想像力は倫理を創っていくが、
論理力は倫理を壊していく。
他者は想像力によって生まれる。
自己は他者から生まれる。
他者を生んだ想像力が、
他者を排除しようとするとき、
他者から生まれた自己の論理が、
倫理を壊していく。
自己の論理によって、
他者をもう一度説明することが、
できるかどうかが、
今試されている。
「我思う故に我あり」というデカルトの論理は、
そういう意味で破壊的な論理の危機を孕んでいた。
自己とはインターネットの仮想画面のようなもので、
そこに確たる実在などありはしない。
それを成立させている基本ソフトや、
それを映し出すパソコン機種によって、
時と場合によって、
変幻自在に自己を変えていくものなのだ。
そのあやふやなものによって、
そのあやふやなものが生み出すあやふやな論理によって、
確実な他者を説明しなければならないことに苦しんでいるのが、
現代思想である。
その落とし穴は至る所に存在する。