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(2004.03.06)

 ロクに出会ったのは、冬の足音も随分と近づいた、それから間もなくのことだった。


「八重センセ〜、しっかりしてくださいよー。」
「うーーーん。」
 その日は俺の書いたシナリオが使われるドラマの、新人オーディションに立ち会うことになっていた。無名の新人をいきなり準主役系に抜擢しようと言う、局の話題作りの一環らしい。
 いつもであれば面倒くさがりの俺がそんなものに立ち会うことなどあろうはずもなく、テキトウな理由で断るのだが、今回の監督は俺とも馴染みの深い、薫共々良く知っている古い知人で、どうしてもと何度も頼まれたからにはさすがにそれを断るほど不義理な人間になりきれていない俺は、しかし前日、薫としこたま飲み、かなりのグロッキー状態で会場まで足を運んだ。

「・・・ども。」
 スタッフに支えられつつ会場に入ると、監督は俺が来たことに対する安堵の表情を見せるよりは、案の定顔を顰めた。
「八重さあーん。そりゃーないっしょー。めちゃくちゃ酔ってるでしょ、ソレ。」
「ダイジョブ。水、飲んだ。」
「いや、水とかじゃなくて。あーもー、昨日薫さんにあれっほど、ほどほどにして下さいって頼んだのに・・・聞いてないしなー。」
 ぶつぶつと文句を言う監督を横目にふらふらと席に着く。ほぼ全員が見知った連中なので、苦笑しつつもいつものことかと周囲はさして気にとめる様子もない。結局そのままオーディションへと突入した。
「では、一番の方、入って来てください。」
 スタッフに促されて次々と若い俳優が入ってくる。アマの劇団員や学生なんかも結構居て、普段なら退屈しないで見ていられそうだが、今日は二日酔いも相まって全く集中出来ない。おまけにもともとそう強くもない胃がムカムカと不調を訴え初め、とてもじゃないが大人しく選定をしていられる状態じゃなかった。
「ちょっとトイレ・・・」
 とりあえず一度新鮮な空気を吸おうと立ち上がる。しきりに着いて行きましょうかと心配するスタッフを押しとどめ、1人部屋の外へと避難した。
 廊下はオーディション待ちの人間で溢れかえっていたので、好奇の目にさらされつつ、近くの空き部屋に入る。窓を全開にし、美味くも無いが新鮮な空気を吸い、自販機でブラックコーヒーを買い、ようやく一息吐く。
 冷たい壁に身体を凭せ掛けて目を閉じていると、いつの間にか昨夜の会話を反芻していた。



「お前、四葉になんかしただろ?」
 飲み出した早々に薫にそう切り出されて、訳の分からない俺は首を捻る。
「お前がヨシって呼んでる人間だよ。」
 いつものことだが、俺の疑問を的確に判断して薫が補足する。
「・・・ああ・・・。」
 ようやく理解して、同時に小さく息を吐き出した。
「・・・別に、何も。」
「なんだよ、その解りやすいリアクションは。脚本家なら少しは勉強しろ。」
 たたみ掛ける薫に、何をだよと切り返す間もない。
「解るんだよ。お前とは長い付き合いだし。最近、四葉、上の空だしな。」
 四葉は意外ときちんとした文も書けるし、もう既にうちの欠かせない戦力だ。保護者がきちんと面倒見なきゃダメだろう。呆れながらそう言う薫に、誰が保護者だよ。大体あいつはハタチ過ぎてるよとようやく切り返して、俺はグラスの中の濃い琥珀色の液体を飲んだ。
「・・・で?」
 アルコール度数の強さに顔を顰めていると、また薫が話を振ってくる。
「・・・別に、何も。」
 そのまま無言でグラスを弄んでいたが、しつこく俺を正視し続ける薫の視線がいつまでも外れる事がないことを知り、仕方なくグラスを置いて、盛大に溜息を吐いた。
「いつまで家にいていいか、って。」
「それで?」
「・・・好きにしろ、って。」
 俺の答えに、今度は薫がはああああと地を這うような盛大な溜息を吐いて持っていた酒を煽った。
「・・・相変わらず、だな・・・」
 何がだよ。
 心の中で苦々しく問いかけると、どこか不安げな目で薫は俺に向き直った。
「お前があの頃とちっとも変わってないって事だよ。」
 なんだよそれは。
 釈然としない思いで薫を睨み付ける。
「立ち居振る舞いとかじゃないんだよ。・・・心の問題だ。」
 取り出したタバコに、カウンターの向こうにいた店員が火を付ける。深く吸った煙をゆっくりと吐き出してから、薫は続けた。
「お前の心は一方通行なんだよ。循環してない。」
「・・・・・・なんだソレ。」
「つまり成長してねぇんだよ。時が止まったまま。後戻りも前進もない。いちばん質が悪ぃヤツな。」
 何でテメェにそんなこと言われなきゃなんねぇんだよ。
「・・・今、何でそんなこと言われなきゃなんねぇんだって思っただろう。」
「・・・思ってねぇよ。」
 薫はにやにやと趣味の悪い笑みを浮かべながら、カウンターの向こうに広がる夜景に目をやった。
「少しはまともになったと思ったんだけどな・・・」
「なんだよ、それは。」
 俺の不満の呟きに薫は声を上げて笑い、それから暫くはお互い無言だった。
 俺は俺に何かが欠けていることは知っているし、あの日、あの小さな背中に掛けるべきだった言葉を今も探し、癒えない傷と共に抱えて生きている。世の中の色んな事を煩わしく思い、自棄になった時もある。それを乗り越え、脚本家としてなんとか人並みに生きて居るんだとばかり思っていた。・・・表向きは。
「・・・面倒くさいんだよ。」
 考えると頭が割れそうになる。考えても考えても通り過ぎていくだけの言葉の羅列。それはただの記号でしかない。意味を持たないものを考える作業は、ただ疲れるだけだ。
 俺の呟きに、薫は窓の外にあった視線を外し、静かに俺の方へ向いた。
「・・・それでも、考えろよ。」
 低い声で、その言葉は鋭く俺の鼓膜に突き刺さる。
 いつもそうだ。薫は何も言わない。最低限の忠告をして、俺に選択させる。それはとても厳しいし、正直辛い。
「考えて考えて、嫌でも考え抜いて、脳みそが腐るまで考えろ。・・・それがお前に出来る、お前とあの女(ひと)を救う、唯一の事だ。」
 俺は短い息を吐いて、薫を見た。その瞳は、願いをかける子供みたいに切羽詰まっていて、少し驚く。
「・・・・・・。」
 言葉に詰まる俺に、薫は不意に穏やかな顔で笑って、ウエイターに酒を頼んだ。
「同じヤツ、もう一杯貰えるかな?ああ、会計はいつもの通りコッチ持ちだから。」
 ウエイターと穏やかに談笑する薫を横目に、俺は到底笑う気にはなれない。ほとんど空に近いグラスの中身を眺めて押し黙る。
「八重。前に進めよ、いいかげん。お前はそれが出来るくせに、いっつもさぼってばっかりいるからなー・・・。お前が一人前に生きていけるようになったら、その時は俺がお前に奢ってやるよ。」
 運ばれてきた新たな酒に口を付けつつ、薫が言う。
 なんだよ、ソレ。
 つまりはその時が、薫と肩を並べられる日だってことなのか?
 渋面を作るオレに、薫は少し笑い、そして言った。
「四葉がお前の前に現れたのは、偶然だけど偶然じゃない。たぶんーーー・・・」



「あのさあ。」
「!?」
 第三者の声でいきなり現実に引き戻される。振り向くと、そこには見知らぬ若い男が居た。
「あ、ごめん。驚いた・・・よね?」
 あははははと笑う目の前のオトコ。何がそんなに可笑しいんだか。初めは緊張で強張ったものの、随分と人懐っこい笑みに警戒心が薄れる。
「アンタ、『逢澤八重』デショ?・・・たぶん。」
 たぶんってなんだよ。
 頷くと彼は「あー、やっぱりー!?」と顔を綻ばせた。
「いやー、アンタあんまりテレビとか出ないからさあー。そうだとは思ったんだけど、イマイチ自信なくて。」
 だから何がそんなに可笑しいんだ。
 あはははとその男はまた笑い声を上げる。考えてみればさっきから笑いっぱなしじゃないか。どう考えても不躾な態度に、しかし不快感は湧かない。どうせならこちらもと、じろじろと観察してやった。
 年は・・・俺よりは少し下だろうか。背は高く、がっしりとまでは行かないが、筋肉のついたバランスの良い体型をしている。顔も日に焼けて健康的な色合いだ。特に美形というわけではない。それなりの顔はしているが・・・まあ、十人並みだろう。それよりも何よりも、絶えることのないその笑顔が、一瞬にして見る者を惹きつけてしまう。安心感、安定感。癒し系・・・とか言うヤツか?迷うことを知らないとでも言うかのような、真っ直ぐな瞳をしていて、しかしその鋭いくらいに澄んだ眼に、逆にどこか不安を感じてしまう。
 不思議な存在感を持っている。・・・それが彼の第一印象だった。
「オマエ・・・?」
 俺の問いかけに、「あー、オレ?」彼は大きな声で嬉しそうに返事をした。
 なんでそんなに嬉しそうになれるんだ。
 俺は心の中で文句を言いつつも、いつの間にかこの得体の知れない妙な男にずいぶんと興味を持ち始めていた。
「オレ、瀬田六郎。あ、ロクでいーから。」
 そういうと男・・・ロクは右手を差しだして、
「今日、ドラマのオーディションに来たんだ。あ、アンタのドラマね。」
 あはははと笑った。
 なんだかこの男には勝てそうにないな、と、気が付けば俺は差し出された手を固く握りしめてしまった。

 ただ、眩しくて。
 薄暗い室内で、ずっと眼を細めていたことを覚えている。


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