キリスト教 矛盾の歴史 1  ローマ帝国      

2008.1.20  

掲示板より


キリスト教はもともと王権を強化するための宗教ではなかった。

イエスが説いたのは『神の国』であり、『地上の国』ではなかった。
初期キリスト教時代の古代ローマ帝国では、キリスト教徒は帝国の要求するローマ皇帝への礼拝を拒否し、それがために政治的に弾圧され、多くの殉教者をだした。
このようにキリスト教徒はもともと反政治的な宗教であり、ローマ帝国の支配を正当化していくような理念を持ち合わせていなかった。むしろ逆に、礼拝の対象として神以外の何ものをも受けつけない性質のものだったのである。


それに加え、ローマ帝国は、もともと政治と宗教が結びついていない社会であり、ローマ皇帝の正当性は民衆の支持によってのみ成り立ちうるものであった。そこに神の入る余地はなかった。
政治と宗教が結びついていないのはギリシア社会以来の伝統であり、戦争と殺戮そして政治的な乾きを特徴とする地中海世界の政治的特徴である。
そこからギリシアの民主制が生まれ、その一面を受け継いだローマ世界も、ローマ市民権を有する民衆の支持によってローマ皇帝が承認されるという政治形態が整った。

ところが紀元3世紀の軍人皇帝時代になると、政治的な不安定が続き、皇帝が次々に暗殺されるようになる。
民衆の支持によって皇帝が支配の正当性を獲得するというローマ社会の健全性が崩れていった。

このような事態を打開するために考えられたのが、皇帝は神の恩寵によってその支配の正当性を保障されているという考え方であった。

3世紀後半のディオクレティアヌス帝は、古来ローマの神々を皇帝の守護神と仰ぎ、これによって皇帝権を神聖化する試みをはじめている。

この試みの延長線上に、
313年のコンスタンティヌス帝によるキリスト教の公認(ミラノ勅令)があり、
392年のテオドシウス帝によるキリスト教の国教化がある。


このことによってローマ皇帝はキリスト教の神によって皇帝権を神聖化していくようになる。ローマ皇帝は、『キリスト教の神から皇帝に任命されているのだ』といえば、それで皇位の正当性を獲得できるようになる。つまりキリスト教の神によって、神の恩寵が与えられることになる。
そしてこのような関係はローマ帝国滅亡後も西ヨーロッパ社会に受け継がれていくことになる。

しかし、ここで忘れてならないことは、キリスト教徒はもともと『神の国』のみを説き、『地上の国』を説かなかったことである。そればかりかもともとのキリスト教はローマ皇帝にたいする皇帝礼拝さえ拒否する宗教であったということである。

ここに明らかなキリスト教理論上の矛盾が現れているのだが、
このような矛盾は、キリスト教の当時の司教エウセビオスらによって巧妙に覆い隠されてきた。
エウセビオスらは、神以外(皇帝)への礼拝を拒否するどころか、ローマ皇帝位はキリスト教の神の恩寵によるという神寵帝理念を説きはじめ、逆に皇帝権力を正当化するイデオロギーをつくりはじめた。

それとともに、一神教本来の形では不要とされるはずの神と人との間の仲介者(キリスト教会)の権威を高揚させた。

一神教では、イスラム教に典型的にあらわれているように、神と人との間の仲介者(キリスト教会)は不要とされ、神と人とは本来1対1の形で結びついているものとされた。
ところがキリスト教はこの点においても特異な神学を発展させ、神の代理人としての教会を打ち立て、その教会の権威のもとに信徒を組織化していくという方法をとった。

この点はのち16世紀になってドイツの神学者ルターによって厳しく批判されることになり、ローマ教会の支配に服さない多くのプロテスタントを生み出していく。

このような矛盾はルターによってはじめて気づかれたのではなく、もともとキリスト教の中に胚胎していたものであり、ルターはそのことを政治的な行動に移しただけである。

キリスト教の神によってローマ皇帝権を神聖化していくという矛盾した行為により、ローマ教会はますます神の代理人としての地位を高めていく。
そしてこのことはローマ皇帝よりもローマ法王(教皇)が優位に立つということをも意味していた。
なぜならローマ皇帝にその正当性を与えるのは、神の代理人としてのローマ法王(教皇)にほかならないからである。

つまり皇帝がローマ法王(教皇)から王冠を授かるという戴冠の儀式の根はこんなところにあるのである。

キリスト教を国教化したテオドシウス帝の時代の395年に、
ローマ帝国は東ローマ帝国西ローマ帝国に分裂する。

その後、東ローマ帝国では今言ったような事態にはならず、皇帝が教皇の任命権を握るという皇帝教皇主義という皇帝権力の強い政治が生み出されていくが、
西ヨーロッパではその後、476年に西ローマ帝国が滅亡したため、政治的混乱が続き、
それに続くフランク王国などの蛮族の国家も非常に王権の弱い国家であった。

それとは対照的に、西ヨーロッパ世界の宗教的権威として、ローマに生き残ったローマ教会が王権に正当性を与えるものとして力を強めていくのである。




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