へと歩んでいった。
「ん?」
 火村が向かった先は冷蔵庫。そのドアから、細い線が出ているのが見えたのだ。
「あっ」 
 アリスが短く声を上げ、冷蔵庫を開けようとする火村の手を引きとめるため駆け寄ったが一歩及ばず。火村が開けた冷蔵庫の中からは—
「…電話?」
 火村が手にしていたものは、まさしく電話だった。冷蔵庫のドアにはさまっていた線は電話線だったのだ。
「なんでこんなとこに…」
と、呟いてから思い立った。
「俺からの電話がうるさかったんなら、電話線を外せばいいだろうが。なんでこんなところに押し込んでんだよ」
 呆れ半分で火村が問うと、アリスは観念したように俯いたまま小さな声で白状した。
「電話線外したら、キミと俺を繋いでる線まで外れそうな気ぃしたからや…」

 『明日は一日休講だな』と、火村が決心したとかしなかったとか。
Never Call Me
 うちの二人はあまりベタベタしません。合鍵も『この部屋はお前が帰る場所やv』(笑)というものではなく、まだ今の関係になる前に、緊急時のために渡してあったものです。 ってことは、こんな関係になったのはアリスがこのマンションに住み始めてから=社会人になってからという設定になっています。そんなうちの二人。(あとがきで設定説明するな)