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近頃の若ぇもんは


かつて私も「近頃の若ぇもんは」と言われていた時期があった。

最近気が付くと、私の方が「近頃の若ぇもんはしょうもねぇなぁ。」などと言っている。

本当にそう思うようになってきた。

若者(何か言い方がオヤジだね。他に言い方ない?ヤング?)文化や考え方は、その時代によって変化してゆくのは当然だろうが、

この頃は理解に苦しむ事が、多い。



ちょっと前、テレビで放送されていた、千葉の(たぶん外房線)電車内のマナーの劣悪ぶりには、行儀の悪い私でも気分が悪くなった。

それは、高校生グループが車内の通路で、車座になって宴会をやっていたり、

タバコを堂々と吸い、その吸殻を床に捨てたり、やりたい放題の映像だった。

他人の迷惑を全く考えてない。レポーターの質問にも「別に」「関係ないね」 と開き直った態度で接している。

全く可愛げのないガキどもだ。

放送では生徒達の顔にはモザイクがかかっていたが、そんな配慮、奴らには不要だ。

全国にそのバカな顔を放送しちまえと思った。

私だって高校の時にはタバコくらい吸っていたが、一応、隠れてコソコソ吸っていたもんだ。

そして、たまには見つかり、怒られ、殴られした。

だからといってタバコを止めるわけでもないのだが、社会に対する遠慮(うまく言えないが)みたいなものがあった。

そして、そんな事の繰り返しで、大人社会とのコミュニケーションをとっていたように思う。



教師が生徒を殴らなくなったらしい。

PTAだとか、マスコミだとか、体罰教師に対して本質の部分を理解せず、その行為に対してのみ問題にする。

そうすると教師もだんだん周囲の顔色を伺いながら生徒に接するようになる。

一部のバカな生徒は図に乗り、教師をなめるようになってくるのだ。子供だから仕方がないと思うが。

しかし、子供だからこそ、体罰が必要である。

私の世代くらいまでは、教師から殴られた経験が、ほとんどの人にあるだろう。

昔の教師というものは、絶対的存在だった。教師と生徒の間にはしっかり線引きされてあり、教師=尊敬するもの、と思っていた。

だから理不尽なことで教師に殴られても心のどこかに(しょうがねぇな)という思いがあった。

そして、「あいつ(教師)関係ないのに俺の事ぶん殴るんだぜ。」と、後で自慢話のように友人と笑い合ってたものだ。

そんな余裕があった時代だった。



教師も子供を叱る工夫をしていた。



私の中学時代にこんな男性教師がいた。

その教師は私のクラスの担任で保健体育を教えていた。

だから、体もがっちりしていて、力もある。中学の頃は誰もがイタズラ盛りである。ほとんど毎日、誰かが叱られていた。

しかし、その担任はやたらコブシを振り回したりはしなかった。

体罰は体罰なのだが、ちょっと工夫を凝らした必殺技を使っていた。

チチしぼり・・・これは文字通り、チチのちょっと下あたりを親指と人差し指でつまみ、上へ絞り上げるのだ。

これが、本当に痛い。やられた後は胸に青痣ができていた。

そして、悪さの度合いによって片手の場合(シングル)と、両手の場合(ダブル)があり、女生徒の場合は問題があるので、モモしぼりという応用技もあった。

ちょっと軽めの悪さの場合はデコピン(わかるよね)が待っていた。これも頭蓋骨に穴が開くんじゃないかと思うほど強烈だった。

もちろん、私たちは楽しんでいたわけではないが、叱られ、絞られた後、自慢気に青痣を見せ合った。

こんな感じでこの教師は体罰をエンターテイメント(?)にしてたわけだが、

だからこそ、極々たまにその教師に殴られた時には、「ホントに悪い事をしたんだ。」と骨身にしみた。

こんな風に書くと、その教師がいつも怒っていたように思われそうだが、普段はニコニコしていて、

実はチチ絞りをする時も笑いながらやっていた。(笑いながら怒る男ってあったよね)

そんな人だったから、人気もあり、ヒゲダルマとあだ名をつけられ、

本人もそのあだ名のことを知っていたが、黙って笑っていた。

当然、自分の親に、その教師から受けた体罰をチクル者はいなかった。

今思えば、私は教師に恵まれていたんだと思う。

今の教師が良いか悪いかはわからない。また、学校だけの問題でもないだろう。

だが、世の、子供を甘やかす風潮は、そこいらにたむろしているガキどもを見ればいい結果を成してないと思う。

大人は子供を殴るべきだ。

私も他人の子供でも怒れる、ヘンなおじさんになりたい。





あのなーお前、偉そうなこと言ってるけど、 子供いないじゃん。 っていう声が聞こえてきそう。

はい、すいません、結婚もしてません。(泣)