91.『裸の王様』  ビートたけし 著
            (新潮新書)  

2003.8.9
   

ビートたけしの「裸の王様」を読んだ。面白かったので以下に紹介する。日本の現状の問題をうまく突いていて、わかりやすい。




●その7 そんなにグルメは偉いのか

 どうしても、グルメとかそういうものには抵抗を持ってしまう。それは生理的なこと、食事に限らず排泄やセックスというのは人間としての罰なんじゃないか、と思うところがあるからなんだ。
 セックスにしても食事にしても、その快楽のみをどんどんエスカレートさせていくことには、何か無理があるんじゃないのか。
 美味しいものを「美味しいなあ」とお腹いっぱいに食べる。満足する。それを繰り返したら、どうしたって身体は駄目になっていくと思う。いずれは痛風や糖尿病になる。
 うまいものをいっぱい食べるのは身体に悪いんじゃないか、そういうパラドックスを抱えているような気がする。こういう本能から出たものが本当に純粋にすばらしい行為ならば、美食を極めることと健康とが直結しても不思議はないはずだからね。
 いわゆる本能に基づくことを手放しで肯定するというのは何かがおかしい気がしてしまう。もっと平たく言えば、恥ずかしいということに尽きるのだけれど。P53



●その9 トラウマは癒すべきか

 雑誌や本をめくって見つかったのは「職場ストレス症候群」、「自分にも何かできるはず症候群」、「不感症症候群」、「ぷちナショナリズム症候群」、等々。
 たかだか子供のころのこととか、こんなにひどい振られ方をしたとか、上司にいびられたとか、そんな程度のことを「トラウマ」だと騒ぐ意味がわからない。
 子供のころに、犬にかまれて以来、犬が恐くなったのもトラウマか。お化けのQ太郎も大変なトラウマを抱えていたことになる。
 昔、イモやカボチャばかり食わされて、大人になってからはどうも苦手で、なんて中高年はたくさんいる。それもトラウマによる心の病になるか。
 往々にして起こる心の病とかを騒ぐやつは、なんだかわからないけれど、すぐに環境のせいにする。「少人数クラスで行き届いた学校教育を」なんて言い出すのもその類だ。
 何でも環境のせいにするのと、心の病を宣伝するのとは同じことなんだよ。
 バブルがはじけた後、競争から降りる時に、何かもっともらしい理屈が必要になったということなんじゃないか。

 トラウマうんぬんというのも、本当に深刻な人はほんの一握りで、後は降りるための言い訳にしているんじゃないかね。
「私は過去にひどい振られ方をしましてトラウマとなりました。以来女性とはまともに話がしづらく、もっぱらソープに通っています」、
「子供の時に飼っていた犬が目の前で、車にはねられて死にました。それ以来車を見ると涙が出てきます」
「会社が評価してくれず、部下にもバカにされます。そんな状況でも給料が出るのでやめるにやめられません。それがまた屈辱です。会社に酷い目にあいました」
 仮に過去にひどい目にあったとしても、それを降りる口実に使うんだ。それは単に楽な方に出るだけなのに、トラウマとか心の病とかいうと、もっともらしく降りることができるというだけ。それで適当な分類をして仲間を増やしているにすぎない。
 同病相憐れむために病気を次々作り出すんだ。
「ブスだということがコンプレックスになって、そのせいで男性と付き合えません」
それはコンプレックスのせいじゃなくて、やっぱり顔のせい。勝手に原因と結果が逆転している。

 競争から降りた後の興味がどこへ行くのかといえば、仕方がないから「自分」だけになってきて「自分探し」とやらを始めることになる。でもそんなものは探さなくてもいいんだって。
 だいたい女房の顔と、ガキのお顔を見ていれば、自分がどの程度のものなんか、すぐわかる。あとは友達と、自分の両親、マンションぐらいで、どの程度の人間かは分かるよ。改めて自分の中を探さなくてもいい。
 「新しい自分を発見しました」なんて、ウソをつくんじゃないよ。前から同じで大差ない。
 生きているうちにストレスを抱えるのも当たり前だし、何かで傷つくのも当たり前。それをいちいち分類して、「だから癒されたい」なんて言っているやつは逃げているだけ、じゃないかね。P71



●その10 新聞を読まない人世の中についていけないか

 朝日新聞は人権をどうこう言うのなら、夏の甲子園をどうにかしてほしいよ。野球のために作ったような学校に全国から子供を集める。あの炎天下に強行軍で連投させて有望な投手の肩をつぶす。勝手に美談に仕立てているけれど、球児の人権をどう考えているんだ。
 箱根駅伝でもそのためだけにあるとしか思えない学校が出てくる。ああいうのは「正義の味方」としての新聞からみてどうなんだろう。

 新聞拡販員の話もまったくやらない。自分の手下が押し売りをやっているのに、それは知らん顔で、よその会社にだけ「企業倫理」「道徳」を押し付けるというのはやっぱり無理がある。
 この辺の事情は時折、週刊誌あたりでも報じられる。するとたいてい新聞は、「販売店が勝手にやっているのでよくお分かりません」とかなんとか言うんだね。「秘書がやりました」と言い訳している政治家を批判している場合じゃない。P75



●その14 ボランティアは偉いのか

 目の不自由な人が困っているのを見て、手を引いてあげるのは当たり前のこと。電車で年寄りに席を譲るのも当たり前のこと。「いいことをした」とかなんとか言って、威張るようなほどのことでもない。
 そういう当たり前のことは、昔は常識とか礼儀作法というふうに言ったはずだ。ボランティアなんて偉そういう前に、まず礼儀作法を子供に教えろよ、と言いたい。P93

ボランティアなんてへんな制度をつくる前に、教えておくべきことはいくらでもあるはずなんだよ。
 道でおろおろしている目の見えない人に、「困ってらっしゃるんですか」と声をかけるというのも、礼儀であり作法でもある。それをボランティアというと何か違和感がある。
 ただしこの手のことで難しいのがバランス。何でもかんでもバリアフリーにしろ、というとおかしな話になってしまう。
 自由で平等だといっても、レストランによっては、サンダルでいけば「お客様そのお身なりが」、ということはあるし、そういうのにはだれも文句を言わないわけだ。その店にいる客の総意というか「お前、場所柄をわきまえるよ」という雰囲気がある。
 同じことでやっぱりハンディキャップを背負っている人たちが、全部自分たちに1番便利なことをしろといってもおかしな話になる。できるだけのことはすればいいが、やり過ぎるとジャージー姿でフランス料理店に入れろ、というのと同じようになってしまうからね。P95



●その15 東京に高層ビルばかり建ててとうする

 これは一説にはバブル前後に「もうすぐ都心では大変なテナントビル不足になる」と役人が言い出したのが原因なんだそうだ。
 それでも高層ビルは、ニョキニョキ建っている。これはバブルや太平洋戦争と同じで、「その後どうなるのか」なんて考えずに進んだ結果なんだよね。P101



●その16 政治家は財界人の顔はなぜ貧相になったか

 大相撲の北の湖理事長と対談したときに、こんなことを言っていた。
 全盛時代には「負けろ」とか、「憎たらしい」と書いた手紙をよくもらった。土俵に上がっても「負けろ」というヤジが来る。すると理事長はかえって気合が入って、「よし、がんばろう」となったという。
 あのころは北の湖が負けると、客が喜ぶほどだったけど、そういう存在がいたから盛り上がっていたんだで、憎らしいくらいいい強い悪役というのは、その業界に元気がある証拠なのかもしれない。理事長は「頑張れ」という声援を聞くようになって、自分自身も、もう引退が近い、と思ったんだそうだ。
 竹中平蔵経財相がゲゲゲの幾太郎に似ているっていう。すると小泉首相はネズミ男ぐらいかね。P108



●その17 選挙権は1人1票でいいのか

 なんでこれだけ働いて税金を納めているおいらと、そのへんのプータローの姉ちゃんとが同じ1票なのかということ。それが大きな不満であり疑問でもあった。
 当選したメンツを見たって何も考えていない連中が選んだのは一目瞭然だろう。ワイドショーを見たぐらいで「真紀子さんは理想の女性」なんて思いこんでいるおばさんたちが選んでいる。マスコミも時にはそれを「市民パワー」とかなんとか持ち上げているんだから、話にならない。
 だから選挙は制限選挙に戻すべし、というのが長年の持論なんだ。冗談でもなんでもないし、これは別に暴論ではない。
 太平洋戦争に突入したのは普通選挙施行後、より「民主的」な国家になったはずの日本だろう。P111



●その22 中国の急成長でそんなに凄いのか

おかしいのは、その中国には相変わらずODAということで、日本のカネがジャンジャン注ぎこまれているということ。何だよ、それ。そうして浮いた金を中国は周辺の国に、ばらまいているっていうんだから訳が分からない。P143



●その23 冷戦は悪だったのか

 冷戦はよかったなあ。
 ソ連が崩壊してロシアになって随分たつ。冷戦が終結して平和になるとかなんとか置かれている奴がいたけれど、実際はどうだい。
 世界規模で見てもアメリカだけがやたらと威張るようになって、逆らうのはテロリストばかり。
 ロシアがこのていたらくだからアメリカばかりがますます威張る。今度のイラクとの戦争だって対象はテロリストだけだったはずだろう。それがいつの間にかはイラクになってしまっているんだもの。P154



●その25 アメリカになぜ勝てなかったのか

 広島の平和記念公園の、「過ちは繰り返しませんから」という有名な言葉が印象的じゃないか。原爆を落としたアメリカじゃなくて、落とされた自分たちが「過ちを犯した」ってそんな馬鹿な話がどこにあるんだ。P162



●その26 いつまで世界に金をばらまくのか

 外務省のHPで、どんなODAをやっているのか見たら驚くよ。「ラオスのジェンダー関連」「モロッコの零細漁村支援」というのもある。さらに「リトアニアの音楽アカデミーに楽器寄付」というのもある。
 それこそ調子に乗ってリンカーンかった土建屋と同じ。とっくに会社はつぶれかけていて、本当は自転車に乗らなくちゃいけないのに、見栄を張って銀座でツケで飲んでいるようなものだ。
 鈴木宗男の時にずいぶん見えてきたことだけど、この手の「援助」で気をつけた方がいいのは、単に善意とか外交戦略でやっているんじゃなくて、ここで金を動かすことで得をしているのが日本にもいるはずだということ。ポイントは金を動かす権利を外務省が本持っているということなんだね。p165



●その28 安楽死は殺人か

 安楽死イコール殺人みたいな扱いで、すぐに医者を警察が引っ張っていくというのはどうかと思うよ。だいたいオランダやベルギーのように正式に認めている国だってあるんだからね。
 昔から繰り返し言っていることだけれど、死についての哲学を持つというのは、大事なことなんだよ。P176



●その30 成功とは何か

 一生懸命稼いで、ポルシェを買ったことがある。それで、いいだろう、と思う。でもすぐに気づいた。
「あれ、おれがポルシェ乗っているのを誰が見るんだよ」
 仕方がないから友達にそのポルシェを運転させて、こっちはタクシーでそれについていく。で運転手に、
「あれはオレの車なんだよと自慢したら」
「乗ればいいじゃないですか」
といわれた。でも乗ってしまうとポルシェは見えない。
 成功とかそういうものは、つねに客観的なことで、主観ではないと、いつも思う。観ることができるものではなくて、いざ観られるところにやや近づいたときには、凄い虚無感に襲われるはずなんだ。P183



●その31 ビートたけしはいつ辞めるか

 芸人の商売というのは、お客さんあってのものだから、引退するかどうかは自分で判断してはいけないんだ。客が「まだ出てくれ」といえば、出るべきだ。
「おれもう疲れた。引退する」
というのはすごく汚いんだよ。これまでさんざんその客で、食っていたくせに、
「俺もうやりたくない」
というのは、芸人が言ってはいけないことだと思う。

もうひとつ大切なのは、引退させられるかもしれないから、それを引き伸ばそうと思って、芸事をいっぱいやるというところがある。いろんな本を読んだり、考えたりというのも同じことだね。

 芸人の中には、売れた自分を客と一緒になって喜ぶ奴がいる。こういうのは案の定だめになるんだ。だってもう100%喜びを味わってしまっているんだから。そこから先があるはずがない。後は飽きられるだけ。P188





【コメント】
 これが単に毒舌だけではないことは、心ある人なら分かると思う。彼は命に触れようとしている。しかし多くは触れようとはしていない。後半部でわずかながら触れているだけである。

 惜しむらくは、「北野武」ではなく「ビートたけし」の名前で出しているところである。
 そこに、良くも悪くも彼の限界がある。映画監督としては北野武であるのなら、著作者としても北野武であるべきだと思うのだ。

 「ビートたけし」である以上、本質的な芸能評論はできないはずだ。特に「お笑い」に関しては何もできないはずだ。そこに自分の弱点をうまく隠している面もある。

いつの日か「北野武」による本格的な「お笑い」評論を期待したいものだ。

しかし問題の本質を短い言葉で端的に捉える表現力はたいしたものだと思う。



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