64.教育が「小さな政府」論のままでよいのか

2002.11.23
 

竹中平蔵が大臣になってから、経済面では「小さな政府」論に拍車がかかっている。
「自由競争」の名のもとに「市場原理」に身を任せるという経済政策が、大手を振ってまかり通ろうとしている。
しかし多くの企業はそのことに、急速な危機感を募らせている。
現在のようなほとんど恐慌ともいえる経済不況の中で「弱肉強食」のルールを持ち込めば、体力の弱い企業は次々と倒産していくであろう。
竹中平蔵の経済政策に対する経済界からの反発は日増しに強まっている。

イギリスのサッチャー政権やアメリカのレーガン政権以来、「小さな政府」論は自由主義社会の一大トレンドになった観がある。
そしてそのラインに沿って経済改革を進めることを日本は強制されてきたが、そのことが今経済界から大きな反発を招いている。

しかしその一方で不思議なのは、こと教育になると、教育の世界にも「自由競争」の原理を持ち込もうという主張は今でもかまびすしいことである。
学校を株式会社にしようという動きもある。
教育の問題は未だに「自由競争」「市場原理」「弱肉強食」「小さな政府」論が幅を利かせている。

私が言いたいのは、経済面の考え方の変化と、教育面の考え方の変化を比べてみると、そこに異常さがはっきりと浮かんでくるということである。
本来「自由競争」「市場原理」というのは、経済面について優先されることである。
しかしそれが今逆転して教育面についてだけそれが優先されている。

経済面では「自由競争」や「市場原理」に対する反発が強まり、「弱いところは潰れても仕方がない」という竹中平蔵発言への大きな不信感が集中している。
そして政府部内でも国債30兆円枠にこだわる小泉首相への批判が相次いでいる。
経済面では「小さな政府」から「大きな政府」への転換が求められているのである。
私はそのことは理にかなったことであると思う。

であれば教育面についてはなおのこと、そのような議論がまき起こってしかるべきではないか。
しかし無風状態である。
教育面に「自由競争」があってはならないとは言わない。
しかし、それを経済面のこととを比較してみた場合に、経済活動の「自由競争」「弱肉強食」の原理が強まり過ぎることを恐れる意見があっても、教育面における「自由競争」の原理の推進を恐れる意見がないのは非常におかしなことである。
経済という本来「自由競争」が要求される分野でさえ「大きな政府」が必要となっている今日、本来「公共」的な性格をもつ教育の分野において「小さな政府」論が是認されてたまま、放置されていることは理解できない。

そしてその「小さな政府」論はもともとは、今「大きな政府」を要求している経済界の論理であったということも、事態を複雑にさせている。
大学民営化や規制緩和は本来は、経済界の論理であった。
経済界は教育については「小さな政府」を要求し、自分たちは「大きな政府」によって保護されようとしている。
何とも都合の良い話ともとれる。

この国の底辺を流れる思想そのものがちぐはぐなのであり、それを統括するものがなくなっている。
個々の政策が、国家全体としてみた場合に方向性がバラバラでミスマッチなのである。
場渡り的で、その場しのぎなのである。

もはや小泉純一郎という一大衆政治家にとって大切なのは国家でも国民でもなく、自己の思い込みに過ぎない政治論理の矛盾を人に突かれないようにすることだけである。
自己の論理を防衛することだけである。
そして彼はその論理によって日本と心中してしまう気かも知れない。
心中するのは彼の勝手だが、巻き込まれる側は大迷惑である。

「大きな政府」は、経済政策に関してよりも、本来教育に必要ではないのか。
その順番が逆転しているのではないかと思う。



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