●ロバート・スタイン Robert Stein

 1924年、アメリカのニューヨーク生まれ。11歳のときに運命的な出来事に遭遇し医師を目指す。医師となってからユング心理学に興味を持ち、1956年チューリヒのユング研究所に留学、その3年後に分析家の資格を取得。帰国後はロサンゼルスで開業分析家として活動。1996年死去。





『近親性愛と人間愛 −心理療法における“たましい”の意義−』
小川捷之訳(1996)金剛出版
INCEST AND HUMAN LOVE The Betrayal of the Soul in Psychotherapy. 1973, 1984


 親子や同胞関係内でのエロティックな関係は、人間の歴史において古代より厳しいタブーとされてきた。例外が認められたのは王族などごく少数であり、それはその社会において「神」と同等かそれに準じる立場の人々がもつ特権であった。
 フロイトは精神分析理論を打建てるにあたって、ソフォクレスの「エディプス王」で語られる、息子が父親を殺し、母親と結婚するというストーリーから、普遍的な概念として“エディプス・コンプレックス”を提唱した。人間の無意識を探ろうとする深層心理学は、そもそもの始まりから近親相姦タブーを重要視していたのである。
 この本では、近親相姦(近親性愛と表記している)という概念をまずは生物学や文化人類学の観点から見直し、つぎに「エディプス王」を読み直すことを通じて、向き合っていく。また、精神性のみが重視されるべきではなく、身体的な性愛もまた“たましい”には必要であること。そして、精神分析やユング派の分析における「治療者−クライエント関係」に関する一般的な考え方や禁則が、クライエントの心的治癒に破壊的な影響をもたらしている、と述べ、根本的な批判を厳しく行っている。そしてそれに代わる新しい分析についての提言としては、“治療者は転移を治療の道具として利用しない”、“治療者とクライエントは同時に一対一の関係に限るべきではなくて何人かの治療者に分析を受けたり、集団療法のメンバーとして参加するべきである”などである。さらに踏み込んだ発言として、若い治療者に対し、クライエントとの性的関係を恐れるのではなく、性愛的な関係にあえて賭けてみることがなければ、性的本能や「エロス」について本当の信頼を得られないのではないかとも述べている。

 この著書はもともと、著者スタインの少年時代の性的なトラウマティックな体験と、臨床経験でのさまざまなつまづきや失敗の中から生み出されたものという。それだけに学術的な専門用語に隠し切れない気迫や執念が文章から滲み出ているように感じられる。あまりに粘着質っぽく辟易しそうになるところもあるが、普段の臨床では蓋をしてしまいがちなドロドロについて直截に指摘してもらえているようで、つい文章に引き込まれる。
 スタインが示した、新しい分析構造については、結局クライエントを1人の治療者が独占せず、感情(転移・逆転移)を道具として使わないということだと理解したのだが、心情的に共感できるところが多い。
 クライエントとの“賭け”については、「確かにそういった覚悟は必要だな」と思う反面、「これを“仕事”においては実行できない」というのが正直なところ。それは単に職業倫理がそうなっているからということだけではない。スタインの方法が適用できるクライエントの幅が非常に狭く、またこの方法を適用してしまうと他のクライエントを省みることが今の自分には不可能になってしまうのが目に見えているからである。仮に実行できるとすればそれは私的な関係においてであろうが、それとてもそれまでの社会的役割や家庭、そして自分自身を犠牲にしても良い、という覚悟がなければ、たましいの救済は叶わず、むしろ破滅の道を辿るのではないかと思う。