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(2003.12.23)

「結局、そうゆうことなのかよッ。」
 怒りを抑えたヨシの声が聞こえる。
「ーーーだよね。まあ、てっとり早いし、解りやすいからいいけど。もちろん金はそっち持ちだよね。だって俺、今金持って無いもん。」
 何を言っているんだろう、コイツは。
 ちらりと横目で見ると、ヨシは俺を睨み付けたままスタスタと俺の前を通り過ぎ、目指す建物のすぐ横に位置する建物に入っていこうとする。なんでそんなとこへ行くのかと不思議に思いつつ、ヨシの手首を引っ張った。
「何?ヤルなら早くしようよ。俺、ラブホの前でうだうだすんの嫌なんだよね。女じゃないんだしさあ。」
 どうやら・・・勘違いをしているらしい、激しく。ふて腐れてふくれるヨシの腕をまたぐいっと引っ張ると、「何?何だっつーの!?」と喚き散らすヨシを無視して、外装の豪華なファッションホテル群の片隅に位置する、小さくてボロい3階建てのコンクリートの建物へと向かった。
 建物の脇にある、これまたボロボロのガラス扉を開けて、2階へと続く薄暗くてジメジメした階段を昇る。建物の中は夏だろうが冬だろうが、年中ひんやりとして冷たい。カツカツと足音を響かせてコンクリの階段を上って行くと、その両壁はあちこちひび割れが目立ち、水が染み出ていて、この建物の古さを物語っていた。
 確か築50年近いとか言ったか。昭和の遺物であるその建物の中は、年中、カビやサビのなんとも言えない匂いが充満している。だが俺はこの匂いが案外嫌いじゃなく、寧ろどこか心を落ち着けたりするので、仕事に行き詰まった時には自然とこの場所へ足を運んでいるのだった。

 さっきまで紛らわしいんだよとかなんとかブツブツ文句を言っていたヨシは、好奇心からかすっかり大人しくなり建物を眺めている。しかし、2階の部屋へと続く立て付けの悪い扉の、直ぐ脇に飾ってあるポスターを見て、突然弾んだ声を上げた。
「あっ、コレ、『帰ってきたドラキュラ』のポスターだよね?クリストファー・リーのヤツ。本物かなあ?本物だとしたらかなりレアだよ。8万くらいするもん。やっぱドラキュラはクリストファー・リーのヤツが一番好きだなー。いーなー。」
 ふて腐れていたヨシの目が輝き出した。家に来てから暫くの間、ヨシは毎日毎日ホラー映画ばかり見ていた。俺のカードを勝手に使って、近くのレンタル屋へと足繁く通っていたのを、俺は今朝になって思い出した。だからこそ、ここへ連れてきたのだが。

 掠れて判読不能な、社名の書いたプレートが貼り付いているアルミの扉を開き、軋んだ音と共に中へと入る。
「あ、八重さん。こんにちはぁ〜。」
 少々間の抜けた声で出迎えてくれるのは、この春3年ぶりに新しく採用された乾君だ。熊みたくのっそりした、でかい図体をしていて、しゃべりはいつもおっとりと・・・悪く言えば歯切れが悪い。それでも超有名私立大学英文学科出身だと言うから驚きだ。更には学生時代からこの会社に入り浸り、卒業と同時にこの今にも潰れそうな会社に迷うことなく就職を決めた変人っぷり。本人曰く、これ以上無い程に魅力的な職場だと言うことらしいが、俺にはたぶん、一生理解出来ない。
 そんな乾君に軽く会釈をして、後ろに控えていたヨシを促す。乾君は、「ええっ、おっ、お連れの方がいらっしゃるんですか!?」と、かなり大袈裟に驚いてくれた。というか、驚きすぎだ。
「薫は?」
「今は私以外、みんな出てますよう。なんせ人手が全っ然、足りないもんで・・・聞いてくださいよう、社長ったら、当分人数を増やすつもりは無いとか言うんですよう。私の休み、2ヶ月連続で返上させられてるってのにぃー、それならバイトを雇ってくれって言うんですけれども、そのうちな〜、とか軽ぅ〜くあしらわれちゃって、もう何ヶ月経つことかぁぁぁぁ・・・」
 乾君の愚痴に適当に相づちを打って、来客用の、家にあるヤツよりもさらに年期の入った茶革のソファーに座り、タバコを取り出す。ヨシも座らせようと目を上げると、俺たちの会話など気にもとめない様子でキラキラとその目を輝かせ、部屋中を眺め回していた。
「アアッ、コレ、『メフィストワルツ』の!ううっわ、俺、このポスタースゲ好き!」
「ああっ、解りますう?解りますぅ〜??これ社長のお気に入りなんですよう。うわー、嬉しいな。なんせ八重さんったら、ここに入り浸ってるくせにホラー映画のこと何にも知らないんですからッ!!」
 ヨシの上げた一声に、乾君は嬉々として飛びついた。
「うっわ、こっちの、『イッツ・アライヴ』?」
「そーですよう。この1作目のは評価高いスよね〜。2作目はもうかなりの駄作ですけど、でも私はその後の3作目のが好きなんですよぅ〜。」
「あー、わかるわかる!なんかもう、いかにもZ級ホラー作品ってカンジの!完璧開き直って、ギャグに走っちゃってるとこがまた!」
「そうなんです。赤ん坊同士で子供作っちゃったり。役者ももうこれはギャグだって解ってて演じてるとこがまた、いいんですぅ〜。」
「あッ、ええ!?もしかしてこっちに山になってるビデオ、全部!?」
「そうですよぅ。ほとんど全部、ホラーなんです。なんせウチはホラー映画専門って言っていいくらい、ホラーばっかりの映画の配給会社ですからねぇ〜。隣の資料室にはもっといっぱいありますよ。ホラコレなんか・・・」
「ああー、『死霊の腹踊り』!うわ、コレここの配給だったんだ〜!!」
 どうやら2人は俺の知らない世界の出来事で意気投合したらしい。延々と尽きない会話に耳を傾けながら、俺は三本目のタバコに火を付けた。と同時に、軋んだ音を立てて入り口のドアが開く。目を向けると、硬質な雰囲気を身に纏った美形の長身が、いつも通り黒いスーツを身に纏って悠然と立っていた。
「あっ、社長!おかえりなさ〜い。八重さんが見えて・・・」
「乾。プロットは?」
 にこやかに出迎えた乾君をピシャリとはねつけて、社長-薫-は言った。
「あ、えーと、それはまだ途中で・・・」
「ふざけんな!言ってるだろ?3回チェックだ!チェック終わるまで、家には帰れないからな。そのつもりでいろ。」
「ひええええ、そんなあ〜。」
「嫌なら今すぐ辞めろ。」
 ううっ、やりますよう。と、乾君は半べそで作業に取りかかる。一見、ワンマン社長の一方的な物言いに聞こえるが、彼らはこうしているのが一番自然なコミュニケーションの取り方だ。ここのスタッフはこの無理なスケジュールをどこか楽しんでこなしている風な所があるし、社長は社長で出来ない奴には決して仕事は廻さない。お互いに成り立つ信頼関係。それもこれも、皆がこの気障で嫌みったらしい社長を慕っているからこそなのだろう。ーーーそれを親友に持つと、また別の苦労があるのだが。
「八重、お前また邪魔しに来たのか?」
 薫はわざと俺の正面の位置に立って、俺の吸いかけのタバコを奪った。にやけて見下ろすその顔に溜息を吐いて、ヨシの方へ顎をしゃくる。
「あん?お前、誰だ?」
「だれ・・・って、ハチくんの・・・」
 ちらりと俺を見ながら言い淀むヨシに、「ハチくんだあ〜!?」と心底胡散臭そうな顔で、薫は俺とヨシを交互に見た。
「社長〜、彼、すっごく詳しいんですよぅ〜。カルト系ホラーもほとんど知ってるし。えと、名前・・・あれ?聞いてませんでしたっけ〜?」
「よつは・・・です。竹宮、四葉。」
 そんな名前だったのか・・・初耳だ。
 乾君に聞かれてあっさり名乗った所をみると、別に隠していたわけでは無いんだろう。まあ、実名かどうかは微妙な線だが。
「ああ・・・。なんだ、八重。俺の話ちゃんと聞いてたのか?」
 薫は珍しいこともあるんだなと、俺に向かって片眉を上げた。先日たまたま一緒に飲んだ席で、使えるバイトが見つからない、お前誰かいいヤツを紹介しろ(正確には見繕ってこい!だったような気もするが)と命令口調で言われたことを、俺は覚えていたのだ。普段ならその場ですっかりさっぱり忘れきってしまうんだが、どこかでヨシの存在が引っかかっていたのだろう、今朝、奇跡的に思い出したのだ。
 俺は頷いて、「よろしく。」と言った。なんのことやらさっぱり状況を飲み込めていないヨシが首を傾げて俺を見る。
「じゃあ、とりあえず今、この時間から入って貰うから。文章とか書いた経験は?」
「え?・・・いえ、あの、」
「まあ、いいか。とりあえず書いて貰って、それから使えるか使えないか判断する。オイ、八重。お前邪魔。俺は忙しいんだよ。酒ならまた付き合ってやるから。」
 お前の奢りでな、と付け足して薫はビデオの積んである奥の棚へと移動した。と同時に、乾君が大喜びでヨシの元へと駆け寄る。
「なんだぁ〜、バイトなんだったら最初にそう言ってくださいよぉ〜。良かった〜、これで俺の分のノルマが減る〜!!」
「バ、バイト!?」
 驚いて振り返るヨシに、俺は頷いて席を立った。いいかげん、俺も急がないと午後の仕事に遅れてしまう。不安気な表情でハチくん、と呟くヨシに、「やれ。」と一言激励の言葉を掛けた。
「なっに、その偉ッそーな態度はッ!てゆーか、いきなりそんな・・・大体どんなことするのかも分かんないのに!!」
 ヨシの声に、なにやらビデオを吟味していた薫が既になにもかも承知とばかり声を掛ける。
「別にお前に商談やれとは言わねーよ。映画の配給以外に、それ専門の雑誌にコラムを載せたりしてんだ。それと新作映画の解説やらな。お前の担当は、その文章書き。ホラ。手始めにこの映画について簡単なレビュー書け。んー、30分な。」
 薫から手渡されたビデオを手に、30分〜!?とヨシが非難の声を上げる。なんだ、既にここに馴染んでいるじゃないかと、ヨシの喧噪と薫の淡々とした声を背に、俺は事務所を後にした。


 ほんの少しでもイイ方向へ、風向きが変わればいい。



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