ギリシャのパルテノン神殿に神々の像とともに、人間の姿が刻まれていることは、
それ以前のオリエント文明やエジプト文明では見られなかったことであり、
そこにギリシャ文明の特質がある。
これは一方では神が人間に近づいたということだが、
もう一方からいえば、人間が神に近づいたということである。
ギリシャでは神々は人間の地位に低下する一方、逆に人間は神々の地位に上昇する。
人間が神の地位に上昇しようとするときに英雄が発生する。
ギリシャの英雄ペルセウスは人間の女性を母として生まれるが、父は最高神ゼウスである。いわば半神半人である。
しかも母は王の娘であり、ペルセウスもやがて祖父の跡を継いで王となる。
だからペルセウス王は人間としての性格と神としての性格を半分ずつ兼ねている。
しかしそれだけでは不十分で、王となるためには、英雄としての行為が必要なのであり、その英雄的行為として、異界の神(怪物)に生け贄に捧げられようとしている女性を助けなければならなかった。その女性がアンドロメダであった。
そういう行為を経て初めて人間が神の地位に上昇することが出来たのである。
ところが日本の英雄神話の代表であるスサノオには、人間としての要素がない。
スサノオは神であって、人間ではない。
スサノオの話は人間が神に近づこうとする話ではない。
それはあくまで神が王になる話である。
人間が神に近づくための英雄的行為は、日本神話ではギリシャ神話ほど明確には語られていない。
むしろその後は『かぐや姫』に見られるように、英雄と『結婚しない女』のほうが好まれていく。
これは日本人の心性の中に、英雄の出現を防ぐ傾向があるということである。