未履修を生んだ学習指導要領

     

2006.11.11  

ブログより


今回の単位未履修問題の裏には、文科省の『学習指導要領』の矛盾がある。
平成になってからの『学習指導要領』の変遷を追ってみると、いかに理屈に合わないことが行われていたかが分かる。



■ 1989年は平成元年である。その年に告示された学習指導要領では、それまで選択科目とされていた『世界史』が必修とされた。
そしてこれは高校では、1994年(平成6年)度の入学者から学年進行で実施されることになった。

それまでの高校での社会科は、
『現代社会』『日本史』『世界史』『地理』『倫理』『政治経済』の科目に分かれていた。

しかも、その中で必修とされていたものは『現代社会』だけであり、
その他の科目については学校の裁量に任されていた。

多くの学校では『現代社会』の他には、
『日本史』『世界史』『地理』の3科目の中から1科目ないし2科目を履修させるのが通例であった。
進学高校の文系では2科目、進学高校の理系では1科目である。
しかし進学高校の文系でも、現代社会の他に社会を2科目履修させるのは、受験の実態とすでに合わなくなっており、いろいろな問題が生じていた。文系でも1科目に絞り込もうとする動きはあった。
しかしこれは、この時点では何ら学習指導要領と矛盾するものではなかった。

しかし、1994年(平成6年)からは、一気に変わる。
新指導要領により『地理歴史科』の中で、
『世界史』は必ず履修しなければならなくなったうえに、
それに加えて『日本史』『地理』の2科目の中から1科目を選択することとなり、
合計2科目の履修が義務づけられた。

分かりにくいことには、
この新教育課程からは『社会科』は、『地理歴史科』と『公民科』に分けられたことである。
分けられたといっても、『公民科』が新設されたことによって、新しい公民科の教師が配置されることはなく、
『地理歴史科』と『公民科』を担当する職員は、旧『社会科』の職員であることに変わりはなかった。

では『公民科』(『現代社会』は『公民科』に入る)の履修条件は緩和されたのかというと、そういうことはなく、今まで通り必修が義務づけられていた。

つまり、旧『社会科』から見ると、従来は、『現代社会』1科目のみが必修条件であったものが、

1 『公民科』の必修
2 『世界史』の必修
3 『日本史』『地理』いずれかの必修
このように旧『社会科』内で、3科目の必修が義務づけられたのである。

ということは1科目当たりにかける授業時間数は、削減されざるをえなくなる。
少ない時間でどうやって生徒の学力を維持するか、これが課題なった。
少なくともこの時点で『ゆとり』どころでなくなったのは確かである。

しかし、大学入試はどうだったのかというと、
これにあわせて大学入試科目を増やすということはなく、
従来通り社会科の受験科目は1科目のみの入試が続けられた。
それどころか、逆に受験科目を減らす大学が多くなり、それは一種の流行になった。
アラカルト入試(小科目入試)や1科目入試の全盛期になった。

そのような矛盾に対して文科省は、
『高校教育は大学受験のためだけにあるのではない』の一点張りで、
そのことに対して手を触れようとはしなかった。

本当ならば、
『高校教育は受験のためにもある』とするのが筋だと思うが、
現実に対してほおかむりをしたままで、それを調整しようとする意欲を持たなかった。

大学だけが勝手に『ゆとり』の波に乗っかっていたが、高校現場はそれどころではなかった。
実は、大学も『ゆとり教育』を本気で信じていたわけではなく、
負担を軽くしようとする受験生の心理を読んで、多くの受験生を集めたい、というのが、
受験科目減らしのホンネであった。

当時はまだ大学生の学力低下問題が起こる前だったため、
今のように大学に入ってから高校の授業の補習を行う必要はなかったから、
各大学は自分の都合に合わせて、どんどん受験科目を減らしていた。

(実は、この動きは今も続いており、先日、国立大学協会が『入試定員の5割を推薦入試で認める』という方針をだしたのは、この動きの延長線である。
何のことはない、たんなる『青田刈り』である。推薦入試はとうの昔に『青田刈り市場』になっている。
今回のどさくさにまぎれて、そのことはいっそう増長された。
その発端は、文科省がすでに2000年に推薦入試枠を5割まで拡大することを認めていたことにある。
しかし、履修問題や、いじめ問題の陰に隠れて、マスコミはそのことをほとんど取り上げない。)


このようなことを見てくると、
平成元年発行の学習指導要領は高校と大学の現場の実情を縮めるどころか、
逆に矛盾を増大させ、現場の混乱をますます引き起こしたものだということがわかってくる。
文科省の方針がいかに現場の実態を無視したものか、
文科省が何かをすればするほど、事態は悪くなっていったのである。

世の中は、地方分権だ、規制緩和だと騒いでいたが、
学校現場にとっては、地方分権でも、規制緩和でもなく、全く逆の方向に進んでいた。
『ゆとり教育』のかけ声とは裏腹に、文科省にとって、本気で教育の規制緩和をするつもりがなかったことは、
その後、文科省が学習指導要領の解釈を変え、
従来、『最高』基準とされていた学習指導要領を、いつの間にか『最低』基準だと変えてしまったことにも表れている。

いうまでもなく、最高基準が最低基準になることは、
学習指導要領が『これを目標にしなさい』から、『絶対にしなければならない』に変わったということである。
つまり、規制緩和の方向性とは逆に、それだけ縛りがきつくなったということである。

従来の学習指導要領のもつ法的拘束力とは、『努力目標』としての法的拘束力であり、
そのことにはいろいろな見解があるにしても、学校の現状を考えれば、従来はそれでうまく機能していた。

しかし、そのことが何の前ぶれもなく、最高基準から最低基準になってしまったことが、今回の問題をいっそう混乱させた原因になっている。
現場では、最低基準であることの問題性を認識していた教師はあまり多くはなかったし、現場への徹底がはかられたこともなかった。
文科省にそれを徹底させようとする意志がもともとなかったのである。

なぜならこれが表面化したのは、『ゆとり教育』から『学力向上』へとカーブを切ったときの、文科省の言い逃れに端を発するからである。
今回の未履修問題は今回初めて明らかにされたことではなく、以前から文科省も知っていた。そのことは今報道されているとおりである。
文科省は2002年の学校の未履修の実態調査の報告書が届く前から、そのことを知っていたのだか、そのことを厳しく指導するつもりはなかった。
しかし、『学力低下』批判を受けて、『ゆとり教育』から『学力向上』へとカーブを切ったときの文科省の言い逃れが、
『学習指導要領は最低基準である』というものだったため、今回の未履修問題に対する逃げ道を、自ら断ってしまったのである。

つまり、『学力低下』批判をかわすために、『学習指導要領は最低基準に過ぎないから、それ以上のことをどんどん教えて構わない』としたのである。
これは一見、規制緩和のように見えながらも、実際の意味は、学校現場を学習指導要領から逃れられなくし、学習指導要領の厳格化という点で、文科省の権限の強化であった。

ウソをウソで固めていくと、自ら滅びることの典型のようなものである。自業自得で滅びていくさまは、本当に醜いものだと思う。
しかしまだウソの上塗りは続いていきそうである。
それどころか、『毒まんじゅう』を食らって、逆にパワーアップするかもしれない。

このように、文科省は学校現場の実情に考慮することなく、学習指導要領で学校の教育課程をがんじがらめに縛っていった。
そしてその負担は、今回のような形で、最終的に生徒が被ることになった。


また、社会科だけではなく、それまで男子には課されていなかった『家庭科』も男女必修とされた。
これも男子生徒にとっては科目数の増加であった。


そういうなかで、次の年の1995年(平成7年)には隔週5日制になり、
週当たり平均34時間の授業が、平均32時間へと削減された。
このことは新教育課程の適用される1994年(平成6年)入学者にも適用されることであり、
彼らは2年生時・3年生時は、週32時間態勢で授業を受けざるをえなくなった。

世の中は『ゆとり』『ゆとり』と騒いでいたが、学校現場には、もともと『ゆとり』などなかったのである。
『ゆとり』の中で、必修条件は厳しくなる一方であった。

相撲でいえば、土俵がどんどん狭くなる中で、今まで以上の相撲を要求されるようなものである。
これが無理な命令でなければ、何が無理な命令なのだろう。

1 授業時数が減少する中で、
2 必修条件を強化し、教科を増やすことが、どのような結果を招くか。

それが予測できなかったとすれば、文科省というのは相当無能な役所である。

しかし、この時点で授業時間数の不足は、現場ではすでに緊急の課題であった。
今回の問題の根はここにある。



■ さらに、そのように授業時間が削減される中で、1999年に告示された(2002施行)学習指導要領では、
従来なかった新しい時間として『総合的な学習』が新設されたうえに必修とされ、そのための週1時間を捻出する必要が出てきた。

さらに、これまた従来なかった新しい教科として『情報』が新設されたうえ必修とされ、ますます従来の教科時間数が圧迫された。

そして極めつけは、2002年に完全週5日制が実施されたことである。
週2時間の授業時間がさらに削減され、週当たり30時間体制となった。
ここ10年間で、週34時間から30時間へと計4時間の授業時間が削減された。

これに『総合学習』と『情報』の2つの新設科目による負担を考えると、さらに2時間分の授業が食われた格好となり、
実質的には、もともと34時間の授業数が28時間へと、10年間で週当たり6時間も削減されたことになる。

しかも高校の教科書は、小学校と違って授業内容が削減されたということはなく、教科書の厚さは変わらない。
そういう中で授業時間数が約2割も減らされるということは、高校現場にとってとても絶えられないほどの打撃を与えた。

放課後の部活動のさかんな学校も部活動の時間を削減するしかなく、
1日6時間で統一されていた授業が、日によっては7時間目の授業をつくらざるを得なくなった。
最初は週1日だけだった7限授業が、年度を追うごとに2日になり3日になっていった。

授業が終わるのは5時近くになる。それから部活動の時間にはいる。
従来6時過ぎに終わっていた部活動の終了時間が、7時過ぎなった。
生徒は家に着くのは8時過ぎである。遠くから来ている生徒は9時過ぎになる。



■ その間、
エイズ教育や性教育、
ジェンダーフリー教育、
男女共同参画教育、
人権教育、
総合学習がらみのディベート大会や研究発表会、
ボランティア活動、
職場体験(インターンシップ)、
大学への体験入学、
清掃活動、
交通安全指導、
外部講師による講演会、
消費者講演会などなど、

学校行事がどんどん追加されていった。
もちろん体育祭や文化祭、修学旅行、開校記念行事、耐寒訓練などの従来からの学校行事のほかにである。

こういった中でやむにやまれず授業時間確保のための、未履修問題が起こってきたのである。




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