キリスト教 矛盾の歴史 3  宗教改革      

2008.1.20  

掲示板より


1517年、ルターは95箇条の論題を発表し、当時キリスト教会が行っていた贖宥状の販売を批判する。
このことが宗教改革の幕開けとなる。

ルターはここで聖書中心主義を唱え、神と人との1対1の関係を強調する。本来神と人との間にはそれを仲介すべき何物も存在せず、信仰のみが大切であるとして、キリスト教会の存在を否定する。

キリスト教会つまりローマ教会が存在しないとすれば、一番の痛手を被るのは、ローマ教会によってその支配の正当性を保障されている神聖ローマ皇帝であった。

このような形でルターの宗教改革はそれまで500年以上続いてきた神聖ローマ帝国の存在を否定していく。

そうなると、『神は誰に政治的支配の正当性を与えたのか』ということが次の大問題になってきて、
ローマ教会を介さずとも、神から直接政治的支配の正当性を授かるとする王権神授説が登場する。そしてこの説による支配の正当性を説く君主が次々と現れるようになった。
この王権神授説がそれまでの神聖ローマ帝国の理念と違うのは『教会を介さず』というところにあり、王権の正当性は『神から直接もらう』とするところにある。

ところが『神から直接もらう』とすれば、それははたして王だけに与えられるのかという疑問が次にわいてきて、王がもらえるのならば王以外のものにでも平等にもらえるはずだということになってくる。
つまりここで支配の正当性が民衆にも与えられるとする社会契約説が登場することになる。

よく王権神授説と社会契約説は真っ向から対立する正反対の論理のように思われているが、このように見てくるとその出所は『教会を介さずに、神から直接』という点では一致している。

政治的支配の正当性が王にではなく、一人一人の民衆にあるとする社会契約説の論理は、
よく考えてみると古代ローマ帝国でコンスタンティヌス帝がキリスト教を公認する以前の、
皇帝の正当性が一人一人のローマ市民の承認によって成り立っているとする社会と同じ論理をもっている。

宗教改革というのは第1義的には原始キリスト教というヘブライズムへの回帰であるが、
このような形で同時にギリシア・ローマ社会というヘレニズムへの回帰へもつながっている。

ヘブライズムとヘレニズムというのは異なる二つのものだと捉えられがちであるが、王権と宗教的権威が結びつかないという点では一致している。

ヘブライズムであるオリエント起源のキリスト教は『神の国』のみを説き、けっして『地上の国』の権威を説かなかった。魂の平安は心の中にのみあるとしたのである。そして初期キリスト教の時代には、ローマ皇帝への皇帝礼拝を拒否した。
このようなキリスト教にはもともと世俗的権威をその横から補強していく要素はない。
コンスタンティヌス帝以来、このような性格をもつキリスト教によって皇帝権を補強しようとしてきたその矛盾が、宗教改革によって一気に噴出してしまったのである。

もう一方のギリシア・ローマのようなヘレニズム社会は、もともと王権と宗教的権威が切り離された社会である。
多くの社会では王権と宗教権が結びついているのが普通であり、そういう意味では日本の天皇に見られるような王権と宗教的権威の密接不可分の結びつきは、決して特異な現象ではない。
しかしそれがヘレニズム社会では切り離されてしまっているため、社会全体が機能不全に陥ることが多かった。
ギリシア社会は衆愚政治に陥って滅んでいったし、ローマ社会もローマ市民から承認された皇帝が次々に暗殺されるという軍人皇帝時代にはいると、その歪みはますます大きくなった。
そのような歪みを何とか正常に戻すための苦肉の策が、キリスト教によって王権を正当化するというコンスタンティヌス帝以来の神寵帝理念であったのだが、それもキリスト教の持つ今述べたような理念のために、結局は有効に機能しなかった。宗教改革の前に敗れ去ったのである。

結局ここでヨーロッパ社会は、ヘレニズムとヘブライズムの双方がもつ、政治と宗教を切り離そうとする原点回帰に帰着し、
近代国家は政治と宗教の統合をあきらめて、政教分離の国家としてスタートすることになる。


ただここで違うのは、一人一人の市民の中には古代ギリシアやローマと違い、キリスト教の神が心の中に深く根づいているということである。個人の内面には、神と人とが1対1の関係で向き合い、その絶対神の前に絶えず自己の救いの審判をゆだねているという構図がはっきりと形作られている。絶対神との1対1という孤独な戦いの中で自己の救済を勝ち取らねばならないという近代人の姿が浮かび上がってくる。

このようなプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神が分かちがたく結びついていることは、マックス・ウェーバーの本に記されているとおりである。




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