あなたは、恋人と川沿いの土手を歩いているかもしれない。
前からはいつものように、近くに住んでいるアライさんが愛犬ゴンを連れて散歩しているかもしれない。
そしてゴンは、いつもちょっとだけ機嫌が悪くて、もしくはちょっと だけ気難しくて、
誰にでも挨拶代わりに、意地悪くものすごく大きな声で1回だけ吠えてみるかもしれない。
アライさんは、いつものことだから気にせず、そんな愛犬を見つめて、やさしく微笑んでいるかもしれない。
そんないつもの情景に、見慣れない男の子が一人現れるかもしれない。
一見すると小学生くらいの無邪気な笑いを浮かべた男の子。
でも、その目はいたずらっぽく輝いているかもしれない。
その男の子が突然駆け出していって、ゴンの鼻先でベーッって舌を出すかもしれない。
いつもだったらゴンの一吠えで、どんないたずらっ子も一発KO。
半ベソで逃げ出す子を見かけたことだってあるのに、
ゴンは吠えもせず、楽しそうに尻尾を振って、男の子の顔をペロッっ<てなめるかもしれない。
それを見ている、いつもほほえんでいる姿しか見たことのないアライさんが、にっこり顔中で笑っているかもしれない。
・・・そういえば、あなたは恋人とけんかしていたところだったかも しれない。
理由は他愛もないこと。だって、もう忘れてしまっているから。
さっきからあなたは、なんだか心の中で陽気さがぐるぐるとダンスを踊っているような、
クツクツと笑い出したくなるような、そんな気分でいっぱいになっているかもしれない。
だから、「本当はまだ怒ってるんだよ」って恋人に思わせるためにちょっとむっつりして見せながら
「許してあげる」って恩着せがましくいうために、恋人のほうを向くかもしれない。
そして、まったく同じ表情の恋人の顔に出会って、お互いにプププッって吹きだしてしまうかもしれない。
そんなあなた達の足元に、いつのまにか男の子がきていて2人を見上げてにこって笑った後、
わざわざ2人の間を、おしのけて走り去っていくかもしれない。
ふと前を見ると、いつものようにアライさんがゴンの散歩中で、
ゴンがこれまたいつものように、あなたと恋人に1回ずつ吠えるかもしれない。
それを、いつものほほえみで眺めながらアライさんが、「こんにちは。今日は風もない穏やかないい日でしたね」って挨拶するかもしれない。
あなたも、スーッっと落ち着いた気持ちになって、やっぱりいつものように「こんにちは、今日もゴンはご機嫌斜めですね」ってほんの少し笑いながら、答えるかもしれない。
横で恋人も、うなずいているかもしれない。
「あーあ、空気が凪いじゃったね」
って、後ろから声がきこえた気がして振り返ったら、あの男の子が両手を広げて、時にクルクル回りながら、土手を駆け下りているのが目にはいかもしれない。
風もないのに、髪の毛が激しくあっちにこっちに揺れて、くしゃくしゃになっ ているかもしれない。姿が見えなくなる寸前、男の子が空を見上げていて、そのあまりに真剣な表情にあなたは驚いてはっと息をのむかもしれない。
でも男の子の消えたほうから、誰かの陽気な口笛がきこえてきて、
あなたは、ひどく穏やかな気持ちで恋人のほうを向いてふーっってため息をつくように笑って、また歩き出すかもしれない。
そんなことが、かつてあったことを、あなたはただ忘れてしまっているだけなのかもしれない。
「風の子」(マーシュ・マロウ ミニアルバム「marsh mallow」より)
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