『王』は宗教的建造物を造ることによって発生する
     

2009.5.5  

ブログより

『王』は宗教的建造物を造ることによって発生する

2009-03-20 | Weblog

『王』は宗教的建造物を造ることによって発生する。
それ以前の部族の『首長』にも、『シャーマン』にも、『将軍』にもそのような力はない。

『王』のもつ動員力が何に由来しているか。

『首長』と『シャーマン』のもつ聖と俗の力を統合しえたものが、王としての力を発揮する。
そのためには女性のもつ宗教権を手に入れることが必要である。
処女なる巫女的女性(例えばアンドロメダやクシナダ姫)との聖婚というかたちでそれは実現する。

さらに怪物退治という奇跡を必要とする。
これは『将軍』の力との融合である。
これは日本のスサノオ神話にはっきりと現れており、スサノオが八俣の大蛇を退治することによって、草薙の剣を手に入れることはその象徴である。

スサノオは八俣の大蛇を退治することにより、草薙の剣とクシナダ姫の両方を手に入れる。
それはスサノオが軍事権と宗教権の両方を手に入れたということである。

これがどのような歴史的事実に基づいているかは分からないが、
神話の意味するところはそのような社会の分割的機能の統合である。

人間の歴史的事実は、神々の世界の出来事として語られるのが、古代社会の常である。

王は神々の世界につながる人物として登場する。

王は、神そのものであったり(日本の天皇)、神の子であったり(エジプトのファラオ)、神を祭る人であったり(オリエントの王)するが、そこに共通するのは、何らかのかたちで神的な性格を帯びているということである。



(この点、ギリシャ世界だけが例外で、ギリシャの王はどこまでも人間的に描かれる。
他の地域の王が神に近づくものとして描かれているのに対して、ギリシャの王は人間に近いものとして描かれる。
古代ギリシャは王権の樹立に失敗した地域である。
ギリシャ世界に強大な王権が発生せず、民主政治という特異な政治形態が発生するのは、ギリシャも最初は王政であったが、王が神的性格を身につけることに失敗したからである。
英雄は神ではない。その英雄に活躍の場を与えることになったのは、王が神としての性格づけに失敗し、人々の信仰を勝ち取ることができなかったからである。)



王のもつこの神的性格が、王をして宗教的な巨大建造物構築へと向かわせる原動力である。

王のもつ神的性格の違いによって、構築される巨大建造物の性格にも違いが出てくるが、
そこに共通しているのは、王のもつ神的性格によって宗教的な巨大建造物が構築され、
それによってそれまであいまいであった国家の姿が明確に浮かび上がってくるということである。

(ギリシャ社会はその点、最後まで都市国家の状態にとどまっており、統一国家の形成には至らない。
ペルシャ戦争後のアテネの繁栄はパルテノン神殿という巨大建造物を構築し、アテネは一時デロス同盟の盟主としてアテネ帝国への道を進もうとするが、ペロポンネソス戦争によって宿敵スパルタに阻まれ、その道を閉ざされる。
その原因は、神が王になろうとしたのではなく、人間が王になろうとしたからであろう。)




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