竹中平蔵と新自由主義
     

2009.1.24  

ブログより

竹中平蔵と新自由主義

2009-01-24 | Weblog

竹中平蔵は、
『思想分類を政策に当てはめてはならない』という。
そう言うことによって、自らが立案した政策と新自由主義的経済政策が無関係のものであったことを主張する。

しかし、そうだとすると、経済政策に一見関係のない教育政策が、新自由主義的性格を帯びて実行されていることは説明がつかなくなる。

前にも書いたように、
学校選択制や中高一貫教育は、新自由主義的思想によって実行されてきたものである。
民間人校長の発想も政府の民営化路線と非常に近い発想である。
いわば市場原理主義によって教育をも統制していこうとする発想である。

経済と関係のない教育の分野をこのような発想によって改革しようとするためには、そのおおもととなる思想がなければならない。
それを正当化する思想がなければならない。
その正当化に一役も二役も買ってきたのが、新自由主義である。

今や新自由主義はたんに経済だけの問題ではない。
日本中が新自由主義的発想で覆われていたと言ってもよい。

90年代から進められてきた新自由主義的構造改革が、小泉・竹中改革によって加速された。
だから新自由主義とはどういう点が行き過ぎていたのか、それを問おうとしているときに、
新自由主義は日本の経済政策とは関係ない、と言われては話が進まない。

竹中は新自由主義に対して無関心を装いながら、
新自由主義に触れられることを最も恐れている。
それは多分、そのことによって竹中平蔵自身がいかにアメリカの言いなりになって動いてきたかを追求されることにつながるからであろう。

しかし竹中のような態度をとることは、これからの日本にとって非常なマイナスである。
竹中は日本の思考停止状態を望んでいる。
そのことはワンフーズ内閣と言われた小泉内閣が、日本人を思考停止状態にさせたことと同じである。

新自由主義の正体を突きとめること、これこそが一番大切なことである。
竹中平蔵はそういう思想の核となるものを『なかったこと』にしようとしている。
それは日本人を骨抜きにすることである。



教育の崩壊