歴  史

「日本史から見た日本人 昭和編」渡部昇一著 祥伝社黄金文庫(05年8月28日)

 

著者の頭からずっと離れなかった「どうして日本人は日露戦争の時代から見ると、あんなにも外交下手になったのか、また統治能力を失ったのか」という謎について、昭和5年に統帥権干犯問題が起こったからと説く。明治憲法は、統帥権は天皇直属としつつ、行政府や首相についての明確な規定のない欠陥憲法だったという。

「大正時代から昭和5年までに日本政府が・・・誠実すぎるほど国際協調路線を採ろうとし、日本人の利権を犠牲にすることは、そのためには止むをえないという努力をしたことについては、疑う余地がない。したがって、国際環境さえよかったならば−たとえば、今日のようであったならば−明治憲法の内包する欠陥にもかかわらず、統帥権干犯問題は暴走しないですんだ公算がすこぶる高い。しかし西の方、アメリカでは排日移民法が成立し、さらにアメリカのホーリィ・スムート法によって全世界的不況と世界経済のブロック化が生じ、しかも日露戦争以来の大陸の利益まで排日・侮日運動で危うくなるに及んでは、国際協調外交の基盤は失われたと言ってもよく、最も文明的に進んだ幣原外交−第2次大戦後の世界の先進国外交の原則−も、状況音痴の外交とか時代錯誤の政策とか見られてしまうに至ったのである。」

ひきまれるように読んだ。日本だけが悪いのではないことがよく分かる。しかし一方でとても悲しくなった。統帥権干犯問題は、純粋に日本の責任だが、排日移民法、ホーリィ・スムート法、排日・侮日運動は日本の責任ではない。日本の努力だけでは、戦争を避けえなかったのではないか?この点について、本書から私は2点手がかりをつかんだので紹介したい。

1つは、幣原外交は先進的過ぎたということ。理想を唱えるのは大変重要なことだが、むしろ軍部・国民大衆から弱腰と非難され、結局戦争に突入してしまったのだがら、逆効果であった。もっと現実に即した外交をすべきであったのではないか。

もう1つは、「アメリカも清国いじめに参加したがった」ということで、アメリカの鉄道王エドワード・ハリマンが南満州鉄道経営に参加したいという希望してきた。元老たちは賛成したにもかかわらず、小村外相は反対したのだ。この判断に対し、感情的には拍手喝采を送りたい。しかし、「南満州鉄道に日米の資本でやっていたならば、その後の日支の争いも、したがって日米の戦争も避けえたかもしれない。」その後アメリカの後押しでシナの排日・侮日運動が激化し、日本がずるずると戦争にのめり込んでいったことを考えれば、アメリカの要望は虫がよすぎるとはいえ、ここで妥協しておくべきだったかもしれない。

前作・前々作の古代編・鎌倉編とはまた違った趣で、大変力の篭った一冊であり、是非ご一読をお勧めしたい。

 

 

「日本史から見た日本人 古代編」渡部昇一著 祥伝社黄金文庫(05年8月15日)

 

当初産業能率短大出版部から出版されたのが昭和48年というから、相当昔の本であるが、読んでとても新鮮に感じた。一方、この時代にこのような本を書くのは相当に勇気が必要だったことがしのばれる。

記紀は神話に過ぎないとして、日本武尊、仁徳天皇、景行天皇といった記紀に書かれた内容が日本史年表から落とされ、魏志倭人伝に記述がある邪馬台国が歴史的事実として記載されている。このことにつき著者は、明の時代の日本伝には、信長が関白で秀吉が薩摩の下男であるなどと書かれることを取り上げ、魏志倭人伝の記述内容が史実として信用できないことを喝破する。以上のことは、以前に西尾幹二氏の「国民の歴史」で読んで目からうろこが落ちるのを感じたのだが、30年前に同じことが書かれていたのを知り、渡部氏の慧眼に驚いた。さらに付言すると、これらのことは岡田英弘氏が指摘したことがベースとなっており、岡田氏の慧眼にも脱帽した。

また、日本文化はシナ文化の亜流などではなく、独自の文化であることを、シナ大陸のいかなる大帝国にも政治的支配を受けなかったこと、言語・民族が独自であることを示すことで立証している。さらに本書全体を通じ、和歌・能といった日本独自の文化の形成過程についても興味深い記述がなされている。

同じく渡部氏の「知的生活の方法」の中で、本書はユニークと評されていると書かれている。私の文章の冒頭の記述といささか矛盾するが、すべてがユニークということはなく、例えば先にあげた「国民の歴史」には同じ内容のことが記載されている(もちろん、「国民の歴史」の方がより詳細な説明がなされている)。本書出版以来、時代が下り、渡部氏の史観が広く受け入れられたということであり、各方面に大きな影響を与えたのであろう。

インターネット時代にこういうのも何だが、やはり本は一度手に持ってから買いたいので、本書を手に入れるために本屋を探し回っていたが、ついに発見し、買うや否や貪るように読んだ。読後、もっと早く本書を読みたかったと思った。

 

 

「新版 アメリカの鏡・日本」ヘレン・ミアーズ著 伊藤延司訳 角川書店(2005年7月4日)

 

 本著の趣旨はタイトルが示すとおり、「近代日本は西洋列強がつくり出した鏡であり、そこに映っているのは西洋自身の姿なのだ。つまり、近代日本の犯罪は、それを裁こうとしている連合国の犯罪である」ということである。周知のとおり、日本は第2次大戦中、残虐な行為をした。しかしそれを東京裁判等で裁こうとする西洋列強も同様に残虐であった。ペリー来航以降日本は、西洋列強と同じような行動をしなければ、国の独立を実現・維持できなかっただろう。日本はしばらくの間、治外法権を諸外国に認め、関税自主権もないという半植民地だったが、西洋列強と同じように行動することで、何とか独立を勝ち取り保っていたに過ぎない。そして著者は、「日本が真似したにすぎない列強の行動について、日本をスケープゴートにしている」と言う。

 満州に関し著者は、「(欧米列強は)侵略行為で有罪としたのではない。国際連盟もアメリカも、日本が満州を侵略したという非難はしていないのだ。日本は国際条約を破り、条約当事国の満州における権利を侵したから有罪なのである。」と述べる。また日華事変に関しては「日華事変の交戦国は中国と日本ではなかった。それは依然として、日本と欧米列強、とりわけイギリス、アメリカとの対立だった。対立する双方に、中国人の将軍と政治家がついていた。中国人民は、相も変わらず、双方の犠牲者」「日本は日華事変を終結させ、一応の安定に復帰するため、絶えず蒋介石に働きかけていたが、アメリカとイギリスは、日本が莫大な財政的損失を出し、アジアの前で威信を失うまで、戦争をつづけさせる考えだった。」と述べる。

 読んでいて、目からうろこが落ちる一方、日本が置かれていた状況に愕然とさせられた。最近の論調のように、日本は正しかったという反動的主張をすべきではないが、一方でただひたすら自らの過ちを恥じるだけでは未来に続かない。なぜこのような状況に追い込まれたのか、どうすれば敗戦を避けることができたのか、同じ失敗をしないためにこれから何をすべきかといったことを、日本内部の状況からだけでなく、世界史的観点から検討しなければならないことを痛感させられた一冊であった。

 

 

「完訳 紫禁城の黄昏 上下」RFジョンストン著 中山理著 祥伝社(2005年6月4日)

 

 岩波文庫版では、第1〜10章・16章の全体、及び序章の一部がなぜか省略されていたが、ついに完全に訳出されたという話題の一著である。著者は、1919年から25年までの6年間、溥儀の帝師(チューター)の職にあり、満洲王朝の内部をつぶさに知ることができる立場にあった。

 岩波文庫版で省略されている箇所には、1932年以前にも満洲国が成立する以前にも、満洲族の父祖の地で自らの国を再興する動きがあったことが分かる。そのうち2例をあげよう。

▽満洲朝廷は満洲へ隠棲する可能性を見過ごしていたわけではない。それどころか、この問題は真剣に議論されていたのであり、シナと満洲の多数の帝国主義者は、これこそ追求すべき最も賢明な方策だと主張したのである。(第7章)

▽ロドニー・ギルバート氏が1922年3月18日付の『ノース・チャイナ・ヘラルド紙』で書いているのだが、もし張作霖がライバルの呉佩孚の勢力との予想される争いで敗れるようなことがあれば、張の「国家の政治活動で果たす役割は終わることになるだろうし、そうなれば唯一の逃げ道は、日本の保護下で満洲を独立させることしかない」のである。(第16章)

特に第16章では、既に1910〜20年代に新聞に掲載された、満洲国復興の動きがある旨伝える記事が、いくつか紹介されている。にもかかわらず、リットン報告書が満洲の独立運動について、「1931年9月以前、満洲内地ではまったく耳にもしなかった」と説明するのは「説明しがたく思われた」と述べている。モンゴル帝国も、元朝として支配した中国を失った後モンゴル高原に後退したのだから、同様に、清朝として中国を支配した満洲族が、満洲の地に戻って国を打ち立てたとしても、何ら不思議ではない。純粋にそう思う。東京裁判で封殺されたそんなごく自然な話が、具体的に明らかにされているのである。

 もう1点興味深く思われたのが、1911年の辛亥革命以降、袁世凱の臨時大総統就任及び皇帝即位失敗、張勲による宣統帝復位クーデター、軍閥どうしの争いと、権力を握る勢力がめまぐるしく入れ替わり、混乱が続いたことである。戦国時代に戻すために革命が起きた感がある。本著では、共和制より清朝時代の方がよかった、という民衆の声が数箇所で紹介されている。訳者があとがきで述べているように、「日本との関連で清朝以降の近代史を「半植民地半封建」という毛沢東的な概念だけで眺めると、大陸に進出する日本と、それに対立する中国民族主義という単純な二元的構図しか見えてこない。ジョンストンの記述は、その間に存在した満洲朝廷、軍閥、君主制主義者、共和制主義者、日本を含めた諸外国列強などの動向を明らかにすることによって、そのような歴史観の歪みを正し、あるべき近代中国像を構想しなおす視点を提供してくれるだろう」と述べているが、まさにそのとおりであると思った。少なくとも安定した民主国家の樹立には成功しなかったといえるだろう。そんな中、6月1日付日経夕刊に「地域間や民族間の利害対立を、多党制といった穏健な民主主義の仕組みで調整するのは困難」という見方が紹介されていたが、中国が民主化しようとすると、本著で描かれたような、はかりしれない混乱が生じるのではないかと感じた。

 

 

「生き残った帝国ビサンティン」井上浩一著 講談社現代新書(2005年5月13日)

 

 ビサンティン帝国は、西ローマ帝国滅亡後、なぜ1千年も存続できたのか?著者の考えは大変明確である。「・・・表面上帝国の伝統・建前を尊重した。ビサンティン帝国が1千年変わることなく続いたように見えるのはそのためである。・・・危機に対応し、生まれ変わっていくこと、いいかえれば革新こそが帝国存続の真の条件だったのである。」表面的には伝統を尊重しつつ、その実、変革をし続けていたからである。

 レオーン三世の時代、イスラム軍にトラキア地方を蹂躙された後、首都を包囲されたが、苦しんだ末に撃退した。「危機のあと私たちの前に姿をみせる帝国は、それ以前とはずいぶん違ったものであった。古いローマ的要素をすっかり拭い捨てて、本当の意味でのビサンティン帝国となっていたのである。」その例として、ローマ帝国から受け継がれた悪名高き「パンとサーカス」の制度が消滅し、競馬は市民大衆の娯楽から、国家の儀式へと性格を変えたことをあげている。そして新しい国家へと脱皮したという。

 アレクシオス一世の前の時代は、危機的国家財政を救うため、官位を売り、官位保持者に年金を支払うということが行われていた。要するに赤字国債である。ついに支払い年金が国家収入の何倍にもなるという事態に陥り、国家財政は破綻した。彼は「官位制度そのものを全面的に改革して、古い官位(すなわち国債)を事実上無価値にするという方式をとった。」一方、彼の治世は有力貴族たちが各地方で土地・農民を支配し、皇帝専制と相反する状況になってきていた。彼は現実を直視し、皇帝専制を貫くことをあきらめ、「皇帝は貴族のなかの第一人者とした」ことにより、有力貴族たちの指示を得、帝国の基盤を安定させた。その後、第4次十字軍に首都を落とされた際、皇帝専制から有力貴族の連合体に変わっていたことによって、亡命政権が生き延びる地盤ができ、半世紀後に首都を奪回できたというおまけもついた。

 ビサンティン1千年の歴史がコンパクトにまとめられ、かつ著者の主張が首尾一貫して分かりやすく、好著である。

 

 

「神聖ローマ帝国」菊池良生著 講談社現代新書(2005年5月8日)

 

 オットー大帝の即位(=帝国の成立)から、三王朝時代、大空位時代、ハプスブルク朝、フランツ帝のオーストリア皇帝即位による神聖ローマ帝国消滅までを、分かりやすくまとめた通史である。約1千年の歴史を300ページ足らずの分量に収めているにもかかわらず、決して事実の羅列にはなっておらず、読み物としても楽しめるようになっている。「しかしそれにしてもインノケンティウス三世はよくもまあ、これだけちょこまかといろいろな手を打ってくるものである。行い澄ました聖職者がこうなのだから、俗世のほうもこれに負けじと丁々発止と渡り合わなければならない。ヨーロッパ人の政治感覚が鍛えられるはずである。」「ローマ王選出もまた七選帝侯の権能である。公職選挙法などあるわけがないから選挙は凄まじい金権選挙となる。」ユーモアを交えた文章がここそこにあり、楽しみながら読むことができる。

 また、オスマントルコとの争いに関し、気になる文章があった。「皇帝の都ウィーンは押し寄せてくる異教徒の大波に対する防波堤の役を押し付けられていた。・・・プロテスタント諸侯は、オスマントルコはプロテスタントの味方とうそぶきながら皇帝から様々な特権を引き出した。」これが事実であれば、ハプスブルク家はさぞかし真面目な一族であったろう。さらに、本書を通じて、様々な人々が権謀術数を尽くして権力闘争をしていることとあいまって、ヨーロッパ人と渡り合うには、相当鍛えておかなければならない、そしてヨーロッパ史をもっと勉強しておかなければならないと思った次第であった。

 あとがきに、「担当編集者が・・・今度は神聖ローマ帝国をテーマにどうですかともちかけてきた。・・・こんな世界史の謎に挑むのは私の任ではないと思った・・・」とある一方で、「皇帝たちはドイツだけでなくヨーロッパ全体を包み込む経済的・社会的システムの変遷に翻弄され続けてきたと言ってよい。」と述べている。神聖ローマ帝国とは一体何なのかよく分からないと昔から思っていたが、読了後もよく分からないままである。本書によって私が感じたのは、神聖ローマ帝国というのは、時代や関係者の思惑・力関係によって政体(?)が変わりつつ、カール五世の治世のごく一部を除き帝国一丸となって動くということだけはいつの時代もなかったということであるが、この程度の理解で著者は満足いただけるであろうか?

 

 

「ハプスブルク家」江村洋著 講談社現代新書(05年5月5日)

 

 これで読んだのは2回目となるが、今回も最後まで興味が尽きず、かつ一気に読み終えてしまった。

 あとがきにあるように、ハプスブルク家の君主のなかでも、マクシミリアン一世・カール五世・マリアテレジア・フランツヨーゼフの4人を中心に据えながら、約7世紀の王朝史をたどっている。著者は、「日本のふつうの読者にも読んでいただけるような、簡にして要を得た、私なりのハプスブルク史を書いてみたいと思っていた」と述べているが、その意図は本書において完全に成功していると言えるだろう。ルードルフ一世がハプスブルク家初の神聖ローマ帝国皇帝となった時代から、フランツヨーゼフ帝の時代(正確には次代)に、第一次大戦後処理によってオーストリアが領土を削られ、かつ共和国となるまでに通史が、簡略に、分かりやすく、かつおもしろく描かれている。

 欧州とイスラムが対決した一時代があった。その一方の雄はオスマントルコであるが、もう一方はもちろん我がハプスブルク家であろう。そのハプスブルク家が、「戦は他国にさせておけ。幸いなるオーストリアよ。汝は結婚せよ」との諺に象徴されるように、結婚政策によってブルゴーニュ・チェコ・スペインと所領を増やしていく過程が描かれている。一方の雄がこのような形で発展を遂げていったことを知り、大変興味深かった。

 最初から最後まで飽きさせない好著であり、ぜひご一読をお勧めしたい

 

 

「物語 中東の歴史」牟田口義郎著 中公新書(05年5月4日)

 

中東の歴史は壮大なドラマである。中東地域のアラブ・ペルシア・トルコの各民族が帝国の主導権を握ろうと争いつつ、外敵であるモンゴル・ヨーロッパとの攻防を繰り広げてきた。本書の3章以降では、ムハンマドがイスラム帝国を打ちたてるところから、上記のようなことがまさに「物語」風に描かれている。例えば5章では、奴隷出身のバイバルスがスルタンにまで駆け上り、イスラム世界でヘゲモニーを握り、十字軍フランスやモンゴルを撃退する様子がいきいきと描かれており、手に汗を握りながら、一気に読み終えてしまった。他章では、有名なサラディンの物語や、スエズ運河をめぐる各国の争いの物語などがおさめられている。また、1・2章では、シバの女王とソロモン王のロマンス、パルミラの女王ゼノビアの悲劇が繰り広げられる。後者については、塩野七生の「ローマ人の物語」では当然反乱軍として描かれていた一方で、中東の物語を描く本書から見ると悲劇となっているところが大変印象的であった。

実は本書を読もうとして何度か挫折し、今回やっと読み終えたものである。その理由は、1章が「乳香と没薬」についてであり、予備知識も興味もないため、読むのがしんどかったからである。今回は、まず3章から終わりまでを読み、それから序章〜2章を読むという順序で進めたところ、最後まで興味が尽きずに読むことができた。失礼な言い方だが、各位の予備知識が私と同じレベルであるなら、同じ読み方をお勧めしたい。

 

 

「オスマン帝国」鈴木董著 講談社現代新書(2005年5月1日)

 

 本著は、オスマントルコ帝国が勃興・成長していく姿が具体的に描かれているとともに、衰退していく様子が「示唆」されている。

 非ムスリムであっても、「啓典の民」であれば保護され、信仰を保ちながら自活的生活を営むことが許されていたという。それを「ズィンミー制度」という。レコンキスタの進んだイベリア半島において、キリスト教徒に迫害されたユダヤ教徒を暖かく受け入れたのは、オスマントルコだそうだ。「啓典の民」には、ヒンズー教徒や仏教徒も含まれたという。なんと開放的であったことか。政治的統合の機軸となったのは、民族意識でなく、宗教意識であったという。

 最終章では、18世紀末〜19世紀初頭にかけ、非ムスリムの諸民族にナショナリズムが生まれ、ズィンミー制度という、オスマン帝国の「ゆるやかな統合のシステム」が根本から崩れ始め、オスマン帝国衰退の最も大きな要因であったと記されている。但し、残念ながら、欧米列強から領土を掠め取られ、ついに革命によって滅亡したといった、衰退の具体的経緯については触れられていない。

 知的好奇心を満たす目的なら、本著は十分その目的を満たしている。私自身、知識のないオスマン帝国の成長過程について、知ることができたのだから。しかし、この分量でここまで記述するのは難しいと分かりつつあえて言えば、今日、中東・バルカンで起きている問題の背景を知るという目的であれば、別著に譲らねばならないだろう。

 

 

「国民の歴史」西尾幹二著 産経新聞社(2005年4月9日)

 

700ページを超える大著であるが、読んでいる間、終始その迫力に圧倒されていた。

 内容は多岐にわたるが、大きく2つとりあげると、①日本の文化は決して中国の物真似ではないこと、②日本が明治維新から敗戦まで行ったことは、列強国から自国を守るためであったこと、である。

 ①について、かつて漢字を中国から輸入したが、日本の独自文化が侵されるのを恐れ、万葉集で使われる漢字のうち、「音読み」で使われているのはわずか数%という警戒ぶりであった。日本文化が漢字に侵される恐れがなくなった現代では、その率は50%近くになっているという。また、律令制度や「都」のつくりも中国から取り入れたが似て非なる制度であったという。中国の皇帝は専制君主だが、日本は天皇はそうでなく、分権体制であったと説く。このように、日中間ではまったく文化が異なること、太古から日本は独自の文化を育み、かつ守ってきたことが述べられている。

 ②について、幕末以来、列強からの独立を保つため、とりわけロシアからの脅威を防ぐため、韓国を支配せざるをえなかったと説く。日本の独立を保つという目的は、あくまで日本のエゴであり、ほめられる筋合いのものではないが、卑屈になる必要もないと言う。また民主国家アメリカが悪国家日本をたたいたという図式ができあがっているが、単に新興国アメリカと新興国日本が争って、日本が敗れたに過ぎないとも述べている。

 こういった歴史の見方も必要であろう。右だといって切り捨ててはいけないと考える。

 

 

2003年12月31日 塩野七生氏著『ローマ人の物語Ⅻ迷走する帝国』

 題名のとおり、非常に暗い内容である。これまでは、カエサルがガリアを征服したとか、ハンニバルを撃退したとか、五賢帝が文字通り賢明な政治をしたといった、これまでの巻のような明るい内容ではない。蛮族に度々領土を蹂躙され、耕地から農民が去ってしまうとか、港に浮かぶ商船が少なくなったとか、頻繁に皇帝がかわり、ひどい時には1年で5人も皇帝が変わったとか、果てには現役の皇帝がササン朝ペルシアの捕虜となってしまうという事態まで起きてしまった。いよいよ滅亡のときが近づいてきた感がある。

 危機になぜ対応できなくなってしまったのか。普通に語られるのは、著者が前書きで述べるように、「指導者層の劣化」「蛮族侵入の激化」「経済力衰退」「知識人階級の知力減退」「キリスト教の台頭」ということであるが、それに加え、著者は本書の中で次の3点を述べていると、私は読み取った。

 まずは、カラカラ帝が、「ローマ市民権」を、これまでは、簡単に言うと本国イタリア人にのみ与えていたのを、帝国全土に広げたことである。一見人道的で優れた施策と思われるが、結果として、従来のローマ市民権者から、帝国の柱は自分たちという気概を失わせ、新しくローマ市民権を得た者からは、向上心や競争の気概を失わせた上に、彼らに積極的に帝国を背負う意気が示されなかったことである。現代の会社にあてはめると、人事制度を構築する難しさを感じる。

 次に、ガリエヌス帝が、元老院と軍隊の完全分離を定めたことである。元老院とは、誤解を恐れず例えると国会のようなものであり、シビリアンであり人材プールでもある。これまでは、キャリア形成として、あるときは軍団長となり、あるときは法務官になるといったように、シビリアンとミリタリーを行き来し、政治・軍事双方が分かる人材を育ててきたのだ。この完全分離によって、軍事も分かる政治家や政治も分かる軍人がいなくなってしまった。

 最後に最も重大なことと思うが、公共心が失われたことである。元老院議員や地方議会議員は無給職であり、社会的・経済的に恵まれた者が自らの責務としてやってきた。公共工事の費用を負担することも進んでおこなってきた。ところが、本書の時代になると、公職忌避が進んできたというのである。フィリップス帝はやむなく「地方議員の子弟の一人は、父親と同じく議員を務める義務を負う」という法を成立させざるをえなかったのである。想像するに、帝国が繁栄してきて、人々の関心が内向きになり、帝国を支えるという気概が失われていったのであろう。今の日本もひとごととは思えないところである。

 

2003年8月11日(月)『ローマ人の物語XI 終わりの始まり』塩野七生著 再読

 著者が、「マルクス・アウレリウスは大変な時代に生まれていながら、全力を尽くして対処した。息子コモドゥスが愚かだったので、ローマ帝国が衰亡に向かった」という一般的な見方には懐疑的であり、検証したいと述べていたことに対し、前回私は、やはり一般的な見方というものに同意したいと書いた。しかし、単なる読み込み不足で、著者の言いたいことを理解できなかったのではと、気になっていた。今回再読し、著者の趣旨を理解できたような気がするので、再度この本について取り上げたい。
 マルクス・アウレリウスは40歳の時に皇帝となった。18歳の時に、マルクス・アウレリウスの前の皇帝アントニヌス・ピウスの皇太子とでもいうべき地位につき、22年間アントニヌス・ピウスを補佐し続けた。18歳から40歳までの間、文字通り皇帝の側につき、政務を共に担当していたのである。これ以上の帝王教育はない。問題は、アントニヌス・ピウスが、首都ローマやローマ付近でしか政務をとらず、マルクス・アウレリウスも手元に置いていたために、マルクス・アウレリウスは皇帝になるまでの間、ローマ付近にしか行ったことがなく、前線の様子も体感したことがなかったことである。このため、上流階級たちの間でも、辺境勤務よりも首都付近にいたほうがよいという風潮が広がってしまったようである。現代でいえば、支社勤務を避け、本社勤務の経験のみで、会社全体の状況を体で知らないまま、経営するようなもの、と著者は述べている。
 マルクス・アウレリウスが皇帝になると、疫病の流行、洪水、謀反と立て続けに問題が勃発した。その中で最も問題なのが、ゲルマン族の侵入(=ゲルマニア戦役)である。過去、トライヤヌス帝は正味一年で戦争を片付けたのに対し、マルクス・アウレリウスは5年かかっても解決できなかった。著者に言わせると、マルクス・アウレリウスは戦争というものが分かっておらず、またこの戦役では、戦略がなく、戦術のみで行われているとまで著者は断じている。マルクス・アウレリウスは自らの実線経験や国外経験の欠如による弊害を自覚したようで、息子すなわち後継者のコモドゥスを戦場に呼び寄せた。そして、根本解決のためには、防衛線を守るだけでは足りず、防衛線の向こう側をローマ領土とし、防衛力を高めるしかないという結論に至る。しかし、時遅く、志半ばにてマルクス・アウレリウスは命を落とした。
 ということで、マルクス・アウレリウスが皇帝となるまでの間、「現地現物」ができていなかったということが問題であった。私も会社で「現地を見て来い。臨場感のあることを言え」とよく怒られる。偉大なマルクス・アウレリウスも40歳までできていなかったので、私もしょうがないや、などといわず、実体験が重要と思うことにしよう。

 

2002年12月30日(月)『ローマ人の物語XI 終わりの始まり』 塩野七生著
 ローマ王国・共和国・帝国の歴史につき、毎年1作刊行し、全15作で完結させようというもので、これは第11巻にあたる。毎年刊行されるのを楽しみにしており、この本も出たらすぐ購入し、早速読んで堪能させてもらった。今回はマルクス・アウレリウスの治世とその死後内乱に突入した時代をとりあげている。
 マルクス・アウレリウスとはかわいそうな皇帝と思った。哲学を愛するにもかかわらず、これまで数十年なかった外敵の侵入に相次ぎ見舞われ、戦地暮らしを余儀なくされ、ついに皇帝として初めて戦地で亡くなった。他にも疫病の流行、洪水、謀反と、これでもかと難問が発生し、大変な世の中であった。
 この本の中で、マルクス・アウレリウスの著書『自省録』の一部が紹介されている。「人は思索に徹したいとき、人里離れた地にこもる。田園に、海辺に、山の中に。お前も昔は、よくそれを夢見たものだった。だがこれは、愚かな解決法である。もしも本当に自分の心と向き合う必要を感じたならば、いつでもどこでも、自分の内に逃げこむことはできる。」それほど体が丈夫でないにもかかわらず、軍最高司令官から最高裁判所長官的役割まで果たす超多忙な責務を果たしつつ、わずかな自分の時間に哲学的思索にひたる生活をしていただけあり、非常に味わい深い言葉である。吉田兼好や鴨長明のような生活をうらやましいと思うこともあるが、今の生活の中で、読書や思索にふけることが必要だと改めて思ったしだいである。
 この本はまさに映画『グラディエーター』の時代をとりあげている。映画では、マルクス・アウレリウスは息子コモドゥスに殺されたことになっており、またマルクス・アウレリウスは映画の主人公マキシマスを次期皇帝にしようとしていたと描かれているが、そうではないことが分かった。またマキシマスにはモデルがいたことも分かり、興味深かった。
 ところで、著者は、「マルクス・アウレリウスは大変な時代に生まれていながら、全力を尽くして対処した。息子コモドゥスが愚かだったので、ローマ帝国が衰亡に向かった」という一般的な見方には懐疑的であり、検証したいと述べていたが、読み終わってからも、私はやはり一般的な見方と違う考えは持てなかった。数多くの難問に対し、マルクス・アウレリウスは誠実に適切に対応していたと思う。あえて言えば、マルクス・アウレリウスは軍事的才能はなかったかもしれない。またコモドゥスも最初から愚帝ではなく、信頼していた実の姉に暗殺されかかり、極度に猜疑的になってしまったという事情もあり、かわいそうな面もあるなあと思った。しかし、大筋では一般的な見方が正しいと感じた。早く結末を知りたくて、焦って読んだので、読み込み不足だったかしれない。
当初は15作とは先が長いと思っていたが、あと4作で完結となってしまい、少し寂しい気もする。しかし、早く次回作品を読みたい。楽しみである。