生徒が教員評価

     

2006.12.9  

ブログより



生徒の規範意識を向上させるためには、
教科の指導だけではダメで、
生活面での指導を行わなければならない。

ところがこの生活面での指導こそが、
生徒がもっとも嫌がることであり、
生徒と教師がもっとも対立することである。
これがやれてこそ、一人前の教師である。

ということは、政府の指示通りに、生徒の規範意識を向上させようとする教師は、
生徒の評価が最も低い教師になる。

ここが矛盾している。

『私塾では、日々、生徒からの厳しい評価を受けている。甘ったれるんじゃない』
そういう人は、私塾では生活指導が行われていないことを忘れている。

今、学校では、掃除が成り立たない学校が多い。
掃除が成り立たない学校は、学校が成り立たない。
教師が生徒に笑われながら黙々と掃除をしている。
ところが塾にはもともと生徒に掃除させる必要がない。
そういうことが見過ごされている。


生徒が教師を評価し、それが教師の人事考課や給与査定に影響するということは、
簡単に言えば、生徒の規範意識の向上は行われないということであり、
もしそれを行おうとする教師がいれば、自分の評価が低くなることを覚悟した教師だということになる。

こうやって優秀な教師は、学校現場から排除されていく。
優秀な教師でなくとも、教育論を理解した教師は、現場から排除されるということである。

つまりこれは、生徒の規範意識の向上よりも、優秀な教師の排除をねらったものだということになる。
今の教育改革のねらいは、『教師つぶし』である。

あとは、サラリーマン教師を養成していくのであろうが、
子どもの力をバカにしてはいけない。
そういう規格化された教師に、生徒は決してついていかないのである。

教育の崩壊は止まらない。



『遅刻をするな』
『シャツを出すな』
『ズボンを下げるな』
『スカートを上げるな』
『掃除をさぼるな』
『職員室で騒ぐな』
『授業で寝るな』
『授業中、私語をするな』

学校では日常的にこういう指導が行われている。
しかしそれを行おうとする教師は年々減っている。
生徒に文句を言われるからである。
であるならば、生徒の嫌がることは言わないほうがよい。

そういう教師がますます増えていく。




教育再生会議は、
教員評価の方法を工夫することによって、
教師が生徒に迎合することを防げるといっているそうだが、
何のことをいっているのか、
手品でもするのだろうか、
なぜそれを防げるのか、私には全く分からない。

詭弁のたぐいである。
論理上そうなることは、方法を変えてもどうにもならないのである。




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