国家と神 7 ヘブライズムの世界     

2008.5.6  



1)キリスト教のルーツ

 ではキリスト教の誕生とはどういうものだったのか。

 最初の一神教は、紀元前14世紀、エジプトのイクナアトン王の時代に現れる。
エジプトというのはもともと太陽神を中心とする多神教の世界である。そして王は太陽神ラーの子供または化身と見なされる。そういう意味では、神と人との血のつながりがあった。

 そういう中でも多神教の世界では、神々に人気の違いがあり、
宮廷ではアメン神が1番人気だった。
しかしその人気が高まり過ぎるとアメン神官団が政治に介入して、ついには、王と対立することになる。

 そういう時期、アメンホーテプ4世という若い王が即位する。
そして彼はアメン神官団と対立する。
アメンホーテプという意味はアメンに仕える王という意味である。
しかしこの名前を王は嫌って、イクナアトンと名前を変える。
そしてそれまでのアメン信仰を禁止する。
そしてその代わりにアトン神という新しい神を打ち立て、その神だけへの信仰を強要していくことになる。
イクナアトンというのはイクナ・アトンであってアトン神に仕える王という意味である。
このイクナアトンはアトン神以外を認めず、そこが一神教となる。そしてそれ以前の神々への信仰を否定していった。

 ちなみに有名なピラミッドというのは、それ以前、1000年以上前のエジプト、古王国時代の建造物であって、そこには王の死後の世界が存在していたが、そういったものを否定していく。
さらに死後の信仰は庶民にも強く根付いていて(たとえばミイラ作り)、彼らエジプトの庶民は、死の世界を支配するオシリス神を信仰していたが、
このイクナアトンは死後の生命という信仰をも否定していった。
だから非常に反発が大きくて、その後、度重なる外交の失敗や、テーベからアマルナへの急な遷都などによってギクシャクした政治が続く。

 その次の王が黄金のマスクで有名なツタンカアメン王である。
ここで注意すべきはツタンカアメンは、ツタンカ・アメンであってここでアメン神が復活しているということである。

 このように、イクナアトンのアトン信仰というのは世界史上の突起物にすぎない、一種の瞬間風速だと思われてきたが、
最近どうも違うんではないか、これはユダヤ教という一神教の成立と関係があるのではないかという考え方が出ている。
そういう前提をもとに、ユダヤ教を見ていきたい。


2)ユダヤ教

 a)下層の宗教

 ユダヤ教の成立は紀元前1250年ごろの出エジプトという事件に始まるといわれる。これはエジプトにいたユダヤ人たちがモーセの指揮下、エジプトから脱出し、目的とするカナンの地、つまり今のパレスチナ地方に侵入していったという話である。
モーセが十戒を授かったと伝えられるシナイ山は荒涼たる砂漠地帯である。そこには現在キリスト教の聖エカテリニ修道院が建っている。そこでモーセは十戒を授かる。
その最初には『オレ以外の神を拝むな』と書いてある。
これが一神教の成立である。

 エジプト人は一神教を受け入れなかったが、
ユダヤ人がこれを受け入れたのはなぜなのか、その違いをマックス・ウェーバーは、『ユダヤ人はパーリヤ民族である』といっている。
パーリア民族というのは賤民と訳される。彼らはエジプトから脱出する前は、エジプトの奴隷として暮らしていた人々である。

 ユダヤ人またはヘブライ人は、民族的にはセム族に属し、国を持たず、またどこの国にも所属していない、この地方をさまよっている民族であって、ある時は砂漠の隊商となり、ある時は定住地に侵入する盗賊になる、またある時はエジプトのブドウ園の収穫人として現れたり、またある時はエジプトの傭兵隊となって現れたりしている。

 彼らの一部がエジプト滞在中にイクナアトンのアトン信仰、つまり一神教の思想に触れた、そういう考え方が今出てきている。
イクナアトンの死後、一神教と多神教との対立が深まり、一神教の信徒は国外に追放された、そしてその一つがモーセの出エジプトであったと、そういう考え方が出てきている。

 一神教というのは社会の底辺であえぐ人々に光をもたらすものであって、彼らは現状に対して絶えず不満を抱いているから、その宗教は現状打破を求める宗教に変わっていく。
こういう考え方を唱えたのは、私が知っている限りではユダヤ人の心理学者フロイトである。フロイトだから正しいというわけではないが、それについて書かれた本が最近よく出てきている。
 そう考えた方が、突然ヤーヴェという神がモーセの前に現れたとするよりも、理屈が合うと思われる。

 旧約聖書では、ヤーヴェはシナイ半島の神ということになっているが、その信仰の中身は外国の神、つまりエジプトの神であった。
つまりユダヤ人との血のつながりがない神であって、少なくとも祖先神ではない。
このような変化は先に見たヘレニズム世界と同様のことが起こっている、と言えるのであって、ギリシアの神々も祖先神ではなかった。
このような共通的な地盤がやがてユダヤ教がキリスト教になると、ローマに急速に広まり、多くの人々がそれを受け入れていく共通の基盤となっていったものと考えられる。
 よくユダヤ教は民族宗教で、キリスト教は世界宗教だと言われるが、確かに現象面はそうでも、中身は同じ構造を持っている。
血のつながった神は、その血を共有する民族だけの神になる。
しかし血のつながらない神様というのは、逆にいえば誰でも拝める神様であって、そういう意味で世界宗教として広まりやすい。

 b)戦争神

 この様にして現状に不満を持つ人々の中に一神教が入ってくる。
その宗教は強い信念のもと、現状打破を目指し、戦争の宗教に変化していく。
マックス・ウェーバーはヤーヴェという神のことを、『戦争神』あるいは『軍神』であると『古代ユダヤ教』の中で述べている。
戦争の神などというものがあるのかというと、ギリシャでは戦争神があってそれがアレスという神である。
実は日本でも、八幡神というのは武門の神様である。鎌倉の鶴岡八幡宮は源氏の守り神である。源頼朝の崇敬の厚かった神社である。
しかし、この鶴岡八幡宮はまだ八百万の神の一つにすぎないが、一神教ではこれだけが神になった、そこが大きく違ううところである。

 旧約聖書というのは読み方によっては戦争の記録とも読めるのであって、それはモーセに率いられたイスラエル軍が、ヤーヴェの守護のもとにカナンの都市を殲滅していく、そういう記録だとも言える。
そして悲しいことに3000年以上たった今も、この現状は変わっていない。
このような状況を理解することによって、旧約聖書の人間観、つまり『人間というのは罪に落ちた存在である』と、そういった人間観も出てくる。

 創世記の冒頭にはアダムとイブの楽園追放の話が出ているが、これはよく絵画にも描かれるテーマであって、マザッチョの描いた楽園追放のイブの表情は、この世の悲しみでこれ以上の悲しみの表情はないとさえいわれる。

 またアダムはこのとき、ヤーヴェからこう言われる。
『あれほど私が食べるなと言っていた、りんごの木の実を、お前が食べたから、おまえのためにこの土地は呪われる』、と書いてある。
つまりこの2人は呪われた人である。こういう人を祖先とするのがユダヤ人であり、旧約聖書の世界である。
 これは、日本人でいえば、イザナギ・イザナミの命が呪われた神であるとするのと同じことであって、もしそうであれば我々がそういう神々を今のように親しみを込めて拝めるかどうかは、かなり疑問だと思う。

 このように西洋の強い自己主張の裏には深刻な自己否定感がある。
これが『原罪』の意識である。
ヨーロッパ近代では、この反動としてプロテスタンティズムが生まれ強い自己主張の世界に変わっていくが、
その背景にあるのはこのような自己否定感であるということは知っておいた方がよいことである。
つまり一神教が生まれる背景には、危機的な戦争、そして抑圧的な奴隷制があり、危機と抑圧というものが根底に存在している。

 c)一神教の成立

 このような一神教がモーセの十戒によって、はっきりとした形をとる。
モーセの十戒の第1条には、
『あなたは私の他に何ものをも神としてはならない』
つまり、『オレ以外の神を拝むな』と書いてある。
ここでは従来の神の姿と大きく神の姿が変わっている。
我々にとって神様は普通、願い事をする神だが、この神はまず『命令を発する神』に変わっている。
それと同時に『人間は義務を果たすべき存在』に変わる。

 そこに戦争という状況が加わる。戦争は今も昔も一つのことに人々を団結させる力を持つ。
その結果は民族の結束が強まり、紀元前1020年ごろにはヘブライ王国が建国される。

 最初のダビデ王の時期はユダヤ人はまだ民族的な結束そして国家的統一を固めていく時期だが、
次のソロモンの時代になると安定と繁栄が訪れ、外国の諸勢力(そこには先住民もいるから)、その様な諸勢力との共存の道も模索されていく。
まだこの時期は一神教は十分に強固な一神教に固まっていないので、多神教との共存が図られていく。
そうした中でヘブライ王国が紀元前922年に分裂し、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂するが、
北のイスラエル王国ではヤーヴェ以外の神への崇拝が行われ、他民族との共存が図られていく。
先に滅んだのはこのイスラエル王国であって、紀元前722年のことである。
しかしその後もこれに反対していたユダ王国は100年以上存続し続ける。

 彼らはユダ王国が、同胞のイスラエル王国の滅亡後、それをどう解釈したかというと、『自分たちの仲間を救ってくれなかったダメな神だ』とする方向もあったが、
そうはならずに、『彼らは神の掟に背いたから滅んだんだ』ということになってしまう。
つまりそこでは異教との共存が否定され、神々の世界でのシンクレティズム、つまり宗教融合というのが否定されていく。

 このことによってヤーヴェはダメな神だとする事態を回避できる。これを商売に例えるならば、『買い手が100円を出さないならば、売り手はリンゴを渡さない』ということである。
契約というのは、このように神学上の理由から出てくる。

 その後ユダ王国も新バビロニアによって滅ぼされ(紀元前586年)、ユダヤ人がバビロンに連れていかれるというバビロン捕囚の時代を迎える。
その数十年の間にユダヤ人たちの宗教的結束は、より強まり、契約のルールもさらに固まっていく。

 d)契約の発生

 この契約という概念がいかに大事かということは、新約聖書という名前自体にも表れていて、新約聖書の約は、翻訳の訳ではなく契約の約であるということである。
このように契約の概念が固まってくると、さらに神々の変化が現れて、最初、契約が守られることによって初めて動くとされた神だが、実は我々人間は契約を100%守ることはできないのだから、次にはこの神は『動かなくてよい神』になる。
さらに次には『動かしてはならない神』に変わっていく。

 e)動かない神

 そのことがモーセの十戒の第3条である。
『あなたはあなたの神の名をみだりに唱えてはならない』。
 日本人から見るとオレだけを拝めと言ったり、オレの名を唱えるなと言ったり、いったいどっちなのかと迷うが、
一神教から見れば、神の名を唱えることは人が神を動かすことであって、これを一神教は非常に嫌う。
これが言葉の呪術的価値の否定といわれるものであって、さらに御利益宗教からの脱却ともいわれるが、
しかし我々にとっては、神に願い事をするということは当たり前であって、
通常『神様・仏様・観音様』というふうに神の名を唱えるし、または『アブラカタブラ・チチンプイプイ』、ハリーポッターの呪文でもいいわけだが、願い事をする。
『商売繁盛・無病息災・家内安全・合格祈願』、こういう願い事がすべてダメになる。
つまり一神教世界というのは、日本人が行っているほとんどの宗教活動を禁止することになる。
そこには日本人の宗教観と鋭く対立するものがある。

 そういう一神教では神は人間によって動かされてはならない。
逆に人間が神によって動かされなければならない。
神のいうことには従わなければ救われない、逆に言えば、従えば救われる。
そう考えていくと、このことは今はやりの自己責任論に似てくる。

 しかし私は、一人前ではない子供にあまり強くこれをいうと、子供の心は育たないのではないかと思っている。ただ西洋では子供の自立尊重が謳われるが、それはこういう信仰から出てくるということは、知っておいた方が良いことだと思う。このことが日本人にはよく理解できないから、論理的に反論できなくなる。

 日本人の宗教観はどうかというと、現在でも最も多い檀家数を抱える浄土真宗では、悪人でも阿弥陀仏の慈悲によって救われる、という考え方がある。
親鸞の言葉として歎異抄に『善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや』という言葉がありますが(悪人正機説)だが、
こういうの宗教観をもつ日本人の中に、16世紀キリスト教が入ってきたとき、日本人はザビエルに向かって、どういったのかというと、
『洗礼を受けていない、我々の祖先はやはり地獄に行ったのか』と質問する。
ザビエルはこれに困ってしまうが、論理的には地獄に行くしかない。
すると日本人は、
『私はあなたの言うことを理解はできるが、自分たちのご先祖様を見捨てて自分だけ救われて、それが一体何になるのか』と言ったという。

 ザビエルはこれを聞いて、本国への手紙に『もう精根尽き果てた』と書いている。
そして、日本をキリスト教化するためにはよほど優秀な宣教師でないとできない、ということを言っている。
当時の日本人は、キリスト教という一神教が日本の宗教観と鋭く対立することを直感的に理解していた、と思われる。

 そういうふうに一神教では慈悲を排除していくが、日本人から見るとそれではどうも収まらないのである。この事は単に日本人だけでの問題ではなくて、慈悲をどうするかという問題は宗教的に非常に重要な問題である。

 同じユダヤ教を母体とするイスラム教はどうかというと、イスラム教はそこに慈悲を入れる。
コーランの冒頭には、『慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において』、そういう言葉が必ず書かれている。
それは章が変わるごとに必ず書かれてある決まり文句である。
つまりイスラム教では、神は人間の責任を問い過ぎない。神は、かわいそうな人間を救ってやることもあるのである。
しかしユダヤ教にはこのような慈悲というものがない。

 f)厳しい異教の弾圧

 こういう厳しい神の要素を受け継ぐ宗教はキリスト教となって、ローマ社会で国教化されるようになる。
392年、テオドシウス帝の時である。
そうなるとこの宗教は他の宗教を認めないものになってしまう。異教の禁止が行われる。
それまで行われていた古代ギリシャのオリンピックは異教の祭典として禁止されるし、それまでエジプトのアレクサンドリアで書かれていた神聖文字であるヒエログリフも異教として禁止される。また有名なミロのヴィーナスも土に埋もれたまま、1000年以上もの間、眠り続けていく。
このような事態は実は日本では現在起こりつつあることであって、
今人気の宮崎駿のアニメは『滅びゆく神々の姿』を一貫してそのテーマにしている。そして多くの人々の共感を呼んでいる。
 またアルプスの北でも強引な改宗が行われていて、ゲルマン人というのは『粗末に改宗』させられていく。もし嫌だといえば、血が流れていくような改宗になる。
例えば693年イングランドでは、子供が生まれると30日以内に洗礼を受けさせろ、そうでなかったら全財産を没収する、そういう法令が出されたりしている。
 このような布教活動は異教の世界との対立を生むのであって、ヨーロッパには辺境に追い詰められた民族がいる。
それがケルト人である。
ケルト人はもともとフランスとドイツの国境ラインに生んでいたものが、現在ではこの様にヨーロッパの辺境に押しやられ、今見られるのはウェールズ地方、スコットランド地方、アイルランド地方、それからブリターニュ地方、こういった辺境にしか住んでいない。

 今人気のハリーポッターもそのことと関係しており、
ハリーポッターはヨーロッパの映画だからキリスト教を描いた映画かというと、逆にキリスト教徒によって魔界に落とされた魔法使いたちの世界が描かれている。
著者のJ・K・ローリングは、生まれはウェールズ地方、現住所はスコットランドである。そしてそのスコットランドの州都エジンバラで書かれたのがハリーポッターである。この地域はアングロサクソンによって迫害を受けてきた地域である。
こういう世界で書かれたハリーポッターがヨーロッパでも人気だということは、ヨーロッパの人々は古来の神々対して非常に自覚的である、ということのように感じる。
そこにはグリム童話で描かれた土着文化を大切にする伝統があるように思う。
 スコットランドは抵抗を続けてきた地域である。
ローマ帝国の国境には、ハドリアヌス長城と言われるものがあるが、これがどこにあるかというとローマ帝国の最大領域を見るとわかるように、それはイングランドとスコットランドの国境近くにある。
スコットランドにはケルト人が住んでいる。つまりこの長城の奥にはケルト人が追い込められていたのである。


3)キリスト教

 キリスト教がなぜ発生したのかというと、
ユダヤ教のそのような自己責任論に対して、『それではあんまりだ』と思うところからキリスト教が発生したように思える。

 紀元前60年、パレスチナはローマの属州になる。
パレスチナはすっぽりローマ領内に収まる。
そこに反ローマの独立運動が起こるが、イエスはこの潮流の中から発生してくる。
 そして紀元後30年、イエスは反ローマ的な言動を行ったという罪でゴルゴダの丘で処刑されるが、3日後に処刑されたイエスが復活したという信仰が生まれる。
ここから宗教になる。
そしてイエスの教えは貧しい人々に広まっていく。
このような考え方をとったのが使徒パウロであって、パウロによればイエスの死は神による人類の罪のあがないである、ということになる。

 つまりここでの問題は、イエスは神か、人間かということなのだが、
キリスト教はイエスを神とする。
ではそれまでの神は何であったのかというと、ヤーヴェであった。
ではヤーヴェは否定されたのかというと、否定はされない。
つまりヤーヴェという神とイエスという神が二つの発生し、このままでは二神教になってしまうが、
それをどうにか一神教であるとするためには、この二つの神を合体させていくしかない。
そして、ものにはついである。父なるヤーヴェと子であるイエス、おまけに聖霊まで加え、三つで一つの神とする、これが三位一体論といわれるものだが、
これは日本の神仏習合と似ている。
そういう意味で、キリスト教は多神教的要素をもっている。
 三位一体というのは、どうかすると神が三つあるという多神教的要素を持つことになる。キリスト教はさらにそれに加え、マリア崇拝というものも発生する。こうなると四神教になる。
ピエタの像を見てもマリアが中心であって、こういう彫刻がカトリックの総本山バチカンにあるということも非常に我々を驚かせることである。
さらに先に見た一神教色の強いプロテスタンティズム国家アメリカの入り口には、リバティー島に自由の女神が立っている。こうなると五神教になる。
そのほかに聖者崇拝というものもあって、キリスト教にはいろいろな多神教的要素が混じり合っている。

 ところで一時ブームになった『ダヴィンチ・コード』という映画は、実は『反』三位一体論の立場だと思う。
『最後の晩餐』のイエスの左隣にいるのは通常はヨハネだといわれますが、実は著者によればイエスの横の人物は、マグダラのマリアであり、彼女は聖書では卑しい女だとされいる。
実はこの女性とイエスとは男女の関係にあり、そして子供までなしていた、というのが『ダヴィンチ・コード』のストーリーなのである。
 つまりイエスは男である、つまり人間である、つまり神ではないというのが『ダヴィンチ・コード』の主題になっている。
そういう意味ではキリスト教を否定する映画であるが、
それはどうもキリスト教のもつ多神教的要素の否定であって、
この映画はどうもより強い一神教的なものを志向しているように思われる。

 このようにキリスト教は時々一神教への回帰を起こすのであって、歴史的に見れば、ルターやカルヴァンのプロテスタンティズムはそうである。
特にカルヴァンの予定説などはまさにそれであって、恐ろしいほどの一神教的決定論をとっている。
今はやりの新自由主義の根っこの部分にあるのも、このプロテスタンティズムである。




こういう過程を経て、ヨーロッパ社会にキリスト教が入り込んでいく。

ここで注意しておきたいことは、それまでのローマの皇帝はあくまでローマ市民から選ばれた者であり、その王権の根拠は神から与えられたものではなかったことである。
しかし、3世紀後半のディオクレティアヌス帝は、古来ローマの神々を皇帝の守護神と仰ぎ、これによって皇帝権を神聖化する試みをはじめている。

この試みの延長線上に、
313年のコンスタンティヌス帝によるキリスト教の公認(ミラノ勅令)があり、
392年のテオドシウス帝によるキリスト教の国教化がある。

このことによってローマ皇帝はキリスト教の神によって皇帝権を授けられたとするようになる。
ローマ皇帝は、『キリスト教の神から皇帝に任命されているのだ』といえば、それで皇位の正当性を獲得できるようになる。つまりキリスト教の神によって、神の恩寵が与えられることになる。

このことによって、王と神とのつながりがまた復活するのである。




教育の崩壊