金 の 靴
江上鶴也訳『ウイグル民話集』より
むかし、とても意地悪な母親がいました。
その母親には娘が二人ありました。上の娘は継子で、ハジャルハンと言いました。下の娘は実の子で、パトミハンと言いました。姉のハジャルハンは、とてもきれいで賢く、気立てのよい働き者でした。妹のパトミハンは、醜くて頭が悪く、意地の悪い怠け者で、着ることと食べることにしか興味がない娘でした。それでも、継母は実の子のパトミハンを可愛がり、継子のハジャルハンを虐めてばかりいました。継母はいつもハジャルハンに、こう言って脅していました。
「見るんじゃないよ、見れば目を突くよ。話すんじゃないよ、話せば舌を切るよ」
食べ物や服は粗末なものを与え、髪はぼさぼさのまま手入れをさせてくれませんでした。かわいそうなハジャルハンは、捨てられた服を着、焦げたナン(パン)を食べ、白湯を飲み、とても苦労して育ちました。
ハジャルハンが七歳になったある日、継母が、
「おい、大飯喰らいのノミ飼い野郎。いつまで、子供でいるんだい。お前に、ただ飯は食わせないよ。走って来いってば。薪と糞を拾って、このカゴいっぱいにするんだよ。羊の番もするんだ。よその羊と一緒にするんでないよ。一匹でも羊がいなくなったら、ただではすまないからね。いいかい、しっかり番をするんだよ。なにぐずぐずしてるんだい。早く出て行け、このうすのろ」と、口汚く罵り、羊飼いの仕事にやらせました。
ハジャルハンは九年間、昼間は森に行き羊の番、夕方は家畜小屋で世話、夜は夜で食事の用意、洗濯、薪割り、ナン焼きなどをやらされました。朝から晩まで、息吐く暇もなく働いても、罵られ、棒で叩かれて、一分なりとも身の安らぐことはあませんでした。
ある日、継母はハジャルハンが羊の番をしている所へこっそり行って、様子を覗きました。ちょうどその時、ハジャルハンはお昼になったので、少し休憩しようと思い羊を日陰に集め、ナツメの木陰でうとうとしていました。これを見た継母はかんかんに怒って、ハジャルハンの側に駆け寄りました。
「ふーん、どーりで、薪を少ししか持って来ないのかと思ったら、お前、油売って寝てるじゃないか。この死に損ないのただ飯喰らいが」
継母は森の中でわーわー喚き散らし、大騒ぎして、ハジャルハンの髪の毛を掴み、顔を殴り、胸やお腹を蹴りました。そして、怖い顔をして大声で罵りながら、もと来た道を引き返して行きました。
翌朝、ちょうど日の出に、ハジャルハンが羊を集めて森へ行こうとしていると、継母が呼び止めました。
「おーい、この悪党。なんだい今日は、えらく早く起き出して、どうした風の吹き回しなんだい。羊番しながら眠るんじゃないよ。さあ、この綿で糸を紡ぐんだ。これ持ってとっとと出て行け」
継母が何本か糸紡ぎ棒を投げました。ハジャルハンは何も言い返すことが出来ず、黙って糸紡ぎ棒を拾うと出て行きました。羊の番をし、糞を拾い集め、薪取り、その上に糸紡ぎもしなければなりませんでした。だから、夕方になると、とても疲れてしまい身体が動きませんでした。家に帰れば、仕事が山ほど待っていました。その上、継母が日増しに糸紡ぎの量を増やしていくのでした。
「このできそこない。誰がお前を休ませたりするもんか」
かわいそうなハジャルハンは、夜は近所で機織りの見習いをさせられるようになったので、夜中まで働かされ、寝ることが出来ませんでした。だから、昼間の羊飼いと糞拾いと薪取りがきつくて、糸紡ぎは少ししか出来ませんでした。家に帰れば、継母のゲンコツと棒が待っていました。もう、何の気力もありませんでした。夜は夜で、また、仕事をしなければならないのでした。やっと、床に就いても手足を伸ばしてゆっくりすることさえ出来ませんでした。この歳になるまで、夏は外で蚊に刺されながら、冬は家畜小屋でノミに咬まれながら、羊や牛と一緒に眠りました。こんなに苦労をさせられ、苦痛を受けては生きた心地がしませんでした。昼間は森で大声上げて泣きながら、夜中は声を出さずに泣きながら、こう歌いました。
ある日、ハジャルハンは疲れてしまい糸紡ぎが出来ませんでした。
「もしこのまま夕方になって家に帰れば、またお母さんに棒で叩かれるわ」
ハジャルハンが泣きながら歌っていると、突然、強い風が吹き、竜巻が起こりました。そして、ハジャルハンの側に置いてあった糸紡ぎ棒が、風に飛ばされてどこかへ行ってしまいました。
「あーあ、どうしよう。このまま家に帰ったら、お母さんに何て言おう。また、お母さんからひどい目に……」
驚いて血相を変えたハジャルハンは、泣き叫びながら必死で竜巻を追い掛けて行きました。
「竜巻さーん、お母さんに叩かれまーす。どーうか、糸紡ぎ棒を返して下さーい。お願いしまーす」
しばらく追い掛けて行くと、竜巻は崖にある洞穴に入りました。ハジャルハンも竜巻を追って、洞穴に入って行きました。洞穴の中は、草花が一面に生い茂っている庭があって、真ん中に小さな家がありました。ハジャルハンが近付いてみると、家の中にはおばあさんが一人座っているのが見えました。ハジャルハンは静かに門をくぐって、丁寧に挨拶しました。
「アッスルーム(こんにちは)、おばあちゃん」
おばあさんもハジャルハンにやさしく声を掛けてくれました。
「アレーコム・アッサラーム(こんにちは)、お嬢さん、こっちに来なさい。部屋に入って。何か難儀でもしてるのかい」
ハジャルハンは胸に手を当てて、今にも泣きそうな顔をして返事しました。
「竜巻が私の大事な糸紡ぎ棒を持って行ったんです。追い掛けていたらここに来たんです」と言い終えると、泣き出しました。
おばあさんは真顔で、
「大丈夫ですよ。お嬢さん、あなたの糸紡ぎ棒はありますから、心配しなくてもいいですよ。お嬢さん、私にご飯を作って下さいな。太さはあなたの腰ぐらいの、細さはあなたの腕ぐらいの麺を、熱いスープで食べたいと思っていました」と冗談のように言いました。
「はい、分かりました。おばあちゃん」
ハジャルハンは糸紡ぎ棒が見つかったので、元気よく返事しました。手を洗って、てきぱきとご飯を作り始めました。瞬く間に髪の毛のように細い麺を作りあげ、とてもおいしい麺スープをおばあさんに食べさせました。
おばあさんはまた真面目な顔をして、
「お嬢さん。そうしたら、食器を洗ってから家の中を掃除して下さいな。汚れた水は煙突に流して、ゴミは天窓に捨てなさい」と言いました。
ハジャルハンは、素早く食器を洗って汚水を桶に入れ、家を掃除してゴミを庭の穴に捨てました。
「ちょっと、お嬢さん。こっちに来て下さいな」
「はーい、おばあちゃん。次は何しましょう」
「頭がかゆいのだけど、頭を洗って下さいな」と、おばあさんは今度は普通に言いました。
ハジャルハンは、やさしくおばあさんの頭を洗い、櫛で梳き、髪の毛を編んであげました。おばあさんはとても喜びました。
「お嬢さん、どうもありがとう。あなたの糸紡ぎ棒は、あそこの隅にある水瓶の中にあります。早く持って帰りなさい」
ハジャルハンは、おばあさんが指差した水瓶の中に頭を突っ込むと、水は一滴もなくて、そのかわりに、きらきら眩く光っている金銀宝石がいっぱい詰まっていました。でも、ハジャルハンは、他のものには目移りせず、ただ自分の糸紡ぎ棒だけを探し出して手にしました。糸紡ぎ棒にはとてもきれいな糸が巻いてありました。ハジャルハンが後戻りしようとすると、頭に何かあるようで少し重く、なぜてみると、頭に一束、金の髪の毛が生えていました。ハジャルハンはおばあさんに、微笑みながら腰をかがめて御礼を言って、帰ろうと後ずさりしました。すると、おばあさんが手招きしました。
「お待ちなさいな。お嬢さん。こっちに来なさい。何か起これば、この髪の毛を火にくべなさい。困ったことが直ぐ解決できますよ」
おばあさんは頭の白髪を二本抜いて、ハジャルハンに手渡しました。ハジャルハンはもう一度、御礼を言って、洞穴を出て行きました。森に戻り、カゴと糸を手に持ち、羊を連れて家に戻りました。
家に入ると、継母がいつものように悪態を吐きました。
「この死に損ないが。その頭はどうしたんだい。お前、どんなアホ男と会ったんだい。おい、答えな。けっ、お前、嫁に行こうと思ってるんだな」
継母は娘のパトミハンと一緒に力を合わせ、ハジャルハンの金の髪の毛を引き抜こうとしました。しかし、継母達がどんなに力を入れて引っ張っても、金の髪の毛は抜けませんでした。ハジャルハンは恐ろしくなって、なぜ金の髪の毛が生えたのか訳を話しました。継母は何か思いついたようで、ハジャルハンに多くは聞きただしませんでした。
翌日、継母はパトミハンに糸紡ぎ棒を三本持たせて、羊番をさせに森に行かせました。ハジャルハンは家に残って仕事をし、庭で飼っている子犬とヒヨコを可愛がって餌をやり、また、いつも庭に飛んで来るつがいのハトにも餌を撒いてあげました。そして、泣きながら、お母さんはパトミハンに、いったい何をさせるつもりなのだろうか、と思いました。
いやいやながら糸紡ぎ棒を持ち、羊を追って森に入って行ったパトミハンは、暑さに耐えきれなくなって母親を罵りました。
「どうして、うちにこんなことさせるんだ。ハジャルハンのバカがやることなのに、母ちゃんのバカ。大嫌い」
糸の紡ぎ方を知らないパトミハンは、何もすることがないので、鼻をずるずるいわせながら木陰でうとうしていました。突然、大風が吹いたかと思うと、竜巻が起こりました。竜巻はパトミハンがスカートの裾に置いていた糸紡ぎ棒を、どこかへ持って行ってしまいました。土ぼこりが目に入ったパトミハンは、目が痛くて泣き叫びながら、のろのろと竜巻を追い掛けて行きました。
「おーい。間抜け野郎の竜巻。糸紡ぎ棒を返せー。返せよー。糸紡ぎ棒をかーえーせー」
竜巻はパトミハンの走るスピードに合わせて、ゆっくりゆっくり進み、ある崖の洞穴に入って行きました。パトミハンは、はーはー息を弾ませながら竜巻の後を追って洞穴の中に入りました。洞穴には家があって、おばあさんが一人いました。パトミハンはおばあさんに挨拶もせず、ぶっきらぼうに、
「おい、ババア。竜巻のバカが、うちの糸紡ぎ棒を盗んでここに来たんだ。取り返してくれ」と、喧嘩腰で言いました。
おばあさんは、頭を一、二度横に振って、昨日、ハジャルハンにさせたような事をさせようとしました。
「お待ちなさい。そんなに怒りなさんな。糸紡ぎ棒はここにありますから。安心なさい。お座りなさい。あなた、先ず、私にご飯を作って下さいな。それから糸紡ぎ棒を持って帰りなさいな」
「このババア、いやだと言えば糸紡ぎ棒を返してくれない気だな」
パトミハンはぶつぶつ言いながら、手も洗わず、だらだらとご飯を作り始めました。おばあさんが言った通りに、太いのは自分の腰ぐらい、細いのは腕ぐらいの麺をこしらえました。そして、食器をがちゃがちゃいわせて洗い、汚水を煙突に流し、家を掃除してゴミを天窓から捨てました。それから、おばあさんの髪の毛をごしごし手荒く洗い、ぐいぐい引っ張って髪の毛を編んでやりました。おばあさんは、パトミハンが滅茶苦茶するので、ひーひー言いながら耐えていました。こんなにひどいことをされたので、パトミハンと母親を呪いました。とうとう、おばあさんは怒り出しました。
「ほら、あそこの隅の水瓶にあなたの糸紡ぎ棒がありますから、早く持って出て行きなさい」
パトミハンは大急ぎで走って行き、水瓶の中に顔を突っ込むと、うわー、なんとまあ、きらきら輝いて目が眩みそうな金銀宝石がいっぱいありました。貪欲なパトミハンは、袖の中にごっそりと宝物を入れて服をぱんぱんに膨らませてから、糸紡ぎ棒をつかむと、後ろも見ないで一目散に洞穴から走り出ました。
森に戻って羊を集め、カゴをぶら提げて家に帰ろうとしていると、頭がかゆくなってきました。
「うわーい。ほんとだ。うちの頭にも金の髪の毛が生えてきたんだ。うれしー」
パトミハンが頭を触ってみると、一面に出来物ができ、腫れてぴくぴく動いていました。気が動転したパトミハンは、羊のことはすっかり忘れてしまい、ぎゃーぎゃー大声上げて泣きながら、どたどたと家へ走って帰りました。
家に帰り着と、パトミハンの帰りが遅いのを心配していた母親が、声を掛けました。
「パトミハンちゃん、遅いじゃないか。何だい、どうして泣いてるんだい。何があったんだい。頭に何巻いてんだ」
母親はパトミハンが頭に巻いている布切れを素早く取ってみると、頭一面が腫れていて、額に毒草が生えていました。
「うへー、なんてこったね。どこのバカ野郎がうちの子にいたずらしたんだい」
継母は大声張り上げ、気も狂わんばかりに泣き喚きました。パトミハンにありとあらゆる治療をさせたり、いろんな所へ行って拝んでもみました。しかし、全然、御利益はありませんでした。パトミハンが、おばあさんの所から盗んできた金銀宝石の何倍ものお金を使ってしまいました。それでも、パトミハンの頭は元には戻りませんでした。
月が経ち、歳が経ちました。ある日のこと、このまちの大金持ちが盛大に宴会を開くので、まちの一軒残らず招待することになりました。貪欲な継母は、その宴会に出ると、お土産がもらえるので大喜びしました。
宴会の当日になりました。ちょうど日の出、カラスがまだ朝を告げない内に、ハジャルハンが羊を連れて森へ行こうとしていました。
家の中から継母がいつもの調子で、
「おーい。ハジャルハーン。こっちに来ーい。くそったれの死にそこなーい」と怒鳴りつけました。
「お前、なんだい。がたがたして、うるさいじゃないか。今日はえらく早起きじゃないか。こっちに来い。よく聞くんだよ。今日、うちら宴会に行くからね。お前、羊を近所の羊と一緒にして、直ぐ帰って来るんだ。分かったら、とっとと出て行け。この怠け者」
ハジャルハンは継母に言われた通り、羊をお隣の羊と一緒にすると、直ぐに帰って来ました。そして、家の中と庭を掃除し終えると、可愛がっている子犬とヒヨコの頭をなぜながら縁側で座っていました。家の中では、継母とパトミハンが宴会に行くため着飾っていました。
「母ちゃん、うちらが家に帰って来るまでハジャルハンのバカは、何にもしないで留守番しているのかい」
「ふん。何言ってるんだい、この子は。留守番も仕事のうちかい。バカ言ってんじゃないよ。ただ飯なんか食わさないよ」
継母は納屋からそれぞれ十キロの麦袋と粟袋を取り出して来て、庭の真ん中にある砂場にばら撒いてまぜこぜにしてしまいました。
「おい、ハジャルハン。この、ただ飯食らい。いいかい、うちらが帰って来るまで、麦と粟を選り分けて元通りにするんだよ。一粒でもなくしたら、お前の目ん玉えぐり出してやるからね。それから、墓(仕事場)に入って二丈織るんだよ。しっかり留守番するんだよ。髪の毛一本なくしても、スズメの首をもぎ取るようにお前の首をちぎってやるからね。分かったかい。言われたことをちゃんとやらないと、お前どうなるか分かってるんだろうね」
継母はハジャルハンを、まるで奴隷のように扱いました。ハジャルハンが今にも泣きそうにしているのをよそに、継母達は宴会へいそいそと出掛けて行きました。こんなひどいことをされたのでは、ハジャルハンはどうしていいのか分かりませんでした。
「何てひどい仕打ちなの」と言うなり泣き出しました。
しばらくして、あのやさしいおばあさんを思い出し、おばあさんがくれた白髪を一本手に持ち、拝んで火にくべました。
「どうか私を助けて下さい」
すると、庭の樹木がざわざわし出し、そこら中で竜巻が起こりました。ハジャルハンは風に飛ばされて一回転しました。再び飛ばされないようにと地面に伏せて竜巻が止むまでじっとしていました。少し時間が経って竜巻がおさまったので、そっと目を開けてみると、いつかハジャルハンにご飯を作らせて、最後に白髪を二本くれたおばあさんが、地面に座りハジャルハンの頭をなぜながら、にっこりしていました。ハジャルハンはびっくりして飛び起き、挨拶すると、おばあさんに抱きついて、涙ながらに悲しみを訴えました。
「よし、よし、お嬢さん。分かってますよ。いつか仕返しする時が来ますからね。辛抱するんですよ。さ、立ちなさい」
おばあさんにやさしい声を掛けてもらったハジャルハンは、涙を拭きながら立ち上がり、両手を胸に当て御礼を言いました。
「あなたの苦しみは、私の苦しみだから、あなたの苦しみをなくしてあげましょう。さ、お嬢さん。この鍵で、あそこの真ん中の扉を開けなさい。遠慮しないで、さあ、入って。金の衣装箱から包みを持って来なさい」
おばあさんは、何のことなのかよく分からないでいるハジャルハンを促しました。ハジャルハンは目の前にある扉を開け中に入りました。緑の漆に金粉が撒いてある美しい扉が幾重にもあって、ハジャルハンが入って来ると同時に、ぱーっと一斉に開きました。ハジャルハンはおばあさんが話した金の衣装箱から包みを取ってきました。おばあさんは、ハジャルハンを大きなたらいに入れ、石けんでごしごし身体を洗い、頭を整えてくれました。そして、ハジャルハンが持って来た包みを開き、綿のように柔らかい絹の下着、花柄のチョッキ、裾に刺繍のある錦の上着など、ハジャルハンが今まで見たことがない、とてもきれいな服を着せてくれました。それから、刺繍の花帽子を被せ、その上から真珠や宝石をちりばめた絹のベールを巻いてあげました。足には金の靴を履かせ、腕には金の腕輪を二つ、指には宝石の腕輪、耳にはエメラルドのピアスを着けさせて、まるで天女のように仕立て上げました。準備が終わると、おばあさんは盆に小さいナン、アトラス(絹矢絣)、小さい茶碗を載せ、それを絹の風呂敷に包んで手に持つと、ハジャルハンを促しました。
「さあ、行きましょうか」
ハジャルハンは、生まれてから今まで一度も着たことがない、目が眩むような美しい服を着せてもらいました。また靴も腕輪も指輪もピアスもどれもこれも、王女様が身に着けるようなものばかりでした。ハジャルハンは夢を見ているようで、とても喜びました。でも、継母達が帰って来るまでに、し終えねばならないことがたくさんあったので、喜んでばかりはおられませんでした。ハジャルハンは目に涙を溜め、
「どこに行くんですか。おばあちゃん。麦と粟を選り分けて元通りにしなければいけないんです。ねえ、おばあちゃん」と訴えるようにたずねました。
おばあさんはにっこり笑って、心配顔しているハジャルハンを励ましました。
「おーお、ほんとにかわいそうなお嬢さんだこと。独りぼっちでほんとにさびしいだろうね。心配しないで。大丈夫。私にお任せなさい。お嬢さん、あの悪党親子達が行った宴会にあなたも出席しなさい。あの人達よりももっと楽しんでいらっしゃい。あなたが帰って来るまでに麦と粟を選り分け、アトラスを織り、家の仕事は全部終わっていますから、何も心配は要りませんよ。さあ、お嬢さん。神様にお祈りして、早く行きなさい」
ハジャルハンが家の門を出ると、ぴかぴか光った金の馬車が停まっていました。御者台には老いた御者が馬の手綱を持ち、銅像のようにじっとしていました。ハジャルハンが金の馬車に見とれていると、きれいな若い婦人が側に来て、ハジャルハンに手を貸して馬車に導き、乗せて上げました。
おばあさんは両手を揃えて高く持ち上げて神様に祈ってくれました。
「神様、お嬢さんの苦しみを私の祈りでお救い下さい。道中無事でありますよう。また、悪人達からお守り下さい。アーミン、アッラーフアクバル」
すると、突然、竜巻が現れハジャルハンの乗った金の馬車を呑み込んでしまいました。しばらくして、ハジャルハンの耳に何か音が聞こえてきました。太鼓、笛、歌声が聞こえてきたのです。気が付くとハジャルハンの乗った馬車は、宴会が行われている家の前にありました。
その家の人達は、立派な馬車を見て仰天しました。
「うわー、こりゃすごい。立派なお客が来たぞ。俺達の名誉だぞ」
この家の人達は大喜びし、ハジャルハンを丁寧に迎え入れ、女性達が大勢いる広くてきれいな部屋に案内しました。
ハジャルハンが部屋に入ると、子供から大人まで部屋にいた全員が一斉に立ち上がって、一人一人、ハジャルハンと挨拶を交わしました。ハジャルハンはお客の中で一番高貴だったので、上座に座らされました。
お客の婦人達は口々にハジャルハンの噂をしました。
「あのお方は、どこの国の王女様かしら」
「どこの大金持ちのお嬢様なのでしょう」
ハジャルハンが余りにも美しくて、また、ものすごく高価な金銀宝石を身に付けているので、宴会に来た人達の誰もがハジャルハンに心を奪われてしまいました。
食事の時間になり、お客達が手を洗い清めると、食事が出されました。七十種類の果物やお菓子が並べられ、お茶が運ばれました。そして、甘い飲み物が出た後、ウグラ(ラーメン)、シチュー、ポロ(煮込みご飯)など、次から次に置き場のないくらいに並べられました。
ハジャルハンが注意して見ると、継母とパトミハンの二人は、一番末席の靴置き場で小さくなって座ってました。二人は物欲しそうな顔をして、豪華でおいしそうな食事を前にきょろきょろしていました。日頃、継母がいくら自分は金持ちだと自慢していても、今日の宴会に来た大金持ちの婦人達に比べると、天と地ほどの開きがありました。いつも、威張りくさってハジャルハンをいじめている二人は、大宴会の雰囲気にけおされて小さくなっており、とても貧相に見えました。
ハジャルハンは、前に料理が運ばれて来る度に、継母と妹を気遣いました。
「あそこの一番末席に座っている親子に差し上げて下さい」
休みなく継母とパトミハンに食事を勧めました。
「どうぞ、お召し上がり下さい。娘さんも充分に食べるように」
陽がかなり傾いて宴会はお開きになりました。ハジャルハンは誰よりも先に席を立ち、みんなが引き留めるのを振り切り帰って行きました。お客の婦人達は、口々にハジャルハンが立ち去って行く後ろ姿を眺めながらほめ合いました。
「部屋の中が、ぱっと明るくなったような、とても美しいお嬢様でしたわね。その上に、とても人情があったわね」
ハジャルハンの馬車は、広い砂漠を走り、森を抜けて草原に出ました。その草原には一筋小川が流れていました。ハジャルハンは小川の側で馬車を止めてもらいました。花が咲いている水辺に座り、流れに手を入れ、水をすくっては空に向けて撒き散らしました。きらきら空に舞う水玉を眺めているうちに、家の麦と粟を思い出し気掛かりになりました。あのおばあさんが言った事が本当なら良いんだけど、もし……、と心配になってきました。心配顔して小川の流れを見つめていたハジャルハンに、御者が声を掛けました。
「おーい。お嬢さーん。馬に乗った連中が遠くに見えてるんだ。ここから早く離れた方が良いと思うんだがね」
御者の声を聞たハジャルハンは、はっとして立ち上がり、馬車に向かって駆け出しました。息せき切って馬車に乗り込みました。余りにも急いだので、履いていた片方の金の靴を小川に落として来ました。馬車は走り出したかと思うと、竜巻が起こり、呑み込まれてしまいました。
さて、ハジャルハンの家はどうなっているのでしょうか。
ハジャルハンが宴会に出掛けて行ってから、やさしいおばあさんの周りに、ハジャルハンが可愛がっている子犬、ヒヨコ、ひとつがいのハトがやって来てじゃれつきました。おばあさんは、手のひらからナンをひとかけら子犬にやりました。ヒヨコとハトには小さくちぎってやりました。
子犬は、ナンを食べ終わると、壁の上や門にしっかり目を見やり、耳をそばだてました。
「おばあちゃん、庭の中には誰も入れないし、のぞこうとしても追っ払ってやるから大丈夫だよ。しっかり番をするからね」
ヒヨコは屋根に登り、四方を見渡し、
と歌いました。すると、方々からニワトリが庭に集まって来ました。そして、継母が混ぜてしまった麦と粟をくちばしで選り分けて、それぞれの袋に入れ始めました。ハトもしゃべり出しました。
「おばあちゃん、何かすることありますか。私達、何でもしますよ」
ハトは空に飛び上がり見えなくなったかと思うと、直ぐに大勢の仲間を引き連れて来て果樹園に舞い降りました。そして、ハト達は天女に変身すると、一列に並び果樹園を出て、おばあさんのいる縁側に来て行儀よく挨拶しました。おばあさんは天女達のリーダーを呼びつけて何かをささやきました。天女達は機織場へ行き、めいめい仕事を分担して一生懸命に働きました。瞬く間にアトラスを二丈織り上げてしまい、織り上げた反物は継母の衣装箱の上に重ねて置かれました。
ニワトリ達も麦と粟をそれぞれの布袋に選り分け終え、元通りにしました。ハジャルハンに代わって仕事をしたハトとニワトリは、おばあさんに別れを告げ帰って行きました。子犬、ヒヨコ、つがいのハトは、おばあさんからほうびをもらい頭をなぜてもらいました。そして、おばあさんはみんなに御礼を言い、別れを告げると消えてしまいました。
ハジャルハンはどうしたのでしょうか。
ハジャルハンの乗った馬車は、竜巻に呑み込まれてしまい、ハジャルハンが気が付くと、おばあさんの家の前にいました。
「お嬢さん、こっちに来なさい」
おばあさんが家の中に招き入れ、宴会のことを色々たずねました。
ハジャルハンは、お土産のナンをおばあさんに手渡しながら、
「おばあちゃん、私ね、上座に座ったの。お母さんと妹は末席に座ってました。着せてもらった立派な服や飾りものを、宴会に来ていた人達からとてもほめてもらいました。私のことを、どこかの王女様か大金持ちのお嬢様だと思ったみたい。すごく、おもてなしされました。お料理、果物、お菓子、飲み物は全部、一番先に私の所に来たの。でも、私、嬉しくて、嬉しくて何にも喉に通らなかったわ。だから、私に運んで来てくれたものは、みんなお母さんと妹に勧めました。とても面白くて、楽しかったわ。おばあちゃんに何て御礼を言ったら良いんでしょう。本当にありがとうございました」と言うと、何か恥ずかしそうにして目を伏せました。
「まあ、まあ、それはほんとに良かった。お嬢さん。お母さんが賢ければ何とかなるかも知れないけど……。靴のことは気にしなくても良いですよ。さあ、お家にお帰りなさい。お幸せにね」
おばあさんはハジャルハンの頭からつま先までなぜました。すると、ハジャルハンは、おばあさんの目の前からすーっと消えてしまうと、自分の家の庭に現れました。庭を見回すと、麦と粟がすっかり元通りに選り分けられて、それぞれの布袋に入っていました。家の中に入ると、継母の衣装箱の上にアトラスが二丈置いてありました。今日あったことの何もかもが夢のようで、ハジャルハンにはとても信じられませんでした。
しばらくすると、継母とパトミハンが帰って来ました。扉をどんどん叩いているので、ハジャルハンが急いで扉を開けると、継母は威張りくさって身体を揺すり、庭に入って来ました。
「おい、山羊の子。今日はえらくきれいにしてるじゃないか。水をいっぱい使ったな。何だ、お前、嫁に行こうとでも思ってるのかい。見なよ、このべっぴんさんを」
継母はハジャルハンのほおを力一杯つねり、げっぷして、臭い息を吐き、ひひっとあざ笑いました。
「嫁に行かないなら、化粧なんかしても無駄だぞ。誰がお前を好きになるんだ。こんなブスの年増を。おい、麦と粟をちゃんときれいにしたか。何とか言いなよ」
パトミハンも継母のまねをして、ハジャルハンを数回殴りつけました。
「みんな終わりました。アトラスも織り上げてあります。その後、髪と顔を洗ったんです」
ハジャルハンはべそをかきながら走って家の中に入り、麦と粟の布袋とアトラスを持って来て継母達に見せました。
ハジャルハンが手に持っているアトラスを見た継母は、ハジャルハンが難しい仕事を簡単にやりこなすことが分ったので目を細め、いっひっひーと醜く笑いました。
「お母さん、宴会はどうでしたか。何を見たんですか」と、ハジャルハンがたずねました。
「なにっ。おい、ろっ骨。何か聞きたいのかい。じゃ、よーく聞け」
継母はまるでおとぎ話を語って聞かせるかのように、得意になって話し始めました。
「このまち始まって以来の大きな宴会だったよ。ほんとだよ。このまちがつぶれてしまいそうなくらい、いろんな所から奥様方が来てたよ。一番すごかったのは、ある王女様が来たんだ。うちら王女様と同じ所で一緒にごちそう食べたんだよ。あんなすばらしい王女様は、世界中でたった一人しかいないね。その王女様がだよ、他にもたくさん奥様方やお嬢様方がいるのに、特別、うちらにとても親切にしてくれたんだよ。行儀が良くて、ほんとにすばらしい王女様だったね。惚れ惚れしたよ。その王女様がうちらに料理を勧めてくれたんだ。うれしかったね。うちもパトミハンも、げっぷが出ても遠慮なく食べ続けたよ。あれだけ食べて、飲んだのは、生まれて初めてだね。ほんとに宴会は良いねえ。パトミハンの結婚の時もあれぐらいしようか。ねえ、どうだいパトミハン、あれぐらいいっぱい食べられるんだよ」
継母は、宴会で会った『王女様』と料理のことを思い出していました。「お母さん、私がいるのに、どうしてパトミハンの結婚のことを話すの」と、たずねてハジャルハンは、うつむいて地面を見つめていました。
継母はハジャルハンをにらみつけました。
「ふん、なに寝言いってるんだい。この、ろっ骨は。お前は、羊番してたらいいんだよ。結婚だと。ふん、誰のお話だい」
パトミハンも継母に加勢して、宴会で食べ残したご飯や骨を入れた木碗を、ハジャルハンの目の前に荒っぽく突き出しました。
「お前みたいな悪魔に幸せなんか来るもんか。バーカ。ほーら、やさしい妹様がお前にお土産を持って来てあげたよ」
「おい、早く泥水飲んでしまって、近所に預けた羊を連れて来るんだよ。それから、墓に入って、アトラスを織るんだ。もたもたするんじゃないよ」と、継母は言い捨てると、パトミハンと家の中に入って行きました。
ハジャルハンは木碗の骨を子犬に、ご飯をヒヨコとつがいのハトに撒いて上げました。
次の日、ハジャルハンが羊を集めて森に行こうとしていると、継母が怒鳴りました。
「おーい、ナツメの匂いさせて色気出してるバカ野郎。羊は放牧場に放して来い。ぐずぐずするな、早くしろ。お前、家にいてアトラスを織るんだ。昨日の宴会で、大勢の女達とアトラスを売る約束をしたんだからね。値段も決めて来たんだ。どうだ、良い考えだろう。お前を、羊番から自由にしてあげるんから、有り難いだろう。お前みたいな不吉な鳥は、よそじゃ住めっこないよ。お前、考えてもみなよ。こんな良い所どこにもないってこと、よーく知らなきゃいけないよ。布をきれいに織り上げさえすればそれで良いんだから」
一生こき使ってやるという継母の口振りは、ハジャルハンを一層悲しませました。それで、継母はハジャルハンを暗い仕事場に閉じ込めて鍵を掛け、外には一歩も出してやらず、朝から晩までアトラスを織らせ続けさせました。だから、ハジャルハンは前にも増してずっとつらい仕事をするようになりました。
あの、ハジャルハンがなくした金の靴はどうなったのでしょうか。
その土地に、王様がありました。この王様に、アーディルという王子がありました。王子が大きくなると、大金持ちや大臣の娘、またよその国の王女を嫁に迎えたらどうかと、毎日のように使者がやって来ました。
しかし、アーディル王子は断り続けていました。
「自分で見つけるからいいよ。僕の好きになった人を嫁にするから」
王子はまるで僧のようでした。だから、父の王様とは比べものにならないくらい、国民のためにいろんな事業をしていました。山の麓まで道を作ってやったり、橋を架けてやったり……。
ある日、アーディル王子は砂漠に水を引くため、大臣達を従えて砂漠に出掛けて行きました。かなり道のりを進み、陽が西に傾きかけた頃、やっと川をせき止めている所に着きました。王子が草花の生えている小川の側に来て流れをのぞくと、何かきらきら光を放っているものが水底にあるようでした。金の魚に違いない、と思った王子は、もっと近付きそれを拾い上げると、それは目が眩むような金の靴でした。その靴は、世界中のどんな優れた靴職人でも決して作れない、とてもすばらしいものでした。王子はその靴を胸に抱きしめ、甘く楽しい夢に浸りました。しばらくして、我に返り、ある面白い考えが思い浮かびました。王子は大臣に、
「父上に早馬を出してくれ。王子がこの金の靴を履いていた娘に恋をしてしまったので、探し出して欲しいと言っていると伝えろ。人間でなくても良い、天女であってもかまわない。どうしても嫁にしない訳にはゆかないとも言っていると伝えろ。早く使いを出してくれ」と言い、金の靴を履いていた娘を夢想しました。
ハジャルハンはどうしているのでしょうか。
ある日、
『王子様の持っている金の靴が、足にぴったり合った娘を嫁になさる』という噂話が継母の耳にも入りました。
それで、継母はパトミハンの額に生えている毒草をきれいに切り取り、そのあとに髪の毛を貼り付け、その上に絹のスカーフを巻き、最後にカワウソの毛皮帽子を被せました。よそ行きの一番上等な服を着せ、足にはブーツを履かせました。継母も、まるで花のように着飾り、いつ王子の使いが来ても良いように準備をして待っていました。ハジャルハンは、金の髪の毛にススを塗られ、その上を汚い布切れで頭を巻かれ、さらにひどく醜い格好をさせられました。
「目に見えない所で仕事をしろ」
継母はハジャルハンを引っ張って行き、庭の隅っこにあるナン焼き竪カマドの中に押し込めました。カマドの上には古い鞍を置いて、ハジャルハンが出て来れないようにしました。
やっと、兵隊達と金の靴を捧げ持った侍女達の一団がやって来ました。兵隊が扉をどんどん叩ている音を聞いて、継母は大急ぎで扉を開けました。緊張して何度も何度もおじぎをし、一行を招き入れて中庭に案内しました。
「さあ、娘さんはどこですか。早く呼んで下さい」
継母は、にこにこ愛嬌を振りまきながら兵隊達を家の中に招き入れると、きれいに着飾ったパトミハンを呼びました。そして、継母自ら金の靴をパトミハンに履かせようとしました。しかし、ぴったり合いませんでした。ああでもない、こうでもないといろいろ試してみましたが、パトミハンの足が大きすぎて、どんなにしても金の靴を履かすことはできませんでした。最後に継母はパトミハンの足を削ってもみたのですが、それでもぴったり合いませんでした。
「あーあ、いやだ。あきれた。こんな醜い娘さんに、何もそんなにまですることないでしょう。さあ、帰りましょう」
この光景をずっと見ていた侍女達は、家を出て門に向かいました。
ちょうどその時、ハジャルハンが可愛がっているヒヨコが走り出して来て、侍女のスカートの裾をついばんで、激しく鳴き立てました。
「ピヨ、ピヨ、ピーッ。カマドにムスメ。ピヨ、ピヨ、ピーッ。カマドにムスメ」
子犬も駆けて来て、カマドに前足を掛け、鞍をくわえ、カマドの口を開けて吠え立てました。
「ワン、ワン、ワン。お客が来たよ。ぼくのお姉さん。早く出て来て」
「いったいどうしたんでしょう。カマドに何があるんでしょう」
何だろうかと侍女達は、カマドに向かって歩き出しました。慌てふためいた継母が、必死で侍女達に声を掛け止めようとしました。
「うわー。そ、そこにいるのは私の義理の娘です。塩が吹いたような頭をしていて、伝染しますから、どうか、そっちにいかないで下さいまし。ほんとです。アカがいっぱいの汚い娘です。どうして、金の靴が合うことがありましょう」
侍女達がカマドの側に来て中を覗くと、娘が一人顔を出し、にっこりしました。その娘は、ものすごく汚いぼろ切れに頭を巻かれていましたが、月のような美しい顔をしていました。それに、頭には一束、金の髪の毛も生えていました。侍女がその娘に金の靴を履かせてみると、どうでしょう。まるで、注文したかのように、娘の足にぴったり合いました。
「そーら、ほうびがもらえるぞ」
側にいた兵隊が喜び勇んで馬にまたがるや、鞭打ち王宮を目指しました。
「お嬢さん。あなた、もう片方の靴を持っていますか」
侍女にたずねられたハジャルハンは、何を言って良いのか分からなくて、ただ黙って地面を見つめていました。パトミハンが近寄って来て、腹いせに口汚く罵りました。
「こんな乞食娘、金の靴なんか知るわけないよ」
すると、急に風が吹いて木々の葉がざわざわ音を立てました。庭にいる兵隊や侍女達は、いったいどうしたんだろうかと、あちらこちらを見回していると、もう片方の金の靴がどこからともなく飛んで来て、ハジャルハンの前に落ちました。
侍女達はパトミハンに向かって、
あなたにお似合は 他にいます
いたずらしないで 行きなさい
と歌い、しゅっ、しゅっ、しゅっと人差し指をほおに当てて擦り、バカにして笑いました。兵隊達が馬車を中庭に運び込み、ハジャルハンを金色に輝く馬車に座らせるや、御者が馬に鞭打ち、王子の待つ王宮へ急ぎました。ハジャルハンが乗った馬車を子犬が追い、ヒヨコは馬車の後部に、ハトは馬車の屋根に止まり一緒に王宮へ行きました。走り去って行く黄金の馬車を呆然として見送ることになった継母は、自分の頭をゲンコツで叩き、パトミハンは頭を掻きむしり、二人はぎゃーぎゃー大声上げて泣き叫び続けていました。
ハジャルハンが王宮に到着すると、早馬で知らせを聞いていた王子が出迎えに来ていました。馬車から降りて来た娘は、汚い服を着ているものの、月のように光り輝く美しい顔をしていました。王子はこの娘を一目見るなり心を奪われ好きになりました。王様は王子の希望通りハジャルハンを嫁に迎え、二人のために何日も結婚の宴を開いてあげました。しかし、継母とパトミハンは結婚式には招待されませんでした。ハジャルは里帰りもしませんでした。
「くそー。うちらをバカにしやがって。覚えていろ、ハジャルハン。きっと、仕返ししてやるからな。お前をただではおかないからね」と、継母は怒り狂って恨み言を言い、呪ってパトミハンと悪巧みを考えました。
ある日、継母が王宮に出向いて行き、ハジャルハンを訪ねました。いつもとは打って変わった猫なで声で、こう言いました。
「私の可愛いハジャルちゃん、どうしたんだね。里帰りもしないで。私達は良いんだよ。でもね、お前を産んで育ててくれた実の親の土地を思い出さないのかい。お母さんのお墓参りをして、報告してやりなよ」
ハジャルハンは、実の母のことを言われ、また、自分が生まれ育った故郷を思い出して涙ぐみ、一度帰ってみたくなりました。王子にお願いして、里帰りさせてもらうことにしました。王子は快く許し、護衛兵をたくさん付けさせてハジャルハンを継母の家へ送らせました。
ハジャルハンの里帰りを手ぐすねひいて待っていた継母は、にこにこ作り笑顔で出迎え、家に招き入れました。
「まあまあ、よく帰って来たね。王女様」
ハジャルハンは、継母達が悪巧みをしていることなど少しも疑わず、お世話になりました。その夜、継母が、
「何と言われても、うちはあんたの母親なんだからね。さあ、髪の毛を洗ってきれいにしてあげようかね」と、やさしい言葉を掛けました。
これが悪巧みとはつゆ知らず、ハジャルハンは継母から初めて母親らしいことをしてもらえるのだと大喜びしました。たらいを用意し、お湯を入れ、継母がハジャルハンの頭をお湯に浸け洗おうとしていた時、パトミハンがハジャルハンに気付かれないように、そっと後ろから近付いて、ハジャルハンの頭に煮えたぎったお湯をぶっかけました。
「ぎゃーっ」
頭に熱く沸騰したお湯をかけられたハジャルハンは、一声大きく張り上げると地面に倒れ、苦しみ悶えながら息絶えました。きれいな金の髪の毛も抜け落ちてしまいました。パトミハンはハジャルハンの抜け落ちた金の髪の毛をカツラにして、自分の髪の毛に貼り付けました。その夜、継母親子はハジャルハンの死体を家の裏庭に引きずって行き、穴を掘って埋めました。パトミハンは、ハジャルハンの美しい服を着て、誰にも分からないようにハジャルハンに化けました。
翌日、ハジャルハンに化けたパトミハンは、護衛兵を従わせ王子のいる王宮へ行きました。王子は自分の妻がまさかニセ者であるとは、全然、気付きませんでした。
パトミハンはバレないようにしていましたが、毎晩、頭がかゆくなり、ぽりぽり音を立ててかくのでした。
「どうしたのだ」と、王子がたずねると、
「妊娠したみたい、お腹が減ってポップコーンを食べてるんです」と嘘をつきました。
パトミハンは昼間でもたくさん着飾り、顔をベールで隠し、ハジャルハンの声をまねてばれないようにしていました。
王子とパトミハンが住んでいる所の庭園では、いつも庭師が木や花の手入れをしていました。毎日、昼時になると決まってヒバリが一羽どこからともなく飛んで来て、その庭師の肩に止まり、
「王子様は妻と仲睦まじいですか」とさえずりました。
「はあ、仲が良いよ」と、庭師が答えると、
「チール、チール、秘密を知らないんですね。ヒィ、ヒーヒィ、チュクチュチール」と鳴いて飛び去りました。
「仲が悪いよ」と、庭師が答えると、
「チール、チール、秘密を知らなかったんですね。ハッ、ハーハァ、チュクチュチール」と笑うように鳴いて飛び去るのでした。
庭師はヒバリが毎日飛んで来ては、王子と妻は仲が良いか、と同じ事をたずねるので、とても不思議がりました。実は、このヒバリは、ハジャルハンが殺されて埋められる時に、ハジャルハンの目から流れ落ちた血の一滴が、ヒバリに変身したのでした。
ある日、王子の耳にも庭師が話している噂話が聞こえて来ました。王子はその庭師を呼び付けて、命令しました。
「お前、そのヒバリを必ず捕まえろ。金の鳥かごへ入れて、私が自分で確かめてやる」
庭師は、王子の剣幕に負けてしまいました。
「かしこまりました」
次の日の昼頃、いつものようにヒバリが飛んで来て庭師の肩に止まったので、直ぐさま捕まえ、王子の所に持って行きました。
ヒバリは金の鳥かごの中で悲しそうな声で、
「チール、チール、チール、チュクチュチール。この家に秘密がある」とさえずりました。
世界中のどんなものでも手に入れることができると、日頃、豪語しているこの王子は、このヒバリの鳴き声がいったいどういうことなのかさっぱり分かりませんでした。しかし、母親の悪事に慣れているパトミハンは、ヒバリのことを感付きました。そして、いつものように悪巧みを考えました。パトミハンは仮病で寝込み、祈祷師にお金をやって嘘をつくように命令しました。
「祈祷師が言うには、あのヒバリの心臓を焼いて食べれば、私の病気は直ぐにでも快復するそうなんです」
パトミハンは、とうとう、ヒバリを焼き殺してしまいました。
「あーあ、残念。とても大事なヒバリだったのに」
ヒバリの秘密に感付いていた庭師の妻は、ヒバリが殺されてしまったことを知って悲しみ泣きました。庭師の妻は誰にも気付かれないように、ヒバリの羽、肉、骨を庭の入り口の側に埋めました。しばらくして、ヒバリの血から赤いバラが、羽から矢車草が芽を出しました。生長してとてもきれいな蕾を付け、互いに向き合い、お互いの匂いを嗅ぎ合っていました。
ある日、王子が庭園に入ろうとして、入り口を通れば、とてもきれいなバラと矢車草が生えているのが目に留まりました。王子が花に見とれているのを知って、庭師の妻がバラと矢車草を摘んで王子に差し出しました。王子は花の匂いを嗅ごうとして鼻を近付けると、パトミハンが後ろからそっと来て花を奪い取り、花びらをむしり取って地面にばら撒きました。
「ちょっと遊んでみたの……」
パトミハンは、いつもハジャルハンにしていたようないたずらを王子にしました。
時が流れて行きました。パトミハンに殺されたヒバリの骨から青桐が生えて大きく生長し、やがて立派な枝葉を付けました。王子はこの青桐を目に留め、朝から晩まで見て過ごすようになりました。パトミハンが子供を産んでも、王子は全く関心なく、全然見ようともしませんでした。ただ青桐だけを見て暮らしていました。これにパトミハンはひどく怒り、また、よからぬ事を考えました。
「あの木を切り倒して赤ちゃんの揺りかごを作って下さいな。でなければ、今直ぐ里に帰ります」
パトミハンが毎日、何度となく王子に迫りました。王子は妻の頼みなので仕方なく大工を呼び付け、青桐を切り倒して揺りかごを作るように命令しました。
大喜びしたパトミハンは、賄い婦を呼び付けて、自分の母親そっくりの口調で、
「お前、目を大きく見開いて大工をよく監視するんだよ。青桐の枝一本、葉一枚、どんな小さな切り屑でもなくすんでないよ。全部燃やしてしまうんだよ。もし、お前、私の言い付けを守らないと、お前がカマドで焼かれるんだよ。分かったか。この貧乏人のごくつぶしめ」と命令して悪態を吐きました。
それでも、パトミハンは賄い婦を信用しませんでした。青桐の前から離れず、目を離さず、赤ちゃんを抱いてあやしているような振りをして、大工と賄い婦を監視していました。
「もう昼だな。あーあ、腹減った」と、大工が言うと、
「大工さん。ナンを入れている食糧箱がとても重いんです。すみません。ご自分で台所に行って、好きなだけナンを取って食べて下さい」と、賄い婦は丁寧に言いました。
「よし、分かった。じゃ、あんた、すまんが俺に水一杯くれんか。水に漬けてナンを食うから」
大工は台所に入って行き、重い食糧箱を開け、ナンを一枚取ろうとしてかがみました。その時、大工のヒゲに貼り付いていた青桐の小さな木屑が、食糧箱の中に落ちました。
パトミハンは、青桐がなくなってしまい、揺りかごも出来上がったので安心しました。でも、揺りかごに赤ちゃんを寝かせて揺らすと、揺りかごから、
と聞こえて来ました。
王子は、どうして揺りかごを揺らすたびに、こんな変な音がするのだろうかと不思議がりました。パトミハンは、この揺りかごから出てくる音を聞くなり、どういうことなのか分かってしまいました。
食糧箱に落ちた青桐の木屑はどうなったのでしょうか。
大工のヒゲから食糧箱に落ちた青桐の木屑は、小さなナンに変わったのでした。賄い婦が重い食糧箱を開けてみると、とてもきれいな小さいナンが一つありました。賄い婦はそのナンを手に取ってほおずりすると、また、元の食糧箱にしまいました。
次の日、賄い婦が食糧箱を開けてみると、驚いたことに、あの小さなナンが女の赤ちゃんに変わっていました。もっと驚くことに、その赤ちゃんは、三日経つとハジャルハンに成長していったのです。
賄い婦はハジャルハンを抱きしめてほおずりし、泣いて喜びました。
「うわー。ハジャルちゃん。ハジャルちゃん」
賄い婦は、このことをいつ王子に話そうかと思案していました。パトミハンがいない隙を見計らって、微笑みながらそっと王子に耳打ちしました。
「王子様、もし、嘘だとお思いになるのでしたら、ご自分の目でお確かめになって下さい」
王子には賄い婦の言葉は到底、信じられませんでした。
「どうして妻がニセ者だというのだ。子供もいるというのに。私には全く信じられない。これは、いったいどういうことなんだ。お前がそういうのなら行って、ほんとかどうか確かめてみよう」
半信半疑の王子は案内されて賄い婦の家に行きました。そこには、賄い婦の言葉通り、本当に妻のハジャルハンがいました。月のように美しい妻が、王子の目の前にいたのでした。
「あーあ。何ということだ。やっと、分かった。間違いに気が付いた」
王子はハジャルハンを抱きしめようとしました。
「だめ、近くに来ないで。消えてしまいます。間違いに気付いたのなら私の話を聞いて。向こうに行って」
ハジャルハンに怖い顔をして厳しく言われた王子は、死人のような顔をしてハジャルハンの話を聞いていました。
「もし、私と一緒に暮らしたいと思うのでしたら、王宮の人達とまちの人達の全部を別々にして広場に集めて下さい。私の身の上に起きたこと全てを最初から皆さんにお話しします。そこで、ざんげして下さい。そうして下されば、もう一度あなたの妻になりましょう」
ハジャルハンに涙ながらに訴えられた王子は、必ず言われた通りのことをする、と誓いを立てました。
翌日、王子はハジャルハンと約束したように、広場に王宮の人達とまちの人達全てを別々に集合させました。
ハジャルハンは、乱れ髪で顔を被い、手には土の器を持って広場にやって来ました。そして、まちの人達に一礼すると、自分の生い立ちから始めて、継母やパトミハンにいじめられて成長したこと、王子と結婚してから直ぐ継母とパトミハンに殺されこと、そして、魔法使いのおばあさんに助けてもらって生き返ったことなどを泣きながら詳しく語りました。
ハジャルハンの目から流れ出た涙は、瞬く間に土の器いっぱいになり、直ぐ溢れ出しました。流出した涙は川となり、王宮の人達全員を流れに呑み込んでしまいました。継母もパトミハンも、涙の川に流されてしまいました。
ハジャルハンは揺りかごを掴んでいました。
王子は、やっとのことで流れから頭を出し、ハジャルハンの足に掴まり、まちの人達に泣きながらざんげをしました。
という歌が、この物語りから生まれました。