未履修がダメなら、私立中高一貫もダメ

     

2006.12.19  

ブログより



高校の世界史をはじめとする単位未履修問題は、
1単位につき35時間と決まっている授業時間数を、ちゃんと教えていなかったことから始まったものである。

そしてこの35時間というのは、土日・祝祭日の休業日や、夏休み・冬休みなどの長期休業を差し引いた、一年間の平均授業実施『週』に相当する。
といことは、生徒の理解がどうであれ、また授業の進度がどうであれ、
一年間をとおして、くまなく教えなければ35時間は達成できないのである。

逆にいうと、優秀な生徒ぞろいで授業が速く進めるからといって、
1単位当たり35時間の授業を、20時間程度で繰り上げてはならないということである。

ところが灘高校をはじめ私立の中高一貫進学高校ではどうかというと、
中学3年次において、高校1年の授業が平気で行われている。

『履修』という概念は、理解できるできないに関わらず、
決められた授業内容が決められた授業時数どおりに行われ、それに出席したかどうか、
ということである。

1単位を履修するのに、まるまる1年かかるとすれば、中学3年次に高校1年の授業をすることは、
どこかで中学時の授業時数がカットされたことを意味する。
そうでなければ計算が合わない。

つまり1単位当たり35時間の履修条件が、例えば20時間程度ですまされたということである。
そうでなければ中学3年次において、高校1年の授業をすることはできない。



私がなぜこんなことを言うのかといえば、
いくら公立高校の履修条件を厳しくしても、
実際には私立高校ではそれ以上の『履修逃れ』が行われているのであり、
私立の中高一貫校では、ずっと以前から、そのこと自体が学校の『売り』なのである。
そのことを知らない人はいない。

そのことに目をつぶったまま、学習指導要領の厳格化を行えば、
私立高校と公立高校の『格差』は大きくなる一方であり、
私立の中高一貫校だけが、大学受験において一人勝ちすることを加速させるだけなのである。


そういう意味では、
今回の高校の未履修問題は、私立の中高一貫高校にもっとも厳しいものであるはずだが、
そのことを問題視するマスコミの論調は皆無である。

私立の進学高校がすべて悪いとはいわないが、
論理に矛盾があるということを、分かっていながら誰も言わないから、
あえて言うのである。

今の教育改革に公立学校に対する悪意があることは確かである。
世の中にはルサンチマン(怨み)が渦巻いている。
どこかで誰かが血祭りに上げられる。スケープゴートにされる。

本当にそれで良いのか、
公立学校が血祭りに上げられるということは、
一体どういうことなのか。

『私立学校があるから良い』
本当にその程度のことなのか。
よくよく考えてみなければ、取り返しのつかないことになるのではないか。

小泉改革以来、地方では、すでに取り返しのつかないことが始まってはいるが。





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