「ポーの庭園」、「ポーの庭園ものをめぐって」(1985)『中井久夫著作集3巻 社会・文化』所収 岩崎学術出版社


 中井久夫という人は、ウイルス研究の後、精神科医に転身し、現在まで統合失調症(少し前まで「精神分裂病」と言われていた病気)治療の権威。そのかたわら、多数の学術書や詩集の翻訳をしている。
 私の修士論文の題材は、この中井先生の考案した「風景構成法」と「枠づけ法」なので、その引用文献として著作集も、(一部分のみ)ずいぶん繰り返し読んだ。その中に、ポオの作品に関する2つのエッセイがあったので当然のごとく読んだのである。

 精神科医は、しばしば文学や絵画など芸術作品から、作者である当の芸術家の精神的な病について論文のようでエッセイともつかない文章を書くことがある。このような分野を指して「病跡学(パトグラフィー)」とも呼ぶ。この中井のポオに関する文章も、その病跡学の範疇に入るだろう。

 この著作集は、過去に中井がさまざまなところで発表した文章を集めたものであり、「ポーの庭園」は中央公論社の「世界の文学」という叢書の付録のために書いたもので、「ポーの庭園ものをめぐって」は「ポーの庭園」に大幅に加筆し「カイエ」という雑誌に掲載されたものである。
 「ポーの庭園ものをめぐって」が「ポーの庭園」の加筆した文章であるならば、別に前者のみを著作集に採用すればよいのでないかと思うが、よく読んでみるとそれなりの理由があるとも思えた。

 この「ポーの庭園もの」というのは、「庭園」「アルンハイムの地所」「ランダーの別荘」という3つの短篇のことを指している。中井によれば、この3作品はポオの危機的時期に書かれた作品なのだそうである。「庭園」は、ポオの幼な妻ヴァージニアが最初に喀血した時期に書かれ、「アルンハイムの地所」はその妻が23歳で逝った直後に書かれたという。また、「庭園」の前半部分はそのまま「アルンハイムの地所」に収められているようだ。中井がこの著作集に、「ポーの庭園」「ポーの庭園ものをめぐって」を双方とも収録したのも、これに習っているのかもしれない。
 この庭園は、エリソンという人物が広大な土地に造ったものであり、この2つの小説はそのエリソンの庭園の様子をひたすら叙述するものだそうだ。しかし、「アルンハイムの地所」にしても当のアルンハイムの地所へは到達していない。過程は書かれているものの、目的地には着いていないのだそうだ。
 一方、最後の「ランダーの別荘」は作者の死の4ヶ月前に最後の散文創作作品である。この作品には副題として「アルンハイムの地所の続編」とあるのだそうだ。
 中井はこれらの作品について、その描写にしたがって自ら絵を描いて示し、その意味について透徹した分析を加えている。それはまた、一つの散文詩のように。

 …ここで、私が「ようだ」とか「そうだ」とか曖昧な表現をしていたのは、単に中井が語っているそのポオの作品を未読だからに過ぎない。

 私が、ポオの庭園に到達するのはいつのことだろう?